第七十話
 
 
 
 
 
「ま、正確に言えば帰れない事もないんだけどね」
「え?」
「このプラグは、碇シンジとかいうお荷物を載せてはいるけど、八時間位は保つ筈だ。でもって、取りあえず僕らを食ってる使徒を始末する。後は待ってれば迎えに来てくれるで…もしもし?」
 シンジはあまり好きではない、と言うより嫌いなLCLだがここは取りあえず生命維持に使っておかねばならない。
 後はアオイが何とかすると思ったのだが、そのシンジが見たのはボタンに手を伸ばすアスカであり――そのボタンにはドクロマークが描かれていた。
(!?)
 ボタンの意味はすぐ明らかになった。
 プラグ内から、みるみる内にLCLが排出されていったのである。
 俯いていたアスカがゆっくりと振り向いた。
「本当はこれ、戦闘用じゃなかったのよ」
「うん?」
「ネジを仮止めしたりするでしょ。あれと一緒よ」
「ふーん…え?」
 アスカの言わんとする所がピンと来たのだ。
「それってもしかして?」
「うん」
 アスカは哀しげに頷いた。
「このプラグは、自浄作用が一時間しかないのよ。濁った水の中で一時間、無駄に救いを待つなんて嫌よ。空気の量もそれ位あるんだけど、上で浮かんでる艦隊は小型潜水艇を持ってないの」
「……」
「つまりここでもう終わりって事よ…ごめんね」
「いや…別にいいんだけどさ」
 無論脳天気な反応ではないが、アスカが反応した。
「別にいい?あたし達死んじゃうのよ。死ぬって分かってるの!?目が覚めたら家のベッドだった、なんてチープなオチじゃないのよっ」
「分かってる」
 変わらぬ口調がアスカを引き戻した。
「ごめん…」
「時々スイッチが入るのはもう見慣れてるから、気にしないで」
 良く分からない台詞の後、
「取りあえずここは使徒を片づけるのが優先で…どうしたの?」
 不意に振り向いたアスカが、じっと見つめてきた。
 顔に髭でも付いているのかと思ったら、
「あたしね、嘘言ってたんだ。本当は、キスなんてした事もないのよ。死んだママにおやすみのキスをしてもらった位しかないの」
「だいたい分かる」
「さっきのあれ…キスじゃないんでしょ」
「えーと…一応普通に言う所のキスじゃない。悪いと思ったけど、ちょっと思考を同調させてもらったんだ。愛撫とかじゃないんで、経験がないと大抵ああなるらしい」
「やっぱり、そうだったんだ。一つ頼みがあるのよ」
「なに?」
「このまま行けば、ここで死ぬのは目に見えてるわ。使徒を倒したとしても、上まで上がる手段がないもの。あたしはもう覚悟してる。だから…最後にキスして欲しいの」
「…何でそうなるのさ」
「あたしは今までの人生を後悔してはいないわ。勿論満足はしていないけど、だからって生まれ変わったらきっとなんてウジウジした事は言わない。でも…」
 アスカの目が流し目に変わり、
「初めてのキスがあんな濃厚で、でもキスじゃないなんてそんなの嫌。死ぬ前に一度でいいから、ちゃんとキスしたいの」
(むう)
 変な所でスイッチが入ってしまったらしい。
「気持ちは分かるけど、先に使徒片づけてからね」
「じゃ、約束して」
 死ぬものと思いこんでいるのか、強引に迫ってくる。
 既に残存時間は一分を切っており、さっさと使徒だけは倒さないと、最悪この中で餌になりかねない。
「分かった分かった。約束するから」
「本当に?」
「うん。だから、ちょっとだけいい子にしててね」
 アスカがLCLを抜いた為、伝わる反動は殆ど軽減されない。片手でアスカを抱き込み、もう片方の手でレバーに手を掛ける。にゅうと伸びてきた舌が、エヴァを捕食しようとしているのを眺めながら思い切りナイフを投げつけた。
 海中で、しかも他人の機体と言う事もあってだいぶ威力は落ちているのだが、それでもATフィールドを張っていないコアを破壊する位は出来るだろうと、シンジは踏んでいた。
 レイのATフィールドと同じで、年がら年中、四六時中張っている訳ではないのだ。
 コアに亀裂が入り、みるみるそれが大きくなっていく。
「掴まっててね」
「…うん」
 異性とこんな距離で、しかも抱かれた経験など初めてである。
 うっすらと頬を染めたアスカが頷いた次の瞬間、弐号機を口に入れた使徒は大爆発を起こした。同時に凄まじい衝撃が機体を襲い、海中を勢いよく吹っ飛ばされる中を、シンジは背を思い切りシートに押しつけ、片手はしっかりとアスカを抱きかかえていた。
 足も思い切り突っ張っておかないと、機体と一緒に何処へ叩き付けられるか分かったものじゃない。
 こんな事ならレイでも代わりに来させれば良かったかと、ろくでもない事を考えた数秒後、弐号機は背中から海底に突っ込んだ。
 砂地だったと見えて、さほど強い衝撃はなかったのだが、シンジの方は天上に頭をぶつけた。
 アスカの方は、シンジが人間シートベルトになっていたから身体が固定され、被害は受けていない。
(いたた…)
 ゴチン、と鈍い音響も伴っており、結構痛い。
 ズキズキする頭をおさえて起きあがろうとした時、不意に口許へ何かがぶつかった。
 体勢が不安定な為避ける事も出来ず、あっさりと柔らかい物体の直撃を許す。
「……何?」
「ギブアンドテイクよ。もらっちゃった。文句ないでしょ」
 細い指で唇に触れながら、アスカはうっすらと笑った。
 
