・道を聞かれる(2014/12/13)
この間、京都旅行中に金戒光明寺の山門の写真を撮っていたとき、
中年女性観光客二人連れから、哲学の道への行き方を尋ねられた。
私が京都の地理に詳しそうな人物に見えたのだろうか。
そのときの当方の格好はデイパックにカメラをぶら下げていたから、地元住民に間違われるはずはない。
単にたまたま近くに筆者がいたものだから、観光客とわかっていて、道を聞いてみただけなのかもしれない。
このことがあって、「道を聞かれる」ことに関連して、昔の出来事を思い出した。
1970年代にロンドンに駐在していたときに、ロンドン市内でイギリス人に道を聞かれたことがあるのだ。
まだロンドンに住み始めたばかりのころで、地理に不案内だったから、聞かれても答えられるはずがなかった。
そのとき思ったのは、イギリス人はどうして見るからに東洋人とわかる私に道を尋ねたりするのかという疑問だった。
東京では、外国人の姿を普通に見かけるようになった今でも、一目で外国人とわかる人物に道を聞く日本人はまずいないだろう。
私なりの解釈はこうだ。
その当時すでに東洋系やアフリカ系の人たちがロンドンには多数住んでいて、多人種の都市になっていた。
だから、肌の色だけでは、住民なのか一時滞在者なのかは判別しにくい。
これが一般的な解釈だと思うが、加えて、いろんなイギリス人と接して気付いたのは、イギリス人は日常生活で、
自国人と他国人の区別を日本人ほどは意識していないらしいということだ。
日本とイギリスは同じ島国でありながら、その辺の感覚はかなり違うように思う。
・御岳山(2014/11/27)
11月中旬の日曜日に、ウォーキング仲間と奥多摩の御岳山を歩いた。
紅葉目当ての山歩きである。
御岳山には、今までに何度も足を運んでいるので、
今回は歩いたことのない養沢神社からサルギ尾根をたどるルートを登った。
ここでは、そのときの様子を紹介するとともに御岳山について考えてみた。
サルギ尾根の登山道は尾根通しとはいえ、視界の開けた場所は、上高岩山にある立派な展望台くらいで、
あまり特徴のある道ではない。
展望台まで、ほかの登山者に出会わなかったから、静かな山歩き目的には向いている。
ところが、上高岩山を過ぎると、とたんに登山者やハイカーが増える。
ケーブルカーを利用して登ってきたと思われる人たちだ。
ロックガーデンへの散策路に入ると、渓谷沿いの紅葉が見ごろを迎えていて、さらに人が増える。
御嶽神社に到着したときは、もう昼を過ぎていたのに、拝殿前には参拝客が行列を作っていた。
晴天の秋の日曜日とあれば、混み合うのも当然なのだが、どうして御岳山は人気があるのだろうか。
いくつかの理由が考えられる。
ケーブルカーがあり交通の便が比較的いいこと、
いくつもあるルートの中から選んで歩けること、
歴史のある神社があること、
多摩川をはじめ大小の渓谷や滝があり、地形の変化に富んでいること、
山歩き以外にも玉堂美術館など見どころがあることなど。
ちょっと考えただけでもたくさん上げられる。
紅葉など観光シーズンには、人が多くなるわけだ。
・小さな災難「棘」(2014/08/21)
数日前、指に棘(トゲ)が刺さった。
場所は、右手薬指の先端付近。
竹の小片が刺さり、その頭というか先端が皮膚表面に出ていないので、刺抜きで引き抜けない。
ほったらかして自然に抜けるのを待つという手も考えた。
だが、棘の部分に触れれば痛いので、棘が抜けるまで薬指が使えない。
いざ薬指が使えなくなると、普段あまり気にしていないわりにけっこう重要な指であることがわかる。
右手でなにかを握るときも薬指をなしでは力が入らないし、パソコンに向かってキーボードをたたくにも
薬指抜きではスムーズにいかない。
これでは、とても自然に棘が出ていくのを待っているわけにはいかない。
