東京湾クルージング


5年に1度ある船舶免許の更新講習はJEIS(財団法人日本船舶職員養成協会)で行った。JEISが発行しているJEIS MATEという機関誌に、ナビゲイションセミナーという講習会の紹介があった。セミナーは日本各地で開催されているらしい。関東地域は、横浜の本牧埠頭から三浦半島方面を往復する東京湾で行われている。受講料は22,000円。定員が10名。日帰りである。最初に目にしたのはだいぶ前の講習の時だった。行ってみたいと思ってはいたが決断ができなかった。JEIS MATEを定期購読するようになって10月4日に開催されるナビゲイションセミナーがあることを知った。ちょつと遅いかなと思いつつ9月中旬に電話したところ、ちょうど1名キャンセルがあって参加できるらしい。思い切って参加することにした。
2000年10月4日水曜日、仕事はお休みを頂いた。天気予報では関東南部の沿岸部で少し雨が降るということだった。5時40分発。つくばから常磐高速谷和原インターへ。三郷料金所を過ぎたあたりから加平まで渋滞になった。9時の集合時間に間に合うか心配になる。湾岸線は以外と空いていて、8時には到着できた。高速の本牧出口では雨がぽつぽつと降ってきて、今日は降られるかなと思った。
 前日酔い止めを購入した。船長だが船酔いに弱い。車の中で注意書きを読むと、なんと”運転をする人は飲まないように!”と注意書きにあった。たしか飲むと眠くなる。目が白くまぶしくなるようなことも書いてある。封を切ってしばらく眺めたが、結局飲まないでがんばることにした。9時に出欠を取ると参加者は7名で3名はキャンセルだった。開催日間近に、結構キャンセルがあるようだ。船は、JEIS関東支部から歩いて数分の所、ちょうど本牧橋のすぐ近くに停泊していた。第一印象は思ったより大きな船だった。船は15tの大型クルーザーだった。1級の資格で乗れる船で講習・試験艇に使われているようだった。専用桟橋につながれていた。乗船する。地下には船員室(ベット)があった。操縦席は広かった。船の中央にはテーブルがあり海図を見ながら運航計画をたてるように出来ている。早々、コンパス、三角定規を使って海図に予定航路を引いていく。航海計画をたてる。免許を取って11年たつがペーパードライバーなので、なかなか話に入っていけなかった。法規も何もかも忘れていた。もっとも朝の1時間の待ち時間で、少しは学科試験の教科書を読んで、にわか勉強はした。予定航路は、最初に陸からある程度の距離を置いて出発地点から定規で直線を引く、陸の曲がりぐらい等で主要変針点を決める。最初の変針地点をNo1ブイに次は浦賀No5ブイ−観音崎−剣崎−城ヶ島と目的地三崎町小網代(シーボニア)までの航海計画をたてた。磁針路を計り船の磁針路をその数字にあわせながら直線的に進んでいく。変針地までの航程の距離を計算した。揺れる船の上では予定速力から変針点までの所要時間を計算した。変針地を前もって確認できるようにするためだ。走行して行くとそろそろ、前方にNo1ブイが見える頃だということになる。針路を158度(数字は適当)に変針をする心の準備をすることになる。

 出発前停泊中の船は揺れた、ここで酔っては話にならないと地図を見つめたが出航まで大丈夫だった。湾内の海は荒れていた。船長に聞くと波は無いという。港内はたくさんの船が通るため、たくさんの波が重なりあって複雑な波(三角波のようなもの)ができているという。曇りで暗かったせいもあり、やけに湾内の波が荒々しく映った。真っ直ぐに進もうにも舵を取られそうである。湾内の少し広くなったところで船長(教官)から生徒に運転が変わった。10分おきに操縦を入れ替わって進む。私の順番は3番目だった。1番が運転。2番が見張り。ワッチと言っていたがwatchのことだろうか?見張りは他船の警戒と漂流物の発見が任務である。教官が右はじ。中央が操縦者。左が見張りという配置である。前列に3人並ぶ。もう1人の年輩の教官が後ろのテーブルで、海図をみながら残りのメンバーに教えてくれる。船は思いの外揺れた。快適からはちょっとずれがあった。イメージ的には風を切って水面を滑るように進む姿を連想していたが、船内は手すりが張り巡らされている。これに捕まらないと飛ばされてしまう。運転はなかなか真っ直ぐ進まなかった。風と波が原因らしいが、こんな何千万もする大型のクルーザーを運転するのは初めてだった。緊張が続いた10分間だった。今日は風速12M。波高1.5M。視程500M。速力は18ノット。このスピードは乗っていても早いなと感じる。時速にすると1海里が1,852Mなので1.852倍の33.336キロとなる。
 9時30分に出航。途中いろんな標識が出てくる。いろいろ質問したり、されたりして航海していく。途中自衛隊の船やら、ヨット、釣り船、漁船、潜水している人等を見ながら航行。海図にかいた航海計画通りに進む。航海とはこんなふうにするのかと、おぼろげながらわかった。大型船がどんなことを考えながら走っているか分かって、船の操縦をするのでは大違いである。しかし、一般の船とか漁船とかは陸や周りの船にあわせて走っているだけではないだろうか?
 最初の到着地は油壺のマリーナだった。昔からの油壺の港を船から見学した。現在一般に言われている油壺とは場所が違うという説明だった。油を張ったように静かな湾のため名前が付いたという。漁船等の台風時の避難場所に指定されていて、停泊用の杭が湾の至る所にあった。緊急時は一般の船は追い出されてしまうらしい。たくさんのヨットが停泊していた。(写真左)湾内を見学しただけで出発。11時30分三崎町にある小網代湾(シーボニア)到着。途中、船が座礁していた。ロシア人が購入したかつお船を誤って?座礁させてしまったらしい。ごく最近のことらしく、銚子方面に行くはずがどういう訳かこんなところで座礁したという。近くには定置網が至る所に張り巡らされていて、これを縫って座礁する方が難しそうだった。湾に入るには、定置網に十分注意が必要だ。教官が操縦をする。マリーナではこれ見よがしの大型ヨット、クルーザーが並んで壮観である。上陸して12時15分まで昼食休憩をとった。海のすぐ近くの眺めのいい休憩所で昼食。(最初の写真は休憩所から海を眺めたところ)左が海。右にマリーナ。その奥が白いリゾートホテルが建っている。うすびがさして雨の心配はいらなくなった。それでも場所によっては降っているかなといった感じの天気だった。
 
