第二十七話
「あの娘はどうした?マスター」
「あの娘?」
「信濃アオイだ。いつも側にいただろうが」
「アオイなら今ウェールズにいる。モミジの所だ」
「土御門モミジか?そうか、そういうことか。しかし、今度ばかりはあの娘も、読み違えたようだな」
「多分ね」
ほんの少し苦笑に近い物を、唇の端に浮かべたシンジ。
だが今彼らが口にした、アオイが読み間違えたとは何のことだ?
そしてモミジの名が出ただけで、妖刀に宿ったベリアルが即それを指摘した訳は?
陸奥サツキが、リツコを肩に担いで消えてから数分後。
医務室のドアが再度ノックされた。
「入れ」
短いユリの声から、美しさは消えていない。聞く者をうっとりとさせ、夢幻の世界へ誘いそうな声は少しも変わらない。
だが何かが違う。アオイやシンジなら、それを何と指摘するだろうか。
他の者はこう言うかもしれない−少し冷たく聞こえる、と。
そのユリの声と同時に、再度ドアが開いた。
失礼します、とも言わずに入ってきたのはリツコであった。しかも驚くべき事に、苦もなくデスクまで歩み寄ったではないか。
無論ユリがそれで顔色を変える筈も無い。
リツコに冷たい視線を向けると一言、
「脱げ」
と命じた。
リツコは軽く頷くと、白衣に手を掛けた。その指が白衣に触れた瞬間、それはぱさりと床に落ちた。普段から顔色は変えないリツコだが、脱げと言われた時も、そして今も顔色に全く変化は無い。
さっき出て行った時とは違い、白衣の下はキャミソールであった。下着にも似たようなそれは胸元が大胆にカットされており、深い胸の谷間がその顔を覗かせている。
リツコはそれも滑り落とした。いや、少し違う。リツコの爪が触れた途端、その肩紐はきれいに切断されたのだ。まず左側が、そして右側も。次いでリツコはその爪をインナーの両側に当てた。そして肩から一気に切り下ろすと、それに伴って布地も切断されていく。リツコがキャミソールを落とした時、それは二つに分断されていたのだ。
リツコはブラを着けていなかった。現れた乳房を隠すでもなく、リツコはタイトスカートも脱ぎ捨てた。白のタイトスカートの下は濃紺のパンスト。
だが薄地に作ってあるのか、際どいデザインのパンティが上から透けて見えている。
パンストにリツコの手が掛かった時、ユリは止めた。
「それは自分の手で破るのが趣味らしい。お前が脱いではならぬ」
奇怪な言葉にリツコは頷いた。
続けろ、と言うようにユリが視線を送った。それを受けて再度、リツコは脱衣を開始した。
パンストの下は黒のTバック。デザインとは言え、あちこちから肌が覗いており、妖しげな事この上ない。
「自分で選んだか?」
ユリの言葉に、リツコは丁重に一礼した。
そして一糸もまとわぬ全裸になると、直立不動の姿勢で立った。その時になって初めて、ユリの視線が動いた。
黒髪を染めた金髪から左眼の下にある泣き黒子、妖しく濡れ光る唇からきれいに流れる鎖骨のラインを、そしてどんな男も永劫の虜に出来そうな乳房も、下腹部を広く黒々と覆う淫毛も、そしてむっちりとした太ももから指の先まで、眺めると言うより貫くように、ユリの視線が這った。
きれいな女体に向けられる視線としては悪くない。但し、それはあくまで視線の動かし方だけである。
凄絶な美貌の主に、まるで研究材料のような視線で貫かれれば、その辺の女など首を吊りたくなるだろう。
「ここへ」
と、ユリが自分のすぐ横を指して言った。
リツコがそこへ立つと、ユリは座ったままその顎に手を掛けた。
ふむ、と作品を吟味する匠のような口調で言うと、その目がすっと細くなった。
「黒子を後から植え付けたのは失敗だったか」
「恐れ入ります」
「右に100分の1ミリずれている。それと右乳首の下に傷が無い。加えて眉の角度さえも下向きに」
ふと言いかけたが、面倒になったのか筆立てから筆をとると、引出しから羊皮紙を取り出してなにやら記し始めた。