 
「エントリープラグが本物じゃないって、それどういう事」
「プラグ無しで運ぶ訳には行かないから、一時的に突っ込んであったものよ。自浄能力も酸素維持の時間も通常の物よりだいぶ少ないわ」
「……」
 ユリの言葉に、流石のアオイも一瞬顔色が変わった。
 これでシンジ一人ならまだしも、大きすぎる荷物が一緒なのだ。気絶していても起きていても、酸素の消費量はシンジの数倍に達する。無論、船上では既にケーブルが切れた事は知っており、見失った弐号機を捕まえる術が無い事もまた分かっていた。
 弐号機の場所が分かったとしても、現存する装備では引き揚げようがない。唯一出来るとすれば、ケーブルに弐号機が掴まった状態で巻き上げる事だけだが、
「艦長」
「どうした?」
「あのケーブルは、どのくらいの摩擦まで保ちます?」
「あのデカブツにくっつけてあるんだ。火山に沿って二周くらいしなきゃ、そう簡単に切れはせんよ」
「でも切れた――と言う事は」
「使徒に囓られた、と見るのが正解だろうな。あの化け物はヒレに刃物を付けてはいなかったが、大きく開けた口の中には健康な歯が揃っていた」
「落ちた時点では、使徒に捕食されてはいなかったのだ。やはり、落ちてから口内に侵入したと見るのが正解だろう。それも、おそらくはアスカ嬢が足を引っ張ったのだ」
 口を挟んだのはユリであった。その手にあるのは、弐号機の仕様書だ。
「アスカちゃんが?」
「シンジなら、あの機体が水中戦に向かない事は分かっている筈。起動した時点で、既にアスカ嬢はキスに参ってダウンしている。自分の機体で無いとは言え、起動出来る程のそれを誤作動させるとは思えない。おそらく、何らかの理由で機体に余分な衝撃が加わり、結果としてケーブルが噛みきられたのだ。どうせシンジの事、ダウンしている娘に衝撃がいかないよう、微妙な体勢で口の中に収まっていたのだろう」
「困ったわね」
 はて、と美貌を傾けたアオイだが、耳元に手は伸ばさなかった。シンジを信頼してはいるが、それ以上に足を引っ張る事は避けたのだ。
 横須賀までどんなに急いでも、機器を持ち帰って来るまでにタイムオーバーは間違いない。ならば、話しかける事で酸素を使わせるのは避けたのだ。
「艦長、残念ながらシンジに任せるしか手はありませんわ。まして、酸素すら残存量が決まっている今は尚更です。取りあえず、いつでもケーブルを戻せるようにだけはしておいて下さい」
「分かった」
 サムは軽く頷いた。
 実を言えば、手がない事もなかったのだ。
 荒っぽいが単純な方法で、弐号機とケーブルの位置を確認した後、機体の側に水中爆雷を投下して爆発させる。
 その衝撃で機体を吹っ飛ばし、ケーブルの所まで持っていくのだ。機体は二十秒も動けばそれで良く、ある意味至難だがシンジなら出来る。
 アオイがそれを採らなかった理由はただ一つ、アスカの存在であった。
 シンクロ時はまだケーブルが繋がっていたから、アオイはシンジのシンクロ率を知っている。
 200%近い驚異的な数字だが、アスカは調子がいい時でも100%に届かない。
 しかも、弐号機はアスカの機体なのだ。
 内部の状況は分からないが、おそらくはユリの言う通りアスカが足手まといになっているのだろう。
 だとしたら、ここはシンジにすべてを託すしかない。
 そう――事態が限りなく絶望に近い状況だとしても、だ。
 
