前のページに戻る



「日本教の社会学」山本七平・小室直樹 共著

第二章 戦前日本は軍国主義国家ではない

真の軍国主義者とは何か / 一人もいなかった天皇主義者
                                         より


 軍国主義とは(コメント)


 戦後の日本に民主主義がなく、自由もないという前章の結論は、東西の文化の成り立ちがどれほど違うか把握しておく必要を際立たせます。

 言葉の意味が東西文化圏で違っていては、お互いが理解できなくて当然で、まったく違う意味の言葉をむりやりつなげてみたとしても、一知半解よりももっとタチが悪いのではないでしょうか?

 

 戦後の日本は、戦前の日本と比べて豊かで「ほしいまま」になっているのは間違いなさそうですが、それでは戦前とはどんな世界だったのでしょうか?

 


 抜粋と整理

戦前と戦後の日本で何が変化したか?

戦前の日本と現在の日本→見かけ上はたいへんに違う。ぜんぜん別の国になってしまった
戦後は民主主義、戦前は軍国主義といわれる
→しかし本質的・構造的には、まったく同じ(アイソモーフィック)
 →民族性・エトスは時間では変化しない(現在の社会学の常識)

 

軍国主義とは何か
ミリタリズム(陸軍軍国主義)、またはネイビイズム(海軍軍国主義)
・軍事力を政治力にして、他国(弱国)を圧迫して自国の利権を拡大する。
→→(「太いこん棒を手に持って、静かにものをいえばいい」19世紀のアメリカ大統領の言葉)

→→砲艦外交(ガンボード・ボリシー) 強大な軍事力が背景に、他国を威嚇・脅迫する。

・戦力によって相手を圧倒するため、国家の総力を合理的・経済的に組織して軍事力に転換する体制のこと。
→日本でこれを提唱したのは、明治の「富国強兵」と昭和の石原莞爾の主張。(しかない)
→→近代工業を興して、経済力を向上させ、日本軍を近代化する。
→→それができるまで「
いかなる軍事行動にも反対」(負ける戦はしないというあたりまえの合理性)


成功したのは大戦中と冷戦中のアメリカ。
 →戦争に勝つために、自然科学、社会科学、物理、数学、心理学、人類学など、科学・学問の全分野の学者を動員して徹底的研究を行った

大戦中の日本は…
→大学教授だろうが、世界的医者だろうが、みんな二等兵として徴兵。
→若い軍曹がバンバンしごいて一兵士として使い捨てた。
→人的能力の戦力としての最適利用は考慮しなかった。 →非合理的で、軍国主義ではない。)

 


*軍事力の強化・近代化は、すべて軍国主義。
 軍国主義は、軍事力の計算にもとずく政治。
 相手より軍事力が弱ければ意味がない。軍事力という現実に立って判断する。
 →軍国主義者ならば、相手より弱かったら絶対に戦争反対の主張をする。
(極端な場合には、軍国主義者は降伏主義者となる。)戦争やったって敗けるから降参しとけ!


近代的軍隊とは何か (日本軍も含まれる、近代軍隊の組織原理とは何か)
・指揮系統に基づいて発せられる命令によって動く組織(勝手に行動できない)
 直属上官の命令以外、聞いてはいけない。階級が上でもすぐ下の部下にしか命令が出せない。
 別の部隊の兵を動かせない。(師団長が中将で、そばに上等兵がいても必ずしも命令は下せない)
任務の束(システム)で動いている。→任務でないことをやったら命令違反。
 →手柄をもとめて勝手に下の部隊が動くのは前近代的軍隊にしかありえない。前近代的軍隊でも、クロムウェル・信長などの組織的に発達した軍隊では許されなかった。(功名・抜け駆けは手柄にならず)
 →勝手に動いて手柄をたてても、命令違反で銃殺などの厳罰が待っている。→命令系統の否定だから

問題点・・しかし、軍隊は命令以外のことができないということを、一般日本人は戦前も戦後も理解していない。(勝手に虐殺行為はできない)

戦前の日本は、なぜ戦争をはじめたのか?
・戦力はなかった。→アメリカ・イギリス・中国相手の戦争。(全世界を敵にまわすも同然)
→なのに戦力の比較はくらべものにならない。
(
当時の日本軍は、兵器の質、軍隊の構成は19世紀水準。
→徒歩で移動する兵隊。単発の銃。馬にひかせる大砲。シャベルを使った軍事基地建設。などなど。
→戦車・航空機・軍艦など近代的工業を背景とした戦力・経済基盤では圧倒的に貧弱。
 たとえ国民経済を疲弊させて、足りない数を形ばかりそろえても、性能的に問題→経済水準が劣っている)

