観世音寺(福岡県太宰府市) 2010年 11月
 現在は、天台宗のお寺で、山号を清水山と称する。
 開基は大変古く、天智天皇の発願によるとされ、7世紀後半に遡ると言われる。 観世音寺の名が広く知られているのは、761年に戒壇院が設けられ、 天下の三戒壇(東大寺、観世音寺、下野薬師寺)の一つに数えられているからである。 なお、鑑真が九州に上陸した直後、太宰府を訪れて戒壇院で授戒を行ったのは、753年のことである。 しかし、平安時代以降は徐々に衰退し、現在残っている建物はすべて近世の再建である。
 筆者が訪れたのは、2010年の紅葉の季節で、快晴の日だった。 西鉄五条駅から歩いて観世音寺に着くと、イチョウの木が鮮やかな黄色の葉を つけていた。 両側からクスノキの枝に覆われた参道を抜けると、 正面に講堂が見えてくる。
 かっては存在した山門(南大門跡の礎石が残っている)もないし、 忘れられたお寺という風情である。 境内では、数人が落ち葉を掃き集めていて、箒が地面を掻く音だけが響いていた。
 歩いて20,30分の距離にある太宰府天満宮の人ごみとは対照的な静けさである。 講堂、金堂、鐘楼など一通り拝観したのち、宝蔵を見学する。 中に入ると5m前後もある巨大な観音像(十一面観世音菩薩立像、馬頭観世音菩薩立像、不空羂索観世音菩薩立像)など、 多数の仏像が並んでいて圧倒される。 仏像ファンであろうとなかろうと、必見である。 これらの仏像の多くは、観世音寺創建当時のものではなく、 平安時代以降、鎌倉時代にかけて造立されたものというが、往時の観世音寺の隆盛がうかがえる。 これほどの仏像群を制作し維持できたこの地域の経済力もまた相当なものだったのだろう。
 次に戒壇院に回る。 かっては観世音寺の一部だったが、今は臨済宗妙心寺派の寺である。 観世音寺の金堂脇の道が戒壇院へと続いている。 17世紀に再建されたいう本堂と鐘楼が主な建物である。 鑑真ゆかりの地らしく、鑑真が中国から請来したという菩提樹があったり、鑑真の供養塔がある。
 現在の観世音寺と戒壇院を見て回っただけでは、戒壇院が設置されていた当時の巨大な寺院を 想像するのは難しい。
 観世音寺と戒壇院の拝観を終え、「まほろぼ号」というコミュニティバスに乗って 近くにある太宰府天満宮へと向かった。 太宰府天満宮のほうは。相変わらずの人出であった。
 写真は、RICOH GX200で撮影。


 県道76号に面した観世音寺境内の入り口
 黄葉したイチョウの木の奥に続く参道は、クスノキのトンネルになっている。
2010/11/19撮影

 クスノキに覆われた参道を抜けると、正面に本堂にあたる講堂が現れる。 それほど大きくもなく簡素である。
 宝蔵(写真上)
 多くの貴重な仏像などを収蔵している。
2010/11/19撮影

 碾磑(てんがい)
 天平石臼とも呼ばれる巨大な石臼が講堂の前に置かれている。
 この臼で何を挽いたのか? 一説によると、原料の鉱物から朱を製造するために使われたという。 それなら、このような臼が寺にあっても不思議ではない。
2010/11/19撮影

 国宝の梵鐘
 7世紀末ごろに作られたと推定され、日本最古の梵鐘と言われる。
 無粋な金網に覆われている。
 近くには五重塔の心礎が残っている。
2010/11/19撮影

 戒壇院
 戒壇が設けられた当時は、観世音寺の一部だったが、現在は臨済宗の寺院として 独立している。
 現在の本堂は、18世紀末に再建されたものと言われる。
 本堂の脇には、鑑真が中国から請来したとされる菩提樹がある。
2010/11/19撮影

 戒壇院本堂の瓦には、西戒壇の文字が刻まれている。
2010/11/19撮影

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