 
「無いわけないでしょ。大ありだっての」
「大蟻?」
「……」
「い、言ってみただけよ。いいじゃない、もうこれで最後なんだから」
 今の状況を分かっているのかいないのか、アスカには緊張が全然ない。少なくとも、この状態を確認している者の、それも十四歳の少女が見せる態度ではない。
「一応訊いておくんだけど、状況は分かってるの?」
「あったりまえじゃない。あたしを誰だと思ってるのよ」
「…惣流・アスカ・ラングレー」
「その通り。トップチルドレンのナンバーワンとナンバーツーは現在、弐号機の中で同衾中。で、その弐号機は内部電源だけになっちゃって、後は乗っているカップルが死体になるのを待っている状況よ」
「所々間違ってるぞ。同衾って意味分かってるの?」
「知ってるわよ。男女が一緒にいる事でしょ」
「違う。だいたい、同衾じゃなくて一時的に居合わせただけだ。勝手に状況作らないでよ。それに、どうして君と僕がカップルなんだ」
「あたしじゃ嫌なの?」
「……」
「日本人ってこれだからいやなのよ。いい?シンジと私は使徒を倒すのと引き替えに、散っていく仲なのよ。言葉だけでも、君に会えて良かったとか言ってくれたっていいじゃないの」
「…助かろうって気はないの?」
「ナイ」
 アスカは即座に首を振った。
「あたしだって別に、立派な最後だとか自画自賛してるわけじゃないし、自分の存在理由すら持ってない小娘じゃないわ。でも…あなたが駄目ならどうしようもないじゃないの。あなたに出来ない事を私に出来るわけないでしょ。あたしだって、死に場所を探してた訳じゃないのよっ」
 ぐいっと目を拭ってから、
「ごめん…アタシが原因なのよね」
「君が原因だ」
 頷いたシンジだが、
「まあ、君が九十九歳で他界する時、看取る役は誰かに任せるとしてだ。取りあえず、僕はここで終わるわけにはいかない」
「…え?」
 アスカの口がぽかんと開いた。
 シンジの言っている事が理解出来なかったのだ。
「確かにケーブルは切れたし、内部電源ももうじき落ちる。だけど終わりってわけじゃないんだ。いざとなればき――!?」
 突如シンジを烈しい頭痛が襲った。
 それがエヴァからの精神的侵入だと気付くには数秒かかったのだが、
(何を言おうとしたの)
(いやその、コアの中には…)
(子供を殺そうとした殺人者の魂がある、だからそれに助けてもらおうって言うつもりだったの?)
(……)
(お願いだから、あの子に私を憎ませないで…お願いよ)
 これで高飛車に出られれば、シンジもまた手の打ちようがあるのだが、こう言われては何も言えなくなった。
(分かった。でも動けるんでしょ?動けなくなったらアスカと心中になっちゃう)
(つまり、手を繋いだあなたとアスカを永遠に見守られるのね)
(…こら)
 やっぱり強気に出た方が良かったかと思ったが、
(動けない事はないわ。でも私だけじゃ無理よ)
(どうするの)
(あなたとアスカのシンクロ率を同じにして。そうすれば一分は動けるから、稼働時間と合わせてケーブルの位置までは行けるわ)
(分かった)
 急に頭をおさえたと思ったら何やら頷いたシンジに、アスカが怪訝そうな表情を向けた。
「あの、大丈夫?」
「大丈夫。もう治まった」
「それならいいけど…それで、さっき何を言いかけたの?“き”がどうしたのよ」
「えーとその…き、鬼太郎なんだ」
「鬼太郎?それ何よ」
「その…ほら、機体に取り憑いてる守護霊みたいなもので、いざとなったら助けてくれたりするんだ…何」
「大丈夫、よねえ?」
 自分とシンジの額に手を当てたアスカに、シンジの眉がぴくっと動いた。
「アスカ、ちょっとむこう向いて」
「え?う、うん」
