突発企画「奴らが戦国にやって来た」
 
第三話:娘てふもの−霧島屋の悩み
                  
 
 
 
 
 当然の事だが、商人というのはおつむが空っぽでは務まらない。
 普通の商売に加え、まして今は戦国であり、各大名の間を趨勢を見極めながら泳いで行かなければならず、それはこの霧島屋文左衛門とて例外ではなかった。
 それ自体は別にいいのだが、彼にはもう一つ大きな悩みがあった。
 娘達の事である。
 真名、そしてアスカと、いずれも実の娘のように可愛がり、分け隔てはしてこなかった。喧嘩をしたら二人とも納屋に放り込んで反省させたし、与える服も同じように与えてきた。
 異人の娘、それだけで奇異な目で見られがちなのを、文左衛門は一番良く知っていたのだ。
 それこそ、目の中に入れても痛くない程、手塩に掛けて可愛がってきた娘達であり、いずれは婿を取って店を継がせようと思っているが、相手がいなければ、二人して継いでくれてもいいと思っている。
 が。
 そう、ところがだ。
 どこでどう間違えたのか、よりによって畠山家の重臣碇晋二にべったりとなってしまった。
 商人に取って、ある家に肩入れするのは危険であり、ましてそれが落ち目の旧守護職とあっては尚更である。
 とは言え、碇家自体は裕福ではないが中堅であり、食い詰めでもない。
 まして父は逐電と言う奇妙な状況だが、姉の麗は才色兼備、母の唯は賢母とその人柄で城下では知らない者がいない。
 ではどうして旦那が逐電したのか、と言う話になるのだが、唯一事情を知る卯璃屋得留之助は絶対に言おうとしない。
 ただそれを差し引いても、頭ごなしに付き合いを禁じられる家系でもないのだ。
 事実、遠乗りよりも海を見るのが好きという晋二が、港に来るたび町娘達の熱い視線を集めているのを、文左衛門はよく知っている。
 格好がいいとか、武芸に特別秀でている訳ではない。
 だが、その姿は守ってあげたくなる心を、強烈に動かすのだそうだ。
 と言っても、既に二人とも十六才であり、もう十分年頃と言えるだけに、いつまでもくっついていて欲しくない、と言うのが本音であった。
 商人としてのそれが七割−いや、実際は父としての部分が過半数だったかも知れないが、頭を抱えている所に朗報が飛び込んできた。
 畠山高政が、何を考えたのかは不明だが、碇晋二に家督を譲ると言うのだ。
 無論、服従していない家臣の事など、堺衆はとっくに掴んでいる。
 畠山昭高が、まず黙っていまい。
 加えて遊佐信教や安見直政、この辺りとて、すんなり行くとは思えない。
 何よりも、家臣と主君では全く立場が違うし、資金不足に悩まされるのは分かっている。
 動くか。
 或いは待つか。
 待つ、と言うのは碇家からの援助依頼だが、ふっとその脳裏に家族の顔が浮かんだ。
「しないかも…いや、おそらくはするまいな」
 宙を見上げると、文左衛門は手を鳴らした。
「お呼びでしょうか」
 すぐに現れた番頭に、
「今井殿をお呼びしてくれ、大至急だ」
「はっ」
 出て行った後ろ姿を見ながら、
「金で購うようで気乗りはしないが…許せよ」
 誰にも聞こえぬような声で呟いた。
 
 
 
 
 
