妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第四十九話:DD3−チョコの恨みてふもの
 
 
 
 
 
「ちょ、ちょっと止めなさいよあんた達っ」
「うるさい黙れ」
 床に転がっているのはミサト。
 なお、その全身は麻縄でキリキリと縛り上げられている。
 ただ前回とは違い、下手人は弟ではない。
 女神レディー達の仕業である−それも一同ほぼ揃っての。
 原因は、昨晩の会議にあった…。
 
 
「あ、あの碇さん、曲解ってどう言うことですか?」
 最初に立ち直ったさくらが訊くと、
「説明してあげよう。元々バレンタインと言うのは、男が女にチョコの武器付きで愛を囁く日。女は絶対にそれを貰わなきゃならないし、もしも愛を拒むなら3月14日にお返しをしなければいいんだ。ただ例外は血縁チョコだ」
 この時点で既に、ほぼ全員の顔に?マークが付いているのだが、シンジは気付いていない。
「け、血縁?」
「そう、血縁。三親等までの親族は、男女間を問わずして送ることが出来る。無論それは、間違って送られるチョコに中毒ったりしないためのお呪い。そんな事も知らなかったの…おや?」
 ひとしきり講義してから、シンジは住人達の眉が妙に上がっているのに気が付いた。
 しばし沈黙が漂った後、
「じゃ今まで碇君は、チョコ貰った事無いの?」
「間違ったそれは、貰っちゃいけないんだよ。もし貰うと、チョコの精に祟られるんだから」
「ちょっと待てーい!」
 たまりかねたようにアスカが口を挟んだ。
「何?」
「それ…誰が言ったの?」
「姉さん」
(やっぱり!)
「三親等以内は別だって、大抵くれてるよ。それが、女から男への正しい形なんだってさ」
「あ、あの…」
 一人蚊帳の外の感があるマユミが、
「そ、それで来たのはどうしてたんですか…?」
「さあ?」
「さあって、毎年いたんでしょ?」
「そうでもないよ」
 シンジは首を振って、
「大抵この時期は、積極的に海外行かされてたから。こっちにいるのは久方ぶりのような気がするね」
「『……』」
「?」
 よく分からないと言った感じで、
「みんなどうかしたの?」
「あ、あのね碇さん」
 最初に立ち直ったさくらが、
「に、日本では違うんですよ」
「何が?」
「だからほら、バレンタインっていうのは、女の子が好きな人にチョコレートを送ったりする日なんです」
「…ふーん」
 ふむ、と宙を見上げたシンジに、
「どしたの?」
 アスカが聞くと、
「て事はつまり、一年で一番振られる娘(こ)が多い日なんだな」
「『そ、それは…』」
 何故か女性陣が詰まった所へ、
「でも俺には関係ないね」
「え?」
「好きな人に、でしょ?俺は別にガールフレンドもいないし。と言うより、付き合い作るほどこっちにいつも長居しないし」
「あ、あんた何言って…え?」
 アスカが言いかけたのをレイがすっと制した。
「ボク前に聞いた事あるんだけど、確か碇君宛のファンチョコって届かないって噂があるんだよね」
「ファンチョコ?換気扇型のやつ?」
「違うってば。碇君の隠れファンって結構多いんだよ。その子達からの贈り物」
 だが、
「ちょっと待てレイ、今なんて言った?」
「え?だから碇君の隠れファンがって…」
「何でそんなのがいる?」
「え!?」
「何でって、それはシンジ頭もいいし外見も美形じゃない。だからで…いたっ」
 ぴしっ。
 何を思ったか、シンジが指を伸ばしてアスカの額を弾いた。
「言っとくけど、女医や従魔と比べて遙かに劣る俺を、金輪際美形なんて言わないでもらおう。今度言ったら焼くぞ。それとだな」
 とは言え、普通よりはだいぶ整った目鼻立ちだが…確かに比する相手が悪すぎるかもしれない。
 と言っても人外である以上、そして性別が−そう呼べるかは不明だが−違う以上比較にはならないようにも思われるが。
 そう思ったのは一人ではなかったが、口にはしなかった。
 文句の三つくらいも言いたくなったがぐっと抑えて、
「それと何よ」
「いや、アスカじゃなくてすみれに聞こう」
「わたくしに?」
「うん。アイリスはまだ少し早いからね。帝劇の女優です、だから惚れました」
 シンジの指が一本上がる。
