妖華−女神館の住人達
 
 
 
 
 
第二十五話:シンジのブレスによるブレス 
 
 
 
 
 
 特殊機動部隊。
 機動部隊の上に更に特殊が付く通り、溝に落ちた猫の世話から怪獣襲来まで、文字通り有事には万事に対応出来る機動部隊である。
 いずれも陸海空それぞれの自衛隊から、選び抜かれた精鋭達で構成されている。
 先の降魔戦争の折、混乱を極めた帝都は警察の力だけでは、到底治安維持が不可能な状態となった。
 結局自衛隊が、治安の為だけに出動することになったのは、その力が強大な妖魔達には通じなかったからだ。
 その憂さ晴らしでもあるまいが、逮捕者に加え犯罪を働いていた者も含まれていたとは言え、死傷者もまた四桁に達した。
 元より、公用車をしばしば私用に使ったり、或いは銃器の杜撰な扱いなどで、評判の芳しくなかった所へその数字であり、自衛隊の評価は一気に大暴落した。
 強硬論者の中からは、自衛隊の廃止論すら出たのだ。
 だが、国防の為には自衛隊の存続は絶対に必要であり、機動隊にその中のエリートを組み込むという、ある意味苦肉の策にも近い方策を当時の政府が採った。
 しかも、文字通りの万能部隊であり、当初はイメージ回復を狙った事もあって、マンションの管理人がするような事もしていたが、さすがにこれでは本来の能力が発揮しきれないと凶悪事件担当へ回り、隊員達もほっとしたとされている。
 ところでこの部隊だが、実際には警視総監の直轄下にある。
 すなわち、冬月が動かしていると言う事だ。
 ではなぜ、その冬月が出動させたのか。
 別に内心でさくらを嫌っていた、訳ではない。
 単に知らなかったのだ。
 それに、知っていたとしても、霊力レベルが危険値に達し、しかもパトカーを二つにして歩み去ったとなれば、出すだけは出さざるを得ない。
 その処置は別としても。
 がしかし、それをフユノに伝えたらいきなり怒声が飛んできたのだ。
 切られた電話を見ながら、冬月はふうと溜息をついた。
 本来なら、警視総監の自分が怒鳴られる相手などほとんどいないのだ。
 それなのに。
「弱み、か…」
 奇妙な台詞を呟くと、冬月は窓の外に視線を向けた。
 
 
 
 
 