・本当の軍国主義者であれば…、
「これでは戦えない。政府はこの事態をどのように考えるのか」
 と、政府の責任を追及しなければならない。
 →そんな日本人は皆無→つまり…軍国主義者はいなかった
軍国主義者であれば、有利な情報は公表する。→威嚇(ブラフ)や抑止力に使う。
→戦力を実際に使用しないで効果をあげるのがもっとも有効と考える。


・日本の実体
→軍は、「忠勇無双なる将兵をもって守っていけばだいじょうぶだ」と気魄を強調。
→→事実に向き合わずに、目をそむけて逃避し、心理的に解決。勝てないというと、「敗北主義者・腰抜け」と非難されるのが怖。臆病者と呼ばれる勇気がない。けっきょく見てみぬふり。無責任。
→政府は、軍のことにふれられない。チェック機能の放棄。統帥権の独立を誤解していた。
→→クーデタの連続により政府要人の暗殺横行。軍のことは軍にまかす。(伝統的に農民、町民は武士にとやかくいえない心理がある)

 

統帥権の独立とは
・政治と軍事の、それぞれの指揮系統を分離すること。
(
成功した典型例は普仏戦争1870時のドイツ→ビスマルクの政府と、モルトケの軍部)

 お互いに得意分野に集中して、連絡をとりあい、協調して最大限の成果を達成。

 政治は軍の作戦の細部に口をださず、軍は外交や政治的決定に口を出さない。

・日本の理解
→軍隊を国民から隔離すること。軍が勝手なことをしてもよい。
→→どうにもならない徹底的誤解となった。

・「統帥権の独立」が意味をもつための必要条件
(1)
政府と軍部とのあいだの密接な協同(コーディネーション)がある。
→戦力は外交手段に転化しなければならない(クラウゼウィッツ思想)(これが普通の軍国主義)
(2)
最終司令官の命令には絶対服従する。→司令官は戦闘序列により決まっている。
→命令の流れる順序(軍務宣誓で定義)→勝手なことはできない


軍隊とは何か
 軍隊は絶対的な規律がなければ戦えない。勝てない。(命のやりとり)
 そのために、絶対的行動規制をどうやったら形成できるかが問題。

欧米的軍隊→傭兵が起源。秩序・序列は契約・宣誓で形成する。軍務宣誓(サクラメントウム)
→契約に任務の範囲が明確になっている→命令の順序が明確であり疑問の余地なし
(
たとえ統帥権が独立していようがなかろうが、総理大臣の命令には絶対服従する)
→欧米の場合、市民社会の基本原理である契約秩序をそのまま使用(無理がない)
市民社会における儀礼と軍隊内における儀礼はちがわない

日本的軍隊
→軍隊内規範を絶対化して組織を有効に機能させていた。
(「「この毛布のたたみ方はなんだ。こんなことで戦(いくさ)に勝てるか」「毛布のたたみ方と戦争とどういう関係があるんですか」「理屈をいうなっ」バシッ」)(山本七平) 暴力制裁
→近代的な軍隊的秩序は欧米からの「輸入品」。「組織のみ」の存在は日本になかった。
→契約社会でない日本の庶民・町人・商人を招集して、近代的な軍隊をつくり、欧米と外見は同じやり方をそのままやる。→大変な苦痛。契約社会の「果実」をもってきても、なかなか機能しない。方言ばかりで命令する言葉もないから。
→言葉を統一し、徹底した規範を設けて強制して組織を機能させた(一般社会からの乖離の発生)→なかなかうまくいかない。うまくいくまで問答無用でそれ以上の苦痛を与えて統制。
 言葉を奪う・暴力主義の密閉社会の誕生
→もともと議論もできない人間関係中心の日本社会で契約を説明しても欧米のような秩序はできない。中間プロセス一切ヌキで、末端には非合理的としかおもえない行動の強制がおこった→司令官がだれかなんて想像もできなくて当然

→日本には、軍務宣誓(サクラメントウム)という古代ローマ以来の伝統がない

→自分たちの総司令官が「天皇」だと誰も明確に意識していなかった。
→戦闘序列の下命ってのは天皇のみの権限であり、明確に文章化されていたのに現場ではその意識がない。
(
司令官がだれか明確ではない。よって政府と軍隊の関係もはっきりしない。)

