・ボストン再訪 その6(2017/09/02)
ボストン滞在中に何度かレストランで食事をする機会があったので、今回はレストランの話題。
といっても、ボストン中心部のレストランには足を運ばなかったので、話は滞在していたピーボディの周辺のRoute1沿いに限られる。
昔、何回か足を運んだレストランのうち、いくつかは営業を止めていたのは、仕方のないことだが、
ステーキハウスのヒルトップ(Hilltop)が閉鎖になっていたのはとても残念だった。
Route1を北からBostonに向かって南下し、Saugusに差し掛かると、右手に巨大なサボテンのオブジェが目に入る。
これがヒルトップレストランのシンボルである。
レストランの名前の通り、小高い丘の上にあるから、このあたり一帯ではもっとも目立つランドマークだった。
2013年に営業を止めたというから、それからもう4年が経ち、跡地の利用法も決まっているようだが、まだサボテンは撤去されずに残っている。
ヒルトップはニューイングランドに展開するレストランチェーンで、手ごろな価格で草鞋のように大きなステーキが食べられるとあっていつも混雑していた記憶がある。
日本からの出張者と一緒に食事する際にも利用することが多かった。
というのも、日本人がイメージするアメリカの食のシンボルといえば巨大なステーキだから、
陽気なアメリカ人客で賑わうヒルトップ・ステーキハウスは、アメリカ的な雰囲気を味わえる典型的なレストランだったのである。
一方、今なお健在なレストランもある。
その一つがピーボディのRoute1沿いにあるシーフード・レストランのシ―ウィッチ(Seawitch)。
こちらは、チェーン店ではなく、こじんまりとした魚介類のレストラン。
ニューイングランドは魚介類が豊富で、有名なレストランも数多いが、シ―ウィッチはガイドブックに載っている有名店などとは違い、
主に地元の人が利用するカジュアルな雰囲気のお店。
店内に入ると、テーブルにつく前にレジで注文と勘定を済ませるというシステムだから、あらかじめ食事内容を決めておいたほうがスムーズにいく。
でも、奥には数人分のカウンターバーがあり、一人や二人のときは、こちらに座って食事を注文することもできる。
昔は、仕事帰りに、仲間とよくこのカウンターバーを利用したものだ。
今回の旅行でも立ち寄ってみたが、以前と変わらない店構えで、注文の仕方も同じだった。
そして、ブッシュ元大統領(父)が来店した時の古い写真もそのままだった。
ただし、店のオーナーは、以前からは変わったようである。
メニューには、ニューイングランドの魚介類は一通りそろっている。
ロブスター、カキ、ホタテ貝、クラムチャウダー、などどれもお勧めだが、なかでもスティーマー(steamer)は外せない。
実は、久しぶりのボストンだったので、スティーマーのことはすっかり忘れていた。
メニューの中にスティーマーの文字を見つけたときは瞬時に姿や味がよみがえり、迷わず注文してしまった。
日本ではなじみのないスティーマー(少なくとも筆者には)は、食べ方もちょっと変わっているので、その点にも触れておこう。
スティーマーはアサリの仲間と思われる二枚貝で、茹でた状態で皿に山盛りになって出てくる。

触ると熱いのだが、暖かいうちに食べたほうがおいしい。
貝殻から身を外したあと、管の部分についている薄い膜を取り去る。
砂がついているからで、これを丁寧に取り除いてからお湯で洗わないと、食べたときにじゃりっとして不快なことになる。
砂のついた膜を取り除いたら、溶かしたバターにつけて食べる。
一連の動作は少々面倒で、手が汚れるのだが、これをビールでも飲みながら繰り返していると、ニューイングランドにいる実感が湧いてくるのだ。
個人的には、このスティーマーがもっともニューイングランドらしいシーフードだと思っている。
アメリカで食事をしていて思うのは、何を注文しても量が多いこと。
家でも同じように量が多くて高カロリーの食事を取っていれば、肥満につながりそうなことは容易に想像できる。
レストランで見回しても、お腹の出具合が半端ではない人が多いのは以前と同じ。
アメリカでは昔から肥満は社会的な問題とされ、対策も打ち出されているようだが、傍から見ると改善されているようには見えない。
レストランで見習いたいこともある。
その一つはドギーバッグ(doggy bag)。
食べきれなかった料理を紙袋や専用の容器に入れて持ち帰る習慣だ。
アメリカではどこでも普通に見られる光景だが、日本で見かけることはないし、ドギーバッグという言葉を知らない人も多いようだ。
もっとも、日本で広まるためには、ドギーバッグに代わる気の利いた日本語があったほうがいいよう様な気がするが。
・ボストン再訪 その5(2017/08/16)
博物館や美術館は、ボストンを語る際に外せない。
今回は滞在期間が限られていたので、ボストン美術館、ガードナー美術館それにピーボディ・エセックス博物館の3箇所を訪れた。
過去に何度も訪れた場所が、今どうなっているのか興味があったからである。
まずボストン美術館。英語名は、Museum of Fine Arts, Bostonで、略称はMFAB。
