妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第八十五話:精一杯の伸び
 
 
 
 
 
 ところで、アイリスにこっそりいい物をとレイが読んだ時、さくらはその話に加わらなかった。
 と言うより、さっさと部屋に戻っていたのである。
 部屋に帰ったさくらは、早速ロケットを取りだして、さっさと服を脱ぎ捨てると胸の前に当てた。
 誰もいないし、自分の部屋だから構わないが、胸の谷間に当てたその顔がみるみる緩んでいった。
「碇さんがくれたけど買ったそのままじゃなくて碇さんがつけていて…と言うことはつまり…ふふ、うふふふふ」
 ふにゃあと緩んだ、と言うより緩みきった顔は、剣を握っている姿からはまったく想像がつかない。
 頬も幾分赤くして、手を首に回して鎖を繋いだ。
 が…何も起きない。
「あら?」
 鎖を付け直し、ついでにくるくると回ってみる。
 下着姿でバレエの練習に励む娘みたいだが、やっぱり胸元のロケットは何も伝えてこない。
「変ね?」
 首を捻ったが、疑念がその顔に見えないのは、やはり素直な性格故だろう。
「きっとやり方が悪いのね」
 うんと頷いて、下着姿のまま刀掛けに歩いていき、すっと手に取った。
「抜き身を引っ提げて歩いてもいいが、振り回すことだけはしないでね」
 いかにこの街が多様な人種を抱えていると言っても、刀を振り回して歩く物騒な部族はいない。
 それに、真剣を持っているのは生徒の中でもさくらとマユミだけであり、もちろんそれが技量を買われての事であるのは言う迄もない。
 とは言え、ひっそりと持ち歩くのは何となく危険物の密輸人みたいな気になるものであり、それだけにシンジから許可が出たと聞いて、さくらは嬉しそうに頷いたのだ。
 今では包みを解かれ、戦国時代のように掛けられている荒鷹を手に取り、すっと半歩下がって青眼に構える。
 激変が訪れたのは、その瞬間であった。
「あ…う…」
 胸元から凄まじい力が、一気にさくらの全身を駆けめぐったのだ。
 普通に付けても何ともなかったそれが、霊刀を手にした途端凄まじい効力を発揮したのは、無論シンジの下準備によるものだが、その調整法をさくらは考えつかなかった。
 いや、まるで体外に溢れ出そうなそれを抑えるのに必死で、それどころではなかったのだ。
 見る見る漲ってくる力に、降魔の大群どころか国家の軍隊の一つも、相手に出来そうな気がしてきたさくらだが、それでも刀を握った全身をぶるぶる震わせながら、何とか立っているのは前回暴走した時、シンジに怒られたのを覚えているからに他ならない。
 時間にして五分近くも経ったろうか、不意にさくらは感覚が変わったのを知った。灼熱のように全身を灼いていたそれが、段々と鎮まってきたのだ。
 だが力のイメージそのものは消えず、体内の感覚だけが変わってくる。
 身体のある箇所が、正確に言えば性感帯が疼いてきたのだ。
 まず最初にブラの下にある乳首が疼き、みるみるうちにぷっくりとふくらみ、触れているカップが更に刺激を強くする。
「ふっ…んんっ」
 立ったまま、その表情は違う意味で赤らみ始めた−少しの興奮と、そして過度の快感から。
(落ちて…ううん、拡がってく…あ、やあぁ…)
 普段ならくすぐったいで終わる筈の脇腹も、じわじわと拡がっていく波に疼きが集う場所と変わり、そしてそれは臍を伝い、とうとう目的地へ着いた。
 すなわちパンティに覆われた秘所へと。
 上下お揃いの下着だが、柄はいたってシンプルなオレンジと白のストライプである。そのブラの方は、すでに驚くほど尖った乳首に押され、そしてパンティもまた、じわりと湿ったのをさくらは知った。
「や、やだこんな…ああん…」
 否定しようと首を振りながらも、自分の身体は少しも付いてきてくれない。普段は保護し、守ってくれている筈の布地が、今日に限っては股間を責める異物に思えてくる。
 さくらは無論処女だが自分の身体の構造を、自慰をまったく知らぬ娘ではない。さくらとて普通の娘だし、性にまったく興味が無く剣道一筋に打ち込み、異性との関わりは結婚する相手とだけとか思っているわけではないのだ。
 しかし、それとてまだ指でほんの少し触れるだけで十分な身体であり、器具などは使ったことも触れた事もない。しかも、どんなに身体が疼いて、いつもより指を一本増やしてみた時でも、こんなに感じたことはないのだ。
「はあっ…あ…んくっ…」
 歯を食いしばり、身体を無茶苦茶にしたくなる衝動を、さくらは必死に抑えていた。
 これが並の娘なら、十秒と持たずに猛烈な自慰に及んでいただろう。
 そして。
「い…かりさん…わたし…ばり……した…」
 ばたっと倒れて気絶する瞬間まで、さくらの指は柄に食い込んだままであった。壮絶な討ち死にみたいだが、少し違うのは危険な程赤らんで色気を帯びた目許と、そして倒れる間際につうと太股を伝い落ちた一筋の液であった。
 愛液だけはさくらも制することが出来ず、それでも最後まで自分を制したのは、賞賛に値すると言えよう。
 