「体の造作から仕種まで。改良するべき個所はすべて記してある。108箇所の修正は、シンジが逃避行から戻るまでに終えるよう、サツキに伝えろ」
「すべて仰せの通りに」
全裸のまま恭しく頭を下げたリツコが、出て行くのを見送ってからユリは呟いた。
「まがい物とは言え私の友人には遠く及ばぬ。あれでは葛城ミサトとさして変わらんな。さてどうした物か」
わずかに首をかしげた時、ぞっとするような妖艶さと…かすかな、そうほんの微かではあったが少女のようなそれとが顔を見せた。
「前はいなかった筈だが?」
シンジは階段の途中に、琴を抱えこちらを見下ろして座っている老人を見つけた。
前に見た三国志に出てくる人物が着ていそうな服だ。髪型もその辺の物のような気がする。
手には竪琴を持っているが、宮廷詩人か吟遊詩人にも見えない。
「ろくなモンじゃないな」
呟いてはみたものの、わざわざ吹っかける事もない。
幸い階段は狭くない、横に避けて通ろうとした。
がしかし。
避けられない。
「ん?」
失礼します、と左側に行こうとすると瞬時にそっちに来て邪魔をする。
かと言ってその全身からは、微塵も殺気は感じられないのだ。単に通せんぼがしたいだけらしい。
妖刀を叩きつければあっさり片付きそうだが、殺意の無い相手を斬る事は余りしたくない−例えそれがほぼ間違いなく人形であったとしても。
何よりも特別展望台にて待っているか、或いはどこぞでシンジを見張っているに違いない娘は、ここの無機人形達に偽りとは言え、命を吹き込んだのだ。それにこの後の事を考えると、無用な力は使いたくないと言うのがシンジの本音でもある。
服装を見れば唐代の辺りだろうか。
歴史マニアが見ればこう言うかもしれない−これは安禄山だ、と。
しかし楊貴妃の養子となり、一代の英傑たらんとした怪爺がなぜこんな所にいる?
「斬っていくか」
シンジが呟いた時、
「待て、マスター」
ベリアルが止めた。
「ん?」
「たまには演奏会も良かろう。教養の一環だ」
「レイは吸血精を入れられてるぞ、時間が無い」
「あの小娘一人ならな」
「大悪魔ともなると教養も必須科目らしいな」
「その通りだ」
「最近の悪魔は進歩したな」
ぼやいてみたが、シンジにもベリアルの言葉が指している事は判っている。此処は素直に刀に従う事にした。
「お願いできますか」
老人の前に立つと、軽く頭を下げる。すると能面のようだった老人の顔が、ふっと緩んだのだ。言葉は通じなくても、表情と仕種で意思は通じたらしい。いつの世でも、笑顔での敬礼は万国共通なのだ。
安禄山の姿をした老人は、ゆっくりと竪琴をかき鳴らし始めた。
だが始まってすぐ、シンジは顔を少ししかめた。老人の奏でる音曲からは、絶望と怒り、悲しみと嘆き、そして…死の調が伝わってきたのである。後悔したような表情になったシンジだが、妖刀に刻まれた黒山羊の紋章−ベリアルを見たならば驚愕したかもしれない。
大悪魔と言われるベリアル。一少年の木刀に喚び出されて刻まれてはいるが、その名声と実力とは少しでも霊に興味があるものならば、知らないものはいない。
そのベリアルは今−にっと嗤っていたのである。低い音が紡ぎ出す負の感情が、溢れるほど詰まったそれに大悪魔は何を感じ取ったのか。
「マスターよ」
弧奏を中止させようかと、無粋な事を考えているシンジをベリアルが呼んだ。
「ん?」
「この者の奏でるもの、判るか?」
「鎮魂歌(レクイエム)みたいな感じだな」
「天上の組曲だ」
「何だって?」
「天上での戦、堕天使達の追放劇。神話の世界を知らぬ訳ではないだろう」
神が自らと等しく創った子達である天使。
だがそれは等しきものである神と、自分たちの立場を入れ替えようとの野望をも生み出した。
それが引き起こしたのは、天上界すべてを巻き込んだ大戦争であり、幾多の堕天使達が地に投げ落とされたと言う。
