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  エトスは変更可能か?
chenge ethics




 1980年代の話です。当時、マスコミでも有名で、友人同士だった山本七平と小室直樹という、二人の評論家がパーティで会話していました。

 そのとき、民族のエトスが変わったことがあるかどうか、話題となりました。
 マックス・ウェーバーによる、プロテスタンティズムのエトスの導入による、資本主義の精神の成立はきわめて稀な出来事とされており、それを踏まえての会話です。

 通常では、民族のエトスは不変で、千年以上にわたって変化しなくても当然とされています。

 エトス・・心の中にあって規範となり、民族の行動様式を裏側でささえる思想の体系は、どの人間の心の中にもそれぞれあって、たとえ文字をもたない民族にも、「表現されていない精神世界」として存在しています。

 基本的に日本人は、このエトスの根本的変更を経験したことはないということです。

 そして日本人は、民族固有のエトスを自ら体系だてて文字として整理・記録したことがなく、いわば「不文律のエトス」に拘束されて、自己を客観的に見ることも、検討することもできない束縛された状態である。(だから自滅をくりかえす)
 というのが山本七平の中心テーマでした。
 私の第一研究「日本教の構造」(未完)は、それを解消する目的ではじめたのです。

 山本七平も小室直樹も、エトスの変更はきわめて困難という点で一致しているのですが、山本は「もし(変更が)あったとしたら、申命記革命の時でしょうな」と発言し、小室直樹も同意したそうです。
 (このエピソードは、まだどこにも発表されたことはありません。山本七平を囲む会の山田氏が「二人の知の巨人の会話」をかたわらに立って注視されていたときの出来事で、それを私は山田氏から1990年代に聞かせていただきました)

 申命記革命とは、日本人にはほぼ知られていない、世界史的事件です。
 紀元前621年にエルサレムの神殿を修理したさい、大祭司のヒルキヤが、これまで知られていなかったモーセの残した記録が見つかったと、時のユダヤの王・ヨシアに報告(という建前)をしました。
 王は「これを知らなかったから我々は道を誤ったのだ」と嘆き、これを民族の規範の絶対根幹として全国民に知らせて徹底し、すべての社会体制・民衆の日常生活のすみずみまでも、この文書「申命記」を加えた「モーセ五書」に忠実なものにするべく、改革を断行しました。
(旧約聖書列王記下22 ユダヤ古代史 X 4-2)

 いわば、現在のユダヤ人の直接的起源を作り出した出来事です。
 おそらくそれまで長らく中東世界を支配していたアッシリアが滅亡期をむかえ、属国だったユダ王国が民族の独立を宣言するため、また戦乱の連続で部族制度が崩壊した一方、自立して力をつけた「アムハーレツ(地の民)」階級が、民族秩序、アイデンティティの再構築を支持したのでしょう。
 民族の過去の大英雄の遺文という権威によって、すべての国民を納得させるためにプロジェクトを組んで、秘密裏に編纂された(であろう)新しい文書が現れたのです。
 それが、それまで地上にあったのとは別の、新たな国家・民族を生み出したとしたら、確かにエトスの変更にあたることでしょう。


 山本七平と小室直樹の、短い会話は、
重要な意味をもっています。

 ウェーバーの主張のとおり、プロテスタンティズムによるエトスの変更は、偶然の産物で、再現は不可能です。他民族への応用もできません。
 これで生み出された資本主義は、やがて化石燃料とむすびついて、暴走しました。
 しいて言うなら、世界は、開放系の臨時経済に変容し、やがては全体を破局・衰退に導く時限爆弾をしかけてしまいました。

 また母体となったプロテスタンティズムも、資本主義の離陸後、速やかに作動精神をうしないました。資本主義は、後ろから支える精神的支柱をうしなったゾンビ的な行動様式となっているのです。
 
資本主義は二重に変質したのです。


 現代世界は、有効に機能するエトスを失っています。そのための、対処の方法、意図的に新たな世界を作り出す方法を、申命典革命は示唆しているのです。


2016/03/04  T.Sakurai