はっきり言って英語は好きでなかった、これを確実なことにしたのは中学2年の春頃、4級の英検テストがあって落ちたことだった。クラスのほとんどのものが、受かっていたような気がする。秋にはさすがに合格したが、以後英検は受けていない。3級は会話があるので受ける気もしなかった。勉強は試験の前にしかしなかったので英語では困った。ほとんど例文を暗記し、単語を少々覚えただけだった。
しかし、高校生になったら英語がやたらと難しくなった。暗記するだけで点数が取れる問題はなかった。高校生では3級を受けて落ちると、ばかにされそうだったので受けなかった。2年生からは、学力別クラス編成になった。最低レベルのCクラスだった。受験勉強というものはしたことがなかったが、以前よりテスト前は少しがんばることにした。次のクラス編成では、Bクラスになった。まんざらでもないなと思っているとクラスは固定になってしまった。以後は適当にすませた。
社会人になってしばらくして、高知に転勤となった。職場でお金を出してくれて、英会話スクールに通わせてくれるらしい。しかも、プライベートレッスンのようだった。久しぶりに英語にチャレンジすることにした。今思えば、苦手ではあったが興味はあった。初日の実力測定は外国人だった。質問はところどころわかったが、答えられたのは年齢ぐらいだった。年齢も、ツエンティ・・。と言おうとも思ったが英語らしいツエニィを使ってみたら通じなかった。ジオスの先生は同年代の日本人になった。半年、24日ほどやったと思う。すこしだけ自信がついた。学校生活では6年も勉強したはずが、一言も出てこなかった。ぜんぜん身に付いてないのを思い知らされることとなった。
つくばに帰ってきて、また英語研修を受けることにした。現在も続けているOB会の発足の元になった研修だった。研修の最後にあまり上達しないので、OB会をつくろうという話が出た。先生は、研修の主催機関である科技庁の研修担当者が見つけてくれた。当時は場所も貸してくれた。最初に会をつくろうと言い出した人がえらかった。”幹事は私がやりますから”、こんな人は、なかなかいないと感心した。ほとんどの人は、自分から名乗り出ないであろう。その人も沖縄に転勤になったので、現在は私が長期の暫定幹事をしている。
追伸
コンプレックスを英語ではInferiorityが頭に付くらしい。ちなみに優越感もComplex?