 帰路城ヶ島近くの三崎漁港に立ち寄る。”ひもの”を買いに行く時間を作ってくれるという。おばちゃんがやっているおいしいひものの店を教えてもらった。小さな店だったが店先で、魚を天日干ししていた。ひものといっても天日干ししているか怪しいがこれは本物だ。七輪で魚を焼いて味見もさせてくれた。船長がまぐろの、ほほ肉がうまいと言っていたので買うことにした。鰺にイカ等を加え支払いは、なぜかみんな2,200円だった。干物屋は海から見て赤い屋根の近くと言うことで見つけたので、陸からどうやっていくかはわからない。船に乗って買いにくる客も珍しかったと思う。帰りは店のおばちゃんが盛んに手を振っていた。湾を出る時、左岸に養殖生け簀があった。ハマチが入っているそうで、何と香川県漁連の生け簀だという。瀬戸内からいったんここまで持ってきてここから出荷しているということらしい。最初は横浜に置いたそうだが水質の関係で移動してきたようである。ここに勤めている人が教官の生徒だったらしくよく知っていた。
 帰港は東京湾の千葉県側を通って帰ることになった。東京湾アクアライン(海ほたる)横浜ベイブリッジを見学して帰る観光コースを設定してくれた。東京湾の中央にある航路は12ノットで走らないといけないらしい。18ノットで走るには航路外の外側を走らないといけないという。また航路を横切るには、直角に近い角度で横切る必要がある。規則違反は罰金となる。逆走などしたらすぐ捕まってしまう。罰金の最低額が20万円だという。双眼鏡で?監視している場所があるらしい。
 東京湾の航路を横切るときは、丁度操縦の順番だった。大きな船が通る東京湾のメイン航路を横切るのはたいへんだった。相手のスピードと自分のスピードの関係がわからない。通り過ぎる船の船尾目がけて進むように船長(教官)から指示があった。わかったことは、相手の船がいつも同じ方向に見え、接近して進んで行った場合衝突するということだった。航路のちょうど曲がったところで直角に曲がりずらい場所だった。直角に近い角度で曲がればいいらしい。参加者の一人があの黒い物体は何だろうと声をあげた。即座に潜水艦だという声が上がった。私は運転中だったのでなかなか振り向く余裕は無かったが、右後方に黒い物体が上の部分だけ姿を見せていた。なだしお事件が思い出された。
  ずっと正面は海だったが、正面に海に浮かぶ白いビル群が見えてきた。蜃気楼のようでもあった。始めて見る風景である。ずいぶん低い土地に建っているなという印象だ。海のすぐ上に立っているように見える。地球温暖化で海面上昇したら沈みそうだった。操縦も3回目となりいくらか余裕も出てきた。東京湾アクアラインの風気坑(風の塔)が見える。ちょうど大きなヨットの帆のようにも見える(下の写真)。海ほたるの橋をくぐった。橋の下からの写真はなかなか撮れないと教官に言われた。(上の写真)帰りは京浜運河を通って帰港。運河の入り口にはKの表示が点滅していた。京浜運河のKだという。水上警察の高速船がすごいスピードで追い越していく。見る見る遠く離れていった。あんなに早くてはすぐ捕まってしまうと思った。(救命胴衣を人数分積んでなくて20万円罰金を払った人の話を思い出した。)
運河は曲がっているので、目標物をいろいろ変えて進んでいく。ビルや煙突、途中ランドマークタワーをランドマークに針路をとったりもした。ランドマークをランドマークかと一人ごとを言ったが他の人はわからないようだった。氷川丸も近くに寄って見学。中国船のような観光船にもあった。全員で手を振った。横浜レインボーブリッジも下をくぐってUターンした。最後は観光船化してしまった。違うのは自分で運転していることだ。レインボーブリッジの下をUターンしたときは操縦していた。思い出に残るクルージングになった。この後すぐ交代になって橋をバックに記念写真もした。まもなく本牧橋をくぐって15時30分帰港。出迎えの人が来ていた。いろいろ勉強になった有意義な1日だった。帰り道は、高速をぶっ飛ばして帰った。やはり車の方が楽か?渋滞なしで1時間30分でつくばに着いてしました。爽快で楽しいクルージングだった。天気も雨には降られなかった。



経費
参加費22,000円
高速道路3,900円
ガソリン200キロ分。
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参考
クルーザーの燃費
1時間60L(軽油)。
クルーザーの燃料タンクは約1,800L、2t弱入るらしい。貧乏人では燃料費も払えないかも
横浜−三浦半島は片道27.4海里あったが余裕を持った日帰りコースであることがわかった。江ノ島も十分に日帰りコースだろう。