妖華−女神館の住人達外伝
 
 
 
ドクトルシビウの闇カルテ:ツェザーレ
 
 
 
第二十七話:シンジ、存在の一番軽くなった日
 
 
 
 
 
 実際のところ、ヘリオポリスを出てからここまで、敵と呼べる敵には遭ってこなかった。無論クルーゼ隊は厄介な敵だが、それはアークエンジェルから見た場合であって、シンジには直接関係ない。
 その意味で、文字通りの強敵と言えるハマーンのキュベレイを追い込み、どこか満足そうに見えるシンジだったが、その耳に飛び込んだのがナタルの声であった。
 何が起きたのか途中で音声は途切れたが、その言わんとする事が分からぬ程、シンジは間抜けではない。
「人質…ですか」
「『!?』」
 キラが、そしてハマーンまでが反応した。特にキラは、先遣隊全滅を目の当たりにして、少々落ち込みかけていたのだが、そんな感傷も一瞬で吹っ飛んだ。
「キラ・ヤマト嬢」
「は…はいっ」
「戻ります。アークエンジェルへ帰投して下さい」
「わ、分かりました…」
 目の前の敵はどうするのかとか、訊くことも出来ぬシンジの雰囲気であった。機体を反転させようとした時、シンジが通信回路を開いた。
「艦長…今から戻ります。ナタル・バジルールに死化粧をしておいて下さい」
 その内容より口調より、背筋を撫でた何かにキラが戦慄する。シンジと会ってから一度も感じたことのない気が――死の翼が背中を撫でたのである。
(シ、シンジさん…)
 吹っ飛びそうな意識を何とか支えながら、キラは自分と手を重ねている青年が別人と化した事を知った。
 
 
 
 
 
「貴様達の戦闘は見ていた。貴様達はあの脚付きと遊びに行ったのか?ニコルをむざむざと奪われる為に出撃したのか」
 大声をあげる事もなく、無論殴りもしない。
 だが侮蔑を含んだ視線と口調は、イザークとディアッカに取ってそれ以上に堪えるものであった。殴られでもしたほうが、よほど気楽だったろう。
「し、しかし自分達は脚付きなどよりあの…っ」
 その瞬間、ハマーンの視線がイザークを射抜き、イザークの全身は硬直した。
「お前達を足せばアスラン・ザラより上だ、と言うのか?」
「い、いえ…」
「貴様達のレベルから、脚付き程度だと判断したのだ。その艦を沈める事も出来ずに、自分達には楽すぎた相手、と言うつもりか」
「『……』」
「イザーク、ディアッカ、私はこれからヴェサリウスに行って、クルーゼと対策を協議してくる。私が戻る前に脱いでおけ」
「ぬ、脱ぐ!?」
「赤服だ。貴様らにそれを着る資格はない」
 冷ややかに命じて身を翻したハマーンの背は、いかなる反論も許さぬ冷徹な壁に見えて、二人の視線が虚ろに宙を彷徨った。
 
 
 
 
 
