聖魔転生−第四話

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 初日はこれまでと思ったのか、レイもそれ以上シンジにちょっかいは出さなかった。
 ただ、その赤い瞳を妖しく光らせて、アスカを見つめていただけである。
 従って、授業が終わってようやくほっとしたアスカ。
 無論主は分かっているのだが、今までにないタイプだけに、アスカもスタンスを決めかねていたのだ。
 
 
「じゃ、アスカ行くよ」
「あのさ、シンジ」
「何?」
「それ何の店?」
「ファンシーショップ」
「…何であんたがそんな店知ってるのよ」
「ま、情報の初歩というか何というか…く、苦しいってば」
「あんたねえ、知ってるならさっさと教えなさいよっ」
 理不尽にシンジの首を絞めているのは、無論アスカ。
 ただし、後ろから絞殺にかかっているのではなく、ヘッドロックというやつであり、そのため体はかなりくっついている。
 他から見れば、単にじゃれ合っているようにしか見えない。
 そしてそれはレイにとっても例外ではなく。
「あーら、随分と仲がいいのねえ。二人って、やっぱり出来てるんじゃないの」
「で、で、出来てないわよっ」
 たちまち赤くなり、
「さっさと離れなさいっ」
 シンジをけ飛ばすアスカ。
 シンジの方はいい迷惑、と思ったかどうかは知らないが、
「行くの、行かないの?」
 と訊いた。
「い、行くわよ、ほらさっさとしなさいよ」
 ちっ、と内心で舌を出したのはレイである。
 無論レイとて、雅爛堂の事は知っている。
 どうせろくな物を買わないに決まってると、アスカを行かせないのがここは一番だ。
 だが、アスカはそこまで乗ってこない。
 そうなると、次の手は決まっている。
「ねえ、アスカ」
「ん?」
「あたしも一緒に行っていい?」
(やっぱりね)
 アスカの眉が一瞬寄ったのを見て、レイは絶対に付いて行く事を決意した。
 いつも二人で帰っているせいで、他人の侵入を瞬間的に排除する習性があるらしい。
「私邪魔?」
 無理押しするよりも、こっちがいいのは小さい時の付き合いで知っている。
「そ、そんな訳ないじゃない。ぜ、全然いいわよ」
「そう、良かった」
「でも何で付いてくるの?」
「地理知らないもん。付いていった方が安心でしょ」
 この辺はレイも、深入りした突っ込みはしない。
 あくまでも道案内がてら、と言った風情は崩さない。
 アスカもその辺はさすがに読めず、
「シンジ、いいでしょ?」
 表情は変えぬまま、いいよと頷いたシンジ。
 レイに顔は向けぬまま、その思想は既に店へと飛んでいる。
「何がいいかな」
 小さな声で呟いたシンジを、レイがじろっと見た。
 
 
 
 
「お前なあ、学校はどうした学校は」
「がっこう?んなモンしーらない」
 教師なら色々とする事はあるはずだが、ビールの缶を片手に男の膝の上にいるのはミサト。
 そんなに弱くないはずだが、ごろごろと甘えている最中だ。
 で、甘えられているのは加持リョウジ。
 通称−加持和尚。
 雅爛堂の主人であり、ミサトとは現在恋仲中。
 ただし、高校生となるととかくうるさいので、二人の仲は現在秘密である。
「ねえ、しようよお」
 その性格はともかく、スタイルかけては校内でもトップクラスに入るミサト。そのミサトのこんな姿を見たら、男子生徒の半数近くは天を呪うに違いない。
 しかも甘えられている加持は、袈裟姿なのだ。
 文字通り、天をも畏れぬ罰当たりだが、普段から世界が滅んでも私は生き残るわ、と公言しているだけに、天罰と言う言葉は辞書にないのかも知れない。
「ね、いいでしょ」
 ずいと胸を押しつけ、ブラウスの前を開けて加持を押し倒そうとした瞬間、店のベルが鳴った。
「誰か来た…ありゃシンジ君達だ」
「え、嘘っ!」
 慌てて跳ね起きたミサトが、服の前を押さえて走り出す。
「お、おいボタン掛け違え…まあいいや」
 呼び止めようとした時にはもう、ミサトは脱兎のごとく走り出していた。
 
