落日の王都へ


 「えっ、90分前に空港ですか? だって国内線でしょ?」
「そうなんです。ラオス航空は90分前からチェックインできますし、早め行ったほうが良いと思います」とルアン・パバーン行きのチケットを発券してくれた代理店のオッチャンは言った。
日本の国内線の「15分前には搭乗手続きをお済ませください、10分前には搭乗口におこしください。」のコピーを思い出した・・・でも90分前に行かなければならない理由があるはずである。
ビエンチャン・ワッタイ空港国内線ターミナル。

国際線ターミナルは近年日本のODA援助で建てられた立派な空港であるが、その隣の国内線は古色蒼然としている・・・(^^;;
チェックインカウンターのある場所もすごくわかりにくい。
なんとか見つけてカウンターに行き、機内預けの荷物を計るのは、なんと台秤。なんか風呂屋の体重計である。ここに荷物をのせて、人力で後ろに待っているトラックに運んでいる。
こりゃ時間がかかるわけだ。
ルアン・パバーン行きのフライトは、フランスの航空機製造メーカー、アエロスパシアル製ATR72。
ラオス航空の飛行機で一番大きい機種で72人乗りのレシプロ機。
国際線に停まっているタイ航空のエアバスA300がえらく大きく見える・・・(^^;;

またルアン・パバーン行きの乗客は、ほとんど観光客であり8割が白人であった。
ラオスからバスだと10時間片道4US$、飛行機だと45分往復で110US$(外国人料金である)・・・さすがに路線バス10時間乗る根性は無いので、まよわず飛行機を選んだ。
待ち合い室に行くのに、IDやパスポートチェックまであった。これは国内移動に監視をしていた頃の名残である。
空港は、この手の国によくあるように軍用空港と供用しているので広い広い。
また滑走路の端には、ソ連や中国の古い飛行機が放置されている。
定刻より30分ほど遅れて離陸した。

ルアン・パバーン・・・日本の京都と同じく、14世紀常にラオスの都であり中心であった。

数多くの寺院があり、1995年にはラオスで唯一世界遺産に指定されている。

だいたい今回ラオスに来たのも理由が希薄なので、ルアン・パバーンは全く考えていなかった。

ただビエンチャンという街に何日も滞在するという気はおこらなかったので、ここまで来てタイに戻るのも何だし、ルアン・パバーンに行ってみようかな程度の考えで決めた。
機体は、ルアン・パバーン空港に着陸。

空港から例によって他国の旅行者5人とシェアして乗合タクシーで街中へ。
運転手は、一人ひとりの希望を聞いて
「できるだけ安いゲストハウス」
「××ホテル」
などリクエストを聞いて車を走らせている。

どうやら、どこかのホテルと契約してコミッションを取っている風でもなさそうだ。
私は、希望ホテルがなかったので、中心部で20US$程度のホテルとリクエストしていた。

途中1人降り、2人降りと、最後に残ったカナダ人カップルのリクエストで「ヘリテッジ・ゲストハウス」に着いた時、運転手は「おまえはどうする?」と聞いてきた。

世界遺産の町で、「ヘリテッジ(遺産)」の泊まるのも一興かな。建物そのものも遺産みたいに古そうである・・・
カウンターに行くと愛想の良いお姉ちゃんが、
「1泊10US$、パスポート見せて・・・」
パスポートを見せると
「おぉ、メイド・イン・ジャパン・・・チャイナじゃない。」
「そうだよ、私はメイド・イン・ジャパンだ。」と言ったらえらく受けてしまった。
さてと地図を見てみると、なんと小さな町だこと。

プラプラ歩いても充分まわれる。

りあえずは中心部に行き・・・といってもゲストハウスから5分もかからないが。



328段のプーシーの丘を登り、町を一望して地図と擦りあわせていく。


京都なみにお寺が隣り合わせに建っている。

また日本と違い、こちらの寺は金色に光り輝いているので目立つこと目立つこと。
ちょっと市場をを覗きに行った。



























フラフラと歩いていると学校の下校時間にあたった。
みんな民族衣装の「シン」のスカートで可愛い。










ルアン・パバーンの象徴のワット・シェントーンに行った。

この寺だけではなく、各寺には住み込みの僧がおり、午後の時間は、どの僧もノンビリとしている。






















観光客は、町の規模から見るとすごく多い、それも白人系が目立つこと目立つこと。

メイン・ストリートはそのような観光客向けのレストラン、土産物屋やインターネットカフェで埋まっている。

その光景は、観光客で荒らされているという雰囲気ではなく、ラオス人の気質なのかうまく折り合いをつけている感じであった。

そろそろ日没である。


メコンのほとりのナイトマーケット へ

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