ティトスおじさんの夏の転地(Ein Landaufentha1t von Onkel Titus)
この作品ほど日本語題名が安定していないスピリ作品もありません。 どれも現在は絶版になっていますが、出版回数はそれなりに多かったのであらすじを読めば思い起こす方もいらっしゃるのではないでしょうか。
ドーラは10歳のドイツの少女。母は幼い頃なくなり、軍人の父は普仏戦争(1870-71)で負傷して健康をそこないました。 ドーラは病弱な父と肩をよせあうように暮らしていますが、物語がはじまってまもなく、父は息を引き取ります。 ドーラは孤児となり叔母の家に行きますが、叔母の家も裕福というわけではなく、学校ではなく小さな塾にいきながら縫製の修行(シャツの手縫い)をさせられることになります。 叔母の夫がティトスおじさんで、文献研究の仕事をして、年中書斎に閉じこもっていたせいで「めまい」を感じるなど体を悪くし、「空気のよい」アルプスへ夏の療養にでかけることになります。 そしてスイスの療養先の隣の家には楽しそうな家族がいて、ドーラは一人で寂しい思いをしながら、お隣のようすにあこがれるようになる・・というのが物語の前半部分です。 ドーラには見るべき才能も財産もなく、音楽にあこがれ、夢見がちの心優しくおとなしい少女で、どちらかといえば病弱です。 ハイジやレースリのように、積極的にだれかを幸せにするということもありません。また貧乏に耐えているわけでもありません。ただただ孤独で、友達といえば夜空の5つ星だけなのです。 機会があれば読んでおいて、けっしてムダではありません。
さて、作品内容から離れて気になる点をあげますと、アルプスの「空気の良さ」です。 「アルプスのさわやかな空気」というのは「ハイジ」でも「アルムおんじ」が「ドイツ」と対比して口にする重要な言葉ですが、どうも本当の意味がピンときません。当時のドイツの都会はそんなに空気が悪いのでしょうか? まだ車はほとんど走っていません。 電気もありません。暖房は石炭になっていましたから、町じゅうに煤煙はよどんでいたでしょう。 ドーラは留守に残って、縫製の修行を続けるはずでした。でもおじさんたちと一緒にアルプスにいくようになったのは、結核の恐れがあるからでした。クララも危なかったのでしょう。 この転地療養という舞台設定は、ハイジでもグリトルでもコルネリでも使われています。スピリの十八番ですね(^
^;;) スイスの観光産業の立ち上がりも、うかがわせます。 それからドーラの父が戦争で負傷したというのも、ドーラが結果として戦争孤児であるというのも、スピリが処女作「フローニの墓の上の一葉」を書いた動機が、普仏戦争負傷者のための寄付金を集める為だったというのにかさなっています。(このフローニはどうにかして読んでみたいのですが、翻訳されていないようです。) そして医師は、このお話でも物語をすすめる節目節目で登場します。ドーラの父の死亡、おじさんの転地のすすめ、ドーラの健康状態の指摘、さらにはある事件でドーラが腕に弓矢をうけて負傷するのですがその治療という場面もあります。 すこし気にかかるのは、ドーラは「ひどい貧血」と医者にいわれていますが、具体的な病名はありません。おじさんの病名も不明です。子供のための本ですから専門用語を使わないのは理解できますが、あいまいな点です。ここもスピリらしいといえばらしいです。 あと、最後にどんでん返しがあるのですが、これは「ハイジの子供たち」というハイジの続編と似ている個所があります。 「ハイジの子供たち」はスピリではなく、シャルル・トリッテンというフランスのハイジの翻訳者が1930年代に独自に書いた続編です。 トリッテンは「それからのハイジ」でハイジの青春から結婚までを創作し、好評だったのでさらに「ハイジの子供たち」を書きました。「ハイジの子供たち」のラストは、アルムおんじの過去をめぐる謎解きになります。 わたしはトリッテンがこの「ドーラ」を参考にしたのではないかと推測しています。
これらの偶然に強く頼った展開はスピリ作品によくみられます。ちょっと皮肉になりますが、トリッテンもスピリらしい物語にするために、そうしたのでしょうか? むしろ努力すれば必ず報われると言う方が、残酷なのではないでしょうか?。
|