妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第六十話:箝口令
 
 
 
 
 
「と、言う訳なんですよ」
「何がと言う訳、なんだかさっぱり分からないのだがね」
 別に端折った訳ではない。
 文字通り、挨拶しての第一声がそれだったのだ。
 いきなりと言うわけで、と言われて分かる方がおかしい。
「だから、うちの剣道娘二人に刀を持たせておいて下さいって事です」
「駄目」
 即座に却下したのは、無論先だっての『真宮寺@暴走さくら』のイメージが頭にある事は言うまでもない。
「そこを何とか」
「却下だ」
 頑固な警視総監に、
「祖母に言いつけますよ」
「う…」
 ぴくっとその表情が動く。
 側近がいたら、怪訝な目を向けることは間違いない。
 何とか抑えて、
「そ、それでも法は法−」
 毅然として言いかけたが、
「あの二人、剣を持たせれば一級です。が、逆に持たせなければ駄目。剣を持って無くて降魔に不覚取ったら、総監の責任ですよ」
「わ、私を脅す気かね」
「実を言うと」
「じ、実を言うと?」
 十年来の知り合いの孫が何を言い出すかと思ったら、
「触手のある降魔に捕まって触手責め−と言うシーンも良いような気はするんですけどもねえ」
「……シンジ君、君本当に管理人かね」
「管理人は、家来に取って最善の環境を用意するモンです」
 ふーう、と大きく冬月は息を吐き出した。
 数十秒の沈黙があった後、
「良かろう」
 かなり低い声で一言告げた。
「ただし、不始末の時は君に全責任を取ってもらう事になるぞ」
「パトカー一台までの損失に抑えます。要は、損失より支出が多ければいいんです」
 分かってるのか分かってないんだか、よく分からない台詞と共にシンジは退出した。
 シンジが出て行った後、
「君の孫は…あくまでも私の胃に穴を開けたいらしいな」
 キリキリ痛んできた胃に、すっと胃薬へ手が伸びたのはもう習慣だ。
 ある病院の方角を睨んでみたがふと、
「家来?すると…王様になったのかね?」
 思い出したように呟いた。
 警視総監の胃の負担を別にすれば、一応真宮寺さくら・山岸マユミの両名が帯刀するのは合法となった。
 かくして、堂々と真剣が陽の下をうろつくようになったのだ。
 
 
 
 
 
 碇邸、その造りは都下でも五指の指に入ると言われている。
 主の一家に男が一人、でもってそれもあまり家にいない訳で、この屋敷の使用人は女しかいない。
 ただし、一歩外に出れば当主のフユノには黒服が護衛するし、夜の歩きともなれば陰から強力な護衛が付く。
 もう一人の方は護衛など要らない力量は持っているし、あまり家にいないヤツに至っては護衛の方が逆に護衛される位なのだ。
 だから当然と言えば当然なのだが、それはそれで問題を生んではこなかった。
 結構上手くやっていたのである。
 さすがにその当主が病院送りされた時は、邸内も色めきたったものだが、それを抑えたのはミサトだった。
 まだ若いながらも、使用人達を束ねる位置にある綾小路葉子は実家に帰っている。
 だもので束ねるのが居なかったのだが、普段の酒豪女からは想像も付かないほど機敏に動き、動揺する使用人達を抑えたのだ。
「この程度で狼狽えるんじゃないわよ」
 ミサトの一喝で冷静を取り戻したが、バーボンの瓶を持ったままだったのは、やはり付け加えて置かなければなるまい。
 しかし似合わぬ事を言ったばかりに、フユノの代行もどきであちこち顔を出す事になったミサト。
 普段は全部祖母に任せていただけに、だいぶ気苦労もたまったようだったが、そんな中でようやく治療の許可が出た。
 神伎、あるいは魔伎と言われる腕を持つドクトルシビウ、彼女の病院に収容されていたのだが、完治のための治療は差し控えられていたのだ。
 無論、シンジの意を受けてのものだったが、住人の一人綾波レイの処遇を巡り、シンジから退院許可が出た。
 本来ならおかしな話だが、それ以前に普通の病院であればとっくに親族を呼び、
「ご臨終です」
 と十字を切っている所だ。
 しかも、一定ラインまで快復させてそのまま維持させるのも、ドクトルシビウの技量無くしてはあり得なかったろう。
 とまれ、フユノの容態は完治し、院長から正式に退院の許可は下りた。
 フユノを乗せたリムジンが、本邸の前に滑り込んだのは早朝の事であった。
 