日本の反軍国主義者とは
理屈抜きの横暴権力・シゴキをして反論を一切許さないから軍隊がキライ。
→ですから、戦争反対。(あたりまえ) 非日本的だからすごく居心地悪い。
軍国主義者というのは、そういうことを強行した者をいう。軍国主義ハンタイ(あたりまえ)
西欧的近代は当時の日本人にとって、まったくの非日本的生活を意味した

マニュアル主義
・マニュアルに行なうべきことがはっきり書いてあり、それ以外のことをしない・させない。
→契約組織ではマニュアルがないと何もできなくなる。
日本の場合→マニュアルそのままよりも、そのときの気分によっていろいろやり方変えないと面白くない。→しまいに名人芸になる
  ↓
大砲を撃つ場合
→マニュアルどおりなら、照準点がどこどこで、方向角、高低角、射距離、弾種(砲弾の種類)、信管、指名射とか連続射とかいろいろ明確に指示しなければならない。
日本ではマニュアルに決めてあってもやがては→「おおむねその方向、なにはともあれ、まず一発」となる

命令とは
欧米→具体的、明確であり、任務の束(システム)の集積。
日本→「命令」はいつもものすごく抽象的だった。(日本的変質)
「最初の三つは精神訓話が並んでるわけです。最後は「細部は参謀長をして指示せしむ」と書いてある。実際の命令ってのはそれだけ」山本七平
→実質は、現場の参謀にマル投げ→さらに現場はその場所の参謀に直接に命令をうけない。→さらにその下の部下に接触・打診・談合して「行政指導」(示唆)してもらう。

戦国時代と同じやり方への変質(日本軍の実質原理)

・参謀は戦目付(いくさめつけ)
→戦目付は、ぜんぜん命令は下さない。それでいて細目に関して変に干渉する。
命令系統という考え方がない
→実際にどういうような決断が下されるかは、戦目付と指揮官との微妙な関係・談合で「命令」が決まる
最終決定権がどっちであるのかは、そのときにならないとわからない。(空気)
→その時の実質的な関与・働きによって責任が発生する。
(
責任者は存在するがあらかじめ明確でない。定義できない。時に指揮官が責任をとらされ、時には戦目付けがハラを切る)
→日本人の先祖がえり
(近代的軍隊で400年前の戦国時代のシステムを再現し、現在の自衛隊もそうなりつつある?)()

 


「私物命令」という怪物(日本軍を苦しめたもの)

・指揮権のない参謀が勝手につくりあげる「私物命令」が横行していた。
→命令は、軍の法的な秩序とはまったく別な原理で決まるというありえない現象
「辻政信もそれを書いてましてね、シンガポール作戦のときに先頭を切ってた第五師団が自動車が足らなくなって困ったんだそうです。第十八師団から回せといっても、絶対に回さない。このさい、辻政信が十八師団の師団長に対して「閣下と同期の第五師団閣下がいま困っておられる」ということをいったら、それが決め手になったそうです。」小室直樹→この命令でない命令で、実質的に現場が動いてしまう。
「彼は、閣下の同期生なるぞ」→「予は鎌倉殿の弟であるぞ」と鎌倉時代の源義経が梶原景時をだまらせた論理と同じ。

 まったく別の原理で、でるはずのない命令が出てしまう。
捕虜虐殺命令も発信者不明で出せる。上からの命令を骨抜きにできる。
 (こんな組織に、統帥権の独立など与えたらどうなるか?)

勲章について
日本…
 個人の戦功が非常に重視される。それで感状をもらうのが最大の名誉
 (組織的戦功より、個人の働きに注目する)
→ところが個人的にはただ一人も生前に天皇から直接に勲章もらった人はいない
*日本軍は個人の名誉の積み重ねから成り立っている。
  →しかし勲章も爵位も個人にわたさない (大矛盾)

→軍隊組織という機能集団がすべて共同体になる→組織にすべて名誉が吸収
→名誉を組織全体の一種の基礎的財産(グルント・ライヒテイーム)とし、
→共同体が共同に占有して、その後にそれを個人に分配。
(中世共同体における土地の占有様式と同じ)
日本の軍隊は、強烈な連帯をもつ共同体原理のもとに立っていた→社会学的証明になる

