妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第六十話:キラ〜風の付き人〜(前編)
 
 
 
 
 
「どういう事か説明してもらおうか」
「だ、だからその〜」
 月を眺めていたシンジが、黒髪に月光を浴び、満足してから戻ったところへレコアに出くわした。
「レコアも月光浴を?」
「そんな風流なものじゃないわよ。トイレ行っただけ」
「それはそれは。ところでレコアの部屋ってこっちだっけ?」
「ちょっと艦長の様子を見にね」
「?」
「何事もなければいいんだけど」
 レコアの言葉に、風流を楽しんでいたシンジの表情が変わった。
「レコア」
「さっきバジルール中尉が、思い詰めた顔であっちに行ったのが見えたからね。ちょっと」
「ちょっとで済むか、急ぐぞ」
 二人が見たのは、マリューの上に馬乗りになって手を振り上げているナタルの姿であり、すっと掌を突き出したシンジを制してレコアがナタルの腕を掴んだのだ。
「ほら碇さんに見せた写真あったでしょ。あれのネガを渡せって銃を突きつけられたものだからつい…ね?」
「ね?じゃないっての。それでネガは姉御が肌身離さず持っている、とか言ったのか?」
「う、うん…」
 ナタルとミーアの抱き合わせバイキング風松葉焼きでも作りたくなったシンジだが、
「で…そのネガはどこにある」
「あ、あたしが持ってる…」
 さっさと渡せ、とシンジは言わなかった。ナタルにとっては赤面どころか一生の恥になりかねないそれを、銃を突きつけられてしかもマリューが持っている事にしてまで、渡そうとしなかったのかシンジには何となく分かる気がしたのだ。
 今ミーアをザフトに渡した場合、相手によってはミーアとラクス両方の命が危うくなる、とシンジは判断したからこそミーアを未だに留め置いているのだし、彼女もそれは承知している。
 とは言え、ザフト軍を滅ぼしながら地球軍に、と言うよりナチュラルに冷ややかな視線を向けているのはシンジ一人である。そしてナタルは、ラクスを――実際にはミーアだが――人質にするのを躊躇わなかった。シンジにもしもの事があれば、或いは元の世界へ帰ってしまう事があれば、自分がどうなるか分からないとミーアが考えるのも、ある意味では当然だとシンジにも理解できるからだ。
 シンジの全身からすうっと殺気が消えていき、
「ミーアは部屋へ。レコア」
 レコアに振った。ミーアがこれほど隠そうとするのも、裏を返せばナタルに取ってそれだけ価値がある物と言う事で、ミーアに欺かれて頭に血が上っていたナタルをここで始末するのは、どうしたものかと少々躊躇われたのだ。
(あら、私に振るの?)
 てっきりナタルの腕を落とす位はするかと思っていただけに、レコアは少々意外であった。この辺りはシンジよりも血の気が多いらしい。
「確かにミーアに騙されたとは言え艦長に確かめもせず、それも掴みかかるなど軍人として許されることではあ――」
 そこまでレコアが言った時、
「いいわよ別に。そんな事は気にしなくても」
「か、艦長?」
「ミーア、そのネガとやらを私に渡しなさい」
 いつもと同じ、だが何かが違う声でマリューが命じた。
「は、はい…」
 危険な雰囲気を察したのか、ミーアがすっ飛んでいく。
「それとナタル、別に謝れなんて言わないわよ。勿論問題になんてする気もないわ」
「……」
「でもね」
 次の瞬間甲高い音がして、ナタルの顔が大きく横を向いた。シンジが思わず自分の頬に触れた程である。
「力ずくで来るなら正面から来なさい、寝込みを襲うなんて卑怯な真似するんじゃないわよ!」