 
 
 
 
「アイリスおいしい?」
「うんっ」
 猫型ロボットを模したパンの、ヒゲになっているチョコレートを口に入れて、アイリスが嬉しそうに頷いた。
 元々この女神館、家事は持ち回りだったのだが、段々シンジの片づけが多くなってきた。
 最初は食事当番が片づけもしていたのだが、現在素浪人中のシンジに、いつの間にか片づけが回ってくる事が多くなってきた。
 暇及び管理人、と言われてしまえばそれまでなのだが、
「何で俺ばっかし」
 とシンジが見つけだしたのは、近所のベーカリーレストランであった。
「SHAMROCK」と名の付くこの店は、種類で分かるようにパンの製造販売が主なのだが、イタリア料理もメニューには載っており、店内は洒落た造りになっている。
「好きな物を」
 はい、とシンジが指した先には三十種近くのパンが、それも焼き立てがずらりと並んでいる。
 焼き立てパン、と記した看板の店が冷えて固まった物を売るのは珍しくないが、この店はその日に焼いた物しか出さず、保温にも抜かりはない。
 シンジが気に入ったのは、看板に偽り無しのそんな所であった。
 早速手配して住人達を連れて来たのだが、ここでもシンジは住人達の食欲に押され気味になっていた。
 みんながもう、食べる食べる。
 食欲魔人×5。
 これだけいれば、作る方は作り甲斐があるが、見る方は結構くる物がある。
「ま、拒食とか小食の心配よりいいや」
 と思ってはいたが、四つ位までポンポンと進むのは、ある意味ちょっと怖い。
 もそもそとやっと一つを食べ終えたのは、姫達の勢いに押されたせいだ。
「数倍食べた気がする」
 シンジが呟いた先で、アイリスが手を伸ばしたのは五番目に選んだ蒸しパンであった。
 ただ、シンジはアイリスに何も言わず、八つ目のパンに手を伸ばしたレイを見て、
「胃に穴とか空いてないか?」
 無論、思ったことは口にはしなかった。
 
 
 
  
 
「『お帰りなさいませ』」
 リムジンから降りたフユノは、入院していたとは思えぬほど足取りはしっかりしていた。
 無論、そこまでの回復も治療には含まれていたのだが、居並ぶメイド達に、
「お前達にも苦労をかけたの」
 穏やかに言った声もしっかりしている。
「いえ、とんでもございません。それよりも無事なご帰宅、何よりでございました」
 うむ、と頷き、
「ミサトはどうしておる?」
「そ、それが…しゅ、祝杯をと…」
 そう、今日帰って来ると聞き、
「やっとお役ご免ね。さーて飲むわよー!」
 と、朝から来てないのだ。
 申し訳なそうな顔のメイドに、
「まあ良いわ。ミサトも随分とよう働いたからの」
「は、はい、それはもう普段とは打って変わって…あ」
 余計なことを言ったと慌てて口を押さえたが、フユノは気にした様子もなく、
「ところで、米田から連絡は来ておるのか」
「はい、先日も連絡がありました。今は船上だそうです」
 差し出された紙を手にして一瞥すると、
「急がねばならぬな」
「はい?」
「いや、何でもないわ。それより、さくら達をここに集めよ。至急来るようにと伝えるのじゃ」
「あの、若様は?」
「シンジは良い。いや、シンジは決して来させてはならぬ」
 怒っているのかと思ったが、フユノの口調はそれとはやや遠い位置にある事を知り、
「かしこまりました。至急手配致します」
「お前に任せたよ」
 軽く頷いて中に入って行くと、荷物を受け取った娘達がその後から続いた。
 