無論彼らがされるがままの筈も無く、人類を自らの手下にせんと日夜暗躍中だというのだがさて。
「なんでそんなの弾いてるのさ?」
「中世コンスタンチノープルの宮廷で、ふらりと流れ着いた旅の詩人が、天啓を受けて或る日、突然編み出したと聞いた事がある」
天上界を叙事詩にした物が、数百年あまり前の東欧の宮廷に、突如降り立ったとしても不思議は無いが、
「有名か?」
「最初に閃かれたそれは、唯一神を非とする響きが強すぎて、どこぞの天使が封じたらしい。今の人間にそれを知る者はおらぬ」
「で、今聞いてるのは?」
「最初のものだ」
言われてみると何となく神を非とする響きが…するわけも無く、
「鬱陶しいから終わらせていい?」
「いいや」
「度量狭いぞ」
「芸術は愉しむものだ」
事もあろうに悪魔に教えられたシンジは、やれやれとため息をついた。
とは言え元々悪魔は天使の一端であり、人間などよりは遥かに上である以上さして間違ってはいないかもしれない。
現にかの有名なソロモン王も、七十二の悪魔を使い魔として使役していたと言われるのだ。
ぶつぶつ言いたげな感はありながらも、シンジは悪魔の言う通りに黙って老人の曲に耳を傾けた。インド神話に出てくるパールバティが、琴を上手に爪弾くとか言われているが、あいにくシンジはそっちは知らない。
ただ知らぬ中にも上手だ、とは感じさせる老人の音使いであり、そして指使いであった。
追い落とされた悪魔の憤怒か、あるいはわが分身同様の者達を終には逐わざるを得なかった神の心か、トーンがわずかに高くなり、物悲しげな調になると曲は終わりを告げた。
最後にひときわ高くなった音は、誰の心を表していたものか。
「あ、やっと終わった」
うーんと伸びをすると、シンジは立ち上がった。
「お上手でした」
心があるかは怪しいが、一応誉めてからシンジは老人の横を抜けようとした。
「ん?」
ぬう、と老人の手が伸びてきた。差し出された手のひらを見て、シンジはその意味を悟った。
「拝聴料ね、失礼しました」
ピアノの演奏会で、S席を取れば大体五万円前後である。シンジは財布から札を二十枚枚取り出すと、老人に手渡した。
がしかし。
老人はそれを取ると、一瞥だけしてぽいと放り出した。その表情に微塵も変化は見られない、どうやら金額が少なかったらしい。
それならばと、財布に入っていた札をまとめて取り出した。百万近くあるそれを、数えもせずに老人に渡す−結果は同じ。
「金額ではあるまい、マスター」
「三拝でもしてから渡すのか?」
「いや、価値の違いだろう」
言われてシンジは、放り出された紙幣にちらりと目を向けた。
「古銭持ってる…訳ないよね」
「無論だ」
「無聊を癒すために送る、訳はないな…あいつめ」
「痴話喧嘩なら他でやってもらおう」
「うるさいぞ、悪魔」
言いざまにシンジは地を蹴った。
通さぬならば押し通るまでと、大上段に振りかぶった妖刀が、唸りを立てて老人を襲った次の瞬間。
弾かれた妖刀を、シンジは黙って見つめた。硬い物に当たって弾かれたのではない、受け流されたのだ。シンジは当たった瞬間、妖刀がずるりと滑った感触を感じていた。
単に捌かれただけなら、シンジは驚きもしなかったろう。
だがそれは油でも塗ったような感触だったのだ。楽器などさして知らないシンジだが、弦に油を塗るなどと言う話は知らない。
とすれば答えは一つ。
「弦に何が塗ってあるんだ」
「甘いな」
「何?」
「ぶつかった時に蜜のような味がしたぞ。恐らくは蜂達のそれをベースにして、何かが加えてあるはずだ」
「心当たりはあるけどとりあえず」
シンジが妖刀を振った瞬間、その先端は見る見る細くなっていき、触れただけで鮮血が吹き上げそうな鋭さを見せた。
見た目は日本刀とさして変わらなくなったそれを、シンジは青眼に構えた。その目が射抜く先は見た目は普通と変わらない竪琴の弦。一体シンジは何を見ているのか。