「もう、十年以上前になりますか、真宮寺一馬殿と会ったのは」
 ふっと長老が目を細めた。
「対降魔迎撃部隊として、この帝都に着任した時、フユノ殿に連れられてこの邸へ来られましてな」
「祖母が?」
「真宮寺一馬、藤枝あやめ、米田一基、山崎真之介、この四名だけとはよく思い切ったものです」
「まったく」
 同意したシンジだが、
「内、一人は既にこの世になく、一人は邪悪な化身となった。さくらの親父さんが、あの世できっと怒っていることでしょう」
「力不足、でしょう」
 シンジの妙な台詞に、長老はこれまたおかしな言葉で応じた。
 わずかにシンジの表情が動いた所へ、
「マスターの半分も力があれば、命と引き替えにはならなかった、と?」
 フェンリルの言葉に直接は答えず、
「愛娘がここまで成長するとは、一馬殿も喜んでいるでしょうな。しかし、それにしては幾分妙だ。今まで、帝都の霊気値が危険域に入るなどなかったのに。原因はご存じですかな?」
「えーとその、餞別代わりに俺の使っていた腕輪をあげたんだけど…どうしてこうなったんだろ?」
 確かにさくらならば、一番の容量の持ち主かも知れないし、ブレスによるブレスはもっとも大きいかも知れない。
 だからといって、身体が熱くなって暴走するような娘でもあるまい。
 軽く首を傾げたが、
「ま、原因はともかくとして、俺のが無ければ、あそこまで凶暴化もしてなかっただろうし。少し責任ある?」
 うむ、と頷いた長老に、
「じゃ、ちょっと行って捕まえて来るわ。悪い娘にはお仕置きしないと」
 ひょいと立ち上がったシンジへ、
「ミスターシンジ」
「え?」
「フユノ殿がどんなに能力者を集めても、例え百人いても、あなたの力には到底及ばない。そう、二度目の降魔大戦をたった二人で防いだお二人には」
 だそうだ、とシンジがフェンリルをつつき、
「光栄ね」
 とフェンリルがつつき返す。
 だが二度目とは?
 そしてたった二人でとはどういうことだ?
「この帝都、妖魔ごときに蹂躙されるにはまだ惜しい。少なくともこの新宿を、降魔たちの手に落としてはなりませんぞ」
 一瞬だけ、シンジがその目を閉じた。
 締め切りに追われる作家のような横顔に、全員の視線が集まった。
 すぐ開いた。
「愛着薄いんだよね」
 ときた。
「それに、奴らは俺がいなくなれば絶対にやって来る。従って、俺のプライドは傷つかないし」
 自分の不在を狙われても、自らの力量が恐れられていればそれでいいと言う。
 さくらを止めるのはいいとしても、もう此処に見切りはつけてしまったのか。
「でも世界が制服になると単一で困るし、取りあえずさくらを捕まえてくるわ」
 奇妙な事を口にすると先に立って歩き出し、シビウとフェンリルが続いた。
 部屋から出ていく直前に、
「と言っても、世界征服する程の力量はないな」
 長老が、座ったまま頷いた。
「だが」
「ん?」
「齢が千を越すと、住居の変更も厄介になります。この私を、この街から動かしてはなりませんぞ」
 愛着がないから気乗りがしない、と言ったシンジ。
 自分をこの街から動かすな、と告げた長老。
 なかなかいい関係と言えるかも知れない。
「うーんどうしよう」
 首を捻りながら出ていく後ろ姿は、真摯に悩んでいるように見えた。
 廊下に出た所で、麗香に会った。
 純白の中国服に身を包み、ひっそりと立っている姿は、シンジ達を待っていたに違いない。
「お送りいたします」
 清楚に一礼したその姿は、付け焼き刃では身に付かぬ教養を伴っていた。
 よろしく、と頷いて、その後に続いて歩き出す。
 長い廊下には電光が灯されてはいるが、これは本来不要の代物である。
 シンジ達がここへ入った時、初めて点いたものだ。
 無論、夜の一族に取って闇は、人間に取っての昼間と変わらないからだ。
 歩きながら、不意にシンジが訊いた。
「麗香、どうして着替えたの?似合っていたのに」
 夜の一族の当主代理、彼女の名を呼び捨てに出来るのは、この世に三人しかいない。
 一人はその祖父でありもう一人はその兄であり。
 そしてもう一人は、この青年であった。
「ひらひらが不安でした」
 麗香の声が、静寂に覆われた廊下に響く。
 ひらひらとは、襟元に付いたフリルのことか。
「襟のは飾りだよ」
「いえ」
 と麗香は否定した。
 首を軽く振ったような口調だが足は止まらず、無論首が動いた様子もない。
 静と動は、この当主代理の娘に取って同義なのかも知れない。
「下着のです」
「そう」
 シンジが言ったきり、廊下には静寂が戻った。
 続く二人が口を挟まないのは、それぞれに何か考えているせいらしい。
 長い廊下がやっと終わった。
「碇様、貴重なお時間をありがとうございました」
 麗香が、深々と一礼した。
「祖父も、きっと喜んでおりますわ」
 ん、と何故か気のない返事をした後、
「麗香」
「はい」
「夜香が帰ったら、一緒に服を買いに行くといい」
「服、でしょうか」
「正確には下着だ」
 下着…と舌の上に乗せた時、初めてその表情が変化した。
 もっともそれは、シンジでなければ、分からない程のそれであったが。
「妹の下着の種類を増やすよう、夜香に言っておくから」
「それは…」
 ゆっくりとその表情(かお)が変化していく。
 笑みのそれへと。
「お願い致します」
 その表情のまま、麗香はゆっくりと一礼した。
 そこへシビウが、
「麗香、兄上が戻ったら揃って病院へ来なさい。定期検診は、ちゃんと受けなくては駄目よ」
「はい、シビウ医師(せんせい)」
「じゃ、またね」
 腰を折ったままの麗香に、シンジは軽く手を上げて歩き出した。
 その姿が消えるまで、麗香の顔が上がる事は無く、それが元に戻った時、その顔はまた普段の物へと戻っていた。
 部屋に戻ると、祖父は姿勢を崩していなかった。
「お祖父様」
「ミスターシンジは何と言っていたのかね」
「それが…下着の種類を増やすように、と言われました」
「お前に?」
「夜香にも言っておく、そう言っておられました」
「そうか」
 長老の温顔がわずかに崩れた。
「やはりこの街は、碇シンジを迎え入れてこそ、その顔を持つ」
 夜香に言っておく、シンジはそう告げた。
 それはすなわち、当分は此処にいる事を意味していると、二人とも知ったのだ。
 そう、そこに含まれたシンジからのメッセージを。
 