久しぶりなので、ボストン在住の知人に案内をお願いした。
訪れた日は、道路が比較的空いていて、開館時間の10時より前に着いたので、天心園と名付けられた日本庭園を見学。
東洋部長として活躍した岡倉天心にちなんで名づけられた枯山水の庭園である。
日本庭園ではあるが、ボストン周辺の石材や植物を用いていて、ニューイングランドの景観を念頭に作られたと言われているように、
日本の寺院で見られる伝統的な枯山水の庭園とは少々趣が異なるようだ。
美術館自体の内部は、基本的には、昔と大きくは変わっていなかった。
日本関係の展示では、仏像の並ぶ部屋は圧巻だが、部屋の照明がたいそう暗い。
以前と変わっていないのだろうが、こんなに暗かったかなというのが第一印象。
この数年、たくさんの寺院や博物館で仏像を拝観してきて、仏像に対する関心が深まったことが影響しているかもしれない。
展示品保護のためとも考えられるが、絵画ならともかく仏像にはそのような配慮は不要に思える。
でも考えてみれば、電灯が普及するまでは、寺院の中は暗く、これくらいの明るさが普通だったのかもしれない。
ちょうど、特別展として、マチス展が開催されていて、これも興味深かった。
最近の特別展はどこでもそうかもしれないが、単に作品を集めてきて並べるだけでなく、一工夫されていることが多い。
このマチス展でも、作品とその中に描かれている家具も陳列して実物と絵の違いを比較できるようになっていた。
ガードナー美術館(Isabella Stewart Gardner Museum)は大変個性的な美術館として知られる。
私の好きな美術館の一つだ。
ガードナー夫人が個人で建てた美術館で、主にヨーロッパのあらゆるジャンルの美術品や工芸品、家具などが集められ展示されている。
建物自体が15世紀ヴェネチアの邸宅をモデルにしていて、植物の茂る中庭を見ていると、アメリカにいることを忘れるような感覚を覚える。
展示は、ガードナー夫人の考えに基づいて展示されているので、昔見たときと変わっていない。
ただし、1990年に起きた盗難事件で奪われた絵画13点の展示場所は空白のままか、額縁だけが掛けられている。
中でもフェルメールの「合奏」が見られないのは残念なことだ。
2012年には、本館(Palace)に付属するような形で、新館(New Wing)が完成し、出入り口はこちらを通るように変更されている。
新館には、コンサートに使えるホールやカフェが新設され、美術館をより楽しめるよう工夫されている。
もう一つのピーボディ・エセックス博物館(略称PEM)はボストン北郊のセーラムにある博物館。
セーラムは古い港町のため、海に関係する物や東洋の収蔵物が多いことと、大森貝塚の発見者モースが館長をしていたことで知られている。
ここも過去に何度か見学したことがあるが、昔とは大きく変わっていた。
2003年に増改築され、それまでのこじんまりとした田舎の博物館といった印象から明るく近代的な博物館に変貌していた。
しかも今も増築工事が進行中で、2019年オープンを目指しているというから、そのときはさらに立派な博物館になるのだろう。
増えた展示の中で、目を引いたのは、清朝時代の中国安徽省の商家(Yin Yu Tang)である。
家具も含めてそっくり移築されていて、一見の価値がある。
博物館ではちょうど特別展「Ocean Liners; Glamour, Speed and Style」が開催中で、
20世紀中ごろまで活躍した大型定期客船がいろんな角度から紹介されていた。
ロンドンのビクトリア&アルバート博物館との共同企画とのことで、なかなか興味深かい展示だった。
見学した日が偶然にも入場料金無料だったこともあり、たくさんの人たちが訪れていた。
アメリカ人観光客にも人気の施設のようだ。
博物館も変化し続けるのは当然のことではあるが、かっての年代ものの陳列棚が並んでいたころのピーボディ博物館も、
古い街並みの雰囲気と合っていてよかったいうのが正直な感想である。
・ボストン再訪 その4(2017/08/02)
アメリカでショッピングモールが衰退しつつあるという話は、最近、日本でも耳にする。
今回の旅行では、2箇所のショッピングモールを覗いてみたが、上記の話は本当のようであった。
1980年代、ボストンに赴任してすぐに、先輩駐在員に連れられて、巨大なショッピングモールを歩いたときは、そのスケールの大きさに圧倒されたものだ。
さまざまな小売店が入った低層のビルと、それを取り囲む広大な駐車場は、消費社会の象徴のようにも見えた。
ここに来れば、日常生活に必要なものは一通りそろうから、アメリカで生活を始めるにあたり、まず最初に案内されたわけである。
そのショッピングモールがどうなっているのか気になり、歩いてみた。
一つ目は、ボストン北郊Danversにあるリバティ・ツリー・モール(Liberty Tree Mall)。
驚いたことに、買い物客はまばらで、空き店舗も目立つ。
平日の夕方だったから、本来なら大勢の人が集まっている時間帯である。
昔の賑わいはどこに行ったのだろう。
もう一つは、ノースショア・モール(Northshore Mall)。