と、彫像と化したかと思われた老人の手が、ひょいと動いた。皺だらけの指が弦に触れた途端、それは本体を離れてシンジを襲った。弦の長さが数倍に伸びたのも異様であったが、更に奇妙なのは、シンジがそれを避けた瞬間手すりに巻きついたそれは、鉄製の手すりを分断していたのだ。
無論木製などではなく鋼鉄製であり、従来よりも安全面を考えて強度はかなり上げてある。それをあっさり断つなど、シンジの知る範囲ではユリの夭糸位の物だ。
「兵器と楽器兼用か、便利だな」
「どうする?マスター」
「どうしよう?」
その割に、シンジの目は笑っていない。強敵を追う猟犬のような気が、シンジから漂いだしている。
ふぉっふぉっ、と老人が黄色い歯を剥き出して笑った。我腕いまだ衰えず、と笑ったのかそれとも。
しかも今まで枯れた植物のようだった顔色が、老骨ながら未だ意気衰えぬ老人のようなそれに代わったのだ。
手すりを断った弦が引き戻され、“元のさや”に納まると今度は別の弦が襲った。先の物と変わらぬ形状ながら、それは少し変わった襲撃を見せた。シンジの足元を一直線に狙ったのである。しかもそれは何故か、シンジ自身を襲おうとはせずその直前で止まったのだ。
「ん?」
その先端を?マークの目で見たシンジだが、そこから青い液体が出てくるのを見た瞬間後ろへ飛んでいた。そして秒と置かず、そこから流れた液体は小さな水溜りとなるや否や、白煙を吹き上げたのである。
どうやら二番手は酸らしかった。
「弦が全部違った触手になるらしいね」
呟いたシンジに、
「見えたか?」
「大丈夫」
頷いた瞬間シンジは地を蹴った。数段を一気に蹴ると、妖爺に迫る。妖爺がにっと笑って弦が迎撃に出る直前、シンジは妖刀を逆手に持ち替えた。そしてそれがシンジを襲うその刹那、針のように尖った先端が弦を刺し貫く。
斬れないなら突けばいい。一々言わずとも伝わる相棒関係であり、そしてそれを制御しうるだけのシンジの莫大な魔力であった。
その辺の妖魔の類なら、召喚した後力で押さえ込めばいい。
だがそれは所詮それだけの関係であり、意思の疎通には程遠い関係である。中級以上の、しかも意思が無言で繋がるだけの関係には、力技は不要なのだ。第一、ベリアルのような上級魔を実体化させ、しかも従わせるなど人の出来る範囲ではない。
魔は今もなお、人智を遥かに超えているのだ。
妖刀が弦を貫いた瞬間、それは耳を覆いたくなるような悲鳴をあげた。
誰でも、数週間はうなされそうなその断末魔を聞いて、にやりと嗤っていた妖爺の顔色が変わる。
貫かれて伸縮性を喪ったのか、その手から竪琴は離れて宙に舞った。そしてシンジの手の一振りでそれは階段の下に叩きつけられると、それさえも命があった物か、みるみる溶け出したのである。
妖刀の一撃で上がった苦痛の叫びは、間違いなく竪琴の発した物であり、それは宙を舞った時ひときわ大きくなった。それが溶けていくにつれて徐々に小さくなり、終には完全に消え去った。
危険な竪琴の消滅を確認したシンジは、土気色の顔色で震えている老人を見た。
その老人の目にあるのは−呪詛と嘆き。
楽器の範疇にとどまらぬそれは、老人に取って我が子のような物だったのか、皺だらけの目じりを幾粒もの涙が零れ落ちている。
「Spare me my life…」
老人は確かにそう言った。
だがシンジはそれを何と取ったのか、
「判りました」
優しく告げると、右手を無造作に一閃させた。宙高く舞い上がった首は、天井にぶつかって落下し階下まで落ちて行く。首を喪った胴体から吹き上げる鮮血を、シンジは一歩引いて避けた。
竪琴が溶けた痕にそれが落ちるのを見て、
「いつまでもお幸せに」
シンジは感情の無い声で告げた。
「助けて、と言っていなかったか?マスター」
「楽にしてくれ、と言ったのさ」
「…そうかも知れんな」
