法華寺(ほっけじ)は奈良市法華寺町にあり、法華滅罪之寺とも呼ばれる。
場所は平城宮跡の近くである。
宗派は、かって真言律宗に属していたが、1999年からは光明宗である。
創建は、8世紀に光明皇后(聖武天皇の皇后)の発願によってなされている。
当初、父の藤原不比等の邸宅跡を譲り受けて皇后宮とし、のちに宮寺としたのが寺としての始まりといわれる。
東大寺が総国分寺であるのに対し、法華寺は総国分尼寺とされていたことから、大変格式の高い寺院であった。
その後、平安京遷都などを経て衰微し、現在の法華寺の規模は、創建当時の三分の一程度といわれる。
筆者が訪れたのは2014年6月。
梅雨時で、お寺巡りに適した季節とは言えなかったが、国宝の十一面観音菩薩立像の特別開扉の期間に合わせたので、
この時期になった。
2014年の場合、6月の機会(5日〜10日)を逃すと次の開扉は10月下旬になってしまうのだ。
この日はまず近くの海龍王寺を拝観したのち、法華寺に歩いて移動した。
海龍王寺では他に拝観者がいなかったが、法華寺では観光客が三々五々訪れていた。
それでも混雑というほどではなかった。
境内に入ってすぐ目につくのは、17世紀初頭に再建された袴腰つきの大きな鐘楼堂で、
その先にあるのが本堂である。
本堂に上がって、まずは本尊の十一面観音菩薩立像の拝観だ。
この像は、像高が1mだからさほど大きくはないが、カヤの一木造の名品として知られ、国宝である。
そのうえ、インドの仏師・問答師によって光明皇后の姿を映して作られたという伝説も有名で、
像への興味をかきたてる一因になっている。
最初に写真で見たときに、まず光背にびっくりした記憶がある。
たくさんのハスの花と葉が放射状に配されていて、これが弓矢の形に見え、観音さまに矢が刺さっていると勘違いしたのである。
写真をよく見て弓矢でないことはすぐにわかったが、
観音像自体に注目すると、頭部が大きく、右腕が異様に長く(仏の三十二相に基づく)、胴長で、理想化された観音像表現からはほど遠い、
というのが写真を通じて受けた印象だった。
ところが、実物を前にすると、そんなに不自然な格好には見えず、むしろほっそりとして自然な姿かたちに見えたのが意外だった。
奈良から帰って、白洲正子の「十一面観音巡礼」を開いてみると、同様の記述がある。
やはり、写真で見る像は、往々にして、実物を直接見るのとは違うことがあるのだ。
本堂内には、ほかに維摩居士像や仏頭が安置されている。
写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。