「姉御、その辺で」
 さすがにシンジが止めた。無論言っている事は間違いないのだが、自分の愛液に足を取られて尻餅をつき、寝ているナタルの前で大きな声を上げてしまって眠りから起こしたのはつい先日の事である。不法侵入はシンジの仕業だが、目隠しを取られたマリューはそこで後ろから突かれる事を選んだのだ。
「シンジ君がそう言うなら…」
 一旦矛を収めたマリューだが、レコアは無論マリューまでも、シンジがなぜ制したのか分かっては居なかった。
「返して欲しいならいつでも来なさい。気が済むまで相手してあげるから。但し、早くしないと中の写真が艦内の廊下へ一斉に張り出される事になるわよ」
 なるかもよ、ではなく。
 なるわよ、とマリューは言った。
(マリューってちょっと怖い人かも…)
 そんな事を考えているシンジに一瞥を向け、ナタルを促してレコアが出て行く。
「あ、あのマリュー様ごめんなさい…」
 二人が出て行った後、ミーアが戻ってきた。差し出されたネガにマリューは射抜くような視線を向けていたが、ふっとその表情が緩んだ。
「今回は許してあげるわ。この間のお礼もあるしね」
「マリュー様…」
 ちょん、とミーアの額を指でつつき、
「でも、やっぱりミーアさんって黒いわよね」
「あの、私が?」
「乳首がな」
「乳首っ!?」
「だ、誰もそんな事言ってないでしょ。もー、シンジ君余計な茶々入れないで」
「ごめん」
 二人が拍子抜けした位、シンジはあっさりと謝った。
「そう言えばミーアが黒いのは乳首じゃなくてま…うぐっ!?」
 パチーン、と音がする位の勢いで、二人の手がシンジの口元にヒットした。
「…痛い」
 口元をおさえながら、
「二人とも冗談通じないんだから」
「『冗談になってません!』」
「はいはい、分かったよもう」
「ところで碇様」
「あ?」
「今日はこのままマリュー様のお部屋へお泊まりに?」
「!?」
「……」
 かーっと赤くなったのは、無論マリュー一人である。
「おやすみなさい、マリュー様」
 ふふっと、満足げに微笑ったミーアがてくてくと歩いていく。その後ろ姿はどう見ても、深夜の大騒動を起こした張本人のものではない。
「やっぱり黒い奴だ…痛?」
 むぎゅ!
 見ると、マリューが後ろからつねっている。
「なーんか見た人の感想みたいだったけど」
「見たけど?」
 シンジはあっさりと否定した。誤魔化すどころか婉曲な物言いすらしない。
「!そ、そう…」
「ついでにラクス・クラインも」
「!?」
 シンジの尻から力なく手を離したマリューに、
「ヤマトかステラにその時の話を聞いてみたら?」
「シ、シンジ君あなた…」
 この男はまさか…四人の少女達を同時に相手にしたというのか!?
「ま、ラクスはともかくミーアが可哀想だし、俺からは言わないけど」
(?)
 マリューは内心で首を傾げた。一瞬奈落に墜とされたような気分になったが、よく考えたらあの二人が、シンジに抱かれた時の事を仔細に告げるはずもないのだ。
(何だったのかしら?)
「内緒だと言うに」
「…私の心読んだでしょ」
「読んでない。顔に書いてる」
 マリューの頬をぷにっとつついてから、
「…痛む?」
「大丈夫。それに、彼女とは決着をつける頃だったのよ。良い機会だわ」
「そう。さて、寝直すか」
「ええ」
 シンジの後について部屋に引き返しながら、
「あ、あのシンジ君」
「ん?」
「ちょ、ちょっと叩かれた所がひりひりするかも…」
「分かった。タオル冷やして持ってくるから」
「あのね…も、もっといいものが…」
「?」
「そ、そっとちゅーしてくれたら…す、すぐに治ると思うんだけど…」
 