さして苦も無く老人を片付けたシンジ達だったが実は知らない。弦の一点を見抜いてそこを貫けなければ、逆に弦に貫かれていたことを。
溶解を始め締め付け、切断・幻惑など数十にも及ぶ地獄が待っていたことを。
そして,その老人はついしばらく前までは、エジプトに置かれていたことを。
しかもスフィンクスの中にいて、遺跡荒らしにやってくる不届き者達を処分する役目をしていた、などとは。
階段を上ったシンジの前に、ゲームセンターがある。かつてと変わらないそれが。
無人の筈ながら機械は普通に作動し、照明も煌々と辺りを照らしている。しかも、異常なことにレーシングマシーンは実際に作動しており、まるで人が乗っているかのようにハンドルは左右に動いているではないか。
「活気があるねえ」
どこか嬉しそうに言うと、シンジは中を見て回った。
シューティングゲームも野球ゲームも、以前来た時のままであった。
ただ一カ所を除いては。
「ロン!」
甘ったるい声とともにやーん、と声があがる。
脱衣の法則に反して、何故か全裸にブラジャーだけになっていた娘から、最後の一枚が取り払われ、生まれたままの姿になった。ただ、何かの配慮なのか顔だけは写されていないが、後は完全な実写である。
荒々しく髪が掴まれ、四つんばいにさせられると脂の乗った尻がこっちを向く。
いやいや、と全く拒否が感じられない声で拒みながらも、女は素直に四つん這いになるとこちらへ尻を向けた。何のモザイクも無い、映倫が吹っ飛んできそうな秘所が大写しになる。既にたっぷりと塗れているそこへ、何の前戯も無くいきなり太い男根が進入した。
「は…あぁっ!」
根元まで突き入れられて、女は悲鳴とも嬌声とも付かぬ声を上げた。
奥で突き当たる感触を愉しんでから、数秒後に男はゆっくりと出し入れを開始した。
だがずるりと動かした瞬間、呻いたのは男の方であった。どうやら女のそこがぐいと締め付けたらしい。
それでも男の矜持に関わるのか、女の白い尻を掴んで腰を打ち付けていく。その度に喘ぐような声は二つ上がり、そしてそれは心なしか男の方が強いように聞こえた。
機械の音に混じって淫靡な喘ぎ声と、腰を打ちつける音が響き渡る。
しかしながら、どこか闘いにも見えるそれはあっさりと終焉を迎えた。数十秒もしないうちに、男が果てたのである。
膣内にたっぷりと出させられた後、ぬぷりと音がして、萎えた男根が引き抜かれた。
膣(なか)に出した、のではなく出させられたと言った方が正解だったろう。
女のそこがどれほどの快楽をもたらしたのか、放心したような顔で座り込んでいる男を見て、女は侮蔑の表情を隠さなかった。
「役立たず」
男にとっては最大の侮辱となる言葉を浴びせると、濃厚な白い液の垂れているそこを隠そうともせずにこちらを向いた。
シンジと女の目が合う。
普通に言えば美人の範疇に入るだろう。妙に時間をかけたような化粧と、男の精を美に変えたような熟れた肉体。それに加えて、つい手を出さずにはいられないような、淫蕩な乳房が、そして淫らさを振りまいている秘所が男を引き寄せているのだろう。
「来たのは役立たずばかり。可愛い人、あなたも試してみる?」
濡れたような声は、それだけで男根を含まれたような感じにさせる。
普通の男ならば、それだけでふらふらと近づきかねまい−そう、普通ならば。
「僕を引っ張ってくれる?」
少し溶けたような声に、女はにんまりと笑った。
次の瞬間、画面からにゅっと伸びてきたのは、艶めかしい事この上ない、真っ白な腕であった。
「麻雀に勝っていけばいいのかな」
腕には触れようとせずにシンジが言った。
「そうよぉ…最後の賞品は私のか・ら・だ」
区切られた一語一語は、それだけで淫靡な気を振りまいており、女はその効果を確信したかのように妖しく笑う。
だが。
「倫理審査大丈夫か?」
場違いな事シンジの台詞に、女の顔色が変わった。
まさかこの坊やには効いていないのか!?
