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興福寺に来てまず目を引くのは、赤く塗られた山門である。 いかにも中国風の色彩であるが、今はだいぶ色あせている。 この写真は外から撮ったもので、隠元禅師による「東明山」の額が見え、 内側には同じく「初登宝地」の額が掲げられている。 門を入った正面の石垣前には、斎藤茂吉の歌碑が見える。 2010/7/11撮影 |
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大雄宝殿(本堂)は、明治時代に再建された中国建築だ。 正面の額には、航海の安全を願って、航海滋雲と書かれている。 2010/7/11撮影 |
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大雄宝殿正面の柱は横から見るとは少し傾いている。 原爆による爆風が原因という。 アーチ型の天井は黄檗天井。 2010/7/11撮影 |
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けつ魚の魚板が庫裡に下がっている。 もう一つ小ぶりの魚板もあり、こちらは雌だそうだ。 この魚板を見て思い出したのは、福建省アモイにある南普陀寺の魚板 (下の写真)である。 姿形は似ているが、南普陀寺のは色鮮やかだ。 興福寺の魚板も、元は極彩色だったのかなあ。 ![]() 2010/7/11撮影 |
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興福寺の近くにある眼鏡橋。 橋が中島川の水面に写って眼鏡のように見えることがら名付けられたというが、 この日はあいにく風があって、川面が波立っていた。 この橋は、1634年に興福寺の2代住持の唐僧・黙子如定が中国の技術を使って かけたと言われている。 隠元禅師の来日より20年ほど前のことだ。 2010/7/11撮影 |