 アークエンジェル。
 大天使の名を冠し、オーブ経由アラスカ行きで現在は砂漠に停滞中。擁するMSは二機ながら、ザフトを全く寄せ付けずにここまで来た。
 だが艦長以下は平然と艦内を空けて外出し、夜になれば、艦長は柔らかなキスに甘い吐息を漏らす。
 こんな隙だらけでろくでもない艦に、一矢を報いる事も出来ず討たれていったと知れば、散っていった者達は冥府の門番を前に、血涙を滂沱と流しながら呪詛を口にするに違いない。
 艦を隙だらけにし、そして此処まで傷すらろくに付けさせなかった元凶は無論――狼神が認め、魔の腕を持つ妖艶な女医が想いを告げて憚らぬ青年である。
 その青年はと言うと――。
「じゃ、おやすみ姉御」
 マリューの髪を優しく撫で、うっすらと微笑んでいた。
 
 
 
 翌朝、
「…もう一度」
「だ、だからレセップスがいたんだよ。でもほら、べ、別に危険は…あううっ!!」
 スパン!
 ハリセンの強烈な一撃がカガリを襲い、カガリは思わず頭をおさえてしゃがみ込んだ。
「何故そう言う大事な事をさっさと言わない?うちの二人がかすり傷でも負ったら、お前の命など二十個あっても足りんぞ」
(二十個って事は一人十個?でもあたしの命って安…)
 妙に具体的な数値を示されて衝撃を受けたカガリだが、現状はそれどころではない。シンジのハリセンは殺気すら帯びているのだ。
 とそこへ、
「ん?」
 くいくいとシャツの裾を引っ張られてシンジが振り向いた。
 にまー、と緩みきったその表情にシンジは首を傾げたが、カガリはすぐその理由に気付いた。
「お兄ちゃん、私のステラってゆってみて。ね、いいでしょ?」「駄目、先に私のキラって言ってくれなきゃやだっ」
「…ハン?」
 どうやら二人の脳内では、うちの二人が私の二人に変わり、今度はそれが固有名詞に変化しているらしい。
「『ねえってば〜』」
 両側からごろごろと甘える二人に、
「却下。大体二人も二人だぞ」
「え?」
「茶坊主がそんなろくでもない所に連れて行ったと、何故私に報告しなかった。買い物に行った、としか報告は受けていないぞ」
「『ご、ごめんなさい…』」
「私が一緒ではなく、しかも何の備えもしていないなど不用心にも程がある。一番悪いのは茶坊主だが、二人とも必要な事はきちんと報告する事。いいね」
「『はい…』」
 夕べ、ナタルは直接言わなかったが結果的にばれてしまい、シンジと一緒に買い物に行く計画は潰えてしまった。朝からテンションの低い二人だったが、シンジの言葉を物陰で聞き、幸せ回路が発動して都合良く変換してくれた。
 緩んだ表情はそのせいである。
「まあいい、今後は気をつけて。ところで、前回で地理は大体覚えたか?」
「地理ってバナディーヤの?」
「ん」
「それはまだ…」
 はーあ、とシンジはため息をついて、
「じゃ、また茶坊主と一緒に行くのか?地雷原を二人で行かせた方が気が楽だな」
「ちょっ、ちょっと待てよ何だよその言い方!だったら自分が一緒に行けばいいだろっ」
 とうとうカガリが反旗を翻し、二人が勢いよくうんうんと頷く。
「それは却下」
「『むー』」
「そもそも、私が地理に詳しい訳ではない。口を開けば到底一国の姫とは思えぬような厄介者にしかならぬ茶坊主と、なぜ同道せねばならんのだ」
「悪かったな…厄介者で」
「自覚しているが直す気はない、とそう言う事か。オーブの国民もつくづく不運な事だ」
「お兄ちゃん…」
 さすがにステラが、そっとシンジの袖を引いた。
 言い過ぎだと思ったのだが、
「二人ともオーブ国民だろう。これが次期国王で良いのか?」
「『……』」
 MSを中心とした防衛策にさえ、カガリが反発していると分かっている今、大丈夫と胸を叩いて頷く事はさすがの二人にも出来なかった。へリオポリスからここまで、MSが無かったらどうなっていたかは、二人が一番分かっている事だ。