 個人がもらっては、その共同体の内部にいられなくなる。居場所がなくなる。
 だから個人的報酬はないが、共同体にいるかぎり死にもの狂いで働く。
「いまの会社でもそうじゃないかなあ。あんまりやりすぎると「あいつはスタンドプレーが多すぎる」なんてことで、足引っばられちゃうんですね。逆に「いやいや、これは皆さんのおかげです」っていっていれば丸くおさまる。」山本七平

欧米…(日本のちょうど裏返し)
 組織が契約で統制されて、システムとして組織全体が動く。(ローマからの伝統)
→しかしすぐ勲章が個人にでる。英国の場合には勲章だけでなく爵位までも
 個人に名誉を与えるのに出しおしみはない。
「ヒトラーの場合も(中略)総統官邸の晩餐会(ばんさんかい)に招いて、ヒトラーが自ら鉄十字章をつけてやるだとか、そういうことやるから兵隊は必死になって働くので、日本でそんなこと一回もなかった。」山本七平

 

共同体の内部規範

戦前軍隊で私的制裁は初めから禁止→特に東条首相は、私的制裁禁止の励行にものすごく厳格→しかし内務班における私的制裁はいっこうになくならない(軍隊内リンチ)
・天皇だろうが独裁者からであろうが、上からの命令(統制)が末端直前でストップする。
 末端→末端部分でまとまっている(独立)共同体→独自の規範でそれぞれ動く
(
内務班長が非常に温情家であれば内部制裁はまったくない。内務班ごとに程度は千差万別。)
 リンチがあっても内部告発できない。
(リンチは上からの命令違反。しかし摘発不能。戦後も企業内の内部告発できないのも同様)
天皇の命令や独裁官の司令といえども外部規範
→内部規範が圧倒的に優先
→天皇絶対と天皇の命令を拒否することはまったく矛盾しない
日本の場合、「一君万民」
→一人の現人神と万民→個人と天皇が直接対決しない。(共同体が中間媒介)

欧米の場合、「唯一絶対神」
→当人がいかなる共同体に属そうと、神と自分の内面との対決する

(God
と個人が直接むすびつくため、一神教は日本では排斥される→共同体の自転をとめてしまう→社会秩序への挑戦となる
「それがあるからキリシタンはいけないということを江戸時代すでに鈴木正三はいってるし、新井白石も、それをいってる」山本七平


儒教→「天を敬うことあり」→皇帝のみが天をうやまい→諸侯は皇帝を天とする→家臣は諸侯を敬う→子供は親を敬う(すぐ自分の上が天である)
キリスト教→個人が直接天を敬ってしまう、神と対決する
(
儒教的には天が二つできてしまう→これがよろしくない→キリシタン弾圧の理由)

どんな命令が有効か
欧米→個人の国家に対する直接契約で軍を構成。
 →命令に絶対服従(合法的なものに限る。違法な命令は初めから無効)
日本→形式は欧米のものを輸入
 →命令に絶対服従(共同体原理絶対で強制して従わせる。反論は許さない)
 →→そのため、根本的な国家の命令と共同体の命令で矛盾が発生する
 →共同体の命令の方が優先してしまう。しないと組織が動かない。
(では、上官が天皇を殺せといったらどうなるか?)
 
言葉による反論を認めないので、矛盾が解消できない。奴隷状態になりうる
 
2.26事件時に噴出
 明らかに不当な命令でも、そむくかそむかないかは、微妙な状況によって変化する。状況規範であり、決まった回答がない。→結果として無原則にみえる(実は別の秩序がある)
 
法の秩序がない(別の秩序がある→共同体に不当な命令(不法命令にあたる)は骨抜きにして無力化)

命令の有効性

日本の軍隊の場合

 →「上官の言う事」をきくかどうかは、微妙な状況によって規定(状況規範)

  →一般規範(市民社会)ではなしに、共同体内規範(共同体)が優先

  →命令するには人望(共同体内での信望)が必要

   →人望がなければ合法的命令でもいつのまにか実質骨抜きになる(実効性失う)
   →人望がないのは致命的(今の会社でも同じ)

近代ヨーロッパの軍隊

 →有効な命令はその内容にかかわらず兵隊は絶対服従。ひと言も反対できない。

  →しかし、命令以外にはまったく服従する必要はない。
  →合法的な「命令」のみが絶対服従。違法な命令は初めから、効力ない

 

 