 
「若、それは危険ではありませんか?」
「お前に機銃持たせるよりましだ。それに、霊刀持った時以外は反応しないようにしてあるから、普段は暴走しない。霊刀を手にして振り回せば、エネルギーがそのまま効率よく回転するから問題はない」
「それなら大丈夫ですな」
「渡した日はきっと、碇さんがくれたのに変ね、と首を傾げながら大人しく寝る筈だ。で、次の日にピンチの時以外は、霊刀を引き抜くなと言っておく。そうすれば」
「そうすれば?」
「真宮寺さくら・改のできあがりだ」
「それは名案です」
「さくらをパワーアップさせ、なおかつさくらの暴走も防ぐ。これで一石二鳥だな」
 そう言ってふふふと笑ったシンジの言葉を、無論さくらが知るわけもない。
 シンジの誤算は、さくらの発想が予想以上に優れていた事であり、さくらに取っての不運は今日に限って勘が働いた事であった。
 これが普段のさくらなら、碇さんに訊いてみましょで終わった筈だし、無論気がおかしくなるような、過度の快感に襲われる事もなかったに違いない。
 
 
 
 
 
 すみれが何をしに来たのか、シンジは知ろうとはしなかった。その気になれば心からの告白も聞けたのだが、それはしなかった。
 別に聞き出す気もしなかったのだが、すみれはそれどころではなかった。元々部屋に来たのもシンジの誘惑などではなく、黒の下着はすみれなりの演出であった。それが部屋に入った途端シンジの顔を見ただけで気が遠くなり、気が付いたら自分の胸を揉みしだいていたのである。すみれが肩を震わせているのも無理はなかった。
「取りあえず尻尾は焦がしてやる」
 すうはあと深呼吸すれば記憶を、思考の順序を入れ替える事など、シンジにとっては簡単な事であり、すみれが帰り次第フェンリルを引っ張り出し、尻尾を焦がしてやると決めている。
 そのせいかシンジの方はもう落ち着いており、
「何もそんなに大笑いしなくても」
 言いかけた途端、
「泣いているんですわよっ!」
 金属質の声が飛んできたが、
「なんで?」
 シンジの声に気が削がれたか、きっとシンジを睨みつけたものの、
「わたくしが…わたくしがこんな淫乱な体質だったなんて…くっ」
 ぎゅっと拳を握りしめた。
 無意識の内、と言うことでよっぽど悔しかったらしい。
 しかし、
「あまり自惚れない事だ」
 冷ややかな声がした。
「…え?」
「乳を揉んだ位で淫乱?淫乱が聞いて呆れるな。自ら溺れたドラッグの、或いは低級な淫魔の霊に取り憑かれたおかげで、男を見た途端股間を溢れさせ、びっしょりと濡れた下着を放り投げて押し倒す女を知ってるか?うっかりレズバーに行ったばかりに、若い娘好きの年増に目を付けられて、気付いた時にはそいつの術中にはまり、町中で美貌の女を見かけると、まっすぐ走り寄って熱いキスをかますようになった女は何と言えばいい?」
 言葉の内容に、気を呑まれたかのように呆然としていたすみれだが、やがておずおずと口を開いた。
「そ、それで…その方はどうなりましたの」
「その娘(こ)のキスが下手なら良かった。だがそれは唇を合わせた途端、受けの女も夢中にさせる代物だった。そして犠牲になった者の中には、ごく普通に恋人が、そして婚約者がいる者がいた。正常な男なら誰だって、町中で女同士熱いキスを交わし身体をまさぐり合う女など、恋人にも結婚相手にもしたくない。最期に娘を待っていたのは、正気に戻ってから破談や別れを叩き付けられた女達からの憎悪だった」
