土地に降り注ぐ太陽の力を受け止めて、あらゆる地球の生き物は生きてきたし、これからもそうだろう。
化石燃料も、太古に太陽エネルギーを受け止めた植物で、それを一時的に使っているので、太陽エネルギーから解放されたわけではない。
生物として人間がこの星で暮らしていく限り、どのようにして、太陽エネルギーを受け止めるかが生活の基本となるのです。
あらゆる生命の継承も、文明の形成と永続も、また知的存在として善良に生きて幸福の追求をすることが全活動の根本です。
あまりにあたりまえで、このことに言及されることは、普通ないが、事実です。
植物の光合成によって、人間がカロリーを摂取できる物質=食糧を作り出すのが、18世紀までの農耕社会でした。
この社会は土地の劣化と放棄を繰り返し、同時に人口を人道的に抑制できず、飢餓 ・戦争・疫病・堕胎・嬰児殺し(捨て子含む)が、人間社会の常態として繰り返されてきた。
今後の化石燃料の永続的に利用ができない社会を想定するに当たって、過去の事例を深く検討して、理性的な選択を行わねば、我々は先祖の流した血と涙をムダにすることになり、未来の世代に対する責任を果たさない怠惰な未必の悪意となるだろう。
また、来るべき社会システムの変動・・カーボンストームの終焉にともなう混乱・・を予想し、悲惨な過渡期が予想されるときに、最大の被害者となる人々に対して、救いの手を用意しないのは、これも許しがたい未必の悪意となるでしょう。
さらに考えていけば、人間は、過去のように家畜や人力によって、土を掘り返し、手で雑草を引き抜いて暮らしていくべきか? 迷うまでもない。
土地は永続的に安定して利用、保全する義務が、現役世代にある。
過去から美田を受け継いで、未来に美田を残さなければならないのである。
では、どのような美田が残ればいいのだろうか?
生産に労力を使わないこと。(人力を使わないこと)
土地の生産性を落とさないこと
(土壌の劣化させず、したとしても土壌のバランスを科学的根拠のもとに回復させる。もちろん侵食させず、輪作障害も解決すること)
土地に投入するエネルギー、物資(鉱物系化学肥料や農薬)、作物品種(遺伝子組み換えの必要とせず、開発 ・維持)は、できるだけ小さく、コストがかからないこと。
安全であること。
災害時に復旧が容易であること。
科学技術がなんらかの原因で使えない事態となっても、最小限の人力で耕作継続が可能なこと。(維持が容易なこと)
などでありましょうか。
これらの条件を満たす 「美田」とは、どんな存在でしょうか。
私は、充分に考え抜かれた、さまざまなノウハウを駆使して設備された農地となるだろうと想定し、米の水田の場合のモデルの一案を提示してみます。
前提
・灌漑設備は、存在するものとする。(治水は別の問題とする)
・設備維持に化石燃料・再生不可能資源は使用しない。
・人力は非常時以外に使用しない。自動システムである。
・必要なエネルギーは太陽光発電による電力とする。さらにそのエネルギーは耕作する農地そのものから得られるものとする。
「植物の限界」に示したように、光合成には不必要な日照を利用して太陽電池によって発電することは可能なのです。
つまり農地を、作物栽培と、太陽パネルによる発電の二つの用途に同時使用するのです。
また、水田として水をたたえることで、自然のダムとして、水域の治水に役にもたつことは従来どうりです。
想定している設備
水田を南北に細長い形で整地する。
耕作面積 東西幅5メートル 南北長40メートル 200?60坪 を単位とします。
それをまとめて
200x5 1000? 300坪 一反 0.1ha とします。
田と田との間隔40cmとり、あぜとします。 実寸法27.4mx41m 1123平米となる
このあぜは、数十年以上の耐久性のあるコンクリート製の薄型の成型ブロックを使って直線的に作り、その上に耐食性、安全性のある金属レールを設置します。
5メートルの幅を水田をまたぐように、汎用で自走できる移動台車を運転させます。
この移動台車は、モータで駆動します。(排気ガスを出さず、エンジンがなく簡単な構造)
移動台車は田起こし、施肥、田植え、除草、収穫、輸送のすべての作業に使います。
それぞれの作業によって、オプション部品を取り付け、交換して使います。
基本的にすべての農作業は人力を使わず、運転の監視だけにします。
田植えの苗の補充、収穫物の受け取りなどは人間が補助したほうが効率的でしょう。
田の末端に移動台車の移動スペースを1mほど取り、そこに2本のレールを設置し、作業が終わった田から隣に移動して同じように作業していきます。
基本的に土のバランスが崩れたとき以外は、田起こしはせず、不起耕方式です。
施肥も収穫物分を補う分だけです。
田植えは、移動台車にオプションをつけて現在の田植え機と同じように植えつけますが、田の中を人間や機械が泥まみれで動き回ることはなくなります。
除草は、雑草の種が発芽しないよう、田植えの前後に水をはった状態で水中に振動をあたえることで、行います。
鉄道の周辺に雑草が生えないのと同じ方法です。
植物の発芽時に小さな振動があたえられると発芽しないのです。
田の中に小動物(カブトエビ、ザリガニなど)がうごめいていると、同じ効果がでますので、豊かな田んぼ生態系があると、雑草は抑制されます。
また、田の土のバランスがとれていれば益虫が存在し、害虫の発生が抑制されます。
有機農法、無農薬、無除草、無化学肥料になるよう、バランスをとっていきます。
これは生産のコストダウンにつながりますし、食品安全性の確保、また植物としての稲の強靭さをますことにより、凶作への抵抗力をつけることにもなるでしょう。
収穫時の鳥の被害は無視できませんので、その間だけ、なんらかの対策をとらねばなりません。猛禽類を模したドローンを飛ばして威嚇したり、実際の猛禽類を保護して増やしておくのは有効でしょう。
移動台車に豆を弾丸にパチンコを発射させながら走り回らせるのもマンガ的ですが良いかもしれません。
田の南北には水路が配置され、収穫物を小型の船で村まで運ぶシステムも考慮すべきかもしれません。
重量物を陸上輸送するのは意外に難問なのです。舟はごく小さなものでも搭載力は驚くほどあります。舟に人がのる必要はありません。
移動台車がすべてを担当しますので、モータが駆動するため、また電子部品が誤動作しないよう、太陽パネルが充分発電する好天に農作業は行われます。晴耕雨読ということです。
移動台車は一集落に数台配置し、同じ作業は一日で全水田で終了できる能力を確保しておきます。
故障が発生しても、他の台車に肩代わりしてもらうよう、水田や台車や台車のオプションの規格は統一しておきます。
移動台車の動力は、空中に電線をはったパンタグラフ方式、あるいは頻繁に自動交換するバッテリー方式などが考えられます。
そして考えたくないことではありますが・・・
技術水準の低下が起こって、モータや太陽パネルが作れなくなり、電力が使えなくなったとしても、幅5メートル程度の台車は人力で動かせます。数人が人力ウインチでひけばいいのです。
台車の上に人間がのって、苗を横のかごにいれ、座りながら棒などをつかって田植えすることは可能です。
機械化以前のように、腰を曲げて手を泥で汚して過酷な作業をする必要はないでしょう。
最低限、あぜとレールだけ維持できれば、台車は木製でもかまわないのです。
究極の持続性を、担保しておきましょう。
すべての作業は、人間が存在する限り、永久に続けられるのですから、不合理な一時的なごまかしは排除し、不要な肉体労働は徹底的に少なくしておくことが、子孫への責任と間が枡。
2016/06/14 T.Sakurai