責任とは何か
日本人における責任

・敗戦があった場合に指揮官は責任をとるか?
 →軍法会議にかけられた司令官はいない。

  →しかし追求されるときはある→詰め腹は切らされることがある。
 その場合でも、本人が責任を感じて、それに応じた態度をとれば、もう公的責任はなくなる。

 

幕府の問題

幕府とはそもそもなにか?
 →正式な政府ではない(朝廷の下の臨時軍司令部の扱い)
  →制度でなくて下位制度(サブ・インスティテューション)→政府の法制的根拠なし

しかし、実質的に日本全土を統治した

 →下部の組織が正式政府の統制をはなれて、自立・自転して、拡大した

(現在の官僚が、大臣の命令を実質的に骨抜きして、独自に作った行政指導という私物命令で、全日本に指示するのと同じ現象)

(陸軍も同様。三長官会議(陸軍大臣参謀総長陸軍教育総監)が協議して新内閣に陸軍大臣を推薦しないことで都合の悪い内閣を流産させた。実質的に陸軍が総理大臣指名権を持った)などは、議会の推挙をうけて天皇が指示する総理を、結果的に否定・私的蹂躙するもので、議会と天皇に対する反乱と呼ばれてもいいはず→なのに、通用してしまった→陸軍幕府も同然)

 

なぜ「三長官会議」という下部組織が力を持ちうるのか?

・近代国家や立憲の本義からは絶対に許容不可能。→政府の私物化、恣意化

・道徳的にいって天皇への反逆にもあたる。→天皇の命令を無視するから

→憲法からいっても尊皇思想からいっても、言語道断のはず。

 →しかし、その当事者の陸軍がもっとも「天皇」に対して忠実であると自覚していた

  →パラドックス

 

立憲君主としての天皇を支持するもの

 →憲法を根拠に近代立憲君主として天皇を支える人間→いなかった

正統なる皇国日本の統治者としての天皇を支持するもの

 →尊王思想によって万世一系への忠誠により天皇をささえる人間→いなかった

*両方のアプローチのどらちから見ても、日本の統治者は実質的に天皇ではなかった

 →戦前の日本は「天皇制国家」ではなかった。(形式だけだった)

 

天皇はまったく無意味である→だから、絶対である(といわざるを得ない)

 →しかしまったく無意味に扱っている当事者が、最も「天皇絶対」と主張している

  →偽善者ではない。本気でそういってる。→だから最高度に始末が悪い

・戦前に天皇の命令にいちばん服従しなかったのは

 →右翼と軍部

  →しかも、軍部は上に行けば行くほど服従しなくなる。

・戦前に法律を最も守らなかったのが役人と警察

 →思想宗教の弾圧で、法治国として問題外の行為を私的命令で行なった

→なぜか

  →天皇に対する忠誠を定義するマニュアルがない。

  →法律を厳格に解釈する「つもり」がない

 →問題は同根。

  →いずれも私物命令で運用する→絶対と個人の判断を、「純粋」で埋めてしまう。

 →「純粋」で「私利私欲」なければ…→心理的に問題を解決してしまえる。

 

(主君の馬前において討ち死にする+主君の責めを負って切腹する(自分の命をなげだす)

 →これは武士道の最高の規範。なにか理屈いったらだめ
  →この覚悟があれば、時にお家のために主人さえ殺せる→純粋であればいい)

 

 



 第一部 結論

戦前の日本は軍国主義国家のように見えながら、軍国主義とは最も遠い国家である
戦前の日本は天皇制国家ではない。天皇主義者は一人もいなかった。

戦前の日本で、忠孝の概念(コンセプト)を誰も理解していなかった。

戦前の日本で、天皇の命令に最も服従しなかったのが右翼と軍隊だった。

 

戦後の日本はデモクラシー国家ではない

戦後の日本国民はデモクラシーとは何かについて少しも理解していない。

 

戦前、戦後を通じて

社会的自由もなければ、言論の自由もない。

政治的自由もなく、国民主権もない。

 

 


 

 結(まあ蛇足のヘボ書き)

 

 過激なもんですね。お見事。

 

 いろいろ突っ込むところ満載でしょうが、どうか枝葉末節のアゲアシ取りではなくて、(感情的バリゾーゴンではなくて) 事実の指摘の積み上げで、冷静に楽しく議論していきたいものです。

 

 まだまだ、この本の「日本の社会・組織力学」の構造の分析は序盤です。

 次からが本論です。

 いろいろと、興味深い日本の内部構造に切り込んでまいります。


2005/10/10(
改定)