スワーンベリの窓 



ここはスウェーデンの画家、マックス・ワルター・スワーンベリ(スワンベルク)
についてのページです。
(MAX WALTER SVANBERG)


 マックス・ワルター・スワーンベリ。この画家の名前を日本ではほとんど耳にすることがない。わずかながら澁澤龍彦氏の本によってその存在を知るだけである。

 M・W・スワーンベリは1912年に北欧、スウェーデンのマルメ町に生まれる。

 スワーンベリは子供の頃から木工細工が好きで、ヴァイオリン職人の夢を持ちながら女性像や木彫りのオルゴールを作っていた。母はアールヌーボー風の刺繍(タペストリー)をしていて、彼の装飾的な作品の根底には母の刺繍の影響があったのかもしれない。 その後、美術学校に通うようになり、22歳の時、重いポリオ(小児麻痺)にかかる。 看護に当たったグンニの献身的な努力によって回復し、それが切っ掛けで、1940年、グンニと結婚する。 

 1945年ストックホルムで初の個展を開く。その後、スウェーデンの画家仲間と『イマジニスト』というグループを結成し1953年にパリで展覧会を開く。それが詩人でありシュルレアリスムの指導者アンドレ・ブルトンの目にとまる。翌1954年、シュルレアリスム機関誌「メディオム」3号(写真参照)で特集された。それ以後、シュルレアリスムの国際展に参加することになり、1969年フランス大統領から名誉勲章を授与される。1976年には東京・銀座のフマ・ギャラリーで日本初の個展が開かれた。 1994年5月28日にスウェーデンのリムハムで亡くなる。


 彼が描く女性像は北欧の白夜のような冷たさと美しさを持っている。澁澤氏が言う「磁器のような美しさ」は、
他の画家にはない独特の魅力を放っているといえよう。





 スワーンベリが日本において如何に知られていないかは彼の名前の表記が統一されていないことから伺える。

 当の澁澤氏でさえ1976年発行の「骰子の7の目」では『スワーンベリ』と表し、1988年発行の「幻想の彼方へ」では『スワンベルク』としている。岩波書店発行の「ダダとシュルレアリスム」では『スワンベリ』とあり、他にも『スワンバーグ』『スワンベルイ』『スワンベルグ』と記した書もあった。

 スウェーデン語に近い読み方をカタカナ表記すると『マックス・ヴァルテル・スヴァーンバリ』だそうだ。このサイトでは一般的に多く使われている『スワーンベリ』を統一して使うことにする。



 



・・・ 画集 洋書 ・・・



 「MEDIVM」(シュルレアリスム機関誌) (1954年発行)

 「MEDIVM(メディオム)」はシュルレアリスムの機関誌として1952年に創刊された。
 その第2シリーズの3号でスワンベルクが特集されている。表紙を含めて多数の挿し絵が掲載され、
 その数は22点にものぼる。これによってスワーンベリは一躍、世界に知られる画家となった。




「MEDIVM」表紙


大小22点の挿し絵がある(クリックで拡大)




 Max Walter Svanberg GRAFIK/GRAPHIQUE (1967年発行)

 スウェーデンから輸入したスワンベルクの画集。ドローイングやリトグラフ多数。
 カットも含めて全75点が掲載されている。オリジナル・リトグラフ
 (作品「幻影」、黒地に金の印刷)が添付されている。
 本文はスウェーデン語とフランス語で書かれている。

 作品点数、カラー(3色刷)図版10点、2色刷5点、白黒及び1色刷58点、
 全 209ページ。
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表紙(A4変形判・ハードカバー)


掲載されている図版は日本の出版物では
見ることのできない作品ばかり




 MAX WALTER SVANBERG ET LE REGNE FEMININ
 (1975年発行)
 ジョゼ・ピエール 著

 スウェーデンから輸入したスワーンベリの画集。全75点が掲載されている。
 本文はフランス語。

 作品点数、カラー(3色刷)図版 20点、白黒及び1色刷 55点、
 全209ページ。



表紙(A4変形判・ハードカバー)
表紙は『奇妙な出会いの奇妙な妊娠』



掲載されている図版は日本の出版物では
見ることのできない作品ばかり




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