 言われるままアスカが向きを変えると、シンジの手がすっと伸びてその身体を固定した。
 はふう、と吹きかけられた吐息にアスカの肩がびくっと揺れる。
「君には少し、身体の力を抜いてもらわないとね」
 言うが早いか、いきなりシンジがくすぐりだしたのだ。
 首筋から脇の下、更には脇腹に掛けて、決して愛撫には至らぬ強さで微妙にくすぐっていく。
 忽ち効果は現れ、懸命に歯を噛み締めながらも、耳朶は真っ赤に染まり、時折歯の間からわずかな声が漏れる。
 その堰を切ったのは、無論シンジであった。
 赤くなった耳朶に軽く歯を当てたのだ。
「ひゃふうっ!?」
 一度崩れた堰は、もう元には戻らない。
「力抜けた?」
「ぬ、抜けたからもう止めっ、あひゃひゃっ!や、止めてぇ…」
 涙と涎と笑いが止まらなくなってから、漸くシンジは手を止めた。
「ひ、ひどい…」
 アスカはぐったりしてしまい、もう怒る気力すらない。
 と言うより、下肢を隠していると言った方が正解だろう。途中から快感が半数以上混ざってしまい、既に秘所はびっしょりになっているのだ。
 ワンピースなどで乗り込んでいたら、いやそれよりもLCLを抜いていなかったらどうなったかと思うとぞっとする。
 五分ほど経って、ようやく息の落ち着いたアスカに、
「頭の方は柔軟になった?」
 シンジがのんびりした声で訊いた。
「えー、なったわよ。お陰様でね!女の子の身体まさぐるなんて信じらんない!」
「僕を発熱扱いする方がもっと重罪だ。さて、さっさと協力して」
「何するのよ」
「レバーに手を置いてくれればそれでいい。ちょっと、妙な感じがするかもしれないけどね」
「…分かったわよ」
 いきなりくすぐられ、挙げ句には感じてしまったのだ。とっちめてやりたいところではあるが、取りあえずツケにしておいてやると、アスカは素直に手を置いた。
「ちょ、ちょっと何?」
 その上に、シンジの手がそっと重ねられたのだ。
「今はまだ言えないけど、別に気が狂った訳でもないし、精神に異常を来したわけでもない。必ず再浮上するから、協力してくれる?」
「……」
 首だけ後ろに向けてシンジをみつめたが、やがて頷いた。
「いいわ。あたし一人だったら、とっくに使徒に食われてたんだし、ここは任せるわ。でも!」
「でも?」
「いきなりくすぐったのを許した訳じゃないんだからね!」
「痛かった?」
「い、痛くはないわよ。気持ち良か…違うわよっ!」
「痛くなければ問題ない。患者に必要な処置をしただけだ」
(ムカッ)
 とは言え、エヴァに乗って早々あんな濃厚なキスをされてしまい、どうも調子が狂ってしまう。
 これが他の者だったら、手足の数本も折ってプラグから放り出しているところだ。
「じゃ、いくよ」
 アスカの反応を待たず、シンジはすっと目を閉じた。
(お、覚えてなさいよっ)
 内心で毒づいたが、これも言われるままに目を閉じた。
(あ…)
 アスカとて凡庸ではない。
 精神の統一には殆ど時間を要さなかったし、アスカに受けの体勢が出来れば、シンジからの意識を受け取るのにも問題は無かった。
 とは言え、さすがに意識を受け取るのは負担が大きいだろうと、そのままは流しておらず、アスカが感じているのはぼんやりとしたものである。
 早い話が意識の同調であり、八割まで同調出来ればシンクロ率もほぼ同等に出来る。
 かつてモミジに教えられた事だが、こんな簡単な事が大きな術の時には一番重要なのだと言われた事を、シンジは思い出していた。
 二分、三分と時間が経っていき、七分が経過した時、不意にアスカの脳内で声が聞こえた。
(よく…がんばったわね)
(え!?)
 その直後、弐号機の四つの目が光り、電源を失った筈の弐号機は再起動した。
 
