筆者は、2011年9月に久しぶりに頂上を踏むはるか以前の1970年代に2度、
1980年代1度槍ガ岳に登っている。
そのときの写真をここで紹介する。
1) 1971年の4月には、会社の山仲間二人と一緒に上高地から入山した。
横尾にテントを張り、ここをベースに槍沢経由で頂上を日帰り往復した。
地図では赤い線でルートを示した。
2) 1972年10月には、やはり会社の山仲間のE君と北鎌尾根を登って頂上を踏んだ。
入山は高瀬ダムからで、初日に天上沢の北鎌沢出合にツェルトを張った。
2日目に北鎌尾根を登り、槍ヶ岳山荘のテント場にやはりツェルトを張り、
3日目は天狗池に寄って、横尾から上高地へと下山した。
地図上の青い線がそのときのルートで、槍沢から下は省略した。
3) 1982年の年末には、会社の山岳部の正月休み合宿に参加して中崎尾根から
頂上を往復している。
ルートは、地図に黒い線で表した。
![]() 1971年4月24日上高地から入山し、横尾にテントを張った。 翌25日に横尾から槍ガ岳の頂上を日帰り往復した。 写真は、槍沢を登行中に大曲のあたりで休憩する同行のT君とM君。(1971/4/25) |
![]() 槍沢上部で槍ガ岳の穂先と槍ヶ岳山荘が見えてくる。 5月連休前の時期だったので、他に登山者はほとんどいなかった。(1971/4/25) |
![]() 槍沢の上部にある大岩で休憩。 この大岩は、坊主岩小屋かもしれない。(1971/4/25) |
![]() 槍ガ岳の頂上。(1971/4/25) |
![]() 頂上から南側、穂高岳を眺める。(1971/4/25) |
![]() 頂上から望遠レンズで撮った常念岳。(1971/4/25) |
![]() 水俣川にかかる吊り橋を渡るE君。(1972/10/8) 初日は高瀬ダムから入山し、天上沢の北鎌沢出合にツェルトを張った。 当時、湯俣温泉から北鎌沢出合までの道はしっかりしていて、北鎌尾根に取りつく 一般的なルートだった。 |
![]() 北鎌尾根独標で休む筆者。 次のピークには、先行するパーティが見えている。(1972/10/9) |
![]() 北鎌尾根から見た西鎌尾根。 その向こうに笠ガ岳が見えている。 この39年後の2011年にやっと西鎌尾根を歩くことができたわけである。(1972/10/9) | ![]() 北鎌尾根を登り終え、槍ヶ岳山荘のテント場にツェルトを張った。 写真は、そのテント場あたりから夜空を撮影したもの。 20分間露出と記録にある。 わざわざ三脚を持って北鎌尾根を登ったのは、 流星が写ることを期待していたのかもしれない。 左下の光の帯は小屋の前を行きかう人のライト。 写っている星は北斗七星のようだ。(1972/10/9) |
![]() 槍ヶ岳山荘からは、天狗池経由で下山した。(1972/10/10) |
![]() 天狗池で。(1972/10/10) |
![]() 初日は、新穂高温泉から入山した。 白出沢あたりから正面に中岳と思われる山が見える。(1982/12/29) |
![]() 初日の幕営は槍平小屋付近。 その後20数年も経った2008年の1月に、ここで雪崩による死者が出たというニュースを聞き、 大変驚いた記憶がある。(1982/12/29) |
![]() 中崎尾根の上部に張ったテントから西鎌尾根上部に出て、頂上を目指す我パーティ。 画面真ん中あたりに先行する他パーティが小さく見えている。(1982/12/31) | ![]() 頂上に立つ筆者。(1982/12/31) |
![]() 頂上で。バックは穂高岳。(1982/12/31) |
![]() 槍の穂先を往復し、槍ヶ岳山荘前で一息つく我がパーティの面々。(1982/12/31) |
![]() 西鎌尾根を下る。 中央左奥上に笠ガ岳が見え、中央左中ほどに延びているのが中崎尾根。(1982/12/31) |
![]() 西鎌尾根を下り、中崎尾根にある天幕に向かう。(1982/12/31) |
![]() 頂上往復から無事戻り、中崎尾根に張った2張りの天幕の周りでくつろぐメンバー。 後には、穂高の峰々が聳えている。 翌日、つまり1983年の元日にここを引き払い、新穂高温泉に下山した。(1982/12/31) |
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