 
 
 
 
「じゃ、俺は出かけます」
 ふらふら〜とフェンリルを伴って出かけたシンジ。
 住人達も、もう出ないと学校に間に合わない時間だが、部屋に戻った彼らを待っていたのはフユノからの招集であった。
「至急本邸まで来い?なにかあったのかしら」
「御前様、退院されたのね」
「ご無事に帰られて何よりでした」
 反応は様々だったが、最優先と言う事でぞろぞろと歩いていった。
 ぞろぞろ歩いていくメンバーだが、既に始業時刻は回っており、どうみても怪しさ爆発である。
 第一、さくらとマユミは真剣をそのまま持っているのだ。
 がしかし。
「あー、よく食べた」
「美味しかったよねえ」
「こういう時って、やっぱりボンボンはいいわよねえ」
 前の二つはいいとしよう。
 が、アスカの台詞は訊かれたら間違いなくウェルダンだ。
 大体あの店は、シンジがグルメマップを見て探した店だというのに。
「アスカ、べつにそう言う訳じゃないと思うんだけど」
「何でよ?」
「だってあそこ、別に正装しなくても入れたし、値段もリーズナブルだったよ」
 レイが言うとおり、店に行った時レイの格好はジャージだったのだ。
「いいのよ、あたしの言う事に間違いはないんだから」
 がしかし。
 この娘、シンジに喧嘩を売った結果、茹でアスカ及び焼きアスカにされかかった事はもう脳内から消しているらしい。
 そこへ、
「アスカって、そんな事言ってるとまたおにいちゃんに焼かれちゃうよ。それとも茹でる方がいい?」
 冷静にツッコミを入れたアイリスは、ちゃんと憶えていたようだ。
「う、うるさいわね、こ、今度は不覚なんか取らないんだからっ」
 絶対敵わない、そう分かっていても強がってしまうのがアスカなのだが、
「アスカ」
 不意にマユミが静かな声で呼んだ。
「な、何よ」
「アイリスの言う通りよ。確信のないことは言うものではないわ」
「し、証拠ならあるわよ」
「え?」
「店出るとき、誰がお金払ったのよ」
「お金?そう言えば…」
 シンジは真っ先に出た。
「アイリス知らないよ」
 それは当然として、
「私も碇さんの次に出たから…」
 とこれはさくら。
「レイちゃん払った?」
「ボクな訳無いじゃない。マユちゃん、変なこと言わないでよ」
「じゃあ誰が?」
 顔を見合わせた時、
「そう言う事よ。要するに、シンジが店を買い取ったか何かしたんでしょ。いい?このアスカ様は間違ったことなんか言わないんだからね!」
 偉そうに腰に手を当てたはいいが、
「ミサトさんに前訊いたんだけど、碇君って経営とかちっとも興味ないんだって。さっきのお店、他にもお客さんいたけど、経営に興味持ったとは思えないよ」
「それに、店員の応対は丁寧でしたが、オーナーへの物とは違っていたように思えましたが」
「うるさーい!」
「あ、キレた」
「大体あんた達ねえ、細かい事言い過ぎなのよ。普通の客じゃないのは間違いないんだから、それ以上余計な事言うんじゃないっての」
「『……』」
 我が儘はいつもの事だが、どこか勝手が違う。
 帯刀娘が顔を見合わせて数秒後、
「『すみれさん…』」
 同時に口にしたのは、ツッコミ役不在の事実であった。
 
 
 
 
 
