はじめてカヌーをしたのは、四万十サイクリングのときだった。、平成3年の8月だった。その日は雨の後で、増水のため流れが速いので、岸をうろうろしただけだった。妙にフラフラして安定性が無く、今一消化不良に終わった。
そんなころ、カヌー大学に行かないかという話が、高知県本山町によく仕事に行っている職場の人から誘いがあった。吉野川の上流、近くに大歩危、小歩危、大豊町などがあるところだった。集まったのが、50歳代2人と私だった。高知市からははっきり覚えてないが、50キロ以上高松方面にあるところだ。現地の喫茶店集合となった。村主催で山用品を作っている会社”モンベル”が、後援していて、1泊2日コースだった。
当日は、雨による増水で結構流れが急だった。始まる前、モンベルでTシャツを売っていたので、エスニック調のガラのを購入してさっそく着ることにした。しばらくたつと放送があり、社長みずからサインをしてくれるらしい。さっき買ったんですがいいですか。と聞くと。OKだった。社長は短パン姿で若かった。社長室は野外と言われるほど活動的な社長らしい。しかし、サインを書こうとするが写らない。少々濡れているためか?お客さん汗臭いよと冗談に?言われながら、最近はこんなガラが売れるんだよな、とか言いながら書くいていたが、相変わらず写りが悪い。結局マジックを変えたら鮮明に写った。カヌーにチャレンジという文字とカヌーの絵にサイン付きだった。はじめてサインなんぞというものをもらった。たしか辰野勇さんとかいっていた。当日はインストラクターも数人同行していた。町もカヌーが盛んらしく、世話役の役場の人も上手だった。前回のサイクリングである程度基礎は聞いていたので、初心者としては少し余裕があった。それでも、カヌーを少し傾けて、カヌーの上を水を通すなんてことまで言い出したので、たいへんだった。沈をしたら、ピースをしてから焦らないで起きてください。は印象に残ったアドバイスだった。それでも、沈をする場所が悪いと、渦の中からはい上がれなくなることもあるらしい。そんなときは、すぐはい上がろうとせず、川底の地面をはって渦をさけて少し移動するんだ。と言う話には驚いてしまった。夜の懇親会は、さすがに若い人が多かったので盛り上がった。辰野氏も積極的に話をしていた。黒部川をカヌーで下った話を聞いたりした。漕ぐより、落ちていくという感じらしい。海外の水のきれいなところでは、一回転して水をのむとか言う話もしていた。日本から行ったので現地の人に言われるまで、こぎながら水を飲むなど考えも及ばなかったそうだ。当時の日本のカヌー人口をたしか、10万とかいっていたと思ったが、たいそうな数に聞こえるが、規模としてはまだまだ少ないスポーツのようだ。健ちょう者でなくても、やれるとも話していた。その晩は、町の公民館のような所にごろ寝だった。夜はゴーゴーといびきがひどかった。
翌日は、チームに分かれてバトンリレー(カヌーを乗り換えて一周回る)をした。なんと私たちのチームは優勝だったか?商品をもらってしまった。5人ぐらいのチームで、みんな知らない人ばかりだったがさすがに盛り上がってしまった。最終日は、一番したかったツーリングに出かけた。2キロぐらいだったろうか川を下った。風景は格別だった。途中岩場があり、荒々しく、白いしぶきをあげているところがあった。ひっしに漕いだ。ここで沈したらどうなるか解らない。腕は動きを止めないでかくようにとスタッフが大声で教えてくれた。ちょうどジェットコースターに乗っている感じだった。それ以上だった。初心者がこんなところを漕ぐとは思わなかった。カヌーからの風景は、今までの目線とはすべてが違って見えた。水とすごく近かった。きれいな所では、ほんとに清流にふれていると言った感じだった。主催者が最後に言ったのはこうだった。増水で流れが速くて最初は大丈夫かと思ったが、急流の方が上達するもんですね。だった。難しい講習会だったようだ。最後に週末補習授業をしてい
るので、参加してください。という連絡があった。この年の8月は遊び回っていたので、結局補習は8月の最終日1日しか行けなかった。1人で車で行った。今思うとあんな遠くまでよく行ったとつくづく思う。当日は初心者らしき人が10人近く集まった。車のキーをどうするか困っていると、役場の人は、この町には車を持ってくような人はいないので、付けといて大丈夫だという。安全な町なんだなと関心してしまった。補習授業は過激だった。ただのっぺらと、漕いでいてはすぐあきてしまう。結局急流をどう乗り切るかを講習する会となった。急流に立ち向かって、何度も沈を繰り返すことになった。さすがに、町の人はうまかった。はじめてまもなく大きな壁にぶつかってしまった。沈すると、岸まで艇を運んで水抜きするのがたいへんだった。このころには水泳も上達していたので泳ぎは心配なかったが、泳げなかったら決してしなかったと思う。
これに平行して、高知市の青年センターでもカヌー教室があるらしいので、応募しておいた。申し込み当日の朝一番で電話すると募集枠内に入った。これも1人で参加したが、地元の若者20−30人とマイクロバスで愛媛県の肱川までいった。このころには、この手のツアー参加慣れをしていた。知らないところに飛び込んでいくのが好きだった。教室では、カヌー大学に行ったというとすごくうまく思われたが、実力はド初心者に近かった。それでも、さすがに余裕があった。肱川は、風景もよく、変化もありとてもいいところだった。風景が楽しめた。泊まったのは大洲青年の家だった。学生が宿泊するのと違ってわりかし自由だった。そこの職員の人とも懇親会では、いっしょだった。夜は、河原でイモ煮会、わらのスカートをはいた鵜匠がきていて、鵜飼いもみせてもらった。その夜は遅くまで懇親会となった。後日、市内で打ち上げパーティーもした。メンバーの一人は実家が飲み屋を経営していた。
ここまで、書いて思い出した。当時の目標はいつか釧路湿原でカヌーか南の島のマングローブが生えているような所をカヌーして回ることだった。そして、カナダかどこかの、水のきれいなところで、カヌーをしながらのどが渇いたら、んー名前を忘れてしまった。沈したとき復帰するのを?インディアンロールだったかカナディアンロールだったか、をして水を飲むのを。今年の夏は、久しぶりに復帰してみるか?
そういえば沢下りもした。これはライフジャケットを着て急流を下るものだったが、前足を前に出して障害物をさけて下っていくのだが、けっこうおもしろかった。障害物がなくて助かったが、あったらどうなっていたかはわからない。ライフジャケットもいい物は、体が半分ぐらい浮く感じで、手漕ぎボートで貸してくれるような薄っぺらのとは違う。時間つぶしにやったが結構おもしろかった。手漕ぎボートとカヌーを比べると、やはり目線がすこし違う気がする、カヌーはもっと水に近い、カヌーは水に座っている感じだった。