   
 
 
「ここ?」
「そうだよ」
「何か…変わったお店ねえ」
 アスカの言うとおり、店自体が境内の中にあり、門の左右は毘沙門天が守っている。 ちょうど、祭りでいう所の露店みたいな感じだ。
 店の中にはいると、少女趣味な物がずらっと並んでおり、中学生から高校生まで、学校の帰りに立ち寄りそうな商品揃えになっている。
 ただし。
 境内に入った途端、レイが胸を押さえた。
 胸を押さえてせき込んだレイに、
「ちょ、ちょっと大丈夫?」
「何かむせ込んだだけ。大丈夫よ」
「それはどうかな」
 そっちを見ないで言ったシンジに、
「何ですって」
 とはレイ。
「別に」
 さっさと歩き出したシンジの後を、アスカが慌てて追った。
「ちょ、ちょっとシンジ待ってよ…え?ミ、ミサト!?」
「あーあ、ばれてやんの」
 肩をすくめたシンジは、無論二人の仲は知っている。
 それを知っているのは、生徒ではシンジ一人だったのだ。歩く情報網、とまで言われているケンスケも、それについては知らない。
「ミサト…あんた何してんのよ」
 捕まったミサトは、しまったというような顔で、
「ちょ、ちょっとねえ…や、野暮用で…ア、アスカ?」
 自分の服をじっと見ているアスカに気が付いた。
「ミサト、ブラジャー見えてるわよ」
 ボタンを掛け違えたミサト、その隙間から黒い下着が顔を出していたのだ。
「しかもカップの位置までずれてるじゃない。いったい何してたのよ」
 密会の現場を押さえられたタレントよろしく、追いつめられているミサトだったが、他の二人の反応は違っていた。
 シンジはもとより興味がない、と言うより知っていたし、レイの方はそれどころではなかったのだ。
(い、一体何なのよここ…)
 境内を入った瞬間、心臓を鷲掴みされたような痛みが走ったのだ。
 レイは魔の一族だから、無論魔封じの結界などには弱い。
 だからといって、こんな何の変哲もない神社で、こんな目に遭うとは信じられなかったのだ。
「教師のくせになにしてんのよ、この変態教師!」
 腰に手を当てて、ぷりぷり怒っているアスカ。
 別に潔癖主義な訳ではないが、さすがに生で見ると結構ショックだったらしい。
「だいたいミサト!まだ学校の筈でしょ、何で男のとこに入り浸ってるのよっ」
「べ、別に入り浸ってる訳じゃ…」
 ブラウスをごそごそと直しているミサトだが、どう見ても旗色が悪い。
 そんなアスカを余所に、周囲を見回しているレイ。
「根性悪の女には向かない所だ。さっさと帰ったら」
 こんな嫌みったらしい口調も出来るらしい、レイの眉がきっと上がる。 
「余計なお世話よラファエル。少し強いからって偉そうに」
 べーだ、と舌を出した所へアスカが振り向いた。
「ちょっとそこ!何やってんの」
 じゃれてるように見えたのか、ミサトのせいも手伝って声が尖っている。
 そこへ、
「随分と元気な連れだな、シンジ君」
 袈裟姿のまま、ようやく加持が姿を現した。
「誰よあんた」
 アスカの視線をそのまま受け止め、
「雅爛堂の主人、加持リョウジだ。君の事はシンジ君から聞いてるよ」
「シンジから?」
「惣流・アスカ・ラングレー嬢、シンジ君の…以下略」
「以下略う?何よそれ」
「ま、まあよろしくな」
 奇怪な台詞の先には、無論シンジがいる。
 ギヌロ、と飛ばして来る視線は、静かだが強烈な脅迫が感じられる。
 基本的に物怖じしない、しかも生臭な和尚だが、シンジのこの視線だけは不気味なのだ。
「ふうん、まあいいわ」
 アスカもそれ以上追求しようとはせずに、
「で、ミサトとはどういう関係なのよ」
