浄土寺(広島県尾道市) 2011年 3月
 浄土寺(じょうどじ)は尾道市にあり、山号は転法輪山。
 縁起によれば、616年に聖徳太子の開基と伝えられ、 鎌倉時代の再興時には真言律宗となり、江戸時代からは真言宗泉涌寺派となり、現在に至っている。
 足利家ゆかりのお寺としても知られている。 足利尊氏は2度にわたって浄土寺を訪れていて、奉納した品々が残されているし、 寺紋「二つ引き両」は、足利家の家紋でもある。
 時代が下って江戸時代になると、今度は地元の豪商たちによって支えられて堂宇が整備されていく。
 筆者が最初に訪れたのは、2010年5月末である。 尾道駅から遠くはないが、歩くにはちょっとありそうなので、バスに乗った。 浄土寺下というバス停を降りる。 お寺は、国道2号線に面した斜面にあるので、すぐにわかった。 道路の北側にある石段を登り、山陽本線の線路をくぐって、さらに石段を上がると山門に出る。 振り返ると、海が間近に見える。 尾道の市街地自体が南向きの斜面に広がっているから、当然、浄土寺境内も明るい空間が広がっている。
 正面に本堂、その右に阿弥陀堂と多宝塔が目に入る。 いずれも14世紀に作られた建物だ。 本堂の前に立っていると、お寺の方から拝観ですかと聞かれた。 そうですと答え、拝観料を渡すと、りっぱな説明パンフレットと終身護符をいただいた。 そして、偶然一緒になった中年夫婦と思われる拝観者と共に説明を聞きながら堂内を一巡することになった。
 主要な建物が14世紀に再建されたあとは、火災に遭っていないだけに、 由緒ある宝物が数多く残されていることがわかる。 興味深いことに、阿弥陀堂内の御本尊の裏手には、蓮如の六字名号「南無阿弥陀仏」が残されている。 ここは、宗派の異なる蓮如にもゆかりの地なのだった。
 これだけ由緒のあるお寺が尾道にあるのは、この地が瀬戸内海の真ん中あたりで交通の要衝の地であり、経済的にも恵まれていたことが、背景にあるようだ。
 その後、2011年にも尾道を訪れる機会があり、そのときは駅から持光寺、天寧寺、西國寺と 歩いて回り、最後に浄土寺を拝観した。

 2017年5月に、NHKの「ブラタモリ」で尾道が取り上げられ、その中で浄土寺も紹介されていた。 興味深かったのは、相場情報伝達を目的にした伝書鳩利用が禁止されていた江戸時代に、伝書鳩が境内で飼われていたという話。 当時の浄土寺を支えていた地元の商人たちに便宜を図るために、表向き禁止されていた伝書鳩を、お寺を隠れ蓑に使って相場情報などを入手していたというのだ。 それが、時代が下っても境内でハトが大切にされていることにつながっている、との説明だった。
 今も境内にハトが多く、エサまで用意されている背景には、意外な歴史があったのである。
(2017/5追記)

 2019年には、金沢文庫(横浜市)で「聖徳太子信仰-鎌倉仏教の基層と尾道浄土寺の名宝-」と題する特別展が行われ、あらためて浄土寺に伝わる宝物を見ることができた。 3体の聖徳太子像をはじめ、浄土寺を再興した定証(叡尊の弟子)の起請文、足利尊氏像、釈迦涅槃図など展示されていた。
 中でも興味深かったのは、重文に指定されている3体の聖徳太子像で、いずれも鎌倉時代から南北朝時代にかげての14世紀に造像されたもの。 もっとも小さいのが二歳像で、他の寺院に伝わる多くの二歳像と同じように、いかにも子供らしく頭部が大きく、「南無仏」を唱えたとされる合掌している姿である。 次が孝養像と呼ばれる十六歳像で、父・用明天皇の病気平癒を祈ったとされる十六歳の時の姿である。 頭が比較的小さく見える像である。 そして一番大きな像が摂政像。 像高は135cmなので、全体としてはさほど大きくはないのだが、恰幅がよく、顔立ちもずいぶんとふくよかだ。 お札で見慣れた姿とはかなり違っている。
 ほかにも関東の諸寺に伝わる聖徳太子に関連した絵伝や像が目を引いた。
 聖徳太子が日本における仏教信仰に大きな役割を果たしたことはよく知られているが、 鎌倉時代以降においても聖徳太子信仰が盛んで、中でも叡尊らの真言律宗の果たした役割は大きく、その影響は東国にも及んでいたことがわかる展示だった。
 浄土寺は、単に長い歴史を持つだけでなく、知れば知るほど多彩な役割が浮かび上がってくる寺院である。
(2019/11追記)

 写真は、RICOH GX-200およびPENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。


 山門前まで登って振り返ると、山陽本線を行きかう列車が視界を横切っていた。 その向こうには瀬戸内海の水面と向島が横たわっている。
 山陽本線や国道が引かれる前は、もっとのどかな風景が広がっていたのだろう。
2010/5/26撮影
 朱色に塗られた山門。
2010/5/26撮影

 門の横には頼山陽の書と伝えられる一石彫りの石碑がある。 「柔能制剛弱能制強」と書かれている。

 国宝の本堂。 鎌倉時代の建物だ。 この中に、本尊で秘仏の十一面観世音菩薩立像が安置されている。
 浄土寺の各堂宇には、朱色が多く使われている。
2011/3/25撮影

 鎌倉時代に作られた、国宝の多宝塔。
 三大多宝塔の一つ(他の二つは、近江の石山寺と高野山の金剛三昧院の多宝塔)に挙げられているだけに、 均整のとれた美しい塔だ。
 広場にはハトがたくさんいる。 境内には、「はとのエサ30円」と書かれて、餌も用意されている。 ハトへの餌やりを禁止する場所が多くなっているこのご時世に、なんともおおらかだ。
 ところが、これには歴史的な背景があるらしい。
 一つは、足利尊氏が戦勝祈願に訪れた時に白鳩に案内されたという伝説。
 もう一つは、江戸時代に禁止されていた伝書鳩が、境内で密かに(?)飼われて大切にされていた、ことの名残りだというのだ。
2010/5/26撮影

 裏手の山の中腹から眺めた多宝塔。
 尾道水道とその向こうに向島が見えている。
2011/3/25撮影

 阿弥陀堂
 これも14世紀、南北朝時代に建てられたもので、重文に指定されている。
2010/5/26撮影

[TOP]