棘の刺さった翌日、針を使って周りの皮膚を破り、棘を取り出すことにした。
でも指の先は神経が敏感なのか、針でつつくととても痛い。
我慢できず、途中で中断。
ほかの手として考えられるのは、医者に診てもらって棘を取り出すことだが、たかが棘ごときで
医者にかかって治療費を払うというのも情けない。
いくら考えたところで、妙案があるわけはないので、再度針を使ってほじくりだすことにした。
少しの痛みで皮膚が破けるように、今度は指を湯につけて、皮膚をふやかしてから挑戦。
それでもかなりの痛みを感じ、血がにじんできたが、針を突くこと数回で棘の頭が出てきて、無事刺抜きに成功。
やれやれだ。
予期しない災難が突然やってきて、振り回された2日間だった。
・登山靴の履きならし(2014/08/12)
登山靴を新しくすると、最初の心配事は履き心地である。
登山靴は、長い時には丸一日履き続けるので、履き心地は大変重要だ。
もし靴が足に合わないと、せっかくいい気分で歩けるはずのところが、
最悪の場合、登山どころではなくなってしまう。
私自身の経験でだいぶ前のことになるが、ローカットの新しい登山靴が足に合わず、
買いなおしたことがある。
そのときは、足に窮屈感があり、数回履けば慣れることを期待していたのだが、一向に改善されず、
買いなおすはめになった。
もちろんその靴を買うときに、お店で慎重に試し履きをしたつもりなのだが、実際に山道を歩いてみると、
履き心地が違っていたのだ。
足は午前と午後でも大きさが異なり、お店で短時間履いただけでは、なかなか良否の判断が難しい。
そんな過去の記憶があるので、新しい登山靴の購入後に山道を歩いてみるまで安心できない。
今回は、新しい靴を履いて、高尾山を2度登って試したが、靴擦れなどできず安堵している。
・登山靴新調(2014/07/23)
登山靴を新しく購入した。
きっかけは、3年前の2011年に購入したLOWAのローカット靴のゴム底が意外に早く劣化したためだ。
靴底のゴムが、ときどき塊となって欠け落ちるのである。
その塊は、大きいときには、直径1cmくらいになる。
このことに最初に気が付いたのは、購入して数か月後の槍ガ岳登山のときのこと。
その後も少しずつ靴底が欠けてきている。
この靴の底材は、登山靴で一般的に使われるビブラムではないようだが、
LOWAという有名メーカーの製品で信用していただけに、底のゴムが欠けたときはびっくりした。
日本は湿度が高いので、靴底の劣化が早いといわれるが、他の登山靴でこのような経験をしたことがない。
このまま靴底が欠けてくるのでは安心して高い山を歩けない。
このLOWAの靴とは別に、もう1足、AKUのローカット登山靴を持っているが、LOWAよりずっと長く使っているので、
靴底はすり減り、全体にくたびれている。
そこで、今回新しくしたというわけ。
しばらく新しい靴の足馴らしをして、問題なければ、LOWAの靴は処分するつもりだ。
今度の靴は、やはりローカットのタイプで、メーカーはZAMBERLAN(ザンバラン)、靴底はビブラムだ。
昔からビブラム底は定評があるので、今度は大丈夫だろうと思っている。
前にも書いたことがあるが、無雪期用の登山靴として私が長年愛用しているのは、ローカットタイプである。
高尾山から北アルプスまで、夏山は、ほとんどこのローカット靴で済ませている。
なにより軽快に歩けるのがいい。
副次的なことだが、登山の前後に街歩きするときや、車の運転にも靴を履き替えずに済む。
だが、登山用でないローカットスニーカーは、一般に靴底が柔らかいので疲れやすく、私の好みではない。
ローカット登山靴の問題は、足首の保護だ。
足首をひねったときに、ローカットではくるぶしの保護に不安が残る。