そしてその顔色が蒼くなったのは、
「あれでは満足できまい」
と言う、妖刀が放った言葉を聞いた時であった。
「ま、まさか…」
蒼白となった妖艶な女に、
「奇遇だな、サッキュバス。こんな所で出稼ぎか?」
「う、嘘…嘘よっ」
くるくる変わる女の顔色を、愉しげに見ていたシンジが聞いた。
「あれ、お前の知り合いか?」
「サッキュバスの眷属だ。こんな所で男漁り、それも人間の男を喰っているとは思わなかったがな。見ろ」
言われてシンジの視線が、画面の奥を捉えた。
そこにあったのは人骨の山であった。何故かどれもきれいな骨になっており、腐敗した物は無かったのだが、シンジはそれが男女混合であると見抜いた。
「あのさ」
「どうした、マスター」
「確かインキュバスは女の、サッキュバスは男の精を吸うんだろ?」
「で?」
「あいつ、両刀使いかい?」
それを聞いた妖刀が笑った。
はは、と乾いた声で嗤うと、
「節操がないのだ」
といった。
なるほど、とシンジが納得したとき歯噛みする音がした。無論蚊帳の外に置かれたサッキュバスの物であり、プライドを粉砕された女の物である。
「さっさと殺しなさいよ、坊や。いつまで私にこんな格好をさせておくつもり」
「誰も醜い裸なんか興味はないよ。少し整形した方がいいね。特にその、醜いおっぱいの方」
シンジが言い終わらなかったのは、気取ったからではない。女の腕が伸びてシンジを襲ったのだ。
だがシンジの手にある物を思い出し、凝固した女に向かってベリアルが言った。
「マスターへの手出し、してみるがいい。私は止めぬ」
唖然とした表情になった女へ、ベリアルは更に続けた。
「お前をどう料理するかはマスターの腕次第。或いは、逆に喰ってみるか?マイマスターを」
驚愕のあまり、無表情になったかに見えた女の表情が、ゆっくりと変わっていったのは数秒後の事であった。
「二言はないわね」
「…私にか」
それを聞いた時、女の顔から表情が喪われた−女は気付いたのだ、誰に向かって疑問を投げたのかを。
「いいじゃない、この際だし」
ぽんぽん、と気安げに黒山羊の紋章を叩いたのはシンジであった。
ソロモンの七十二霊の筆頭に位置すると言われ、ルシファーに続いて創られたとされる大悪魔に、何の恐れも見せぬ少年である。
そして、
「それも良かろう」
悪魔にため口を納得させる、唯一の少年と言えるかもしれない。
二人の会話を聞いていた女の顔に、血の気が戻ってきた。
女は悟ったのだ−どうやら、大悪魔抜きで闘(や)れるらしいと。
さっきは通じなかったがなに、どうせベリアルに守られていたに違いない。こんな坊や如きあたしの躰で虜にしてやるわ。
数十とも数百とも知れぬ人骨は、いずれも女の毒牙に掛かった物である。
脱衣麻雀は本来、負けた方が脱いでいく物だ。
だがここに限っては。
女が勝った場合、こちらも着衣を一枚一枚脱がされていく。しかし衆人環視の中では耐えられぬ行為も、画面の中に誘(いざな)われてしまえば後は二人きり。
しかも自分が勝てば女を好きに出来、もし負けたとしても、その後は女に食われる運命が待っているのだ。
それも並々ならぬ、いやこの世のものとは思えぬ法楽が待っているとあって、その罠に嵌る者は後を絶たなかった。
最初のうちは精気を吸い取った後、帰していたのだろう。恐らくは土御門の管理を潜って悪徳業者が仕入れた物だ。或いは土御門の宗本家でも黙認していた部分があったのかもしれない−何のためにかは不明だが。
だが、土御門の統制が狂ってしまえば事情は一変する。そこらの風俗など及びもつかない快楽が得られるそれは、地獄の一丁目への出発点と化したのだ。
精気を吸い取られた者達に待つのは、食肉とされる運命のみ。
新たな犠牲者を待つ間の飢え凌ぎか、それとも妖魔の淫戯の一環か。
男も女も次々と、快楽と引き換えにその命を差し出していった。今シンジの前で逆に嬲られた男は、新たな犠牲者でもあったろうか。
「一つ訊きたいんだけど」
女の肢体など目もくれずにシンジが訊いた。妖刀は既に壁に掛けてある。
「何かしら?愛らしい坊や」
サッキュバスが坊やと言った時、黒山羊の−ベリアルの口元が僅かに笑ったことを、無論女は知らない。シンジは無表情のままである。
「さっきの中出しさせられた男は、いつ来たの?」
「子供がそんな言葉を使うものではなくてよ」