「は?」
「成績も優秀だし美人−だから惚れました。この想い受け取って下さい。そう言ってそうだな…一千万位のダイヤと一緒に告白されたらすみれは受けるか?それも、全然見知らぬ相手から」
 指をもう一本上げたシンジに、
「ご冗談でしょう」
 一笑に付して、
「わたくしがどうして、そんな誰とも知れぬ相手から。わたくしがそんなに軽いとお思いですの?」
 少し怒ったように言うすみれに、
「よく分からない」
「…何ですって」
「だって俺にそう言うんだもの」
「『え?』」
「ファンだかガンだか知らないけど、その連中が見てるのは俺の外見とか能力の端っこだけ。そんな、上辺だけで判断するような連中に、菓子なんかもらってもうれしくないよ」
「あ…」
「アスカやレイはともかくさくらまで、それにすみれも何も言わないとは思わなかったな。ま、さくら達には関係ない事だけどね。別に彼女でもないんだし」
「あ、あのシンジそうじゃなくて…」
 アスカが言いかけたが、
「俺はもう寝る。夜更かしは美貌の大敵だからね。じゃ、おやすみ」
 ひらひらと手を振ると、もう振り返りもせずに出て行く。
 怒気は見せなかったが、気分を害したのは明らかであった。
 残された者達の間に重苦しい空気が漂い、
「どうしよう…」
 最初に呟いたのはアスカであった。
「どうもこうもありませんわ、大体アスカが最初からちゃんと…」
 すみれが少しきつく言いかけたそれへ怒鳴り返すように、
「あんたが言ってれば良かったでしょっ!」
「なんですっ…」
「お止めなさい」
 間違いなく口論になると思われた時、マユミが低い声で止めた。
「…少し言い過ぎましたわ」
 それが冷や水になったのか、すみれがあっさりと引っ込めると、
「あたしもムキになりすぎたわ、ごめん」
 すみれに言ったのかマユミだったのかは不明だが、アスカが小さく呟いた。
「結構」
 頷いたのはマユミだが、その口調はどこかシンジに似ている。
「私達も本当は分かっていたはず。ただ私達の場合は力を奇異に見られ、碇さんの場合はそれ故に、それだけを好意の対象にされた。反応は異なっても、元のそれは同じだったのにね」
 静かな口調で言うと、すっと手にしていた包みをテーブルの上に置いた。
 そう、綺麗にラッピングされた小さな箱を。
 お世話になってるからと言う事で、住人から管理人氏へ、と言うのが目的であり、本当なら今頃、
「ありがたく感謝しなさいよ」
 とか、
「おにいちゃんにしかあげないんだからね」
 とか言っていた筈なのだ。
 しゅんとして俯いており、アイリスに至っては泣く寸前である。
 マユミはと言うと、参加はしたがさくら達とは思想がまだ違う。
 シンジに対して、さくら達のような接し方はしないが、これでも生胸を触られたり、皆が失神する中で唯一起きていたりと、なかなかアクティブである。
 しょげかえった面々を見ながら、ふうと軽く息を吐き出して、
「手遅れ、ではないと思うわ。謝れば多分、そんなには風当たりも強くないはずよ」
「ほ、本当にっ?」
 縋るように訊いたアイリスに、
「ええ、大丈夫よ」
 と頷いて、
「アイリスの大好きなおにいちゃんなんでしょう?」
「うんっ」
 どうしてマユミが一人、ここまで冷静に判断できるのか、すみれもレイも内心で首を捻っていたが、多分大丈夫だろうと口にはしなかった。
「ただ、私達の好意が消えたのは事実。責任は取ってもらわないと」
 一転して物騒な事を言いだしたマユミに、一度シンジに喧嘩売りかけた事を知っているさくらが慌てて、
「マ、マユミまた碇さんに何か…」
「そんな事はしないわ」
 軽く首を振って否定すると、
「碇さんが、バレンタインの風習を正しく知っていれば、元よりこんな事にはならなかった。しかも自分だけチョコレートを送っていた人がいる。許せないでしょう、アスカもさくらも?」
「『べ、、別にそんな事はっ…』」
 ぴたりと息のあった発声で否定したが、赤くなって横を向いても説得力がない。
「取りあえずそうね…レイちゃんとアスカ、実行部隊ね」
「『じ、実行部隊〜?』」
「そう、拉致監禁の」
 ひっそりと微笑んで頷いたマユミに、彼女だけは敵に回すまいと、ひそかに住人達は決意した。
 
