それは、職場で夏期休暇制度が出来てまもなくだった。今年の夏はどうしょうかなと頭の隅で考えながら、新聞を見ていたとき目に飛び込んできたのは、ひときわ目立つ囲み記事でこう書いてあった。四万十川の上流から下流までの196qを3泊4日でキャンプしながらサイクリング。流域市町村が主催して、参加費は2万円というものだった。開催は平日だったが、早々新休暇を使って参加しょうと思った。まわりに参加を募ると5人集まった。 参加に当たって、集合場所はいろいろと選べたが、出発地点となる東津野村船戸に現地集合することにした。二人は自分のマウンテンバイクを持ち込みたいと車に積んで現地へ(後日ひどい目にあう)私は最寄り駅となっている窪川駅へ。土讃線を逆方向に乗ったことがないので汽車で行くことにした。残りの二人は、直通バスで現地へと向かった。窪川駅までの車窓は、車で見る景色とはだいぶ印象が違ってみえた、途中海水浴場がすぐ近くにある駅などもあり発見があった。しばしではあったが旅行気分を味わった。ホームに着くと「歓迎四万十あったかサイクリング」の文字が目に飛びこんできた。町ぐるみで盛りあげようとする意気込みが感じられる。汽車で来てよかったと思った。出発地点となる船戸までは駅から送迎してくれる。スクールバスが迎えにきていた。自転車を運ぶのであろう農協のトラックも来ていた。 四万十川上流の町に着いた。現地に着くと車組が時間を持てあまして待っていた。少し騒がしくなったと思ったら、源流点見学バスが出るらしい。直通バス組がまだ来ない。出発直前になって乗り込んできた。セーフ。全員そろった。この辺りの道は非常に狭い。バスは道幅いっぱいに家の軒先をかすめながら走る。すれ違いはたいへんだが大型車も親切だ。あいさつもかかさない。みんなが知り合いらしい。バスの中はだんだんあつくなってきた。参加者の熱気でもあるようだ。「ここからは道が狭くなりますので注意して下さい」と案内がある。もう十分狭いと思っていたが、もっと狭くなると思うと気が気ではないが思わず笑いが出てしまう。都会から来ているらしい。小枝がさかんに窓にぶつかってくる。不入山を登っている。源流地点がある山である。前日の雨のせいか道まで雨水がふき出しところどころ滝のように流れ出していた。細い道をやっと曲がりながら坂道を登っていく。もう道はとっくにジャリ道である。かなりのデコボコ道である。それに時たま大きくゆれる。穴凹が空いているらしい。まもなくバスでは行けなくなった。ここから、源流点まで歩くことになった。山道は参加者の列 が長く延び、沢を何度か飛び越えて進む。ぬかるんですべりやすい。川は遠ざかったかと思うと滝のような音とともに近づいてきた。やっと源流点に着いた。とりあえず記念写真はかかせない。ここが源流点か。としばらく休む。帰りもバスは大きくゆれた。突然大きなガタンガタンという音と共にまもなくバスが止まった。道には黒い帯が延びている。歩くしかないと直感した。主催者はたいへん気にして、平謝りであったが、オイル漏れのバスをバックにしっかり写真を撮った、かえって思い出になってよかった。結局、下り坂なのでオイルなしで惰性で降りて帰れた。 受付が始まった。Tシャツと帽子、手ぶくろ、それに到着証明となるスタンプ用台紙をもらう。保険証のコピーを渡す。参加者は百人ぐらいらしい。借りたテントの設営にかかる。今日のキャンプは、村の公民館のグランドらしい。地面は土なので寝れそうである。夜は地元婦人会が、数日前から手によりをかけて作った郷土料理であった。バイキングスタイルで並んでいるのを、青年団が不入山から切り出してきた孟宗竹の器に盛って食べる。ハシまで竹だった。源流の町にいる気分になれた。山のごちそうを食べながら、津野山古式神楽を見る。文化財に指定されているそうで、通常は八時間もかかるそうだが、特別に1.2時間に短縮して見せてくれるそうだ。