「な…なんだよもうっ!!」
 目をぐいと拭ったカガリが走り出し、
「カガリ様」
 ステラがその後を追う。ウズミはガイアとステラを手放したが、無論シンジにそんな気はないし、ステラに取ってカガリは一応最上位上官の血族なのだ。
「シンジさん…」
「ん?」
「いえ…」
 シンジは元々MSなど無い世界から来た。しかし、地上ではいざ知らず宇宙に於いてはMS無しで生き残る事など出来なかったと、身を以て知っている。それだけにカガリの甘さは許せないのかなと、キラは何も言えなかった。
「ところでヤマトに渡しておく物がある」
「私に…んむ!?んっ…んぅ…んむ……くちゅ…んふぅ…」
 いきなり唇を重ねられ、一瞬身体を強張らせたキラだが、すぐにシンジの舌を受け入れた。
(シンジさんやっぱりキス上手…)
 離れた二人の唇が透明な糸で繋がれ、それを拭おうともせずにキラは身体を弛緩させてシンジによりかかった。
「シンジさん…嬉しい…」
 舌が触れ合うキスなど、実に久しぶりのような気がする。キラの目尻に浮かんだ小さな涙を指先で拭い、
「他の方法でも良かったが――」
「ふぇ?」
「風の呪い、私からの贈り物だ。ヤマトはステラと違って、白兵戦はあまり慣れていなかったろう」
「え、ええ?」
 普通のキスではないらしいと気付いたが、言われている意味はさっぱり分からない。
「必要な時がくれば分かるさ。気をつけて言っておいで」
「あ…はいっ」
 ぱたぱたと駈けていくキラが、
「シンジさんに…私だけキスしてもらっちゃった…」
 顔を赤くして唇に指先で触れているのだが、無論キラはその意味を知らない。
 それがただの口づけなどではなく――五精使いの贈り物だと言うことを。
 キラの姿が消えてから、シンジはゆっくりと歩き出した。
「さて、姉御を連れてレセップスでも沈めに行くか?どうせ母艦だから急浮上できないだろうし、沈めるだけなら大して苦労は要らん」
 轟沈、でははなく文字通り地に沈めるつもりらしかったが、
「シンジ君」
「ん〜?」
 後ろから聞こえた声に振り向くと、レコアが立っていた。
「私と艦長が街へ行くから、護衛頼まれてくれない?宴会組も、今日は何人か休むみたいだから艦内に人はいるし」
「別に構わないが、荷物持ち?」
「女の荷物を嬉々として持つ性格じゃないでしょ?それ位はちゃんと心得ているわ」
「分かった」
 笑って頷いた背後から、
「イカリの大将…」
 強張った声がした。
「何用だ?」
 シンジは動かない。
 振り向かずとも声の主は分かる。
「昨日は…済まなかった。街の連中には本当の事を言わせる事にした。恩を仇で返して済まなかったな…」
「……」
 だいたいの所は聞いているが、殊に温泉と水に関しては全てシンジの手に依るもので地球軍は、と言うよりアークエンジェルに関係はない。
 だからレコアは黙ってシンジの顔を眺めていた。
「と、言うことだが姉御どうする?」
 ひょっこり出てきたマリューにシンジが訊いた。
「そうね…」
 射抜くような視線を向けられ、サイーブが思わず視線を外す。昨日とは違ってのんびりしている感のあるシンジとは違い、マリューの尖った気は少しも変わっていない。
 が、
「おや、姉御その服似合ってる」
「え、ほんとに?」
「ん」
「そ、そっかなー、で、でもありがと」
 あっさり緩んだ。
「ま、まあそうね、反省していてシンジ君がいいのならそれで…いいんじゃない?」
「ふむ」
(うわ、単純なひと…)
 内心で呆れたレコアだがその一方で、自分の中にマリューを羨む気持ちがある事も分かっていた。レコアは、二人が身体の関係もあると見抜いていたが、艦の命運をほぼ丸投げしているマリューと、それに対して100%以上に応えてきたシンジの関係は、それ以前からである。こんな通常では理解しがたい間柄など、そうそう築けるものではない。