 冷たく危険な死の匂いを漂わせて戻ったシンジは、シンジの気に中って放心状態のキラをストライクに残し、さっさと降りた。一緒に乗って以来、初めての事である。
 コジローも、戻っていたムウも声を掛ける事すら出来ずに見送ったが、
「おかえり〜」
「ミーア!?こんな所で何を?」
 ひらひらと手を振って出迎えたのはミーアであった。
「何って、人質から解放されたから迎えに来たの」
「…さっきのはミーアだったのか」
「ええ。私からブリッジに行ってあげたの――ボコボコにされたジャンクに免じてね」
「……」
 シンジの両頬に小さな?マークが浮かび、ゆっくりとその気が緩んでいく。
「事情が見えないのだが…」
「教えてあげる。でもその前に妹さんがお待ちかねよ」
「妹?」
 見るとステラが、手をもじもじさせて待っているが、その表情はどこか硬い。
「何か様子が変?」
「ああ、カミングアウトしちゃったのよ」
 ミーアならいざ知らず、ステラがカミングアウトと来れば、案件は一つしかない。
「お兄ちゃんにアークエンジェルの護衛を頼まれたからって、艦内全部に。可愛かったわよ」
「……」
「ご、ごめんなさい…」
 ふーう、と息を吐き出して、
「世話が焼ける。まあいい、ところで艦内の様子を把握してないんだが」
「んー…」
 ミーアは小首を傾げて、
「一部始終?それとも概略がよろしいですか?」
「概略で」
「マリュー艦長がバジルール少尉と殴り合い。フレイ・アルスターとサイ・アーガイルが負傷して医務室へ。フレイ・アルスターは結構ボコボコ。で、ステラが頑張って三機を撃退、一機を捕縛」
「……」
 左に一回、右に二回首を傾けてから、
「何となく分かった」
 シンジは頷いた。
「ステラ、よくがんばった」
「…うん」
 二人の時だけの呼称、と言われていたのを破ってしまい、怒られることも覚悟していたステラの表情が、褒められて漸く緩んだ。
「捕虜の見物は後回しにするとして、とりあえず医務室だな。ガーゴイルが気になる。ステラ、行くよ」
「うんっ」
 ぴょんぴょんと、跳ねるようにやってきたステラが、シンジにきゅっと腕を絡めていく。
「それでステラ」
「はい?」
「アスラン・ザラの機体は大した事はない。他の三機だが、捕らえる分にはどうだ?難易度高い?」
「そうでもない…と思う。ただ、理由は分からないけどやる気無かったみたい」
「そうか…そろそろ考えないとならないかな」
「何を?」
「自作自演」
「『え?』」
 それ以上は言わず、シンジは怪しく笑った。何やら企んでいるらしい。
 やがて医務室に着いた三人だが、その足が入り口で止まった。
 彼らが見たのは――まるで泥棒に荒らされたかのような室内と、顔にひっかき傷を作ったエマの姿であった。
 シンジに気付いたレコアが、
「お帰りシンジ君。お疲れ様」
「ああ…うん」
 曖昧に返したシンジにレコアは笑って、
「ちょっと、さっきの続きがあっただけよ」
「続き?」
「女同士の取っ組み合い」
「……」
 シンジが頷くまでに、十秒程掛かった。レコアを見る限り、服に乱れもなく掴み合いを演じたとは思えない。
 続き、と言うからにはマリューとナタルの筈だが、どうしてエマの顔にひっかき傷が出来ているのか。
 
 
 
 
 