 
 
 
 
 それから四時間後、船は無事横須賀に着いていた。
 初めてシンクロ率が100%を超えた体験に、アスカは再度失神してしまったが、シンジはその髪を軽く撫でると、ケーブルに近づいてぐいと引っ張った。
 船上では全身を神経と化した船員達が、伝わってくるかすかな気配も逃すまいと目を光らせており、ケーブルが引かれた感覚にすぐさま巻き上げが開始された。
 他の要因も考えられたのだが、ゴーサインを出したのはアオイであった。
 ちらりと振り返ったサムに、頷いたのだ。
 通信などしていないが、シンジがやってのけたとアオイは確信していたのである。
「結局のところ、何だったと思う?」
「正確には分からないけど、決して軽くない傷を負いながら、それでも脱出を優先した加持リョウジの行動が答えだと思うわ。さて、何を持っていたのかしらね」
「で、ミサトさんが血だらけになっていたのは?」
「彼氏を見送った後、戻る途中で使徒の体液を浴びたのよ」
「ほほう」
「無理、とは言わないわ。ただ、会っていきなり足の骨を折っていたんじゃ、問いつめるのは難しいんじゃないかしら」
「不可能、にキス三ヶ月分。それとお風呂一ヶ月」
「却下。私の胸が岩みたいになっちゃうじゃない。それとも肩こりで入院しろっていうの?」
「入院したら、たまには揉みに行ってあげるから」
「珍しいじゃない」
「……」
 すすっとシンジが後退った。
「揉みに行くのはあくまで肩だ。ふしだらな治療法想像しないで」
「私は最初から肩だと思ったけれど?」
「当分触るのは遠慮しよう。で、僕の車陸送してきたんだって?」
「来てるわ。頑張った子を乗せて行ってあげれば?」
「そうね、そうするわ」
 シンジが向きを変えると、ちょうどアスカが出てくるところであった。さっきまで熟睡しており、シャワーを浴びてきたばかりだ。
「あ、あの…」
「よく頑張ったね。お疲れさん」
「あ、ありがと」
「僕は下で待ってる。先に上司へ挨拶しておいで」
「上司?」
 言われて初めてアオイの存在に気が付いた。
 そしてその髪型にも。
(お、大きい…)
 やはり視線が向いたのは、重たげに揺れている胸であり、その瞬間シンジの言葉が甦った。
 Cカップ程度じゃ感じない、とシンジは確かにそう言ったのだ。
 ちらっと自分の胸に目が行ったが、それでもアオイの前に立つと、
「セ、セカンドチルドレン、惣流・アスカ・ラングレーです。私の行動で迷惑を掛けてしまい、申し訳ありませんでした」
「本部所属、大佐の信濃アオイよ。報告はシンジから聞いたわ。いきなり異物を乗せるのはあまり良くないけれど、シンジがいなかったら使徒は倒せなかったでしょう。お疲れ様」
「は、はい…」
「今日はゆっくりお休みなさい。それとこれを渡しておくから、当座必要な物はこれを使って」
 ポケットから取り出したのは、ゴールドカードであった。
「あの、これは?」
「前線で命を掛ける子を、無償で使うほど厚顔じゃないつもりよ。とりあえず五億円入っているから」
「ご、五億円!?」
 一瞬にして目の覚めそうな金額だったが、アオイはさも当然と言った口調で、
「作戦の特異性と、操縦者に代わりがいない事を考えれば高くはないわ。ただし、代わりがいない事は忘れないで」