 そんな相手になど、一生に一度出会えるかどうか。
(ちょっと…妬けるわね)
 シンジだから、ではなく…一期一会をあっさりと得たマリューに。
「姉御がああ言っておられる。私の方は昨夜から色々と忙しくてな、私の気も和らいだ。水は好きにするがいい。別に取り返そうなどとは思っていないし、焼け出された者達が安住の地を得るならそれでいい」
「イカリの大将…本当に…いいのか?」
「構わん。ただ一つ言っておく。私が戻ってから断ろうが、戻る前に勝手に決めて後から通告しようが、行動自体にはさして変わりがないかもしれん。だが、義理や信義を踏みにじるやり方は、いずれ必ず自分達に返ってくるぞ」
「よく…叩き込んでおく」
「結構だ。さて姉御行こうか?」
「そうね」
「あ、ちょっと待て」
 歩き出したシンジを、サイーブが慌てて呼び止めた。
「あ?」
「これだけしてもらって、ありがとうよで済ましたら先祖に顔向けができねえ。あんたらの艦では不足してる物もあるだろう。何なりと言ってくれ」
「姉御、今足りないのって何がある?」
「第八艦隊から補給を受けた時、シンジ君がガードしてくれたから積めるだけ積んであるのよね。レコア少尉」
「はっ」
「そっちはどう?足りない物はない?」
「医薬品が少々、後は食料と衣類ですね。戦闘物資は、MS用だけで本艦用は要らないでしょう。ろくに戦闘してませんから」
「そうね」
 ふふ、と笑ったマリューがシンジを見た。
 正直、このまま行ったら対艦、対MS戦のやり方をクルーが忘れるんじゃないかと、マリューが本気で考えた位である。
「でも物資はあなた達の方が遙かに不足している筈でしょ」
「無い中でやって来たのが俺達だ。心配は要らん。それより医薬品と食料にあとは衣類か。買い付けに行くから誰か一緒に来てくれ。こっちが適当に見繕って妙な物を仕入れても困るだろう」
「『……』」
 マリューとレコアは顔を見合わせたが、
「では艦長、私が行きます」
「…いえ、レコアは買い物に行ってきて」
「え?」
「私とシンジ君で行ってくるから」
(良いのかな?)
 シンジに確認することなく、マリューは勝手に言い切ってしまった。ちらっとシンジを見たが、その表情に変化はない。
「了解しました。では艦長、お手数ですがお願い致します」
「ええ」
「じゃあシンジ君、艦長をお願いね」
「ん、レコアも気をつけて」
 レコアの姿が消えてから、
「サイーブ」
「ん?」
「オーブからは、やはり秘かに資金が出ていると見えるな」
「!」
「シンジ君?」
「余程の馬鹿でなければ、街の復興や仲間達の暮らしを優先に考えるだろう。それにこっちが気にしなくていいと言ってるのだから、金は家の建て直しに取っておくのが普通だ。それを惜しげもなくこっちの為に使うというのは、物資はともかく金には余裕のある証拠。妙な話だが茶坊主のバックを考えれば、必然的に答えは出る。サイーブ、違うか?」
「…その通りだ」
 サイーブはあっさりと認めた。
 カガリを匿う、と言うよりカガリに寄生されているような状況で、オーブからは資金援助を受けているのだ。
「ウズミは父親の顔も結構しっかりしていると見える。それに引き換えて娘は」
 やれやれと肩をすくめてから、
「まあいい。それだけではなく、水が出た事である程度財政の目処も付いたのだろう。じゃ姉御、行こうか」
「またあ」
「え?」
「い、いえ何でもないわ。あ…雨が降らないといいわね」
「そうだね」
 少し早足で歩き出したマリューの横に並ぶと、
(マリュー、後でお仕置き)
 と囁いた。
 何を言おうとしたのか位、さっさと見抜いていたのである。
 