「ラクス嬢のみならず、今度はニコルが向こうに捕らえられた。素人の寄せ集めにこうも手こずるとはな」
 仮面の下で、クルーゼがふっと笑った。
「隊長、あの素人とは?」
 訊ねたアスランに、
「あのストライクのパイロットが素人なのは、君も知っているだろう。その素人相手に私も君も腕を落とされ、しかもハマーンまでが追い込まれたのだ。脚付きの件だが、普通の軍人なら援護になど来ない。縦しんば来たとしても、計算出来るストライクだけを出してくるだろう。こちらで今、対等に戦えるのはハマーンのキュベレイだけだし、援護に来る前の時点では、こちらの四機よりも向こうの一機の方が戦力的には上だった。わざわざ戦艦がのこのこと付いてくる必要はない。無論、ガモフの存在は探知していなかったろうが、どのみち脚付きなど邪魔な存在だと、少し考えればすぐに分かる筈だ」
「……」
 但し、一概にはそうとも言えない。来た時点でジンとイージスしかいないのは分かったし、その戦力なら実質ストライクで十分で、アークエンジェルはのんびりと構えていれば事足りるからだ。
「それでクルーゼ、この後どうするつもりなのか」
「ハマーン、君はどう思うかね?」
 クルーゼは逆に聞き返した。分かっている事は、強行策は絶対に取れないという事だ。プラント最強評議会議長の娘にして、プラントきっての歌姫に加え、ニコルとブリッツまで失うような事になれば、それこそプラント中から指弾を受けるだろう。
「名案が浮かぶなら苦労はしないだろうが」
「あ、あの…」
 おずおずと、アスランが遠慮がちに手を挙げた。
「何かね、アスラン?」
「その、実は…」
 アスランがわざと逃がされた事を聞いたハマーンの表情が動いた。
「決して敵わぬと身体と精神(こころ)に刻み込まれるまで、とあの異世界人はそう言ったのか」
「はい…」
「クルーゼ隊も随分と侮られたものだな。おまけに私まで追い込まれた。プラントに戻って、モビルスーツなどより耕耘機でも運転している方が合っているかもしれん」
 自嘲気味に笑ってから、
「だがそれが事実なら…ニコルは帰される事になる」
「私もそう思います。それと…」
「それと?」
「普通に考えれば、撃沈か捕虜にしこそすれ、帰すことなどあり得ません。あの異世界人に取っては、勝敗などどうでもいいのかも…」
「『……』」
 クルーゼとハマーンが顔を見合わせる。
「私も顔は見た。碇シンジとか言ったか、綺麗な髪をしていたな。アスランには悪いが、モビルスーツ同士の戦いなら、お前達が四機で束になっても敵わないだろう――今のままならば」
「あの、私に悪いとは…?」
「分かっていることを聞き直すものではない、アスラン・ザラ。私にわざわざ言わせたいのか?」
「い、いえ…」
 首を振ったが、その顔は明らかに分かっておらず、
「ハマーン、話してやった方がいい。アスランには、どうやら分かっていないようだ」
 唇の端に微笑を浮かべたクルーゼが促した。
「キラ・ヤマトの事だ。お前の幼馴染みだろう」
「ええ…それが何か…」
「ザフトの精鋭も、女のことになると途端に鈍くなると見えるな」
 ハマーンは肩をすくめて、
「私の目に狂いがなければ、あの少女は碇シンジに全幅の信頼を置いている。前回貧弱に見えたのは、あの娘が一人で出てきたのだろう。あの二人の信頼関係がある限り、お前達では手も足も出ないという事だ。それとこれは私の勘だが、あのキラという娘が異世界人に向けているのは信頼以上の感情だ。理解したか?」
「っ…そ、そんな…そんな事はありませんっ、キラは…キラはっ!」
「異世界人と相思相愛中の仲だ。諦めろ」
「!」
 非情な通告に、アスランの顔からみるみる血の気が退いていく。それを見たクルーゼがやれやれと苦笑して、
「アスラン、方針は我々が考える。君は下がって休みたまえ」
「失礼…いたします…」
 幽鬼のような足取りで出て行ったアスランが、室外へ出るまでに壁へ突撃した回数は、五度を超えていた。
「随分と重症だな。まだ未練が残っているのか」
「わざわざ崖から突き落とす必要はないと思うがね。そもそも、相思相愛だなどと確定したわけでもあるまい。なぜあんな事を?」
「他の三機はその気になっても勝てない。アスランはその気にならねば勝てない。ならばまず未練を断ちきるのが先決だ。そんな事はクルーゼ、お前の仕事の筈だが」
「君のように全てを割り切れる者ばかりではない。君が五人いれば、あの脚付きとストライクは必ず落とせるのかね?」
「分からん。だがお前の所の隊員達があのままでは、決して落とせないのは確実だ。もっとも、私も次はファンネルを使わずに出撃(で)るつもりだがな」
「!」
 ハマーンの言葉にクルーゼの表情が動いた。
「それ程の相手かね」
「お前はそうは思わないのか」
 ハマーンの声が低い物に変わった。本来ならば地球軍相手など、ファンネルの練習がてらで十分であり、それを使わぬと言うことは、片手間では相手に出来ぬ敵という事なのだ。そしてそれは――ハマーンに取って屈辱以外の何物でもない。
「まあいい、旗艦の中でぬくぬくしている指揮官には言っても分からぬ事だ。そんな事より問題は、あの異世界人だ。経緯は不明だが、あの艦の…おそらくは艦長だろうが、相当信頼されているらしい」
「何故そう思う」
「お前はさっき、あの脚付きの艦長が無能だと言ったが、付いて来たのが違う理由からだとしたら?確かに逃げようと思えば戦艦だけ逃げられるだろうが、そうなればストライクは我々に囲まれる事になる。見捨てる訳にはいかないと、攻撃を覚悟の上で付いてきたのだとしたら、あの異世界人を相当信頼しているのだろう。少女の方は普通の素人らしいからな」
「私は反対だと思っているのだがね」
「ほう」
「ストライクが我々に取り囲まれたらどうなると思うかね?道は三つある。一つは血路を開いて脱出、もう一つは玉砕、そしてもう一つは降伏だ。特に三番目は、地球軍に取っては絶対に避けねばならない事態だ。ギリギリの所で信頼していないから付いてきた、とは思わんかね。母艦が近くにいれば、囲まれて降伏される事態だけは避けられる。いざとなれば艦を特攻させて救助する事も出来る」
 それを聞いたハマーンはふっと笑った。
「それは、今回だけを見た発想だ。そもそも僅かでも疑念を抱いている相手に、しかも異世界人などに虎の子のモビルスーツを任せると思うのか?おまけにメインパイロットはコーディネーター、アスラン・ザラの幼馴染みだぞ。だが少し安心したよクルーゼ。お前もまだまだ、私の手の内にあると、な」
 クルーゼのマスクを持ち上げたハマーンが、その細い指でクルーゼの目許に軽く触れた。
「私の想像だが、あの異世界人の戦い方からして、ニコルもラクス嬢もじきに帰ってくると私は思っている。私はガモフに戻って休んでいる。二人を返すから降伏しろ、とか言ってきたら起こしてくれ」
 肩を一つ叩き、ハマーンは片手を挙げて出て行った。
「異世界人がラクス嬢を人質にしてこなかったからと言って、返してくるとは限るまい。戦って、何やら分かった気になってはいないかね?」
 