「葛城?ああ、愛人さ…いてっ」
 いつの間にか、足音も立てずに忍び寄ったミサトが、後ろに手を伸ばしてきゅっとつねったらしい。
「不潔」
 さも嫌そうに言ったアスカだが、ふとシンジとレイを見た。
「ちょっとあんた達」
「『え?』」
 声が重なったもので、アスカの表情が険しくなる。
「何ユニゾンしてんのよ」
「気のせいだよ。で、何?」
 それより何、と言ったらアスカは怒る。その辺はシンジの、アスカを読み切った発言であった。
「何で気にしないのよ」
「何を?」
「何をってあんたバカァ?何で担任が昼間っから男の所に出入りしてるのに、全然気にしないのよ」
「校内で生徒食われるよりましよ」
 なかなか危険な発言は、無論レイの物である。
「レ、レイ?」
「別に初な小娘じゃないんだから」
 境内に引っかかったせいか、これも少し機嫌が良くないらしい。
 が。
「男の一人や二人いたっておかしくないわよ。アスカも見習ったら」
「はあ?」
 顔を赤くして怒り出そうとするのへ、手をにゅっとさしのべて近づいた。
「何なら私が恋人になってあげるから」
「うるさいだまれ」
 それの前振りだったらしい。
「アスカ、そんなの相手にしてないで」
 とこれはシンジ、一撃を加えるには絶好のタイミングである。
「そうね、それで何しに来たの」
「和尚、いいですか?」
「ああ今行く、ちょっと待ってな」
「和尚?」
 親しげな口調に、アスカが二人の顔を交互に見た。
「小物屋雅爛堂の店長で、早雲寺の住職だよ」
「シンジの知り合いなの?」
「父さん達が古くから知ってるらしいけどね」
「シンジ君から連絡があったのさ、君にプレゼントするからって」
 その瞬間、アスカの顔がかーっと赤くなり、
「な、何言ってんのよあんたはっ」
 “OUCH!”
 とシンジが脇腹を押さえたのは次の瞬間である。
 無論照れ隠しだが、加持と言いシンジといい、どうやら女性から攻撃される運命にあるらしい。
 しかもそのアスカを見て、よせばいいのにミサトが、
「アスカももう少し素直だとねえ」
 などと言ったものだから、
「うるさいのよこの淫乱教師。さっさと学校帰りなさいよっ」
 せっかくそれかけていた話題が蒸し返され、ミサトは慌てて出ていった。
 ただアスカ、加持の言葉が気になっていたらしく、
「で?シンジ」
「え?」
「あたしに何を献上しようってのよ」
 言い方は乱暴だが、その顔は少しく赤い。
「光り物」
「ヒカリ?」
「じゃなくて光り物。ネックレスとか?」
 それを聞いた時のアスカの顔は、なかなか面白い変化を見せた。
 ネックレス、と聞いた瞬間ぱっと嬉しそうな顔になったが、すぐに故意と分かる渋面を作ったのだ。
「ふ、ふーん。ま、まあいい物だったら貰ってあげるわよ」
 なお、この間レイが口出ししなかったのは、無論二人を助けた訳ではない。
(この中はやばそうね…)
 境内の入り口だけではなく、中にもある種の気が充満しているのを、レイの感覚は察していたのだ−レイとは相容れない何かの気が。
 本来なら帰りたい所だが、ここは少しでも邪魔をしておきたい所である。
 それにレイには、シンジの贈らんとしていた物が、ある程度予想は付いていたのだ。
「シンジ君、この辺でいいのかい?」
 加持が、店の奥から箱を持って出てきた。
 服装は同じなのだが、この店に入ってくると何となく雰囲気が変わるから不思議だ。
 持ってきた箱の中には、指輪からネックレスからイヤリングから、何で坊主がこんな物をと思うほど、色々な物が入っている。
「どれがいいかい?」