「さっきシンジ…君にも言われました」
 アオイは頷き、
「シンジの指示に従う事は命令じゃないけど、その方が上手く行く事は間違いないわ。さ、シンジが待っているから行きなさい。帰りはシンジに送ってもらって」
「分かりました」
 身体のパーツも顔も、そして身長まで、何処を見ても極上のモデルにしか見えないのだが、本部付きの大佐だと来た。
 ミサトが作戦部所属の一尉だと言う事は知っている。アオイが所属を言い忘れたと言う事はあるまい。つまり、それだけ高い地位にいるという事なのだ。
 その辺の事情は知らないが、アオイの言う通りシンジを乗せなかったら、間違いなく敗戦していただろう。
 今頃は、機体の中から自分の死体が出てきたのは間違いない。要するに、シンジにはまったく敵わなかった訳なのだが、アオイはそのシンジだけの指揮を執るという。シンジ一人が優秀で、アオイが凡庸と言う事はあるまい。
 何よりも、凡庸を所属無しの大佐にするほど、本部は馬鹿ではあるまい。
(あたしも指揮官変えてもらおうかな)
 ふっと思ったのだが、出てきた言葉は全然別物であった。
「あの…」
「何?」
「し、信濃大佐はその…い、碇君の恋人…ですよね」
「シンジがそんな事を言ったの」
「い、いえ何となく思っただけで…」
「私はシンジの恋人でも彼女でもないわ。シンジとは、仕事上のパートナーよ」
 アスカがずっと起きていれば、シンジが完全に船上を信頼しきっていた事にも、少しは気が付いたろう。
 何よりも、性別の差にもかかわらず瓜二つに近い髪に、もう少し留意したかもしれない。
 だが、アスカにそこまでの余裕はなかった。
「訊きたい事はそれだけかしら」
「は、はい」
「もう行きなさい。あまり待たせては駄目よ」
「し、失礼します」
 アスカが飛ぶように階段を下りていった後、
「弐号機は一度再起動が掛かっていますね。まさか見られるとは思いませんでした」
 姿を見せたのはリツコであった。
 ただし、
「オリジナルの博士は本部かしら?」
「ええ、伊吹マヤに謝っておくよう言ったんですが、色々と時間が掛かってるみたいで…」
「冷たく切り捨てるかと思ったけど、誰かさんの影響かしらね」
「わ、私は別に…」
 赤くなったにせリツコが、
「そ、それより弐号機の…」
「キョウコさんに会ったそうよ。惣流・キョウコ・ツェッペリン、アスカちゃんの本当のお母さんよ」
「シンジさんが!?」
「ええ、彼女には口止めされたと言っていたわ。会っていなかったら、多分シンジも上がっては来られなかったでしょうね」
 上がってこられたからいいが、万一の事があった場合どうなるか、オリジナルより人間的な感情は少々希薄に作られているのだが、そのにせリツコを以てしても心胆寒からしめる想像であった。
 
 
「シンジは弐号機にあるコアの存在を知った。おそらくは、コアからの抽出を要求して来るはずだ。面倒な依頼になりそうだ」
 同時刻、どこかで美しく危険な声がした。
 
 
 
 
 
(続く)

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