 
 
 
 
「ラクス嬢が人質になりかけた事は聞いたでしょう?」
「さっき聞いた。でもこれミーアだぞ」
「『…え?』」
 あら、とエマとレコアが口許をおさえる。どうやら、分かっていなかったらしい。
「と、とにかくマリュー艦長とバジルール少尉が、ひっぱたき合いになって二人とも頬を腫らしていたからミーアさんが医務室へ連れてきたんだけど、バジルール少尉が艦長にしつこく絡んだのよ。とうとうマリュー艦長も怒っちゃって、言い合いから取っ組み合いになったの」
「はあ」
 少し機械的に頷いた頷いたシンジの視線は、エマの顔に向いている。
「ああ、エマ少尉の傷ね。食堂に負傷者がいるというので、私もエマ少尉もそっちに出向いていたのよ。帰ってきてみたら二人が取っ組み合いの最中で、私は後ろから羽交い締め、エマ少尉は割って入った。その違いよ」
「……」
「し、仕方ないでしょう。だいたい艦長と副長が、それも女同士で掴み合いなんて論外よっ」
「でも現実にあった。別に仮定の話じゃない。まあいいが、バジルールはそう言う性格だったのか?」
「知らないわ。ただ…気持ちは分かるけどね」
「レコア?」
「考えてごらんなさい。さっき、ストライクは戻れずガイアも出撃しない状況で、モビルスーツ三機に取り付かれたのよ。本来なら絶望的な状況だわ。そこへ敵軍の歌姫がのこのことやってきた――人質にしてでも攻撃を止めさせようというのは、あの状況では最善よ」
「……」
「ところが艦長は頑として受け入れない。無論、単なる意地からじゃなくてストライクを――正確に言えばあなたを信用しているから。でもその間にも危機が迫って、もう駄目かと思ったらガイアがひょっこり出撃して、忽ち敵機を蹴散らした上に一機を捕縛した。理詰めが悉く通じない状況なのよ。平たく言えば無茶苦茶ね。別にあなたを非難している訳じゃないの。それはそれで一つの考え方だし、今まではそれで上手く行ってきたのだから。ただ、戦場に於いて情で動く艦長の方に悉く上手く行って、理で動く自分の方は全て否定される。相当鬱積していたのでしょうね」
「それは、敵にてこずっていた碇様が悪い、とそう言うことですの」
「ええ」
 あっさり頷いたレコアに、ステラの顔色は一瞬変わったが、シンジはすっと手で制した。キュベレイに手こずっていたのは事実だし――そもそもそこには、根本的な問題が存在するのだ。
 確かにキラは優秀だし、シンジの操縦次第で能力を発揮しはするが、あくまでストライクの操縦はキラであってシンジではない。
 シンジを積んで機体の能力を増幅する事で、ザフト軍と対等以上に戦ってはいるが、パイロット自体の能力は実質素人に近いのだ。だからハマーンのような勇将が出てくると、時間を取られて戻れなくなったりする。
 シンジに至っては、モビルスーツを見たこともなく、操縦するなど不可能な話だ。だからステラを配したのだが、言うまでもなくステラはオーブ所属であって、堂々と使える機体ではない。
「無能な搭乗者達の件は、何とか考えないとならんな。ボンクラが数ばかり揃えても仕方のない話だ――別にステラの話ではないよ」
 ガイアを捕らえはしたが、出撃がだいぶ遅れたのは事実であり、シンジの言葉に自分が悪いのかと青ざめたステラの髪を、シンジは優しく撫でた。
(お兄ちゃん…)
「使えない迎撃の件は何とかする。碇シンジは使えないし、ヤマトもそろそろ限界だ」
 唇を噛んだステラが、シンジの手をぎゅっと握った。
(私がぼんやりしていたせいでこんな事に…)
 確かに、ステラがさっさと出ていればここまで面倒な事にはならなかったかも知れない。とはいえ所属が違うし、縦しんば地球軍だったとしても、シンジは責めまい。
 事情はどうあれ自分で動かせない、と言うのは事実だし、実際に操縦しているのはキラでありステラなのだ。
「でも違う…それは違う」
「ステラ?」
「お兄ちゃんが乗っていれば機体は性能が上がるし…その、私もキラもがんばれる。さっきストライクが戻れなかったって言ったけど、キラが一人だったら多分墜とされていた。そんなに…都合良く行くはずないっ」
 叫ぶように吐き出したステラに、
「分かってるよステラ」
「…ほんとに分かってる?」
「え?」
 思わぬ切り返しに一瞬たじろいだが、
「ほんとだってば。ただ、だからと言って現状を責めるようではそれで終わり、らしい」
「どういう意味?」
「ステラにも、いずれ分かる時が来るよ。きっとね」
 
