Warmth  



 眠りから覚めかけるカミューの耳に、部屋のドアが閉まる鈍い音が聞こえた。
 隣にマイクロトフの気配が無いから彼が手洗いにでも行ったのだろうと、そのくらいの分別はある寝起きの頭でぼんやりと考えながらカミューは薄く目を開いた。
 情事の後、落ちるように滑り込んだ眠りは短いわりにとても深かったらしく、身体はだるいが気分はよかった。
 サイドボードから懐中時計を手探りで取って、ぱちんと蓋を開ける。
 肌を合わせていた時間を正確に計っていたわけではないから、どのくらい寝ていたか時間に換算することは難しいが現在時刻から察するに寝ていた時間はあまり長くないようだ。
 久方ぶりに気持ちのよい惰眠だったようなある種の満足感の中で吐息し身を起こすと、夏用の薄い掛け布団がするりと彼の肩から滑り落ちた。何も身につけていない肌が露わになり、外気にさらされる。
「寒い……」
 誰に云うでもなく、ぽつりと呟いてカミューは自分の肩を抱いた。
 大分暗闇に慣れた目で窓の方をよーく見ると、微かにカーテンが揺れいている。どうやら窓が開いているようだ。
 季節の上ではまだ夏だが、もう夜中は少し寒い時期である。窓を閉めたままでは寝苦しいわけでもあるまいに、何故わざわざこんな時間に窓を開けたのだろうか。
 カミューは窓を閉めに行こうか少し考えて、やめた。
 窓を閉めに行くよりも、このままもう一度布団に潜り込んだ方が早い。
 緩慢な動作で枕を直すと、カミューはもう一度布団に潜り込んだ。
 