 
 
 
 
 歩き続ける顔に、もはや涙の痕はない。
 抜き身のまま、荒鷹を引っ提げて歩く姿は、どこか蹌踉としており、さっき迄のような危険な意思はそこには感じられない。
「碇さん…」
 腕のブレスレットに、そっとさくらが触れた時。
「?」
 遠回りに自分を囲んでいる、複数の気配に気が付いた。
「何者」
 小さく呟いたが、すぐにまた、興味を喪ったかのように歩き出す。
 今までのさくらなら、すぐに臨戦態勢に入っていたはずだ。
 シンジが与えた力は、その思考にまで影響を与えたのだろうか。
「止まりなさい」
 拡声器越しの声にも、その歩みは止まらなかった。
 無視したのではなく、まさか自分のことだとは思っていなかったのだ。
 そこに、
「日本刀を持ったそこの少女、直ちに停止しなさい」
 第二波が来てやっと、
「私の事…かしら?」
 その足が止まった。
 やや乱れた髪に気付き、軽く撫で上げた所へ、一斉にサーチライトが殺到した。
「無駄な抵抗は止めなさい」
 おきまりの台詞だが、さくらは知らない。
「誰も抵抗していないのに」
 ぽつりと呟いたが、何となくいらいらしてきた。
 正確には、また身体の奥がむずむずしてきたのだ。
 ミサト達と別れた時点で、力はあったものの身体は少し疲れていた。
 だが、ここまで歩いてくる間に、急速に身体も回復しており、またさっきの状態に戻ったのだ。
「暴れちゃおうかしら」
 普段のさくらなら、決して口にしないであろう台詞だが、その言葉に包囲網が一瞬揺れた。
 パトカーが重装甲でなかったとは言え、それをいとも簡単に二つに両断した事は、既に全隊員が知っている。
 これが妖魔だったり、或いはいかつい顔をしたむさ苦しい男であれば、とっくに発砲許可も出ているかも知れない。
 だが相手は真宮寺さくら、降魔戦争の折の殊勲者の娘である。
 一馬の名は、遠慮と言うよりもその力に於いて、彼らに躊躇わせていたのだ。
 すなわち、親の名に恥じぬ力だと。
 もっとも、一馬が政府の車を二つにするかは、かなり怪しい部分があるが。
 何よりも囲むだけにしておけと警視総監から、すなわち冬月から厳命が下っていたのだ。
 とは言えそれも、さくらが攻撃の姿勢を見せればまた、話は変わってくる。
 攻撃は最大の防御、それを知らない彼らでも、また実践しない彼らでもないのだ。
「隊長、どうなさいます」
 刀身を点検し終えて、腕をぐるぐる振り回しているさくらを見ながら、隊員の一人が訊いた。
「命令あるまで包囲隊形のまま…ちょっと待て」
 その手元へ、二つに折った紙が届けられ、隊長は手元のライトで照らしながらそれを読んだ。
 そして読み終えると同時に、
「絶対に手は出すなっ!」
 悲鳴に近い声で叫んだ。
 急変した上司に、部下達が怪訝な目を向けたが、
「あの娘、碇シンジの力をもらっている」
 隊長の言葉に、そこにいた者達全員の顔から血の気が引いていき、それは次々と伝染していった。
 碇シンジ。
 自然の力を、文字通りフルに使いこなし、従魔は伝説の妖狼と言われるフェンリル。
 魔道省のエリート確実と言われた名前は、退魔師達の間では知らぬ者はなく、特殊機動部隊にも、その名は知れ渡っていたのだ。
 そのシンジが力を与えた?
 だとすればそれは…さくらを攻撃する事のそれは、碇シンジを敵に回す事になると言うのか!?
 いやそれよりも俺達は、碇シンジの力を相手にしなくてはならないのか!?
 既に電子銃のセーフティを外し、引き金に指を掛けている者もいた。
 だがその情報が伝播して行くに連れて、その手は完全に凝結した。
 そう、まるで急速に広まる流行病のように。
 その空気を知ってか知らずか、さくらは軽く腕を回した。
「本当に強くなったのかしら」
 てい、と荒鷹を振り下ろした瞬間、それは凄まじい力を見せた。
 刃先が地に着く寸前で、さくらはすっと引き戻した。
 だがそれは、いとも簡単に地を裂いたのだ。
 ぴし、と地面に亀裂が入ったかと思うと、それは一直線に伸びていき、二十メートル近くを割って、ようやく止まった。
「うふ、強い」
 にっこり笑ったさくらだが、
「あ、あれが碇シンジの…力…」
 全員がその気になれば、勝てない事はあるまい。
 自分達とて、また一流のプロなのだから。
 がしかし。
 八割、とほぼ全員が読んでいた。
 すなわち、さくらを抑えるなり倒すなりするまでに、味方はその八割を失うだろう、と。八割を失うことは、ほぼ全滅と言っていいだろう。
 一見気弱にも見えるが、力のある者は、まず自分の力量を知っているのだ。
 自分の力を知るが故に、ぎりぎりのラインで攻防を繰り広げる事が出来るのだから。
 霊力値は危険域、だが自分たちが仲間の殆どを失ってもなお、取り押さえるべき娘なのか?
 まして、現時点では明らかに人間の娘であり、どうやら碇シンジのせいに寄るところが大きいと、隊員達にも見当が付き始めていた。
 引き金は本人にあったにせよ、これだけの力を引き出したのは、或いは与えたのは碇シンジ本人だ、と。
 だが。
 その張本人の碇シンジは何をしている?
 