「そ、そんな…でもそれは最初の女が悪いのでしょう」
「無論、その女も報いは受けた。発見された時、女はドーベルマン五頭に囲まれていたよ。見つけた一人が大怪我したのは、のし掛かっていたそいつを引き離した時、性欲を邪魔された怒り狂ったドーベルマンに噛まれたせいだ」
「そ、それってまさかその犬に…」
「まさか、ではないよすみれ。もっとも、偶然そんな犬が逃げ出して、そして偶然下着を穿かずにうろついていた女がいた訳ではないけどね」
「……」
 シンジの言葉は、既にすみれの理解の範疇を超えていた。幼い頃からずっと、大事に大事に育てられて来た彼女に取って、シンジの言葉はあまりにもショックな物であり、すぐには反応できなかった。
「そうそう、言い忘れた」
「…な、なんですの?」
「すみれがいきなりオナニー始めた訳じゃないよ。下着がすぱっと切れて乳が見えたから、ちょっと触ってみたの」
 一瞬すみれが唖然として、次の瞬間みるみる憤怒へと変わった。
「じゃ、じゃあこれは碇さんがっ!?」
「そうとも言う」
「そ、それ以外に何があるんですのっ」
「碇シンジがなまちち揉ん−あっぶないなあもう」
 真っ赤な顔のまま、ぶんと凄まじい勢いで飛んできたそれは、平手ではなく拳になっていた。
 それをひょいと受け止め、
「その前に一つ訊きたい事がある。刑法第二百四条に、夜下着姿でやって来た女に手を触れないのは禁固五年以下の刑ってあるの知ってる?」
「き、禁固五年?」
「そう、禁固五年。とすると、すみれはなんでそんな格好で来たのさ」
「そ、それは…」
「ノーブラじゃないが、ネグリジェもブラもパンティも黒、そんな格好で俺の部屋に何をしに来…ん?」
 不意にすみれが笑った。そう、確かにうっすらとだが笑ったのだ。
 とは言え、乳房が乳首まで見えている状態で、それを隠そうともせずに笑っている姿はひどく扇情的に見えた。
 たった今激昂したすみれが、あっさりと方向転換した事でシンジも一瞬度肝を抜かれたが、
「もういいんですの。もう…よろしいんで…きゃっ!?」
「良くないっつーの」
 胸をむきだしのままのすみれを、シンジがぐいと引き寄せたのだ。そのまま太股の上にすみれの頭を乗せ、
「何をしに来たの?」
 じっと目を覗き込んだ。
 
 
 
 
 
「あーあ、ここも余計な事をしたばかりにね」
 すみれがシンジに抱き寄せられた頃、瞳と泪は夜の街にいた。電柱の上から腕を組んで見下ろしている視線の先には池田屋がある。
「首謀は神崎忠義だが、絶対に手伝い、あるいは手伝おうとしたやつがいる筈だ。それを探せ」
 シンジから下った命令だが、二人にとって池田屋の存在を探り当てるのは、さして難でもなかった。これが一個人なら別だが、既に使用人達を動かしてしまっていたのが店主奥平貞昌の運の尽きであった。
「それで、あの店どうされるつもりなのかしら」
「ひと思いに潰れればいいけれど…」
 一見とんでもない台詞だが、経済封鎖でも決定した日には、それこそ一切の取引先からそっぽを向かれ、主人の一家と店員もろとも、首を吊るしかなくなってしまうのだ。一方、一気に潰されれば路頭をうろうろするのは奥平家の者だけで済む。
 事情はどうあれ、シンジの拉致に関与した事を知っている二人は、家の者達に同情する気は微塵もなかったが、従業員まで累が及ぶ事態はできれば避けたかったのだ。
 
 
 
 
 