 家督を譲られた晋二だったが、急速に多忙になっていた。
 とにかく、やる事が多すぎるのだ。
 遁走した昭高の家族は、これを罪に問わない事に決めた。
「甘い、晋二は甘すぎるわ!」
 アスカは腰に手を当てて言い放ったが、
「父上も…そうだったから」
「あっ、ご、ごめ…」
 スパン!
「ほら見なさい、まったく余計な事を」
 真名に強烈な一撃を食らい、あえなく撃沈。
「晋二様、それでよろしいのですね?」
「あ、あのさあ…」
「はい?」
「他に人がいない時は、碇君でいいから。僕未だ…そう言うの慣れてないから」
 どことなく照れてる晋二に、真名の表情が緩む。
「はいっ−碇君」
「う、うん、そっちがいいや」
 とそこへ、
「真名ばっかりずるーい。何でいつも真名には甘いのよ、晋二はもう」
 即復活したアスカが起きてきた。
「そう言う訳じゃないんだけど…」
「じゃ、証拠」
「しょ、証拠?」
「もっちろん」
 ゴロゴロいいながら、晋二にすりよって来る。
 それの是非はともかく、こんな所を家臣に見られたらたちまち名声が地に墜ちかねない。
 いや、或いは上昇するだろうか。
「家臣に見られたら困るでしょう、離れなさい」
 建前を表面に出して真名が引っ張ろうとした所へ、
「なかなか優雅な生活ね、晋二殿」
「あ、姉上」
 着物姿の麗が入ってくるなり、二人をちらりと一瞥して、
「二人とも、今までご苦労だったわね。後のことは、私がするからもういいわ」
「『はい?』」
「用は済んだ、と言ったのよ。外に迎えの籠が来ているから、それに乗って店に帰りなさい」
「ちょ、ちょっとどう言うことですかそれっ」 
「聞いた通りよ。帰りなさい、そう言ったの」
「…っ!」
 いくら相手が麗でも、こんな事を言われては二人とも黙っておられず、みるみるその顔が紅潮してくる。
 さすがの晋二も、麗の言い様に何か言いかけたそこへ、険悪な空気を察したように唯が入ってきた。
「物は言い様、と言います。単語だけで意志が通じるのは、忍びの者同士だけですよ、麗」
「あ、母上」
「お、おば様そんな事ないですよねっ」
「わ、私達お邪魔ですの?」
 半ば泣きそうな顔で言う二人に、
「あなた達の為、なのよ」
「『わ、私達の?』」
「ええ。私は、いい母親ではないから」
 奇妙な言葉に、一瞬二人の気勢が削がれる。
 それを見て取ると、
「母親なら、娘に甲冑など着せたりはしません。さっさと、いい相手の所にお嫁に行かせるのが幸せという物です。女の幸せは、嫁いでこそなのですから」
「は、はあ…」
 まだ分からない。
「でも、霧島殿は少なくとも、私よりは立派な親御でおられます。あなた達を、戦乱に巻き込むのは避けたいとお考えなのですよ」
「ま、まさか父上がっ」
 ここに来て、先に真名が気付いた。
「ど、どう言うこと?」
「父上はおそらく…」
 言葉を濁したのは、援助と引き替えと分かっていたが、晋二の前ではそれを言いたくなかったのだ。
 手段はともかく、晋二が聞けばきっと返すと言うに違いなかったから。
「アスカや真名の涙と引き替えにしてまで、当家への援助を求めたくはありません」
 若き当主は、間違いなくそう言う筈なのだ。
 がしかし。
「母上、どう言うことですか?」
 晋二の口調に、真相が発覚したのを、アスカを除く三人が知った。
「そ、それは…」
「姉上、まさか…あなたもご存じだったのですか?」
「わ、私は何もそんなことはっ」
 晋二にあなたと呼ばれて、麗の顔が白蝋のような顔色に変わる。
 この才女がもっとも恐れるのは、弟からの不興なのである。
「あ、あの晋二どうしたの…?」
 唯一事情が分かっていないアスカに、
「アスカ達の父上−霧島殿が当家への援助を申し出られたんだ」
「父上が?へえ、いいことするじゃない」
「そうじゃないよ」
 晋二は静かに首を振った。
「え?」
「それには条件が付いていたんだ。そう、娘達を自分の所へ返すと言う条件がね」
「え…な、なんでそんな…」
 一瞬アスカの目が大きく見開かれ−次の瞬間、その双眸からぽろぽろと涙が落ちた。
 性格からすれば、激昂するかと思われたのだが、ここにいる面々は皆、アスカの涙は初めてである。
 真名と家の中で取っ組み合いの喧嘩をして、倉庫に放り込まれた時、真名と違ってアスカは怖がった様子一つ見せなかった。
 町中で不良に絡まれた時、袖を斬られた瞬間でさえ、アスカは狼狽えなかったのだ。
 そのアスカが泣いた。
 それも、周囲に人がいるにも関わらず。
 目に涙を浮かべたまま、
「そうよね、やっぱり女は戦に出るべきじゃないものね…晋二様、今までありがとうございました…」
「え?」
「わたくしは、家に戻ります。真名、さあ行きましょう」
 おそらくは、全身全霊で自分を必死に押さえつけているに違いない、どこか震えを帯びた声で、それでも真名を促した。
 真名もまた、アスカを見て呆然としていたが、これもぐっと唇を噛んで頷くと、
「晋二様、どうかご武運をお祈りしております」
 深々と一礼した後、唯にも軽く頭を下げてから出て行った。
 時間にして、おそらく一分と経っていなかったろう。
 二人が出ていった後、不気味な静けさが室内を覆った。
 刃のような気が漂ったいる晋二に、二人とも何も言い出せない。
 触れれば切れるような気が、この晋二から漂っているなど今までになかったことであり、これからも無いにちがいない。
 だが、
「行ってしまいましたね」
 ぽつりと口にした時、もうそれはいつもの物へと戻っていた。
 ふう、と内心で安堵した麗だが、唯の表情はまだ緩んでいなかった。
 母としての勘は、まだ有事を告げていたのだ。
「あ、そうだ姉上」
 ふと晋二が麗を呼んだ−何でもない事のように。
「え、何です?」
「あ、いえこれは母上もですが−」
(やはり…)
「母上にも、もう、いい母御に戻ってもらいましょう。霧島殿と同じく、娘を戦場になど出さない母親にね」
「!?」
 みるみる麗の顔色が変わっていく。
「そうそう、姉上ももう私などに構わず、良き嫁ぎ先をお見つけ下さい」
「し、晋二…」
「では、私は軍議がありますのでこれで」
 そう言うと、もう後も見ずに晋二は出て行ってしまった。
「そ、そんな…」
 ふらふらと倒れ込んだ麗を、慌てて唯が寸前で受け止める。
「麗、しっかりなさい。倒れている場合ではないでしょう」
「あの子が私を要らない、と…私はもう用済み…要らない女…」
 うわごとのように繰り返す麗を見て、唯は打つ手が無いのを知った。
「少し休んでいなさい」
 言い終わらぬ内に、麗の脇腹に吸い込まれた唯の手は、あっさりと麗を失神させた。
「誰か、誰かいませんか」
 鳴らされた手に、すぐ女達が飛んでくる。
 失神している麗に一瞬表情が固まったが、
「運んでいって寝かせておきなさい。それと、決して目を離さないように」
 唯の凛とした言葉に、
「かしこまりました」
 すぐ元に戻って一礼した。
 