妖魔は白い歯を見せて笑った。男たちの精液を塗りこんで白くした、そんな感じの歯であった。
「早熟なんだ」
そう言いながら、シンジの目が自分の下腹部を見ているのに気付き、女はにっと笑った。
ふん、所詮悪魔に守られてなきゃ初心な坊ちゃんね。何でベリアルなんか宿刀に出来たのか知らないけれど、すぐにあたしの性奴にしてやるわ。
少年の視線を受けながら、女は僅かに腰を振った。視線だけで濡れるのか、既に淫毛はぴたりと性器に張り付いている。
「あの男は四ヶ月前に、塔に入り込もうとしたのよ」
「此処へ?」
「そう、外の網に引っかかって黒焦げになる所を、大鴉に拾って来させたのよ」
「だけど、女のそこなんか二日も見てれば飽きるはずだけど?まして同じ女の物なんかは」
「随分と見慣れたような口調ね、坊や」
「写真だけですが」
女はそれを聞くとからからと笑った。
「じゃあ、実物をたっぷりと御覧なさいな。そうそう、その前に教えてあげるわ。男でも女でもね、どんなに果ててもあたしがキスマーク一つ付ければ、すぐにそのことは忘れるのよ。だからいつでも新鮮にやりまくれるって訳」
「じゃ干からびてるのは?」
「あたしが飽きたからよ」
「はあ」
「どんな立派な男の物でも、男根なんか同じ物は一ヶ月もしないで飽きるわ−どんなに改造してもね」
どういう改造なんだか、と呟いてからふと気付いたように、
「ん?さっきと言ってる事違うんじゃないか」
「何かしら?」
「たった今、僕には女は飽きない物って言ってなかったか」
妖魔はふふ、と笑った。
「それはね」
と熱い吐息をシンジに吹きかける。
「人間の男を喰う為だけに、あそこが作られた女の場合は別なのよ。例えば」
「あなたか?」
何故かシンジはお前とは言わなかった。それを征服第一歩の証と見たか、
「そう、わ・た・し」
ねっとりと白い腕をシンジの首に巻きつけ、女は顔を近づけた。
「きれいな髪ね」
少しだけ羨望の混じった口調で言うと、女は目を閉じた。
ぽってりとした唇から、紅い舌を覗かせて女は唇を近づける。
「それはどうも」
シンジが言った直後、絶叫が響き渡った。
「が、がああああっ」
シンジの右手は女の咥内に入り込み、舌を引き千切っていたのだ。
鮮血に塗れたそれを、シンジは汚らわしげにほうり捨てた。
びしゃっ、と言う音とともに地に落ちたそれを見ようともせずに、
「男の物を咥え、女のあそこまで散々舐めてきた舌…いやだいやだ。両刀使いって最悪だね」
さも嫌そうな台詞であったが、シンジの声はむしろ穏やかであった。
「よ、よくも…」
舌がないおかげで、はっきりとした発声にはならないはずだが、女の言葉は憎悪が補うのか明確な言葉となっていた。
だがその直後。
ぼきり、と音と共に再度悲鳴が上がる。いや、悲鳴などで済むはずはないのだが、もはや絶叫も出来ないらしい。
シンジの手が瞬時に女の裸の腕を捉え、逆向きに捻じ曲げて一気にへし折ったのだ。
「生身の妖魔と遊ぶのは久しぶりだけど、全裸の妖魔は初めてだね」
二つに折れたはずの腕が、瞬時に再生してもシンジの顔色は変わらない。
「エヴァ発見」
どこか愉しそうに言ったその脳裏には、何が浮かんでいるのだろうか。
以前初号機は、折れた腕が瞬時に復元されて使徒を撃退した。
殲滅と言うに相応しい有様と変えて。
女妖魔は初号機よろしく、瞬時に腕を再生させるとシンジの首に手を伸ばした。
「面白い真似、してくれるわね」
だがその腕がシンジの首に触れることはなかった。触れる寸前、垂直に上がったシンジの足が、その腕の付け根を蹴り飛ばしたのである。
「二回目」
シンジが歌うように言うのと、女の口から苦痛の声が上がるのとが同時であった。その腕は再度垂れ下がったのである。
「舌は再生できないようだな。では一つ教えてあげるね」
レイに囁いてみせる時のような声。だがそれが次に起こす行動は。
シンジは軽く右手を握ると、それに力を入れた。
「綺麗な身体だね」
レイが頬を染めるのと同じ響きの声。そしてシンジは左手で裸の女妖魔を抱き寄せたのである。
口元から鮮血を流している全裸の美女と、右手をだらりと垂れ下がらせている少年。
二人の間に熱い抱擁があったとしても、誰も驚愕はするまい。
しかし次の瞬間。
シンジは左手で女を抱き寄せると、重たげに右手を上げた。
そして。
奇妙な音がした。
母親の胎内から赤子を取りだす時、こんな音がするのだろうか?