 マイクロトフが寝室に戻ると、カミューはドアに背を向けて横向きの姿勢で丸くなっていた。
 自分が出て行った時とほとんど変わらない彼の姿勢に、手にしていたステンのポットと二つのカップをサイドボードの上に置く。ランプをつけようかとマッチを手に少し諮詢して、結局マッチを元の場所に戻した。
 暗がりの中でカップを手に取りポットから飲み物を注いでいたら、ふいにカミューがぱたりと寝返りを打った。
「…………ランプ、つけてもかまわないぞ?」
 突然ぼそっと云われて、マイクロトフは視線を彼の方に向けた。
「すまない、起こしたか?」
 カップを手にしたまま、心底すまなそうにマイクロトフが云った。
「お前が出ていったときに起きた」
 カミューは怠そうな素振りで起きあがる。
 が、やはり肌寒いのか肌掛けを引き寄せて自分の肩に掛けた。
 カミューが起きているのならば遠慮は必要ない。マイクロトフは先程ランプの側に置いたマッチを手にすると、ハコの中から一本取りだした。カシュッと小気味よい音を立ててマッチが擦られる。
 間をおかずにその小さな炎はランプに移され、部屋の中がぼうっとオレンジ色を帯びた光に照らされた。暗闇に慣れた目に弱いとはいえいきなりの光は眩しかったらしい。カミューは目を眇めて何度か瞬きをした。
「眩しい……」
 聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で呟いて、カミューはマイクロトフの方に手を伸ばした。
 ランプを定位置に戻し、カミューの方を振り返る。
「寒いのか?」
 手を伸ばしたせいでまた肩から滑り落ちた肌掛け。それを一生懸命引っ張っているカミューを見て、マイクロトフは困ったような怒ったようなとても複雑な表情をしている。
「寒い……ような気がする」
 気がするも何も寒いから肌掛けを引っ張っているのだろう。マイクロトフは嘆息して、ベッドサイドの椅子にかけてあったパジャマの上着をカミューに差し出した。
 それを受け取ってカミューはマイクロトフを見上げて云った。
「お前は寒くないのか?」
 改めて見るとマイクロトフはパジャマの下ははいているものの、上半身は裸である。
「俺は別に……」
 云いかけた彼の首筋をふいに風が撫でた。ヒヤリと冷たい夜の風に、マイクロトフはそれが流れてきた方を見る。
 窓際で微かに揺れるカーテンに、窓を開けたままだった事を思い出してマイクロトフは苦笑した。どうりでカミューが寒がるはずである。起きてからずっとこの格好でいた自分はともかく、今まで布団にくるまっていた人間に夜中の風はひどく肌寒く感じられるはずだ。
「悪かった。少し換気するつもりで開けて、そのまま忘れていた」
 手にしていたカップをいささか乱暴にサイドボードに置いて、マイクロトフは空いたままだった窓に手をかけた。
 少し錆付いた蝶番がキィっと耳障りな音を立てた。苦手なその音にカミューは嫌そうに目を細める。
 ひどく不機嫌そうな表情をその白石の面に浮かべて、カミューは怠そうな動作で受け取ったパジャマに袖を通した。が、両腕を袖に通したところでその動きを止めてしまう。
 窓を閉めてカミューの方に向き直ったマイクロトフは、ボタンも留めずにぼうっとしているカミューに首を傾げた。
「どうした?何か変わった物でもあったか?」
 云いながら、カミューがぼうっと見ている方向に自分も視線を向ける。だが、当然何があるわけでもない。視線の先には注ぎ口から湯気をたてているステンのポットがあるだけだ。
 ポットとカミューと。その二つの間をマイクロトフの視線が何度か往復する。
 往復して。最後にカミューの顔でそれを止めて、マイクロトフはため息を落とした。
 どうやらカミューはもの凄ーーーーーーく眠たいようだ。
 話す言葉がはっきりしていたのでてっきり覚醒しているのだと思いこんでいたが、まだ夢うつつのようである。
 眠たいやら怠いやらで頭の中がはっきりしていないのだろう。
 マイクロトフはサイドボードに置いてあった懐中時計を手に取るとぱちんと蓋を弾いた。まだ朝食の時間までは大分ある。朝稽古の時間までだと中途半端になってしまうので、いっそ朝食の時間まで寝かせておいてやった方がいいだろう。
 中途半端な睡眠は疲れをとるどころか、逆に疲れを倍増させるものだから。
 そう判断して、時計の蓋を閉めて元々置いてあった場所に時計を戻す。
 その拍子に時計につけられた長い鎖が、ステンのポットにぶつかって小さな金属音をたてた。
「………煩い」 
 大して煩いとも思えない音に対して文句を云って、カミューはマイクロトフを見た。
 瞼自体はきちんと開いているが、どうにも焦点があっていない。
「あぁ、すまない。もう物音をたてんから、寝ろ」
 どう考えてもマイクロトフが謝らなくてはならないような音ではない。だが、相手は半分寝ているような人間である。素直に謝って、早々に寝てもらった方が良い。
「んー?……うん」
 マイクロトフの言葉に返事とも唸りともつかないような声で返すと、カミューはコテンとベッドの上に身体を倒した。
 カミューの体重を受けてベッドのスプリングがギシリと鳴る。その音にまた眉を寄せるが、今度のは自分でたてた音だと云うことを理解しているので何も云わない。
 横になるとカミューは肌掛けもなおさずに早々に目を閉じてしまった。
 マイクロトフはそんな彼を見てクスリと笑うと、腰を屈めて彼に向かって手を伸ばした。
 羽織っただけでボタンの留められていないパジャマ。そのボタンを几帳面に上から一つずつ順番に留めてゆく。
 眠たくて怠いと、人とはこんなに変わってしまうらしい。
 パジャマのボタンを留めてやるなど、普段の意識がはっきりしている時のカミューには絶対にできないことである。
 元々マイクロトフは「甘えるよりも甘えてもらいたい」、「守られるよりも守ってやりたい」というタイプの男だから、こうして世話をかけられる(?)のは嬉しかったりする。
 いくら眠たくて怠くても遠征や野営などで他の人間がいるときは、あくまでも通常のスタイルで鋭利な眼差しと理路整然とした物言いを崩すことは決してない。カミューのこんな甘えたような姿を見ることができるのは自分だけだと思うと、理不尽に「煩い」と云われようと何をされようとまったく気にはならなかった。…………まったくもっておめでたい男である。
 残すボタンもあと一つ、と云うところで突然カミューがマイクロトフの手を掴んだ。
「カミュー?」
 もう寝ているものだと思っていたカミューにいきなり手を掴まれて、マイクロトフは驚いて彼の名を呼んだ。
 カミューはその声には答えず、掴んだ手首を渾身の力を込めて手前に引っ張った。
「カミュー!?」
 眠たくてぼうっとしていた人間の力とは思えないような力でいきなり引っ張られて、マイクロトフはカミューに覆い被さるような格好でベッド上に倒れ込んだ。それでも咄嗟にカミューに負担がかからないように、ベッドの上に両の手を突っ張ったのはお見事としか云いようがない。
 しかしこのベッドが壁に寄せてあるほうのベッドだったとしたら、確実に頭を打っていたと思われる格好である。
 カミューに引き寄せられるままに下半身もベッドに乗せて、マイクロトフはこのベッドが壁側のベッドで無かったことに感謝した。
 何とか普通にカミューの隣に身体を横たえて、マイクロトフは最後の一つだったボタンを留めてしまおうと再びカミューの着ているパジャマに手を伸ばす。
 その手を鬱陶しげに払って、カミューはマイクロトフの胸に自分の頭を埋めた。ついでに彼の背中に腕も回す。
「マイクロトフ……」
 そうして注意して聞かなければ聞き取れないようなか細い声でマイクロトフを呼んだ。
「…………今日はもう、しないからな?」
 ともすれば誘われてるのかと誤解してしまいそうなこの状態。マイクロトフが行動に出る前に先手を打ってその誤解を解いて、カミューは幸せそうに寝息をたてだした。
 どうやら人肌の温もりが欲しかっただけのようである。
 先程いいだけやらせて頂いたとはいえ、この状況で「おやすみなさい」はちょっと苦しいものがある。10代の頃のようにがっついた欲は無いが、まだまだやりたい盛りの20代。
 パジャマの裾からのびるすらりとした白い足が妙に艶めかしく目に映ってなんというかムラムラくるのだ。いっそ何も着ていなかったらこれほど扇情的に見えなかったのかも知れないが、この見えそうで見えないというのは何とも云えない雰囲気を作り出すのである。
 自分の着ているのを脱いででも、下も着せればよかった。そう思ったところでもう後の祭りだ。
 だが、先程あれだけやっておいて寝ている相手に手を出すわけにはいかない。そんなことをしたらただのケダモノになってしまう。
 とりあえずカミューの白い足を隠してしまおうと、マイクロトフはくしゃくしゃになっている肌掛けに手を伸ばした。
 しかし、まぁ。
 これもまた甘えてもらっているのだと思えば耐えられ………ないかも知れない。
 何とも情けない顔をしてため息を吐いて、マイクロトフはカミューの頭を抱きかかえるように手を回した。




       

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