手作りの舞台と松明のあかりの中でみる神楽は、それこそ幻想的という言葉がぴったりで、その独特のリズムは覚えやすく、どこか遠い昔聞いたような音色の様でもあり、なつかしくもあった。いいものを見させてもらった。雲ゆきがあやしくなり、夜半すぎポツポツと音がすると思ったら雨になった。小雨だったが、時おり風をともなって強くなったりしながら降っていた。うとうとしながら夢の中で聞いていた。 よく朝は、雨など心配いらないほど、すばらしい天気となった。後ろを流れる川音も少し大きくなったようだ。タオルをもって川を降り顔を洗うと、ひんやりすると思った水は、雨のぬくもりを含んでいるようで冷たくなかった。いよいよ出発である。黄色のシャツを着たスタッフを先頭に一列で走る。沿道は地元のおばちゃん連中が盛んに人が手をふってくれた。町の大イベントを意識した。こっちも手をふりかえす。いなかの温かさが伝わってくる出発だった。朝の自転車は軽快に走った。少し物足りないと思うほど、早く大野見村に着いてしまった。やっぱりけっこう走ったかもしれない。自転車を降りるとすぐ到着証明となるスタンプをもらう。ここの施設は新しそうだ都会から来るのだろうか、バンガローがいくつか立ち並んでいた。下には施設を囲むように小川が流れている。釣りもできそうだ。村の名士のあいさつが始まる。これから先も、新しいまちでは必ずあいさつがあった。お昼は、アメゴの炭火焼きだった。塩かげんもいい。何よりも四万十川らしいメニューが嬉しい。オニギリともよくあった。腹ごなしにアメゴ釣りをした。竿とエサのイクラは用意されていた。よく釣れる。だいぶ 放流しているらしい。テレビの取材が来ていた(後日、聞いた話しによるとニュースになったらしいが、ビデオにとった人はいなかった)。いっしょに行ったのが、ガキンチョと一緒に釣りをしているところを撮されたようだった。 窪川町へ向かって走る。気温はうなぎ登りに上がるが、それでも川沿いは木々が多く、幾分涼しい。四万十川も徐々に川幅を広げていった。休憩所の天満宮キャンプ場に着くと、しばらく休憩するようなので、いちもくさんに川に降りて泳いだ。イカダ下りもした。初めて清流にふれた気がした。今日の宿泊地である三堰キャンプ場に着いた。ここは川が堰き止められていて湖のように広い。テントをはろうと思うが、どこもこぶし大の石がごろごろしている。草のはえている上にテントをはるが、下は石でデコボコだった。これでは、夜はとても寝れそうもない。夕食は.バーベキューとなった。窪川牛はうまかった。こんなうまい肉をはじめて食べた気がした。大野見で釣ったアメゴも塩焼きにして食べた。腹いっぱい食べたが、全部食べられなかった。何か申し訳ない気がした。特設ステージでは、四万十太鼓を見せてくれるらしい。太鼓を本格的に見るのは初めてかも知れない。さすが全国大会にも出場しているだけあった。夜空をつんざくような力強さ、そして対照的な静の場面へと移っていく。動きが軽快だった。その力強さは、山里の夜に挑戦しているようでもあり、静かさは遠い彼方から何か やってくるような期待感を感じさせられる。いつまでも耳から離れなかった。最後はキャンプファイヤーで締めくくられた、参加者と懇親を深めた。 早朝起きると、川面全体に霧がかかっていた。四万十川の広い水面を、あやしく霧にかすむ木々が写っている。窪川は霧の町といわれているが、なるほどと思った。(そういえば津和野もそうだった。)時の流れがとてもゆるやかに感じた、早朝のひとときだった。昼は一転して猛暑と化した。川幅も広がり、道路も広がる。一方、木々は遠ざかっていった。照り返しがきつい。四国の夏である。大正町に着いた。昼はカレーライスだった。ほんとに久しぶりに食べた気がした。サイクリングに合わせたのか、町は夏祭りだった。伝統芸能の熊野神社の牛鬼を見ることができた。