 訊いた相手は、シンジとアスカ両方だが、光り物に女性が弱いとは、だいぶ昔から決まっている。
 そしてアスカも例外ではなく、
「ど、どれがいいかな…」
 と目移りしている様子。
 献上させてやる、と言った事などすっかり忘れているらしい。
 その様子を見て、レイがにっと笑った。
 いくつも石があるが、レイに取って都合の悪い物は決まっている。
 そう、たった一つだけ。
 女同士なら、別に横からアドバイスしてもおかしくはない。
 一方シンジはと言うと、石が決まっているだけに、直球で押そうかどうかわずかに決めかねている。
 このままではレイの思惑通りに運ぶと思われた時。
「これがいいんじゃない?」
 ひょいと伸びた白い指が、ある石をつまみ上げた−シンジの思っていたそれを。
「リ…あ、赤城先生?」
 言葉遣いが変なのは、普段ならリツコと言う所なのだが、廊下で暴言の一失があるからだ。
 リツコにばーさんなどと、シンジでも滅多に言わないのに。
「シンジ君の好みならこの辺り、でしょう?」
 ちらっとシンジを見るリツコ。
 二人の一瞬のアイコンタクトに、加持は気が付いていた。
 そしてもう一人、レイも。
(このばーさん余計な事を)
 ちっ、と内心で舌打ちしたが、無論表情にも言葉にも出さない。
「この石?」
 持ち上げたのはアメジストのネックレス。
 薄い紫はどぎつい印象を消し、ハート形の細工なら無粋なイメージもない。
 魔除けから招福まで、石はいくつもあったのだが、アメジストは呼応型であり、秘めているとは言えアスカのようなタイプには、一番厄介なのだ。
 つまり、魔除けだの招福だのと言うタイプは、基本的に石自体の力であり、しかも本人が信じていないなどと言う事になると、その効果はがくっと落ちる。
 ただし、信じているとしても本人がさして魔力を持っていない、いわゆる器でない場合にはこれもまた効果は少ない。
 さて諸兄は、レイがアスカを密かに狙う理由の一つ、生体マグネと言う単語があった事を覚えておられるかと思う。
 生体マグネタイトとは、魔力とはまた別の代物である。
 魔力が無くなっても−と言うより最初から持っていない人間もいるが−別に困る事は無い。
 人魂とか、幽霊が見えなくなってしまう位のものだ。
 しかし生体マグネタイトは違う。
 それ自体は、量に差こそあれすべての人間が持っており、それを無くす事は死すら意味する事になる。
 いわゆる、魂を抜かれたようなというやつだ。
 生きている、呼吸もしているし心臓も動いている…だがそれだけだ。
 自分で食事をすることはなく、すべての思考は喪われる事になる。
 文字通りの、生きた屍になるのだ。
 なおシンジとレイを比較した場合、マグネタイトはレイの方が量は多く、魔力はシンジの方が数倍多い。
 二人の使える能力の差は、マグネタイトの多いレイは体術中心であり、シンジの方は魔術のそれに近い。
 レイが本性の姿に戻り、ケンスケのトラップを脱出したのはそれであり、シンジがアスカに掛けた催眠は魔のそれである。
 催眠術の場合、別に魔力を持たずとも出来るのだが、深層意識に副作用を及ぼす場合があり、魔力で表層部分をいじった方が安全と言える。
 では二人がぶつかった場合どうなるか。
 以前はシンジが勝った。で、その時に逃がしたシンジだったが、現時点でどうか、と言う話になると少し怪しくなる。
 何せシンジの場合、アスカの下僕生活に馴染んでしまい、以前ほどの気は無くなっているのだ。
 もっとも、レイもそれを見越してちょっかいを出してきた部分が大きいのだが。