 一方話題になったシンジだが、
「それでマスター」
「ん?」
「あの店、買い取ったの?」
「違うよ」
 巨狼の背にいるが、市民が見ても一瞬振り返るだけで叫んだり、まして通報しようと言う者はいない。
 魔が闊歩し、降魔が夜の静けさを破るこの街では、この光景も何とか受け入れられる物のようだ。勿論、住人が少ない事も多分に関係してはいる筈だが。
「ただ無銭飲食の手配しただけ。大体、買い取ったら俺がオーナーでしょうが」
「興味ない?」
「全くない」
 ぶるぶると首を振ってから、
「そう言えば、お婆は今日辺り退院じゃなかったっけ」
「寄って行くか?」
「いや、いい。お茶に毒入れられてもやだし」
「ならいいけどさ。ところでどこ行く?」
「ホテル。取りあえず甘味責めの下準備だ。西新宿行ってくれる」
 了解、とフェンリルはその巨体を軽々と宙に躍らせた。
 
 
 
 
 
「御前様、お帰りなさいませ」「おばあちゃん、お帰り」
 肘掛け椅子に腰を下ろしたフユノに、住人達は一斉に頭を下げた。
「儂の留守中はどうであったな?シンジは上手くやっておったかの」
「あのね、アスカとすみれが喧嘩したんだけどね、もう仲直りしたの。ね?アスカ」
「あっ、こらっ」
 口を塞ごうとしたがもう遅く、あっさりとばらされてしまい、
「こっ、これはその…あのっ」
 慌てたアスカだが、フユノの反応は予想外であった。
「良い。管理はすべてシンジに一任してある。シンジが良いと言うなら構わぬわ。それよりすみれはまだ戻っておらぬのか」
「すみれさんはまだ病室で…」
「そうか、やむを得ぬの。ところで米田から連絡が来ておる。近々戻るとの事じゃ」
「米田支配人が?じゃ、また公演が出来るんですか?」
 勢い込んださくらだが、
「そうすぐにはいくまいよ」
「あ…」
 何かを思いだしたように下を向いた。
「それでその…もう大丈夫なんでしょうか?」
 躊躇いがちに訊ねたマユミに、
「お前達を呼んだのは、他でもないその事じゃ」
「その事、と言われますと?」
「お前達、シンジの前であの二人の事、まだ話してはいるまいな」
「あの、少し前に残った機体の事訊かれたんですけど、結局その時間がなくて終わっちゃって、まだお話ししてないんです」
 それでよい、とフユノは頷き、
「良いか、あの者達が戻るまで、決してシンジには告げてはならぬ。マリアの事も、そしてカンナの事もな」
「『え?』」
 一瞬沈黙が流れ、
「お、おばあちゃんそれどうしてなの」
 アイリスの当然の問いであったが、
「シンジが知れば、管理人を辞めて逃げ出す可能性があるからじゃ」
「碇さんが」「逃げ出す!?」
 綺麗に分担したのはさくらとマユミ。
 奇妙な顔になった住人達に、
「シンジの辞任を求めるなら構わぬが、そうでなければ口にしてはならぬ。たとえ、訊ねられたとしてもはぐらかすのじゃ。良いな」
「『は、はい…』」
 事情はさっぱり分からないが、フユノの命令は絶対であり、皆揃って頷いた。
 
   
「…どう言うこと?」
「私が知っているわけは無いでしょう。ただどちらかと、或いは両方と知り合いなんでしょうね…」
「で、何で秘密にしないといけないのよ」
「碇君に訊いてみたら…あたっ」
 ぽかっ。
「あんたバカァ?秘密って言われたばっかりでしょうが。本人に訊いてどーす…いたっ」
「バカはアスカでしょ、だったらマユちゃんに訊いたってしょうがないじゃん」
「なんですってー」
「何よ」
 レイがやり返し睨み合う二人に、
「止めなさい道路の真ん中で。それに、御前様が言われた以上従っていればいいのよ、私達は。そうでしょう?」
「『う、うん…』」
 無論マユミも釈然としない物はあったが、カンナ達が帰って来れば分かるし、何よりもフユノの命は絶対的な物であった。
 それぞれがぼんやりしていたせいで、数百メートル行った所でアスカが不良にぶつかり、因縁を付けようとした相手の頭をあっという間にアフロと化し、さくらとマユミが慌てて止めたのは数分後のことである。
 
 
 
 
 
(つづく)

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