 多分来るまい。
 
「力を持っている事は、恥じる事じゃありません。むしろ、それを恥じる方が愚かな事です。それを恥じている暇があったら、それなりのレベルで使えるようになればいい、それだけの事ですよ」
 買ってくるならいざ知らず、持って生まれた力を恥じても仕方あるまい。持っているなら使えばいい。ただ、その能力に応じたレベルの高さが要求されるのだと、危険な知り合いは言った。
 無論モビルスーツに乗る時五精は使えないが、乗ることで機体の能力が上がる、と言うのなら敗北することは許されない。それが自分に課されたレベルである、とシンジは思っている。
 それ故に、自分だってやっているのにとは決して言わない訳で、その辺はステラには理解出来まい。ある意味人種が違うのだから、仕方のない話だ。
「そっちは何とかしよう。で、こっちはどうするのだ」
 カーテンを開けると、二つのベッドにそれぞれマリューとナタルが眠っているが、乱れた髪と顔のあちこちに出来た傷が、争いの激しさを物語っている。
「片方が男なら、或いはこうまでならなかったかも知れないわね。ただ今はこの二人…拗れに拗れているのよ。片方が謝ればもう一人は疑うでしょうし、開き直ればまた争いになる。君から見れば、子供の喧嘩に見えるだろうけど…女同士って一旦こじれるとこうなっちゃうのよ。さっきは結構やり合っていたから、今回は一応大丈夫だろうけど、根本的には解決してないわ。毎回取っ組み合いされても困るしね」
「使えない救護兵だ」
「あら失礼ね。私の役目は肉体的な傷の手当てであって、女同士の葛藤までは範囲に入っていないわ」
「じゃ治して。二人の傷を今すぐに。それが役目だろう?」
 ムッとした表情になったレコアを見て、シンジがにっと笑った。顔中に包帯を巻かれているフレイは放っておいて、まずマリューの顔に手を当てる。
 シンジの手が動くに連れて傷が消えていくのを見て、レコアの表情が呆然としたものに変わった。
「姉御が気にするだろうし」
 小さく呟いて、ナタルの顔にも触れた。
 二人をあっさりと治し、
「治癒はこうやってやる。いい?」
「……」
 数秒経ってからレコアはぷいっとそっぽを向き、ステラはうっとりとシンジの横顔を見あげた。
「碇様は随分と器用ですのね…いたた」
 もう、とミーアがお尻をおさえる。つねられたのだ。
 無論抓ったのはシンジではない。
「じゃ、後でまた見に来るから」
「ええ…あ、シンジ君」
「あ?」
「普段理知的なタイプって、一旦切れちゃうと自分でも止まらなくなっちゃうのよ。二人ともマリュー艦長みたいだったら…また変わっていたかもね」
 レコアの声に、シンジが軽く片手を挙げる。
 食堂へ行くと綾香が待っていた。
「お帰り」
「ん」
「あれ…やり過ぎだった?」
「フレイ・アルスターか?ミーアにざっと聞いただけだが、挑発したとはいえかかってきたのなら問題あるまい。ミーアをとっ捕まえて人質にしようとしたのだ、そこまで気を遣う事はないだろうよ」
「そう?多分そう言ってくれると思ってたわ」
 ふふっと笑って、
「もう一つ訊きたいんだけどさ…碇でいいの?」
「呼称?どちらでも好きなように」
「そう。じゃ、碇でね」
「構わないが…何故急に?」
「ちょっと、ね」
(……)
 綾香が、ちらっとステラを見たのに気付いたが、シンジは何も言わなかった。突っ込むには、少々精神疲労が溜まっていたのである。
「ところであの子は?キラ・ヤマトよ」
「中でまだ寝てると思うが。フレイ・アルスターの父親を助けられなかったと、後悔しているらしい」
「『お人好し?』」
 綾香とステラの声が重なり、シンジは緩く首を振った。
「そういう優しい娘って事。ただ、戦場にはちょっと不似合いなだけ」
「お兄ちゃんそれって致命傷じゃ…もご」
「うるさい」
「…はい」
「ああ、それとセリオ」
「はい何でしょうか?」
「おまえのご主人は、悪巧み得意なのか?」
「それは、奸智に長けていると言うことでよろしいでしょうか?」
(なぜわざわざ捻る?)
「あー、そう言う事になるかな」
「それなら大の得意でおられます。特に人の裏をかくような事は――」
「セ〜リ〜オ〜」
 ギロッとセリオを睨んだ綾香の後ろで、やっぱりと小さな声がした。
「何か言った!?」
「別に」
 綾香とステラの間で、チリチリと火花が散る。
「二人とも揉めるなと言うに。ステラも絡まないの」
「はーい」
「で、来栖川の性格を知りたい訳じゃなくて、ちょっとやって欲しい事があるんだが、協力してくれる?」
「いーわよ、別にあたしに身体開けって言う訳じゃなさそうだし」
「お兄ちゃんそれなら私がっ」
「『うるさい』
 揃って一喝され、ステラがカサカサとシンジの後ろに隠れる。
「テロ集団にステラが脅され、強制的にガイアを使役させられる映像が欲しい。と言うより必要だ。企画・立案を頼む」