 で、冒頭に戻るのだが…。
 
 
「それで?何か言い残す事はある?」
「だ、だからそれは公益の為よ、公益の…んー!」
 公益、と口にした途端その身体が縛られたまま宙に浮く。
 無論アイリスの仕業だが、その単語は知っていたらしい。
「公益ってなーに?」
 あどけない口調で訊く辺り、将来が怖ろしい。
「だ、だからほら…シ、シンちゃんが義理貰ってにやにやしててもいいのっ?」
「『む…』」
 苦し紛れにしてはすらすら出てきた。
 が、これは効いた。
 粗大ゴミにされかねなかった勢いが、すっと止まったのだ。
「あ、あたしが教育してなかったら、い、今頃すっごいプレイボーイになってたかもしれないんだからね」
 だめ押し。
(そ、それはそうかも…)
 取りあえず納得させる効果はあった。
 だがその後がいけない。
 んー、と考え込んだのは持ち上げた張本人だったのだ。 
 べしゃっ。
 普段なら何ともない高さも、芋虫状態では宙になる。
 ビッターン、と床に肩から落ちて呻いた時、やっと気付いたように、
「女の恨みは怖いんですよ」
 笑みを含んだ口調でいいながら、それでもマユミが縄をほどく。
 手と足を縛り、ご丁寧にその上からぐるぐる巻きにされているのを、取りあえず外側の縄は解いた。
 しかし手足の縄は解かず、
「もういい?」
 と悪の仲間達に訊く。
「んー、そうねえ…あ、そうだミサト」
「な、何よ」
「今年はどうしたのよ、今年は」
「今年?あげてないわよ。だってちょっと怒らせたって言うかその…」
 先般吊された事を言っているらしい。
「ふーん、じゃあ今年の分はまあいいか。すみれはどうなのよ」
「そうですわね…」
 縛られたミサトをしげしげと見ながら、
「まあ、その辺でよろしいんじゃなくて?ただし、来年以降一切のチョコレートは禁止ですわよ」
「えー!!」
「『何か?』」
「な、何でもない…」
 とは言え、到底納得できない顔をしていたが、そうだと思いついたように、
「じゃあんた達、交換条件にしない?」
「交換条件?」
「そ。このままだと今年、誰もシンちゃんにあげられないわよ。と言うより、来年以降も無理ね」
「そ、そんなことないもんっ」
「ところがあるのよ」
 あっさり押し切り、
「だから、あたしが受け取るように言っておいたげる。それで手を打たない?」
「本当に出来るんでしょうね、そんな事」
「当たり前でしょう、私を誰だと思っているの」
 急に偉そうになったミサトだが、そこには確かに姉の地位と言う物が見えており、他の住人達もそれならばと承諾し、やっとミサトの縄はほどかれた。
 弟へのチョコ工作に、代償としては高かったか安かったのか。
 
 
 
 
 
「お礼チョコレートを?あっそ、別にいいよ」
 とこれはもう、すんなりと拍子抜けする位あっさりと承諾したシンジだが、
「お礼にしては…妙にこれ豪勢じゃない?」
 はてと首を捻ったのも道理で、板チョコか何かだと思ったら、妙に手の込んだ代物であった。
 アイリスに至っては、
「おにいちゃんへ」
 とどう見ても手作りと認識出来る代物になっている。
「…こーやって、姉は弟を奪われていくのね…」
 はーあ、と溜息をついたミサトに、
「ところで姉さん。その手足の縛り痕みたいなのは…そんな趣味出来…ふぐぐー!」
「あんたも絞めるわよ」
 きゅう、と手足の変わりに首を絞められた。
 が、ふっと真顔になり、
「取りあえず礼はしなければなるまいな」
「…え?」
「まずはすみれから。取りあえず、デートのお誘いでいいだろう」
 シンジにしては珍しく、交際に積極な発言に、ミサトはへえと目を見張ったが、その口許に浮かんだ物にはさすがのミサトも気付くことは無かった。
 シンジがすみれの部屋を訪れたのは、その日の晩の事である。
 
 
 
 
 
(つづく)

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