インターネットで調べると、いろんな意見が載っていて面白い。
中には、ハイカットの靴が足首の保護に役立っているという説に根拠がない、というものもある。
この件について私は専門家ではないので、あまり立ち入った議論はできないが、
幸い、今までローカット登山靴を履いていて足首のトラブルに遭ったことがない。
もっとも私がローカット登山靴の愛用者になったのは、この20数年のことで、
その前は雪山でも使えるような頑丈な革製のハイカット登山靴を、近郊の夏山登山でも使っていた。
若い時は靴の重さなど大して気にならなかったし、
むしろ本格的な登山靴のほうがカッコいいという意識があったのかもしれない。
・奇遇(2014/07/01)
誰でも、予期しないところで、知人に出会って驚いた経験があるだろう。
私も、何度か体験している。
一番最近の例で、岳友のMさん夫妻と横須賀線の電車内で会った件を紹介しよう。
5月のある朝、私が鎌倉に散策兼写真撮影に行くために乗っていた車両に、
Mさん夫妻が東戸塚駅から乗りこんできたのだ。
もちろんお互いにその日の予定は知らないし、Mさん夫妻は駅で東京方向に行くか大船方面に行くか決めかねていて、
たまたま先に来た下り電車に乗り込んだという。
私が横須賀線電車に乗るのは、年に10回程度しかない上に、
15両もある車両の、特定の車両の特定のドア付近に乗りあわせるだけでも大変な偶然だと思う。
このときは、Mさん夫妻は大船で下車したので、10分ほどの短い時間、会話を楽しんだ。
数か月ぶりの再会が、こういう偶然によって実現するというのは、じつに不思議な気分だった。
奇遇というのは、いろいろな偶然が重なっての出会いである。
たとえ同じ電車に乗りあわせても、電車のドアが一つ離れていたらお互いに気が付かなかった可能性が高い。
ということは、もう少しのところで奇遇になり損ねていて気が付かないケース、
というのもかなりあるということなのだろうか。
・高円寺純情商店街 No,2(2014/03/28)
「高円寺純情商店街」を読み進むうちに、現在の高円寺駅界隈を改めて観察したくなり、
久しぶりに歩いてみた。
小説に高円寺の名前がついているものの、
内容に取り立てて高円寺固有のモノが取り上げられているわけではない。
だから、そこを歩いたからといって、どうということもないのだが、
近所に住むものにとっては、小説の舞台となり作者が生活した場所がどのようになっているのか気になる。
まずは、我が家から青梅街道を西に向かい、新高円寺駅近くからルック商店街に入る。
南北に500m以上も続く長い商店街だ。
適度な道幅がいい。
広からず狭からず、両側に並ぶ商店を観察しながらぶらぶら歩くのに向いている。
代々続いていそうな店構えの商店もある。
いろんな店がある中で、目立つのは衣料品店でそれも古着屋だ。
都内有数の古着屋の集まる地域だけあって、さすがに数が多い。
商店街から一歩横道に入った場所にも点在している。
古着屋が多いということは、若い客が多いことを意味している。
なるほど、歩いている顔ぶれを見ても、若い人たちが目立つ。
衣料品店のほかには、喫茶店や古本屋、雑貨商などの店があるが、
日用品や食料品を扱う店が少ない印象だ。
たぶん、商店の種類は昔と大きく違っているのだろう。
高円寺駅方向にしばらく歩くとアーケードに覆われたパル商店街に変わる。
駅に近いので、飲食店などが多くなる。
南アジア諸国の雑貨を扱う店も目につく。
パル商店街の次に中央線高架下の商店を覗いたあと、駅北口の商店街に向かう。
まずは小説の舞台となった純情商店街だ。
意外と短い商店街で、ここも昭和30、40年代頃とは商店の種類が変わっているようだ。
当時の面影が部分的には残っているようだけれど、全体としては今風の街並みで、
