銀閣寺(京都市) 2012年 4月
 銀閣寺(ぎんかくじ)は京都市左京区にあり、正式には慈照寺(じしょうじ)と称し、 山号は東山(とうざん)である。 臨済宗相国寺派に属しているのは、金閣寺と同じである。
 開基は、室町幕府八代将軍足利義政である。
 金閣寺が北山文化を代表しているように、銀閣寺は東山文化を代表する建築と言われる。
 筆者が最初に銀閣寺を訪れたのは2007年の7月。 京都市内の用事が早く終わったので銀閣寺に寄ったのだが、真夏の炎天下でゆっくり見る余裕がなかった。 2度目は2012年の4月。 気候的にはよい季節だったが、あいにくの雨だった。 しかし、雨の銀閣寺もしっとりしていてなかなかいい。
 ここで紹介する記録は、2012年4月に拝観した時のものである。
 ちょうど春の特別拝観実施中だったので、特別拝観料を払って本堂と東求堂(とうぐどう)内部を拝観した。 見学する部屋が狭いので、少人数のグループ単位にまとめて拝観を行っているようだった。 幸い私の時はほかに5,6人いただけで、待ち時間もなくゆったりと拝観できた。 結論から言うと、1000円の特別拝観料を支払っても見る価値はある。 中でも東求堂内部の同仁斎(どうじんさい)という四畳半書院が印象に残った。 のちの茶室や書院の原型になったと言われる建築史上重要な建物なのだ。 こじんまりとした部屋の中は、硯などの道具類も含めて義政の時代当時の飾り方を再現しているが、 現代の和室に通じる点が多いせいか、500年という時の隔たりを感じない不思議な空間である。
 また、本堂内では与謝野蕪村や池大雅の襖絵も見応えがあった。
 付け加えると、特別拝観時に2種類の小冊子がもらえる。 一つは、特別拝観向けに東求堂を重点にした和文の解説資料で、もう一つは銀閣寺全般の写真入り説明資料である。 後者はカラー印刷で、銀閣寺のことが一通りわかるようになっている。 和文と英文併記で、さすがは国際的な観光地だけのことはあると感心した。 たぶん今まで筆者が寺院の拝観でもらったもっとも立派な冊子である。
 ところで、金閣寺と銀閣寺はともに相国寺の塔頭寺院なのだが、その位置関係が興味深い。 京都の地図を見ればわかるが、金閣寺と銀閣寺を結んだ線の真ん中に相国寺が位置している。 当然その意図を推測する人がいるわけだが、真相はどうなのだろう。
 写真は、CANON 5D Mark U・EF-24-105mm F4L IS USMで撮影。


 総門から中門までは、銀閣寺垣と呼ばれる竹垣と生垣で構成された参道が続く。 直線を基調にしており、中門から先の曲線が主体の世界との対比が面白い。
2012/4/20撮影

 銀沙灘(ぎんしゃだん)、向月台(こうげつだい)の二つの砂盛りが現在のような形になったのは 江戸時代らしい。
 見学した日は雨だったが、多少の雨では形は崩れないとのことである。
 観光客の数も、少しの雨くらいには影響されないようで、人の波はほとんど途切れなかった。
2012/4/20撮影
 国宝の東求堂(とうぐどう)
 1486年の建立で、足利義政の持仏堂だった。
 この日、特別拝観に参加し、内部も見学した。 一見の価値がある。
2012/4/20撮影

 通称銀閣と呼ばれる観音殿。
 朝から降り続いていた雨も、銀閣寺拝観途中になってようやく上がったようだった。
 銀閣寺には雨が似合うという人がいるが、確かに弱い光に包まれていたほうが、 銀閣と庭園がしっくり調和しているかもしれない。
2012/4/20撮影

 展望台からの眺め
 銀閣寺境内の先に市街地が広がり、その向こうに吉田山が見えている。
2012/4/20撮影

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