シンジの右手は、女の身体を貫いていたのである。
「僕は五秒しか出来ないんだ」
シンジは相変わらず甘い声で囁いた。
「な…に…」
未だ事態を把握できていない女妖魔に向かって、
「身体を再生できる妖魔を討つには、白木の杭で心臓を貫くか、或いは首を落とすのみ。でもあれ無しじゃ首は落とせないし」
ちらりと妖刀に視線を向けると、
「だから僕に出来るのは貫くだけ。でも僕のレベルじゃまだ、数秒間しか異形化はできないのさ」
みるみる死相が浮かんできた女妖魔から、シンジはすっと手を引き抜いた。
一滴の血も付いていないそれを確認すると、崩れ落ちようとする女の顔を垂直に蹴り上げた。
骨の砕ける嫌な音と共に、サッキュバスはあっけなく吹っ飛び、ゲーム台に頭から激突した。
腹部にぽっかりと穴の開いた、無残な姿と化したそれを見ながらシンジは言った。
「犯されてあげても良かった。女妖魔の腕前を見るのは勉強になるからね」
それが冗談でないと知り、死相の中に驚愕が加わった女妖魔。既にその身体は溶け崩れつつある。
「でも、お前は僕を坊やと言った。口走るべきではなかったな−」
次の瞬間、サッキュバスの目は極限まで見開かれた。
本能が知ったのだ−これは今までの少年ではない、と。
甘い微笑と共に女体を打ち砕く少年。
だがその魔性さえも、今サッキュバスを見下ろしている者には敵うまい。
「下らん事を思い出させたな、女。この俺に」
全身から凄愴な鬼気を吹き上げつつ、シンジは言った。
「お前と似た者、見たことがないではないぞ。平安の京(みやこ)でも、魔都と化した長安でも見た。そして俺はその度にそれを討ってきた。そう、こんな風に」
シンジの足が少し上がった時、妖艶な女妖魔は己の運命を知った。
「……」
その口が僅かに動いた時、サッキュバスは何を思ったのか。
そしてその直後シンジの足が、もはや死人同様と化している女妖魔の、頭を踏みつけると同時にその全身は灰と化していき、数秒後には小さな灰溜まりとなった。
「俺の手で送った」
とシンジは言った。
「冥府に妖魔の居場所があるかは知らぬ。だがもしあるならば−先に逝くがいい。俺もいずれ行く」
シンジは刹那、その灰を見下ろしていたがふと、
「悪魔のくせに人が悪いぞ、ベリアル」
呼んだ声はもう普段のそれに戻っている。
「何のことだマスター?それに、私は人が悪くはないぞ、なにせ悪魔だからな」
その声に、普段のシンジのままであることを厭う響きは、微塵も感じられない。
大悪魔もまた、信濃アオイ同様自分を僕と呼ぶシンジの方を好むのだろうか。
「冗談をこなす悪魔なんて嫌いだ」
「私は自分を僕と呼ぶ、どこぞの碇シンジとかいう少年は気に入っているぞ」
驚くべきことにそこにはどこか、世話の焼ける駄々っ子に向ける口調さえも感じられるではないか。
もっとも−魔と呼ばれる種族にそんな感情があるのかは不明だが。
「行くぞ」
シンジが偉そうに命じた次の瞬間、掛けられていた妖刀は、一瞬にして数メートルを飛び、まるで叩きつけるようにシンジの手に戻っていた
「色仕掛けは通じん。従って使徒、と言うわけらしいな」
「どっちが本物の使徒なんだ?」
「使徒退治はお手の物だろう、マスター」
彼らの奇怪な会話の意味はすぐに知れた。
ゆっくりと、人影が湧いて出たのである。それも一人や二人ではない。三人や四人でもなかった。
そこには、十二の人影があったのである。
「最後の晩餐から抜け出してきたか」
ぽつりと呟いたシンジ。なお、ゲームセンターの隣は蝋人形館となっている。
「しかも黒幕抜きと来ている」
大悪魔の指摘する通り、晩餐の段階では使徒は十二人揃っていた筈だ。
となると主を加えて、総勢十三人いなくてはならない。
にもかかわらず、人数は幾度数えても十二しかなかったのだ。
だが、シンジの選ぶ行動は一つだけ。
「アナザーワールドの使徒退治と行こう」
「了解した」
シンジの言葉に妖刀が応えた次の瞬間、一人と十二人の間を鋭利な殺気が繋いだ。