 シンジの目から逃れられないと知ったすみれは、一瞬目を閉じたがすぐ諦めたように開いた。
「ホテルでの事思いだして…わたくし分かりましたの」
「感度の良さ?」
「ちっ、違いますわよっ」
 顔を真っ赤にした所を見ると、全部思いだしたというのは本当らしい。
 すぐ表情は戻った。
 ほんの少しだが、どこか哀しげな表情で、
「碇さんがわたくしに触れて、わたくしが自分の身体をいじっていただけですわ。わたくしは碇さんに…何もしなかった、いえ出来ませんでしたわ」
「それはすみれが感じやすくしたから。別に悪い事じゃないよ」
「そう言う事じゃありませんわ。ただわたくしは碇さんに取っては…女ではないのだと」
「つまり俺が、すみれを男の身体に見立てていじり回した、と?」
「ちっ、違いますわっ、そうじゃなくてっ」
 上を見上げたまま、慌ててすみれは首を振った。
「そうじゃないんですの。碇さんが、混乱して変な事を口走ったわたくしに付き合ってくださった事は、とても嬉しかったですわ。でも…わたくしは碇さんに取って対等な女のそれではないと…いえ責めてるんじゃありませんわ。碇さんにとってはきっと、ここの誰一人として手を出したくなる存在のそれではないと…」
「……」
 シンジが咄嗟に返さなかったのは、怒っていたからではなく返す言葉が浮かばなかったからだ。無論シンジとて、すみれやさくら、或いはアスカの躰をシビウと比べるような真似はしない。
 だが確かにすみれの言うとおり、碇シンジと言う人間を、そしてシビウと言う名の女医を、お互いが知った上での付き合いと、まだシンジをほんの一端しか知らないすみれ達とでは自ずから接し方も変わってくる。
 あれがシビウか、或いは葉子であってもシンジは口腔性交位はさせていただろう。別にシンジとて、禁欲道を邁進する聖人君子ではないのだから。
 シンジが責め一方に徹した事を、すみれはほぼ正しく分析していたと言える。
 ここの誰一人、と言ったのはすみれのせめてもの意地であったろう。これでもしシンジが、さくらかアスカあたりにでも手を出していれば、そのプライドはずたずたにされた筈だ。
「否定はしない」
 やがてシンジは口を開いた。
「でもね、すみれ。俺がその気になれば指など使わず、あそこにおいてあった植物だけですみれをよがり狂わせる事も出来た、それはすみれが知っているはずだよ」
「え、ええ…」
 言われずとも、植物の狂騒を引き起こし、相手の躰を責めるそれはすみれ自身が体験しているのだ。
「触れる価値もない女の戯言、そう見た訳じゃないよ」
「それは…分かっていますわ。でも碇さんに取っての女、とは違うのでしょう?」
 少し前のすみれであれば、例え死んでも口にしなかったに違いないが、シンジはすぐに頷いた。言いくるめる事も出来たが、すみれの真顔にその気が消えたのだ。
「だから碇さん、その…あ、あの…」
(ん?)
 もう一度シンジは内心で首を捻った。だから大人の女にして、と言いに来るすみれではない。シンジの読みが間違っていなければ、そんな他力本願の女ではないのだ。
 [あの…わ、わたくしがいつか、いつかちゃんとした女になったとお思いになったらその時は…」
 いかにすみれとは言え、これが限度だったろう。告白、と言うと微妙にニュアンスがずれているような気もするが、乙女が口にするにはかなりの勇気が要る台詞である事は間違いない。
 真っ赤になって目をぎゅっと閉じたすみれの瞼に、シンジは指でかすかに触れた。
「わかった、覚えておこう」
 シンジの言葉に目を閉じたままこくりと頷いたが、閉じられた両目から涙が一筋流れ落ちた。
 それを指の先で軽く拭ってから、
「夜にそんな格好で来て冷えたでしょ。コーヒーでも淹れるよ」
 すみれの頭をそっと持ち上げて下ろすと、シンジはすっくと立ち上がった。
 うっすらと目を開けたすみれがシンジの姿を目で追い、
「碇さん…」
 小さく呟くと、シンジの指が触れた箇所にそっと手を当てた。
 
 
 
 
 