場所はPeabodyだが、R128沿いで、上記のリバティ・ツリー・モールにも近い。
2つのモールには別々の日に入ったので、単純に比較できないが、こちらは多少ましといった感じ。
ユニクロが出店していて、日本企業が頑張っているのはうれしいことだが、全体として人は少なく、フードコートも空き席が目立つ。
広大な駐車場にも車はちらほら。
できるだけ建物に近い駐車スペースを探したり、駐車した場所を忘れて、車を探すのに苦労したのも懐かしい想い出になってしまった。
素人目にも、このままでは、巨大なショッピングモールが立ち行かなくなるのは明らかだ。
付け加えると、この地域が不況に陥っているのが原因というわけではなく、ネットショッピングなどに影響されて、買い物の仕方が変わってしまったのだ、と言われている。
アメリカの小売店舗はこのまま衰退してしまうのだろうか。
そして、ショッピングモールで時間をつぶしていた人たちは、代わりになにをやって過ごしているのか他人事ながら気になってしまう。
・ボストン再訪 その3(2017/07/31)
エレベーターの「閉じる」ボタンについての話題。
日本でもときどき、「閉じる」ボタンが話題になり、欧米では「閉じる」ボタンがなかったり、あっても押す人は少ない、などと言われている。
実際のところ、どうなのか。
ボストン滞在中、1週間続けて同じホテルの3階の部屋に泊まったのを機会に、米国人の様子を観察してみた。
ホテルはボストン近郊のピーボディ市にあり、中級程度。
建物は6階建てのビル。
宿泊客は家族連れから、ビジネス客までいろいろのようだが、近くに観光名所があるわけではないので、ほとんどが米国人と思われた。
エレベーターは2基あった。
「閉じる」ボタンもついている。
毎日数回エレベーターで昇り降りすると、ホテルの従業員も含めて米国人と乗りあわせる機会も多い。
結論からいうと、1回も「閉じる」ボタンを押す人には出会わなかった。
これだけで、全米どこでもそうだと断言するつもりはないが、「閉じる」ボタンを押す人は日本に比べて格段に少なそうだ。
エレベーターに乗ったら、自分の降りる階の数字以外のボタンは触らないもの、と思っている人が多い様子。
もう一つエレベーターでの光景で日本と違うのは、見ず知らずの人と一緒になっても、ひとこと二言挨拶をする人が多いこと。
これは日本でも見習いたい習慣の一つだが、日本で知らない人に声をかけると不審者扱いされそうで、現実にはなかなか難しそうだ。
ただ、日本でも登山道ですれ違う際は、挨拶する人が多いのは、興味深い。
・ボストン再訪 その2(2017/07/28)
アメリカを個人旅行する場合の心配事は、車の右側通行運転である。
大都会の都心部以外で移動しようとすれば、車がないとなにかと不自由である。
今回のボストン旅行の場合、宿泊場所を郊外のピーボディのRoute 1沿いにあるホテルと決めていたので、公共の交通機関がないに等しい。
それに、セーラムなどボストン郊外を移動しながらスケッチをするつもりでいたから、レンタカーしか選択の余地がない。
そこで、日本出発前にネットで予約をすませておいた。
いよいよローガン空港に降り立って、レンタカー(今回はAVIS)を受け取り、走りだすときは、ずいぶん緊張した。
なにしろ、右側通行の国で運転するのは、20数年ぶりなのだから。
特に交差点での左折時には要注意だ。
結果的には、1週間の滞在中に、間違って反対車線に入ることも、危ない目に会うこともなく、無事に旅行を終えることができた。
日本と比べて道幅は広いし、概ねゆったりと運転する人が多いので、しばらく走ってアメリカの交通事情に慣れてしまえば、総じて運転は楽だと言える。
アメリカ社会が、車で移動することを前提に発展してきたことを考えれば当然のことかもしれない。
車を運転すれば、ガソリンの給油が必要になる。
滞在中に4回ほど別々の店で給油したが、そのすべてがセルフのスタンドだった。
探せばフルサービスのスタンドがあるのかもしれないが、セルフが一般的のようである。
・ボストン再訪 その1(2017/07/25)
2017年6月、一週間ほどボストンを旅行した。
事情があって、2012年のインド旅行以来、海外旅行をする機会がなかったが、2017年になって時間的、精神的に余裕ができたからである。
ここでは、その旅行時に感じた事柄を、順不同で取り上げる。
まず、どうしてボストンに行く気になったのかについて。
それは、ボストンが1980年代の後半に仕事で駐在していた場所で、東京を除けば、私自身もっとも親しみのある所の一つだからだ。
だが、最後に出張で訪れたのが2005年。
それから12年も経ち、久しぶりにボストンの空気を吸ってみたくなった、ということである。
それに、昔と違って日本からボストンへは、直行便があることも、旅行する気になった動機の一つである。
JALが2012年に直行便を開設する前は、シカゴかデトロイトあたりで国内線に乗り換えねばならず、面倒な思いをしなければならなかった。
乗り換えなしというのは、心理的に大変楽である。
それでも、行きが13時間という長い飛行時間は、苦痛ではあるけれど。