1975年の正月休みに、会社の山仲間と筆者を入れた7人で赤石岳から悪沢岳を縦走した。
ここでは、そのときの写真を紹介する。
行程は次のとおりである。
まず井川駅、畑薙ダム経由で椹島に入り一泊し(12月28日)、次の日から赤石小屋、小赤石岳、赤石岳、
荒川三山、千枚岳を縦走して二軒小屋に下り、伝付峠を越え山梨県側に出て帰京した(1月3日)。
当時の詳しい記録が見当たらないので、写真(ポジフィルム)に書かれたメモに従って
コメントを加えている。
![]() 千頭駅と井川駅間を走るディーゼル機関車と客車。 千頭駅での乗り換え時に撮影した。(1974/12/28) |
![]() 畑薙ダムからは車(タクシー?)で椹島に向かったが、路面凍結で赤石渡の 少し奥までしか通行できなかった。 この写真は、車を下りたのち聖沢橋付近の凍結した道路を椹島に向かって歩く一行。(1974/12/28) |
![]() 椹島に着いて、冬季小屋(写真の右から2番目の建物)を使わせてもらった。 当時の椹島はこのようなトタン葺きの粗末な小屋が並んでいて、 飯場のようだった。(1974/12/28) |
![]() 椹島から赤石小屋まで登って一晩過ごしたのち、富士見平で迎えた夜明け。 笊ガ岳(写真の右端近く)の肩のあたりから太陽が登ってくる。(1974/12/30) |
![]() 赤石岳東尾根から見た荒川前岳と中岳 富士見平から上は、夏道と違い尾根通しに歩くので展望がよい。(1974/12/30) |
![]() 小赤石岳の頂上付近に幕営した翌朝、赤石岳頂上を往復し、 赤石岳頂上で大晦日の朝を迎えた。 この写真は、日の出直後に赤石岳頂上付近から撮ったもので、 手前のピークが小赤石岳、その向こうの左手に荒川前岳と中岳、右手に 悪沢岳が見えている。(1974/12/31) |
![]() 赤石岳の頂上を往復して小赤石岳(正面に見えるピーク)に戻る我パーティ。(1974/12/31) |
![]() 左の写真(1974年)と同じような場所を探し、2012年夏に撮影した一枚。(2012/7/27) |
![]() 荒川前岳へ登る途中で見た赤石岳 (1974/12/31) |
![]() この日は小赤石岳から移動して荒川中岳の頂上付近にテントを張った。 うしろは悪沢岳。 翌日(1975年1月1日)は天気が悪く、ここで2泊することになった。 3000mでの幕営は大変寒く、あまりよく眠れなかったと記憶している。(1974/12/31) |
![]() 荒川中岳から北側の眺め。 左から仙丈ガ岳、塩見岳、甲斐駒ガ岳、間ノ岳などが見えている。(1975/1/02) |
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![]() 荒川中岳と悪沢岳鞍部あたりから見た赤石岳。 この角度から見る赤石岳はじつに端正だ。(1975/1/02) |
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![]() 悪沢岳の頂上(1975/1/02) |
![]() 雲海上の富士山を正面に見て進む。 メモに「千枚岳を目指す」とあるので、丸山付近で撮ったものと思われる。 (1975/1/02) |
![]() 千枚岳頂上から見た赤石岳 赤石岳は、見る方角が少し変わるだけで表情が変わる。 この日は、二軒小屋に下って一泊した。(1975/1/02) |
二軒小屋で撮った写真がないのが残念だが、覚えていることが一つある。 小屋でやはり下山してきた北九州の登山者グループと一緒になり、 そのうちの一人が、大判の分厚い列車の 時刻表を取り出して、北九州に帰る経路を調べていたことだ。 インターネットが普及するまでは、私もよく時刻表を購入し、山行や旅行のたびに ページをめくって調べたものである。 ときには必要なページだけやぶって持ち歩いたりしたが、 分厚い時刻表を一冊まるごとザックに入れて山を登ったことはなかった。 それで、このときのことが記憶に残ったのだと思う。 |