「ふうん…オーブ向けのデモンストレーションってわけね」
 さすがに綾香は飲み込みが早かった。
「今のままじゃガイアはフルに使えないし、かといってストライクは碇が操縦じゃないから、性能にも限界がある。だから自作自演のテロ映像を作ってガイアをガシガシ使おうったいうのね」
「そうだ。それと、悪いが――」
「セリオでしょ、分かってるわよ。クルーは使えないし、他の一般人じゃ登録されちゃってるものね。で、当然この子を脅す訳でしょ。その役あたしがやってあげる」
「ハン?」
「だってある程度は痛めつける必要があるし、碇じゃやりにくいでしょ?仕方ないからあたしがやってあげるわよ。大丈夫、セリオにメイクさせてセリオに扮するから」
 だがその口調も表情も、仕方ないとは程遠い位置にある。
「いや別にそれは――」
 シンジが言いかけたところへ、
「私を直接痛めつけても意味がないわ」
「ステラ?」
「ステラ・ルーシェを脅したが効果がない。だからオーブの国民を痛めつける事にした、と言う方が効果的よ。勿論私は屈さないけど。私がその場にいる必要はないから、オーブの民をお芝居で痛めつける役は私がやってあげる。勿論第二の人質となるのはあなたの役目よ」
(……)
「冗談じゃないわよ、あんたが一人だけ痛めつけられていればいいでしょ。あんたなんかにやられてたまるもんですか」
「それは私の言う事よ。あなたなんかに触られたくない」
「『……』」
 危険な視線が数秒絡み合い、二人の口許に怪しい笑みが浮かんだ。
「あんたとは一度決着をつける必要があると思っていたのよ。来なさい、相手してあげるわ。負けた方が人質役になるのよ」
「望むところよ」
 シンジが口を出す間も無く、殺気立った二人が揃って出て行こうとしたのだが、
「『あうっ!?』」
 その襟首がきゅっと後ろに引っ張られた。
「お二人ともいい加減になさい。それ以上諍いを続けるなら――」
 二人を軽々と引き戻し、
「このミーア・キャンベルがお仕置きしてしまいますわよ?」
 にこりと笑った双眸はひどく澄んでいたが、その奥に深淵の闇があるような気がして、二人はぶるぶると首を振った。
「では、仲直りの印に握手して下さいな。よろしいですわね」
 二人の手がぎこちなく動き、お互いの手を握り合う。そこへミーアは自分の手を重ねて、
「お二人は仲良くして、碇様を支えてさしあげなくてはいけませんわ。それとも、碇様にとってご負担となる存在になりたいのですか?」
 表情は笑顔だが、その瞳の奥には依然として計り知れぬ何かがあり、ラクスも本体はこうなのかと、ぼんやり考えたシンジの横で、綾香とステラが機械的に首を振った。
「じゃ、碇さんそういう事でお話が決まりました」
「りょ、了解であります」
(あれだな…耐えられる範囲の存在の軽さってやつだな)
 キュベレイは討たず、取り付いた三匹はステラが迎撃し、艦内の揉め事は自分が関われぬところで解決された。
 最大の目標――モントゴメリの撃沈援護は、何も出来ぬ間に終わってしまった。
 或いは、この艦に乗って以来最も存在の軽い日だったかもしれない。
「艦長と副長のお二人は明日まで目覚めないそうです。起きる前に、碇さんが行ってあげて下さい」
「ん」
「それと、今日は夕食は食べないでしょう?」
(え?)
 ステラが怪訝な顔でミーアを見たが、シンジはすぐに頷いた。
「そうだな、今日はそう言う気分じゃないし」
 ミーアは食事係ではないし、無論シンジの世話係でもない。意味もなく食事制限するかどうかなど、訊かずともそれ位は分かる。
 多分ステラか綾香に話があるから、さっさと部屋へ帰れというのだろう。
「じゃ、俺は帰る。悪いけど、もう少ししたらヤマトを降ろしてやってくれる」
「分かりました。それとステラさん、今晩は碇さんのお部屋に行くのは禁止ですわよ?」
「え!?ステラ…あなたまさか碇と…痛っ!?」
「何を想像している?」
 ハリセンを扱きながら、シンジが広目天みたいに立っている。なお広目天とは、須弥山の西牛貨洲を担当すると言われるガードマンである。
「べ、別に何も想像してないわよ?」
「熱くて甘くて柔らかい夜を想像したりしなかったか?」
「し、し、してないわよっ」
「そうか」
 歩き出したシンジの足が出口で止まり、
「大方そんな感じなんだが」
「!?」
「お兄ちゃん…」
 さっさと出て行ったシンジと、頬に手を当てて赤くなっているステラの間で、綾香の視線がウロウロと彷徨うのを見て、ミーアがうっすらと笑った。
「ちょ、ちょっとミーアあんた何笑ってるのよ」
「とても熱くてむにむにに柔らかくて蕩けそうに甘い夜を、綾香さんに教えて差し上げましょうか?歌姫は、啼かせる事も出来るんですよ」
 妖しく笑って迫ってくるミーアから、綾香は慌てて後退った。
 