あまり味わいのある風景には見えない。
むしろ、近くの庚申通り商店街や中通り商店街のほうが、いっそうごみごみしていて、
生活臭のする昔ながらの商店街の雰囲気が強い。
一口に高円寺駅周辺といっても、場所によって商店の種類が異なっているから、
行きかう人のタイプも微妙に異なるのが面白い。
この地域に共通して言えるのは、デパートや家電量販店といった大型店舗が見当たらないことだ。
それが、小規模店舗の並ぶ商店街が維持されていることの背景にあるようだ。
もちろんそれだけではなく、若者の多いとされる地域の特性に合わせて、商店街も変化してきたから、
今の商店街があるのだろう。
今回歩いた商店街は、どこもそこそこ活気があるようで、シャッター通りになっていないのがいい。
商店街の存在意義をめぐっていろんな議論がなされているけれど、やはり商店街に活気がないことには、
地域全体の活性化も難しいと思われる。
・高円寺純情商店街(2014/03/11)
「高円寺純情商店街」は、ねじめ正一の小説で、1989年の直木賞受賞作である。
高円寺に親しみを持つ筆者としてはとっくに読むべき作品だったのだが、なんとなく今まで後回しになっていた。
最近、偶然本屋さんで文庫本を見かけたので、買って読んでみる気になった。
さっそく読み進むと、かってのありふれた身の回りの情景が、乾物の香りとともに、
懐かしくよみがえってくるのだった。
蠅取紙のぶら下がっている商店の店先、どこにでもあった銭湯、路地裏でのキャッチボール、
お蕎麦の出前などなど。
個人商店がまだ元気だった昭和30年代末頃の時代を背景に、乾物屋を営む家族の絆や地域住民との交流が、
作者の繊細で温かな眼を通して鮮やかに描写されている。
私は作者と同世代で、しかも高円寺駅から遠くない場所で生活してきたので、
よけい親近感を持って読み終えることができた。
この小説が発表されたのが1989年で、内容はその20数年前の生活に基づいている。
今年は2014年だから、さらに25年を経ているわけで、もし1989年にこの小説を読んでいたら、
読後感は多少違っていたかもしれない。
以下は、付けたしの感想である。
現在私の住んでいる場所の地名は杉並区和田だが、高円寺の地名のほうが愛着がある。
最寄り駅は地下鉄の東高円寺だし、住居表示変更以前つまり子供のころの地名は高円寺だったからだ。
他人から「お住まいはどちら?」と聞かれるときも、たいていは高円寺と答えている。
駅としての高円寺はというと、あまり身近な存在ではない。
普段は、地下鉄で東高円寺から新宿または荻窪に出てしまうからである。
必要があってJR中央線の駅まで直接出かけるときは中野駅を使う。
高円寺駅より少し近いのと、バスも通じているのが理由だ。
これに対し、高円寺駅までは大した距離ではないのだけれど、環七を越えなければならないのが、
心理的に距離感を増しているのかもしれない。
この小説はわかりやすい文で構成されていて、よどみがないが、ときどき大変長い文が入る。
とかく長い文では、作者の意図が途中で分からなくなり、読んでいていらいらすることがあるものだ。
でも、さすがのこの小説ではそのようなことがないし、むしろ長い文にすることによって、
リズムが途切れない利点が活かされているようだ。
私事になるが、理科系出身の私が文章を書くときは、つとめて短い文で構成する習慣が抜けない。
読み手が誤解することなしに抵抗なく読めることを優先しているためである。
(意図しない結果になることもあるのだが。)
本文中、風呂屋の貼紙に、
「御客様各位 都合により、本日臨時休業とさせて頂きます。」
と書かれていた、とある。
このような場合に「させて頂きます」を使うのは、最近になってからの用法で、
当時は一般的ではなかったのではないだろうか?