(宇和島のと似ていた。)小高いところにある公園には、1トンはあろうかという大きな石の羽根の風車があった。それでも風が吹くと回るらしい。近くで見ると軸は、さすがに精密にできていて、これなら回るのもおかしくないと思えた。微風と思える風でまわっている。眼下には四万十川がみえる。去年、キャンプをした河原もみえる。なつかしかった。次の十和村ではカヌーをするらしい。増水しているので中止するかもしれないという話もあったが、どうにかやることができた。初挑戦は、流れがすこしきつかった。いくら力づ くでこいでも、左右に曲がってしまいまっすぐ進まない。流れに逆らおうものなら沈してしまう。初挑戦はさんざんだった。(後日、日を改めて再挑戦した。再々挑戦もした。)。 日焼けがひりひりしだした。痛い。宿泊地の西土佐村へ着いた。テントは公園内に張るという。前日は地面のあまりのひどさに、急きょダンボールが運び込まれたほどだったが、今日は寝れそうだ。夜、アユの火振り漁の予定であったが、水かさの関係で中止となってしまった。残念だった。その夜はスターウオッチングに出かけた。山の中の村ではあるが、りっぱな施設があり土星の輪を見ることができた。どこでも見える気もするが、西土佐で見たということで納得させた。夏の夜の、星の話はロマンチックである。いいことを教えてもらった。星座の星と星をつないだ三角形の中に、星をいくつ見ることができるかで、その場所のスターウォッチング指数となり、優劣が決められるそうだ。ここは結構いいポイントらしい。最後の夜は、たき火を囲んでの懇親会となった。 今日はいよいよ最終日である。四万十川が太平洋にそそぐ中村市へ。その昔、京都の一条家が移り住み発展してきた街で、高知では小京都と呼ばれている。中村までの道は、絵はがきでよく見かける風景が続く。ゆったり大きく、雄大に流れる四万十川である。有名な佐田の沈下橋を渡る。名前の通り増水のときは沈んでしまう。欄干もない橋であるが、風景によくとけ込んでいた。増水で濁りかげんだった川の水もだいぶ澄んできたようだ。遠くに中村の赤鉄橋が見える。屋形船の発着場もある。いよいよゴールも近い。四万十川は日本最後の清流と呼ばれているが、四国には他にも清流が多い。高知の人は、夏は川で泳ぐ人が多い。それに、ちょうど泳ぎやすい瀬もたくさんある。最初はみんなどこに行くのか理解できなかった。 しかし、それでも最近は汚染がひどいらしい。四万十川も例外ではない。生活すること自体が汚すことであり、そこにじれんまがあるようだ。それでも、上流の人たちは廃油から石鹸を作ったりして努力しているという。記念に一個石鹸をもらったが、これが良く落ちる石鹸なのには驚いた。 ゴールの下田大規模公園が前方の小高い丘の上に見えてくる。もうすぐゴールだ。心臓やぶりの坂を越えるとゴールの大きな旗のゲートが見えた。最後は全員で競争だった。ここでは、高い変速ギヤ付きの自転車にはかなわない。それでも必死にこいだ。ゴールになだれ込む。 高台の公園には、展望台があった。螺旋状の階段を上っていくと、広く青い太平洋が静かに横たわっていた。今まで見たどんな海より大きく青い海だった。休憩しながら、みんなで静かに眺めた。海風がここちよかった。源流点でチョロチョロ流れていたあの小川が、今大河となって海にそそいでいる。サイクリングの道のりと重ねてみていた。来年また来ようと思った。 追伸 2年目は、台風の中参加した。キャンプは大雨でできず、体育館に寝泊まったりして、ズブヌレになりながらのサイクリングとなった。2回大会より、2泊3日に短縮された。今年も七月三十日から八月一日に第3回大会がある。後日、写真入りの実施報告書が届くのもうれしい。テレビから流れる「この川は水のしずくまで元気でした」というビールのコマーシャルが気になる夏前である。 *これは、数年前に文集に載せた物です |