 
 
 
 
「残念ね」
「何が?」
「せっかく、シンジと海外へ行けると思ったのに」
「うん、て言ったの早すぎたかな」
「腕輪だけ取り返す、と言う手もあるわ」
 戸山公園の前を三人は歩いていた。
 若松町にある東京女子医大、さくらがそこで発見されたのは分かっているが、その割に急いだ様子もない。
「はーあ」
 とシンジがため息をついた時、シビウが携帯を耳に当てた。
「…そう、分かったわ」
 電話を切り、
「パスポート、仕上がったそうよ」
「マスター、やっぱり行くとしよう。腕輪無ければ大丈…!?」 
 ぽかっ。
「いなくなるからあげたんだろ。賄賂じゃないんだぞ」
「マスター」
「まあいいよ。とりあえず出国は、麗香のベビードール見てからでもいいし」
 左右からの冷たい視線を無視して、
「フェンリル、姫を捕まえに行くぞ」
「やれやれ」
 瞬時に巨狼へと姿を変え、
「悪いけど、シビウが持っててくれる?」
「世話の焼ける思い人ね」
 そう言いながらも、シビウは優雅に一礼した。
「じゃ、フェンリル頼む」
「承知」
 巨躯が大きく地を蹴って走り出すのを見ながらシビウは、
「私を振り回したお礼に−そう、一晩はゆっくり付き合ってもらわないと」
 その口元に危険な笑みを乗せて見送った。
 
 
 
 
 
