不退寺(奈良県奈良市) 2016年 12月
 不退寺(ふたいじ)は奈良市にあり、山号は金龍山。 真言律宗の寺院で西大寺の末寺である。
 寺号の不退寺は、不退転法輪寺(法輪を転じて退かずの意)の略称だそうで、在原業平ゆかりの寺として業平寺とも称されるようだ。
 不退寺の前身は、平城天皇が譲位後に、「萱(かや)の御所」として造営されたとされる9世紀初めに遡る。 さらにその皇子の阿保親王(あぼしんのう)、続いてその第5子の在原業平が住み、在原業平が仁明天皇の勅願を受け寺院としたといわれる。
 場所は平城京跡の北東、奈良市の市街地北部にある。 一条通りにある「一条高校前」バス停近くから北に延びるまっすぐな道を進み、途中でJR関西本線の踏切を越えると、 こんもりと茂った木立に中に南門が現れる。 あたりは、住宅と田畑が混じっていて、市街地の北のはずれにあたるようだ。
 南門(鎌倉時代末期)は四脚門の堂々とした構えで力強さがある。 かってはかなりの規模を誇った寺院だったことがうかがえる。 境内に入ると正面に本堂(鎌倉時代)があり、南門とは対照的に優美だ。 大きな建物ではないが、瓦屋根の描く曲線が美しい。
 筆者が訪れたときは、ほかに拝観者がいなかったので、係の女性がわざわざ来て本堂の戸を開けてくれた。
 靴を脱いで本堂内に入ると、厨子に収まった本尊の木造聖観世音菩薩立像(重文)が目に入る。 像高が190cmもあるので、かなり大きい。 在原業平作と伝えられているが、時代的には合わないようだ。 しかし、保存状態はよく、大部分の彩色は落ちているものの、白色の胡粉が残っているため、白っぽく見える。 それに、両耳上部につけられた大きなリボン状の飾りが特徴的で、女性的で愛らしく見せている。
 厨子内部の上方にライトがあり、お顔の細部がよく見えるようにしているのは、拝観者への配慮のようだ。
 木造聖観世音菩薩立像を囲むようにして五大明王像(重文)が並んでいる。 五体そろっているのは、珍しいそうだ。 お顔は、憤怒相ではあるが、優しさが感じられる。 水牛にまたがった大威徳明王像は、六面六臂六足であるのは他の多くの大威徳明王像と共通だが、 頭部の六面が上下二段で構成され、上部の三面もかなり大きいのがちょっと変わっている。
 須弥壇を挟むようにして左右に小部屋があり、向かって左手の部屋には、阿保親王坐像が置かれている。 右手の部屋には、なんと伊勢神太神宮が祀られている。 寺院境内に別棟として神社が置かれているのはよく見かけるが、本堂内に同居している例が残っているのは珍しいのではないだろうか。
 本堂から出て、境内を歩くと、鮮やかに紅葉した木々に隠れるようにして多宝塔(鎌倉時代)がある。 といっても、今は初層が残っているだけだ。
 ほかには、石棺が庫裏の庭に置かれているのが珍しい。 近くの古墳から運ばれてきたものだそうだ。
 ところで、在原業平といえば、百人一首にある「千早ぶる 神代もきかず 竜田川 からくれないに 水くくるとは」という歌と、これを基にした古典落語の「千早ふる」を思いだしてしまう。 在原業平は竜田川の紅葉の美しい様子を歌っているのだが、実景ではなく屏風絵を見て詠んだとされ、当時の竜田川は、今とは違って大和川本流をさしていたらしい。
 それはともかく、この日の境内は、午後の日を浴びた紅葉が鮮やかで、見たことはないけれど、竜田川もかくやと思わせるほどだった。
 不退寺は、今でこそ小規模な寺院だが、なかなかに興味深い場所である。
 写真は、PENTAX K-5・DA★16-50mmF2.8ED AL[IF]SDMで撮影。


 本堂(重文)
 現在の建物は鎌倉時代に再建されたものだが、屋根の曲線や戸の格子模様に、在原業平が好みそうな優美さがある。
 堂内も、内陣と外陣を分ける欄間には、業平格子と呼ばれる格子がはめ込まれ、上品な雰囲気を作り出している。
2016/12/2撮影

 鮮やかな紅葉は、百人一首の「千早ふる」を連想させる。
 木々の背後に見えているは、鎌倉時代建立の多宝塔。
 当初は2層の塔であったが、現在は初層のみが残り、上部は失われている。
 庭園も池も大きくないが、各種の植物が植えられていて、一年を通して楽しめるようだ。
2016/12/2撮影

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