 そのレイに取って、アスカにアメジストなど絶対にさせたくない一手であり、しかも赤城リツコに加持リョウジ、この両名までシンジサイドの可能性が高い。
 ただし。
 まいったな、と内心であってもぼやくような性格を、あいにくとレイはしていない。
 そう簡単に引き下がっては、メドゥーサの名が廃るというものである。
 で、何をしているかとアスカを見ると、
「こ、これ変じゃないかな?」
 鏡の前で胸に当てているが、その頬は少しだけ赤い。
 疑問符付きの台詞だが、内心はほぼ決まっているのは間違いない。
「似合うよ」
「ほ、ほんとに?」
「うん、かわい…ふげっ」
 別に人名を口にしようとした訳ではない。
 が、不慣れな事を言いかけたもので、アスカの鉄拳が飛んだのだ。
 伸びているシンジに、腰に手を当てながら、
「な、何似合わない事言ってんのよっ…あ」
 自分に集中している視線に気づき、かーっと赤くなる。
「こ、これはその…」
 もじもじしている所へ、シンジが起き上がってきた。
「その石でいいの?」
 さっさと話題を終わらせること、こんな時はこれが一番だ。
 案の定救われたように、
「こ、これでいいわよ」
 と、更に蚊の鳴くような声で、
「あ、ありがと…」
 消え入るように言ったのへ、シンジは軽く頷いた。
「和尚、いくらですか?」
「これだけ」
 何時の間に取り出したのか、電卓の数字をシンジに見せる。
「はいはい…げ!?」
 桁数は不明だが、結構な金額が入っていたらしい。
「シ、シンジどうしたの?」
 気になるのか、心配そうに訊いたアスカに首を振ったが、実際桁数は六桁に達していたのだ。
 紙を紙幣に換える術だの、錬金術だのを持っている訳ではなく、そこは普通の高校生であり、懐事情はそんなに豊かではない。
「シンジ君」
 リツコがシンジを呼んだ−危険な声で。
「何か?」
 振り向いたシンジの声も、警戒心が120%入っている。
「立て替えてあげましょうか?お金」
 耳元に小さな声で囁く。
「利子は?」
「実験五回でいいわ」
「絶対に嫌です」
 あっさり決裂したところへ加持が、
「シンジ君、物は相談だが」
「え?」
「九割引にしてもいい」
 とんでもない事を言いだした。
 いや実は、それにしたって結構な金額なのだが、いきなり九割とは大出血のサービスか、あるいは元値が暴利だったかどちらかである。
「で、和尚の条件は?」
「別に」
「はあ?」
「シンジ君に彼女が出来た記念だ、俺からのサービスだよ」
「うけっ」
 シンジが今度は前屈みになる。
 ただし、何故アスカの肘鉄を食らったのかは不明だが。
 照れ隠しの場合、シンジに八つ当たりするのがアスカの習慣らしい。
 この“悪しき習慣”が、何時から始まったのか、そして何時まで続くのかは目下謎である。
「じゃ、じゃあそれで」
「と思ったが」
「『え?』」
 今度は二人の声が重なる。
「素直じゃないから気が変わった」
「ちょ、ちょっと何よそれっ!」
 噛みついたのはアスカだが、加持の実力を知る者がいたら青ざめたかも知れない。
「アスカちょっと待って」
 無謀な幼なじみを制すると、
「何か企んでますね」
「大当たり」
 加持は、はっははと笑った。
「女心と直感には鋭いんだな、シンジ君は」
 じろ、とアスカがシンジを睨む。
 シンジのファンクラブの事を思い出したらしい。
 その視線からわずかに逃げながら、
「え、えーと何するんですか」
「丑三つ時になったら、もう一度ここへ来たまえ」
 口調は変わらないが、有無を言わせぬ何かを含んだ声で命じた。
 そして、
「あ、分かりました」
 シンジもあっさりと肯定する。
 