文庫本「高円寺純情商店街」のカバー写真は、乾物屋の食卓を連想させてなかなかセンスがいい。
ちょっと残念なのは、あったかいご飯の感じがしないことだ。
・大雪の高尾山(2014/2/18)
2月は2週続けて大雪に見舞われた。
特に2度目は予想外の雪の量になったので驚いた。
多くの人も同じ感想を持ったようだ。
降り止んだ15日は、首都圏の交通網が乱れているし、雪かきなどがあって外出する余裕がなかった。
その翌日の16日の天気は晴れ。
朝起きて穏やかな青空を見たら、雪山を歩きたくなり、高尾山に登ってみることにした。
めったに使わない雪山用の登山靴を引っ張り出し、家を出たのが7時過ぎ。
京王線の新宿駅に着くと、高尾と高尾山口間は雪のため13時ころまで運休、という放送を繰り返していた。
雪がやんで丸一日以上が経つのに、まだ除雪が終わっていないことにびっくりしたが、
それほど今回の雪の量が多かったということだ。
でも、高尾駅まで電車で行ければ、高尾山口駅まで歩いて20分程度なので、登山には支障ない。
新宿8時発の電車に乗り込み、高尾に向かった。
外の景色を見ていると、高幡不動あたりから積雪が多くなっているようだ。
高尾駅北口の改札口を出たら、一面の雪景色。
雪国の駅に降り立ったような気分だ。
いつもは数台のバスが待機している広場に、一台のバスも見当たらない。
高尾山口方面に向かうとき使う線路沿いの近道は、一人分の幅で雪が踏み固められていた。
両界橋で国道20号(甲州街道)に出ると、車道の路肩にうずたかく雪が積まれている。
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一度は除雪をしたようだ。
だが、車が来ないので、地元の人も登山者もみな思い思いに車道を歩いている(写真参照)。
私もならって車道を歩いた。
普段は交通量の多い道路なので、車道を歩けるのはこんなときくらいのものだ。
高尾山口駅に着いたら、軽アイゼンを着用。
どのコースを登るか迷ったが、ここはオーソドックスな稲荷山コースにした。
登り始めから雪の道だが、すでに多くの登山者が歩いているので、踏みあとはしっかりしている。
高度を上げるに従い、積雪も増える。
踏みあとを外さない限り快適だが、ゆっくり歩く大人数の団体登山者がいると追い越すのが大変だ。
木の枝についた雪のほとんどはなくなっていて、頭上から雪が落ちてくるようなことはなかった。
気温が少し高めだからだろう。
雪質はというと、これが案外に重たくなかった。
東京の市街地では、雪が最後には雨に変わり、積もった雪に多量の水分を含んでいたが、
このあたりでは雨にならなかったのかもしれない。
頂上に着くと、日曜日のためかけっこう人が多い。
頂上広場は深い雪に覆われていて、売店も休業している。
少しでも踏みあとを外そうものなら、腰まで雪にもぐってしまう。
とても高尾山とは思えない本格的な雪山の景色が広がっている。
小休止のあと、1号路を下山した。
途中の薬王院の境内も雪に埋もれていた。
1号路もほとんどが除雪されておらず、結果的に登山靴を泥で汚さずにきれいなままで下山できた。
高尾山口駅からは、すでに運転が再開されていた京王線電車に乗って帰宅。
これまで四季を通じて何度も高尾山に登っているが、こんなに雪の多い高尾山を見たのは初めてだ。
・アキュフェーズ(2014/2/5)
1月の朝日新聞に、高級オーディオメーカーのアキュフェーズが取り上げられていた。
「リレーおぴにおん 老舗の流儀」という連載欄である。
アキュフェーズの名は、オーディオに興味のある人には知られているが、
一般には知名度の低い会社だと思われる。
私は、オーディオを趣味にはしていないが、装置が壊れたり不調になったりするたびに、
スピーカーやアンプなどを何台か入れ替えてきた。
数年前、アンプとスピーカーを変えた際に、長期間使えるモノという観点から、ちょっと高価だったが
アキュフェーズのアンプを選び、今も毎日のように使っている。
けれども、アキュフェーズのユーザーでありながら、会社そのものについては知らなかったので、今回の記事は
興味深かった。
会社を大きくしない、たくさん作らない、社員を増やさない、低価格帯には手を出さない、
という普通の会社では見かけない方針が目を引く。
趣味の世界が市場のため、趣味性に徹底的にこだわった製品づくりをしているという。
こういう会社の製品が評価され、会社も老舗として存在できるのは、日本はけっこう成熟した社会といえる。
全ユーザーに年賀状を出しているというのも、ユーザー重視とはいえなかなかやれるものではないだろう。
私のところにも毎年年賀状が届く。
アキュフェーズの製品を選んでよかったと思わせるなかなかにくいやり方だ。