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「「ハイジ」から読みとる信仰」としてキリスト新聞 2006/12/25号に掲載されました。

 ハイジとキリスト教



 「19世紀のスイスの少女」アルベルト・アンカー
Albert Anker 1831-1910


☆今まで読み継がれてきた価値

 19世紀中ごろ、欧米で子ども向けの本の新しい分野が登場しました。
 民話やおとぎ話ではなく、ファンタジー的要素のない現実の世界を舞台に、現実の問題を取り扱う「小説」で、「若草物語」「小公子」「赤毛のアン」「少女パレアナ」といった狭い意味における「児童」「文学」です。

 少年少女を主人公としていて恋愛は主題ではありません。
 その多くは、両親などの何か絶対に必要なものが欠けた状態から始まりますが、最後には満たされた「家庭」へと戻っていく物語です。

 本は当時まだ高価で、小さな本でも庶民の数日分の賃金に相当しました。
 そして、どの作品も大人が書き、大人が買って愛する子どもに与える本ですから、娯楽であると同時に教訓が多く含まれました。

 その教訓を当の子ども達が、時代ごとにどう受け止めたかは別問題ですが、ほとんどの作品が消えていく中で今日まで読みつがれてきたものは、なにか読む価値を持っている作品だけです。それが、子どもにも大人にも納得できる「あるべき姿」を指し示しているのは不思議ではありません。


☆18歳で堅信礼受けた作者

 「ハイジ」はそんな児童文学の古典の一冊で、作者のヨハンナ・スピリ(シュピーリ)は、1827年にチューリッヒ湖近くの農村に生まれました。
 6人きょうだいの次女で母は家の近くにある教会の牧師の娘でした。
 父は無医村にやってきた医師で評判は高く、広い範囲から患者を受け入れました。
 母は夫をよく支え、多くの労苦を共にしながら家事の合間に詩を書き、それがやがて讃美歌としても歌われ、「詩人」として知られました。

 ヨハンナは、18歳で堅信礼をうけます。
 大きな感動はなかったそうですが、自伝を残さず、自分の日記や手元の原稿・手紙などを、亡くなる直前にすべて焼却してしまったので詳しくはわかりません。

 ただ、「読むことを心得ている人にとっては、私の生活と人となりの歴史は、私の書いたすべてのものに含まれています」という言葉を残しており、ある知人はヨハンナを「森の中の急流のような」人と評しています。

 25歳のときチューリッヒ市の書記をつとめた弁護士と結婚。
 夫は、社会的弱者のためには「ライオンのような」情熱的な理想家でした。
 そして一人息子の母として普通の主婦であったのですが、以前より母の詩を知っていたドイツの牧師がたまたまヨハンナと手紙をかわし、その文才を見こんで慈善事業の寄付のために本を書くように依頼します。
 それから少女時代の思い出や小説を匿名で発表しはじめます。
 「子どものため」の本を書きはじめたのは小さな姪の希望に応じてです。

 7冊目の本の「ハイジ」は非常に好評で、翌年、読者の要望に応じて続編を書きますが有名になってしまったために実名で発表しました。


☆ハイジの良き理解者

「ハイジ」には繰り返し美しい山の情景が描かれます。
 のびのびとした緑のまきば、いきいきとした草花や動物たち、夕方にまっ赤に染まる雄大な山々。それを見て「いつまでもここにいたい」と感じる5歳の小さな女の子。

 自然の中で素晴らしさを感じる一瞬は、だれもが救われた気持ちになります。

 作中のハイジと年齢も性別も、時代も距離も、文化の違いもとびこえて、同じ気持ちになれるのです。

 しかし現在の私たちすべてがそうであるように、やがて少女は自分の知らない所に連れていかれ、思いもかけないことを経験します。
 そして窮屈な都会の生活で、心をいため、病んでいきます。

 山の思い出は少女を苦しめ、足の不自由な新しい友達クララを思いやる気持ちもハイジをおいつめます。

 しかし、これは成長するための貴重な機会でもありました。

 クララのおばあさんはハイジを理解し、「神さまはわたしたちみんなのお父さまで、なにが私たちのためになるかご存知です」すべてをゆだね、お祈りなさい。と、語りかけます。

 自分の心の中にあり、これまで実行してきた大切なことを「人生の後輩」に伝えたのです。
 ハイジはこの人の言うことならと目の前の「証人」を信用します。
 もし言った本人が信じておらず、人格もそれにふさわしくなければ納得しなかったでしょうが、ハイジはクララのおばあさんから、耐える力と、文字を覚える時間をさずかりました。

 
☆回心を告白するおじいさん

 やがて山へ帰る日がやってきます。
 ハイジは試練の日々を送りましたが同時におじいさんも愛する孫を失っていました。
 ハイジと一緒に暮らす以前、「神をうらみ、人を憎」んで一人で山の上で暮らしていましたが、さらにひどい精神状態になっていました。
 しかしハイジと再会し、喜びあい、孫が都会で覚えてきた「放蕩息子の物語」をけんめいに語る心に動かされ、深夜に幼子の寝顔をみつめながら、回心をひとり告白します。

 翌日、ハイジはやはりさびしい思いをしていたペーターの目の不自由なおばあさんを訪ね、ずっと聞きたがっていた古い讃美歌を朗読してあげます。
 「ああ、ハイジ、おかげで胸のなかが明るくなったよ。ほんとうにうれしいよ」とペーターのおばあさんは涙を流します。
 暗闇に閉ざされていた心が明るくなりました。
 ハイジもおばあさんの喜びようをみて、自分が何をしてあげたのか自分で自分に驚くのです。

 次の日曜日に、おじいさんは初めてハイジをつれて数年ぶりに村の教会に姿を見せて、すべての人と和解します。
 ハイジは心の中心点と教育を得ることで、おじいさんやペーターのおばあさんという、自分よりはるかに人生経験豊富な大人たちに喜びをもたらし、「これでよかった」と今度は自分の体験によって確信します。

 

☆スピリ作品に共通する「祈り」

 都会でのホームシックなどは作者スピリがすごした生活の反映といわれています。そして「子どもがどのように成長し生きていくか」と、作中の「祈り」は、ハイジ以外のスピリ作品に共通する中心テーマです。

 産業革命以後の工業化、社会の変化と共に、現在も続いている多くの問題がこの時代のスイスにおしよせました。
 スピリは自分の人生のさまざまな問題の回答として最善と思われるものを作中で紹介して、子供たち大人たちに「いかがでしょうか?」と書き残したのです。

 「ハイジ」は、多くの読者によって支持され今も読み続けられています。

 おそらく将来においても何らかの意味をもつ作品といえるでしょう。

2006/11/20


「アルムの山小屋」撮影・高橋竹夫(日本キリスト合同教会牧師)


「ハイジとキリスト教」については、簡単に書けるものではありませんが、キリスト新聞社様から思いもかけない機会をいただき、紙面をお借りしてアウトラインを書かせてもらえることになりました。もっともうれしいクリスマスの贈り物となりました。心より感謝いたします。
 書きたいことは多いのですが、いずれ追加していきたいと思っております。

tshp 2006/12/23