「はあ?昨日の内に霊刀持ったあ?」
 シンジの素っ頓狂な声に、何事かと全員がそっちを見ると、シンジの前に立っているのは何故か顔を赤くしたさくらである。
「持ったって、振り回さずに霊刀なんか持ったらさくら、まさか…いや、なんでもない」
 しゅうしゅうと首から上を真っ赤に染めたさくらを見て、シンジは起きた事を大体悟った。
 耳元に口を近づけ、
「で、抑えたの?」
 こんな事を訊いたら斬殺されそうなものだが、
「は、はい…」
 さくらが消え入りそうな声で頷いたのは、シンジの口調に冷やかしが全くなかったせいかもしれない。
「そうか、よく我慢したね」
 シンジがよしよしと撫でたところへ、
「ちょっとあんた、朝っぱらから何やってるのよ」
「昨日のロケットがね」
「ロケット?」
「さくらに渡したロケットは、霊刀と一緒じゃないと効果が出ない。さくらがそれを単体で付けて効果が出ないから、聞きに来ようと思ったのを俺が寝てるからって我慢したんだって−レイも少しはお手本にしなさい」
 久方ぶりにシンジが朝食を作ったのだが、我慢できないレイが早速手を伸ばしたのである。
「さくらちゃん、人間我慢すると身体に良くないよお」
 げんこつ。
「な、何もげんこつしなくたっていいじゃない」
「人が理性の話をしてるのに、お前は女を誘惑した蛇か?まったく」
 レイを一睨みしてから、
「ま、とにかくさくら、あれは霊刀が一緒じゃないと効果が出ない物だから。振り回す機会がある時に持つといいよ」
「は、はい」
 まだ幾分顔は赤かったが、シンジによしよしと撫でられたせいだろうと、深く理由を詮索する者はいなかった。
「じゃ、ご飯にしましょ」
 人数分、最後に吸い物の椀を運んできたシンジが椅子を引いて座る。
 それを見ていたすみれの口許が、ほんの少しだけ緩んだ。
 
 
「じゃあ何、その格好は演出だったの?」
 暖かいココアを勧め、自分もカップを手にして訊いたシンジに、すみれは小さく頷いた。
「こ、この色がいいって本にはあったからそれでその…」
「黒、ねえ」
 ふうん、とカップを傾けたシンジに、あまり成功でもなかったようだと自分の姿を見た途端、丸出しの胸に気付いてきゃっと叫んだ。
 今頃になって感覚が戻ってきたらしい。
「いっ、碇さん何か着る物をっ」
「あー、はいはい」
 すぐに立っていってシャツを持ってきたが…当然のごとくぶかぶかである。
 真っ白なシルクのシャツを肩から羽織り、
「碇さんて…随分大きいのを着ていらっしゃるのね」
「いや、普通だけど」
 確かにシンジにとっては、ごく普通のサイズであろう。
 そんなシンジのシャツの端を、すみれはきゅっと握りしめた。
「どうかした?」
「い、いえなんでもありませんわ」
 慌てて首を振ったが、顔が赤くなっていたのはきっとばれてしまったに違いない。
 結局足に力が入らず、部屋まで負ぶってもらって帰ったのだが、誰かに会うかも知れないと言う一瞬罪悪感を堪えるような感じで、すみれはある種の官能を感じていた。
 結局部屋に帰ってから二度も自分の身体をまさぐってしまい、それもすぐに達してしまったのだが、不思議と普段のような空白感や罪悪感は感じなかった。身体全体へ妙に残る余韻で、どこか嬉しそうな表情で天井を見上げたまま、すみれは艶っぽい溜息をもらしたのだ。
 
 
 
 
 
 神崎忠義の葬儀は、盛大に執り行われた。
 横死にも近いが、表面上はあくまでも孫を庇って降魔と差し違えた、と言うことになっており、それだけに扱いも弔問客もど派手なものであった。
「普通口は閉じてる写真使うだろ。あの写真なんか言ってるぞ」
「わ、わたくしをよろしくって言ってるのですわ」
「え?」
「なんでもありませんわっ」
 一応式が終わり、辺りは雑踏でごった返している中、小さく呟いた声はシンジには届かなかったらしい。
 数人がすみれに話しかけて来たが、他に近づこうとする者はいなかった。
 シンジには珍しくうす紫色のダブル−静也が送った物だ−葬式には決して似合わぬそれだが、シンジが着こなすと危険な極道のそれにも見えるのか、近づいて来ないのだ。
 無論、傷心のすみれに近づきたい者がいる事など、百も分かっているシンジであり、だからこそこんな格好もあっさり承諾したのだ。
 とそこへ、
「シンジ様」
 目だけ僅かに動かし、瞳の位置を確認してから、
「すみれ、すぐ戻るから親父さんの所行ってて」
「ええ、分かりましたわ」
 すみれが重樹の所に行くのを見て、シンジは廊下に出た。
「分かった?」
「ええ、以前あの老人を見た店ですが、池田屋です。どうやら、神崎忠義の方から相談を持ちかけたようですが」
「そうか、分かった」
 宙を見上げたシンジの視線が、刹那厳しい物へと変わった。
 
 
 
 
 
(つづく)

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