 
 そして十分後。
 
「似合うかなあ?」
 と訊いては、
「大丈夫だよ、似合ってるから」
「ほんとに?」
「ほんとだってば」
 後ろから何かをぶつけたくなるような会話と共に、二人は出ていった。
  
 
 
「しかし、聞いていた通りだな。いつもあんななのかい?」
 訊ねた相手はリツコ。
「いつもあんなものよ。素直だか素直じゃないんだかまったく」
 目を細めて二人を見ていたが、ふと加持の視線が動いた。
「で、君は何を買いに来た?」
「ちょっとした見物よ」
 そのレイの視線は、境内の四方に飛んでいる。
「見物していってもいいが、魔の属性にはきつい所だ。怪我はしないようにな」
 台詞は心配しているが、あまり気にしていないような口調で加持が言った。
「さてリっちゃん、お茶でも飲んでくかい」
「コーヒーのブラックに決まってるでしょ、いつものやつよ」
 そう言うと、靴を脱いでさっさと上がっていく。
 そのリツコが顔だけレイを見ると、
「あの二人、壊すのならよほどの覚悟がいるわよ−それと魔力もね。どっちかが少しでも足りないなら、止めた方が無難よ」
 後は振り向きもせずに、静まり返った堂内を滑るように歩いていくリツコ。
 漆黒のストッキングが板の上を歩く様は、どこか蛇のそれにも見える。
 視界の端でリツコを捉えたレイに、
「目当てがシンジ君なら応援しない事もない。女の子は素直な方がいいと決まっているからな。でも、君の狙いはそっちかい?」
「なんの事かしら」
「狙いがシンジ君なら、あの娘(こ)が何を買おうと問題無いはずだ。なのに君は」
「私が付けた方が似合うと思っただけよ」
 さらりと流したレイに、加持はそれ以上追求しようとはせず、
「じゃ、そういう事にしておこう」
 あっさりと手を引いた。
「茶の湯の接待があるからこれで」
 これも音も立てずに立ち上がったが、
「君は動きが素早いな」
 半分感心したように言った。
「目の配り方といい、その歩き方と言い、まるで蛇のようだったよ」
 その刹那、一瞬だけレイの目に壮絶な光が宿った。
 だが、それもすぐにうち消すと、
「加持和尚、って言ったわね。あなたを見ていたら、ある事を思い出したわ」
 加持の方は見ないで言った。
「寿恋寺って寺の住職に、確かそんな名前の坊主がいたって聞いた記憶があるわ。ただ余計な力が強すぎたのと、昼間から女の尻を抱えてる生臭坊主だと言うことで、全寺連からは除名されたそうだけど。さっきのあなたの愛人でしょ、良く似てるのね。乳がでかくても、感度はいいのかしら」
 さっさと歩き出したレイの背中に、
「Fでも、感度は十分さ。間に挟んでうにうにするのは、Aのお嬢さんには無理だろうがね」
  一瞬レイの足が止まったが、振り返ることはせずに出ていく。
「蛇のラインは当たりか。だが確かあれは三姉妹いたはずだ。名前はえーと…おーい、リっちゃん」
 ど忘れしたのか知らないのか、赤木事典から調べるべく、板の上をどすどすと歩く。
 リツコがすいすいと歩いたそこを、今度は派手に体重を掛けて歩かれ、板達が迷惑そうに主をじろりと睨んだ。
 
 
 
 
 
「ふんふーん♪」
 鏡の前、下着姿で踊る娘がここに一人。
 下着のチェックでも、スタイルのチェックでもないらしい。
 と言うのは、その胸にはハート形のペンダントが揺れているからだ。
「シンジに貰っちゃった…ふ・・うふ…ふふっ」
 家に帰ってきた時から、既にその表情は溶けかかっていたのだが、それが完全に溶けだしたのは数秒後の事である。
 
 
 
 
「九万円か…はあ」
 軽量化した財布を、宙に放り投げているのは無論シンジである。
 まさかこんなにすると思わなかったのだ。
 光り物の約束はしばしば高く付くと、昔から決まっているのだ−おそらくは有史以前から。
 が。
「アスカころころ笑って喜んでたし…ま、いいか」
 これも妙に嬉しそうな顔で、ベッドの上でごろごろしている。
 ところで、確か加持は九割引くと言った筈だ。
 そしてシンジが払ったのは九万円…では付いていたプライスは?
 
 
 
 
 さてその晩の事。
「キゲンガワルソウダナ、メドゥーサ」
「私はAじゃないわよ!」
「A?ナンノコトダ?」
「あんたには分からないわよ、ケルベロス。それより」
「ワカッテイル、アノムスメヲサラッテクルノダナ」
「間違っても味見するんじゃないわよ、私の物なんだからね」
「ワカッタ、ワカッタ。デハイッテクルゾ」
 ケルベロス、それは本来地獄の番犬として知られ、双頭あるいは三つ首のどう猛な生き物とされている。
 だが、今レイの前で周囲を睥睨しているのは、どこかライオンにも似た生き物で、豊かなたてがみをなびかせている。
「ラファエルのやつ、アスカにアメジストなんか渡して。こうなったら従魔で対抗してやるんだから」
 かき消すように消えたケルベロスの後ろ姿を見ながら、アスカにアメジストが渡ったのが相当癪に障ったのか、ぷいっとそっぽを向いた。