 
 
「ここは…ん…んー!?」
 目を開けたニコルは、目の前が真っ白になっていると知り、縛られているらしいと気付いた。
 ジタバタと藻掻くニコルの側で、
「お目覚めか」
(この声は!?)
 パキッと指を鳴らす音がして、顔を覆っていた物が解けていく。ニコルの目に映ったのはやはりシンジであり、一人カップを傾けていた。
 だがここは明らかに私室であり、独房ではない。捕虜になった筈の自分が、何故こんな所にいるのか。
「ステラに捕まって、その後は覚えているか?」
「私は、私は…あっ」
 ニコルが小さな声を上げた。
「どうした?」
「た、確かラクス様に縛られて…」
「少し違うな」
 シンジはふっと笑った。
「ラクスなら、ハロと一緒に歌でも唄っていよう。近いうちに戻す」
「え?」
「愚か者が人質にする為に保護した訳ではないからな」
 声を荒げてはおらず、視線も変わらない。
 だがシンジの声を聞いた時、ニコルは背中を冷たい物が撫でたような気が、した。
「な、何故私をこんなところに」
 訊いた時、不思議と心は平静であった。相手が異世界人と分かっているし、殺す気ならとっくに殺されていると、開き直れたせいかもしれない。
「解剖用に」
「解剖?」
「遺伝子レベルで改造されると肢体がどう変わるのか、眺めてみたい。単純な好奇心だよ。ま、見た目は変わらないようだが」
「え?え!?」
 見た目と言われて、慌ててニコルが自分の身体を見る。
 
 パンティとブラだけ。しかもピンクを着けていた筈なのに、いつの間にか紫に変わっている。
 
「きゃーっ!?」
「脱がせて着せたのは俺じゃない…って、聞いてないな」
 
 
 
 
 
(第二十七話 了)

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