 
 
 
 
「霧島屋の考えそうなことですな」
 既に、三好政勝以下国人衆を始め、家臣達も揃っていた。
 国人衆に軍議への出席を許すなど、大名では極めて珍しい。
 だが、
「僕を見込んでくれたから」
 とよく分からない理屈で、それでも晋二は彼らを参加させた。
 無論政勝達もそれは分かっており、絆は一層強くなったと言える。
「三好殿、知っていたの?」
「それ以外にあり申さぬ。宗久殿や利休居士はそんな事はなさらん、そもそも金で娘を取り戻そうなどと、間抜けな父親しか考えつかぬ事でござろう」
「そんな事、言うものではないよ。アスカと真名の父君なんだから」
 やんわりとたしなめられて、
「おおそうでしたな、これは失礼いたした」
 頭を下げたが内心では、
「金で言う事を聞かせられたようなものだ。にもかかわらずこれとは…度量なのかあるいは…」
 あくまで文左衛門を庇う晋二に、わずかだが首を傾げていた。
「ところで、今日は全員を呼んでどうしたの?」
「は?ああ、そうでござったな」
 晋二の言葉に我に返り、
「今日は、皆の衆に面白い物をお持ちいたした。こちらでござるよ」
 入れ、と声を掛けるとふすまが左右に開いた。
 何事かと見守る中、ゴロゴロと重たげな音と共に何かが運び込まれてきた。
「これは…こ、これは大砲?」
「国崩し、とも言い申す。これさえあれば、大抵の城など簡単に落ち申す。晋二殿、宜しかったらお使いあれ」
「あ、ありがとう、助かるよ」
 この時点で、既に大砲は二丁あったのだが、幾つあっても余る事はなく、また一つ大きな武器が加わった。
 
 
  
 
 
(続)

大手門

桜田門