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スピリ略論




 もう十年以上のお付き合いをさせていただき、いまやハイジ研究の第一人者といえるKさんと、数年前、短い会話をかわしたことがあります。

「Sさん、ハイジは世界的なベストセラーになったのですが、原因はなんだと思いますか?」とさりげない質問をされました。

 私はわずかな時間考えて

「偶然だと思います」

「私もそう思います」とKさん。

 二人の意見は一致しました。どちらも「我意をえたり」といったかんじで、認識が共通化できたことを確認できました。二人とも満足しました。

 スピリの作品で、現在も生き生きと読みつがれているのは「ハイジ」だけです。
 そのハイジも、いびつな構成をとっており、第一部は匿名の発表。好評だったため翌年かかれた第二部は実名となり、作品の質としては第一部のほうがはるかに勝りますが、それでも全体をとうして凡庸な作品といえなくもありません。

 第二部はクララの奇跡的回復と、ペーターの粗野さ、さらには最後の大団円をいわば経済力でかたづけてしまって「これでいいでしょ」といった、ご都合主義的作品です。作品として粗雑さも感じられます。

 お日様の歌にすべてが集約していく第一部の緊張感とはちがい、使われる挿入歌も多く、てさぐりで結末に向かおうとする迷いが感じられます。

 しかし、ハイジ全体としてみれば、第二部があるからこそ、俗的にも爆発力をもった決定的作品となり、これは作者スピリが想像していなかった「偶然」だと、私は思ったのです。

 いわば「天に選ばれた運命的作品」になるには第二部が必要だったのです。

 スピリの作家としての能力をハイジより放出させた作品は「山の上の笛」など他にもあるのですが、ハイジがそれらを越えた存在になったのはスピリの力量以外の要素だったのです。

 作家のすべては最初の作品に現れるとよく言われますが、その視点で「フローニ」を読むと、興味深いです。
 フローニは夢見た少女の挫折と、精神的救済を描いています。どうにもならない現実の痛みの中で望んだ自由は与えられません。作者スピリ自身も、専業主婦として現実の壁の中にあって、自由を感じていなかったでしょう。

 フローニの結末は、幸いにも精神的満足を「祈り」の中に見つけることができましたが、多くの現実は「神をのろって」死んでいくことでしょう。
 のろったところで、意味がなく、これまでの人生を全否定するだけだったとしても、人間は弱いのです。不幸ながら、それを選択する人は後を絶ちません。

 スピリ自身も「神をのろう自分」がありうることを自覚して、恐怖を感じたことがあるのでしょう。それがゆえに、フローニをそうさせませんでした。

 この制約のなかで、フローニは短すぎる晩年に最善の道を選び、その結果、「高尚なる人生」を残し、夫を回心させたという美しい物語となりました。

 しかしフローニの隠れた主題は、夢の挫折と、どうにもならない現実の精神的閉塞的心理的思い込み救済であり、現実世界をそのままうけとめて、義務として苦しみなさいというものです。

 これが正しいかどうか、自分自身もそうあらねばならないと思っていた作者は最後まで迷い・不安があったはずです。だから多くの作品を書いたのでしょう。

 ハイジ第二部の結末は、ハイジに医師の子供という立場と経済力を与えて、これ以上どうすればいいのとペーターのおばあさんに言わせる、困ったものになりました。

 一種の偶然的レアケースを主人公に与えて、「お姫様になりました。」では、この作家・スピリは満足するはずはないではないですか。

 ハイジのお姫様化は、フローニからの後退でしかありません。しかしそれがハイジを永遠にしました。
 しかしながら、作中の原作ハイジのこれからはさまざまな不幸がやってくるでしょう。裕福になっただけ、闇がふかくなるでしょうし、おじいさんの過去が襲い掛かってくるかもしれません。周囲からの嫉妬もあるでしょう。それへの対策は原作にはありません。

 おとぎばなしなら無視してもいい、これらのことは、スピリの作家方針では無視できません。それだけのリアル志向があることをフローニは示しています。

 また、第二部は、お日様の歌の転換点で、以前と違う存在となったハイジが、つぎつぎと活躍していく後日譚なのです。

 ですから、スピリのストーリーのあとを引き継いで、それ以外の続編が構造的にできやすくしてしまった点も指摘したいです。
 ハイジは「ある種の力」をもった、冒険できるヒロインになってしまったのでした。

 そしてスピリが自己の伝記や資料を残さなかったことは、偶然が生み出したハイジの成功をみずから評価できなかった表明かもしれません。

 スピリは自分の枠をのりこえることが、ついにはできなかったのではないでしょうか。運命にながされたあとの、安直なハッピーエンドはいつしかスピリ作品の特徴になっていくのです。

 ところが、原作ハイジにあるいくつかの弱点なのですが、アニメ高畑ハイジは、これらの問題点を鮮やかに回避しています。
 ハイジとクララの永久の友情物語として描きなおし、ペーターを粗野さから救い未来ある少年への道を開き、ロッテンマイヤーさんまで救済しています。原作の不備をおぎなったのです。

 アニメの彼らの将来は、やはり不確定の、「あるいは輝き・あるいは暗闇」のどちらになるかわかりませんが、それが私たちの世界そのものです。

 アニメはおとぎばなしにされかかった原作ハイジを現実の物語に再接続してくれました。新しい生命をふきこんでくれたのです。

 ハイジの歴史を見ていくと、こういった偶然の例が妙に多いようなことに驚かされます。
 ですから・・、ハイジという物語は、総体として、現実における、多重の「ハッピーエンド」世界なのだと、私はこの物語を愛しています。



 ごく簡単ですが、書き残していたスピリ論の一部を残しておきます。粗雑なメモ書きですが、これが精一杯です。ご容赦ください。


2016/04/14 T.Sakurai 結婚記念日にさびしく病室にて 私も義務をはたしましょう。