 
 
「この間はあまり時間がなかったけど、今日はゆっくりできるね」
「まあな。先回は色々買い物を頼まれてあたし達のは殆ど買えなかったからな。お昼にはおいしい店を案内してやるよ」
「カガリ、朝ご飯抜きだったの?」
「いや?何でそんな事訊くんだ?」
「朝ご飯食べたばかりなのに、もうお昼の話?」
 くすっと笑ったキラに、カガリの顔が赤くなる。
「う、うっさいな!そんな事言うと連れて行ってやらないぞ!あたしが奢るって言ってるんだから黙ってついてこい」
「…ステラ、カガリにそんな事言われたっけ?」
「言われてない」
「キー!!」
 あっさりと否定されて、顔を真っ赤にしたカガリが口惜しげに地団駄を踏む。
 そんな少女達の姿を、離れた場所からある女が見つめていた。
 
 
 
「しかし…驚きましたよ…。私の屋敷が半壊するとはね…いや、ほぼ全壊だ…」
 ソファにふんぞり返ったシンジと、そのシンジに殆どぴったりくっついているマリューの前で、包帯に身を包んでいる禿頭がいた。
 この辺りでは並ぶ者のない資産家で、無論この屋敷も贅の限りを尽くした構えを誇っていたのだが、この男――アル・ジャイリーが唯一にして致命的なミスを犯したのが、今日であった。
 私兵に屋敷を護衛させるのは勝手だが、彼らが見知らぬ訪問者――碇シンジとマリュー・ラミアスに銃を向けたのである。そもそも二人を連れてきたサイーブからして、自分達の主人と良好な仲ではないし、撃つと言うよりあくまでも威嚇兼防衛の為だったが、いきなり五人の身体が腰を境に上下に裂けた。
 突如人間の身体が二つに裂ける、と言う信じがたい光景に、他の者達は一瞬呆気にとられたが、
「やっちゃうの?」
 と、寄り添っている男に訊いた女の言葉を聞き、こいつらが何かしたらしいと気づいた。そして二人に向けて発砲しようとして――悉く身体を縦に裂かれ、或いは劫火にその身を撃ち抜かれていった。
 後ろにいたサイーブは、シンジがその気になれば自分達も同じ命運をたどっていたのかと、背筋に吹き出す汗をおさえる事が出来なかった。
 血臭の漂う、文字通り死屍累々の死体置き場と化した庭園を見回し、シンジは立ち止まった。
「爆汽」
 屋敷の壁を派手に打ち抜き、血相を変えて飛び出して来たジャイリーもついでに吹っ飛ばして、今に至る。
「安普請が原因だろう。文句なら建築業者に言うのだな」
 シンジの言葉に、サイーブがくっくっと笑った。
 このアル・ジャイリーと言う男は、どこで発見したのか知らないが水源をおさえ、水不足の住民達に高く売りつけている。またそれだけには留まらず、金さえもらえば相手を問わず武器・弾薬を売りさばく傍迷惑な存在でもある。
 思想も矜持もないやり方に、サイーブは猛反発して縁を切ったのだが、敵に回すと厄介なので何も出来なかったのだ。
「色々と物資の流通ルートはあるようだが…」
 シンジの視線に、ジャイリーが顔をそらす。
「育毛剤の手配は出来なかったようだな」
「『ぷーっ!?』」
 シンジの言葉に、とうとうマリューまでもが吹き出した。
 だが、
「死の商人なる奴だと聞いたが――」
 シンジの言葉に、笑いは一瞬で止んだ。
「別に商売理念をどうこう言うつもりはない」
(あら?)
「こちらは物が揃えばそれでいい。極安で、手に入るのだそうな?」
「も、勿論でございますとも。それはもう水でもなんでも…」
「水は要らん。既に出た」
「え?」
「私が見当をつけ、テロ集団の連中が掘ったら水が出た、とサイーブに聞かされなかったのか」
「な…何を…ばかな…」
「そうだ、言い忘れていたが水はもう苦労しないんでな、お前の悪徳商売に付き合わされる事も無くなった。残念だな、ジャイリー」
 豪放に笑ったサイーブにジャイリーが唇を噛み、マリューはそっとシンジの手を握った。
 地中深くの水源に、精を呼応させて引き出すやり方があることなど、悪徳商人が知るはずもない。
 
 
 
「カガリ、これ何?」
「ドネルケバブだよ。美味しいぞ」
 キラとステラは、カガリに案内されて街を歩いていた。前回とは違い、買い物よりも散歩をメインに街中を歩いていると、あっという間に時間が経ち、気がつけばお昼になっていた。
 カガリに連れられてある店に来たのだが、出てきた物は明らかに前回とは違っている。
「カガリ、名前じゃなくて物。ケバブってなに?」
「ケバブ知らないのか!?」
「知ってたら訊かないよ。ねー?」「うん」
「…お前らなー…」
 キラとステラが組んで攻撃してくるせいで、どうにもやりづらい。各個撃破が出来ないのだ。
「まあいい。いいか?ケバブってのは焼いた肉と野菜にソースをかけて、このパンと一緒に食べるんだ。いっぱい歩いたし、疲れて腹も減ったろ。お前らも食え…どした?」
「ううん、何でもない」
 首を振ったキラだが、カガリはそこに僅かな違和感を感じ取った。
「何だよ、隠すこと無いだろ。言えったら」
「怒らない?」
「…怒らないよ。約束する」
「あのね…」
 キラはちょっと言いにくそうに、
「いっぱい歩いたから、お腹も空いたでしょ。二人ともいっぱい食べて…」
「?」
「とかって言うと何かまずい?カガリだって女の子なんだから…って言うかオーブのお姫様なんでしょ?」
「あたしは別に、オーブの姫としてここにいる訳じゃない…ん?ちょっと待てキラ!」
「なに?」
「ヘリオポリスであたしの事女って思ってなかっただろ!お前に私のことが言えるか!」
「…胸」
 ぼそっとステラが呟き、初めて意見の合ったカガリとキラがキッと睨む。ステラは素知らぬふりをして視線を外した。
「…まあこんな所で言い合っていたって仕方がない、ほら二人とも食べるぞ。ケバブにはこのチリソースをかけてだな――」
 ケチャップみたいな赤い液体の入った入れ物をカガリが持ち上げたところへ、
「あーら駄目ヨ?ケバブにはヨーグルトソースじゃないと、ネッ?」
「『ハン?』」
 鈴を振るような声が横から割り込み、怪訝な目を向けた三人の前に綺麗な黒髪を揺らした美女が立っていた。
(綺麗な髪…でも碇さんの方が綺麗かも)
 キラの視線に気づいたのか、女はにこっと笑った。
(ねえアンディ、四本脚で猛攻をかけて来たのはどちらかしらねえ?)
 そんな女の呟きに、無論キラは気づかないのだった。
 
 
 
 
 
(第六十話 了)

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