「御前様、あれです」
 リツコの運転で、フユノ達は現場に着いていた。
 そこで彼等が見たのは、危険なまでの霊気を、素人目にも分かるようなそれを漂わせながら、ぼんやりと立っているさくらの姿であった。
 既に改造された無線機からの情報で、包囲陣形のままと言う命令が出されたのは知っている。
 さくらを見ながら、
「ご覧よリツコ」
「はい?」
「今のさくらなら、全員が枕を並べて討ち死にさ。シンジも、途方もない物を残してくれたよ」
「でもあの」
「何だい?」
「レイやマユミ達も、あの腕輪は着けたと聞いておりますが」
「素材が違うんだよ、さくらとはね。それとあとはシンジとの相性さ。それにしても、ここまで大化けするとは予想外だったよ」
「あ、あの御前様…」
「分かっているよ」
 フユノは頷いて、
「儂の身に代えても、さくらは元に戻さなきゃならない。このままじゃ、文字通り人間爆弾を放つようなものだからね」
 だがリツコは、
「御前様、なりません」
 首を振った。
「何だって?」
「シンジ君は戻らず、この上御前様までも失うわけには行きません。ここは私が」
「お前には無理…」
 言いかけたフユノの言葉が止まった。
 リツコが、上着の前を開けて見せたのだ。
 素肌へ直に付けたそれは、大きな蜘蛛であった。
「吸妖虫…どこでそれを」
「秘密兵器はいつも持っていないといけませんから」
 にこりと笑った、リツコの胸に張り付いているのは、文字通りの真っ黒な蜘蛛であった。
 フユノが言った通り、相手の霊力を吸い取る代物である。
 ただし、自分の身はほぼ犠牲にして。
 したくなければそれでもいいが、危険きわまりない凶暴な大蜘蛛を町中に放つ事になる。力を得るとそのまま凶暴になり、抑え込むには宿主の生命を持ってするしかない。
 早い話が、一馬が使った破邪の陣によく似ている。
 これなら、相当な霊力でも吸い取れるが、今度は自分の身を犠牲にしなくてはならない。
 つまり危険な相手を倒しても、凶暴化した蜘蛛を放つか、或いは我が身と引き替えに災禍を収めるか。
 効果は絶大だが、とんでもない代物には代わらない。
 と言っても、普段から起きている訳ではなく、現在はまだ寝ている。
 棒で殴ったりでもしなければ、そうそう起きては来ないから、暴発しやすい粗悪な拳銃よりはよほどましである。
「御前様、ここは私におま…いたっ!?」 
 スパン!
「まーったく、金髪ってのはどいつもこいつも」
「シ、シンジ!」「シンジ君…!?」
「長老が引っ越させるなって言うからな。麗香のベビードールも見てないし」
「ベ、ベビードール!?」
「何でもない、こっちの話だ」
 軽く首を振ってから、リツコの胸に手を伸ばす。
「せっかく生があるのに、これじゃ揉めないな」
「ちょ、ちょっとシンジ君…なっ!?」
 何の感触も与えずに、シンジはリツコの胸から蜘蛛を引き剥がしたのだ。
「さくら程度にこんな物使うな」
「だ、だって…」
「だってじゃない、いいからそこで見物してなってさ。それとそこの変な婆さん、これ持ってろ」
 フユノに蜘蛛を放り投げると、一瞬リツコの表情が変わったが、フユノは黙って受け止めた。
「さて、止めてくるか」
 悠然と歩き出した時、既にその獣魔は主の影にその姿を消している。
 ちょうどその視界には、睨めっこにも飽きたのか、さくらがゆっくりと霊刀を肩に載せて、歩き出そうとしている所であった。
「……」
 シンジが一言呟いて、軽く足を踏みならした。
 たんっ、と殆ど音もしないようなそれだが、次の瞬間さくらの四方に、派手な火柱が吹き上げた。
 突如割れた地面に、一瞬呆然としたさくらに、
「そこの暴走娘、さっさと帰るぞ」
 ゆっくりとさくらが振り向いた。
「い…碇さん?」
「まったく世話の焼ける奴だ」
 シンジの登場に、大きな安堵の息が洩れた。
 そしてそれはいずれも、囲んでいた隊員達の物である。
 ガシャン、とさくらの手から荒鷹が落ちる。
 一滴の涙がその双眸から落ち、それがふくれ上がったかと思うと、見る見る堰を切ったようにあふれ出してきた。
 
 
 
 
 
(つづく)

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