乙女心と彼のハラ

「弓はあまり得意じゃないんだがな…」
 云いながら、マイクロトフは無造作につがえた矢を引いた。矢は空を切って的にはかすりもしない方向に飛んでいく。
「誰のせいだと思っているんだ?文句を云える立場かどうかよく考えるんだな」
 カミューが呆れたように云って、矢立から矢を一本取り出した。
 考えるまでもなく自分のせいだということを知っているマイクロトフは、それ以上何も云えずに黙ってしまった。
 昨日の朝のことだ。いつも通り早朝鍛錬として、カミューと模擬剣を合わせていたのだがそれが折れてしまったのである。それはもう、見事としか云いようのないくらいに綺麗にまっぷたつに。
 別に折ろうと思ったわけではないのだ。折ろうと思って模擬剣をふるったわけではない、ただちょっといつもよりも変に力が入ってしまっただけで。ちょっといつもよりも力が入ってしまっただけで模擬剣がまっぷたつに折れるなどと、誰が思うというのか。
 だいたい自分の模擬剣が折れるだけなら「あぁ、力の入れ方が悪かったのかな」とも思えるが、合わせていたカミューの模擬剣まで折れるとなるとこれはもう模擬剣が老化していたとしか思えない。
 ……思えないのだが、これをいうとどう云っても言い訳にしかならないのでマイクロトフは黙っているのだった。
 模擬剣とはいえダンスニー、及びユーライアと振るった感じができるだけ近くなるように特注で作ってあるため、それが直るまでは剣術の鍛錬もままならないのである。
 そんなわけで、彼らは中庭に立ち、仲良く弓をつがえてた。模擬剣よりも弓の方がよほど壊れやすいと思われるのだが、さすがに本拠地のなかで真剣を振り回して鍛錬するわけにもいかない。
 幸いにして弓兵の訓練用の弓が道場の脇に積まれていたし、その側の木に的とおぼしき麻袋もロープでつり下げられていた。どうやら中身は土のようである。
 抜けるような青空の下、二人とも額にうっすらと汗を浮かべていた。
 カミューは弓も好きだった。実際に戦闘で使うのならば迷わず剣を選ぶのだが、お遊びというか鍛錬程度で扱うのならば弓は面白い。集中して的を射るときの緊張感と、狙った場所にピタリと矢を射込むのが好きだった。もちろんキニスンのように弓で戦闘をしている者とは比べものにならない程度の技術だったが、それでも趣味でくぎるのならばうまい方である。
 反対にマイクロトフは弓がどちらかと云えば苦手であった。手先の器用、不器用は別として、彼には射手に必要な『静』の集中力が欠けている。彼の性格からも見て取れるように、彼にしてみればじっと集中して弓を構えているよりも、馬を操り剣を閃かせている方がよほど楽なのである。
 指で弦を弾いて張り具合を確かめながら、マイクロトフはじっとカミューが弓を引き絞るのを眺めている。長弓がキリキリと音をたててしなり、次の瞬間空気を切り裂いて矢はまっすぐに放たれた。矢は麻袋のほぼ中央に突き刺さり、その勢いで的をつり下げている木の枝がギシギシと大きな音をたてて揺れた。
「相変わらず巧いな」
 感嘆の息をもらしてマイクロトフが云った。カミューは口の端で笑いながら、次の矢を取り上げた。
「この距離で当たらなかったら良い笑い者だよ、マイクロトフ」
 カミューの言葉尻に重なるように、シュッと風を切ってマイクロトフの放った矢が飛んだ。
 自分の放った矢の刺さった場所を確認して、マイクロトフはカミューに向き直る。
「……どうやら俺は良い笑い者のようだ」
 マイクロトフの放った矢は、大きく的をそれて丁度的の斜め後ろにある木の幹に刺さっていた。弓の練習(?)を始めてから結構な数の矢を射っているのだが、やはりマイクロトフには弓の才能は無いようである。まぁ、そのかわりといっては何だがあれだけの剣術の才能があるのだからいいだろう。天は二物を与えず…とはよくいったものである。
 苦虫を噛み潰したような表情のマイクロトフを見て、カミューがくすくすと笑う。
「人には得手、不得手があるからな。そう気にすることはないさ。その証拠に、剣術は私よりお前の方が巧いだろう?」
「どうだか。お前は本気で模擬戦をやらないからな、どっちが巧いかなんてわからんさ」
「失礼な。私はいつでも本気だよ」
「嘘をつけ。実戦中、隣で戦っていれば嫌でもわかる」
 矢を弓につがえながら、カミューはマイクロトフを横目で見やった。
「嘘じゃないよ。別に練習中に手を抜いているわけじゃなくて、私は本番に強いタイプなんだ」
 カミューが弓を引いた。先程の衝撃で今だ揺れている麻袋の左端にあたり、新たな衝撃に枝がまたさざめいた。それに驚いたのか、近くの木に止まっていた鳥達が一斉に空に向かって羽ばたく。
 それを見届けて、カミューは弓を下す。そして一歩後ろに退いて、マイクロトフに的の正面を譲った。
「正面から射ったら案外お前の方が当たるかも知れないぞ?」
 云いながら、カミューは弓を地面に置いくと身近にあった木に背を預けた。
 聞こえているのか、いないのか。マイクロトフは唇を引き結んで、的に集中する。
 マイクロトフが弓を引き絞る。ヒュンと風を切る音。そして次の瞬間的を支えていた縄が切れ、麻袋が鈍い音をたてて芝生の上に転がった。縄を切っただけでは勢いは収まらず、矢は的の後ろ側の木に直撃し何枚かの葉を散らした。
 一瞬の沈黙。そしてそれをやぶったのはカミューの笑い声だった。
「いいコントロールだな、マイクロトフ。狙ったのか?」
 心底楽しそうに笑っているカミュー。マイクロトフは自分のせいで地面に転がっている麻袋を見て、それから困惑した顔でカミューの方を見た。
「狙ったように見えるか?」
「いいや。全然」
「……なら訊くな」
 自らの腕前に心底呆れたように溜め息を吐いて、マイクロトフはカミューに向かって弓を差し出した。そして自分のきていた白いシャツを脱ぐと、それもカミューに向かって放り投げた。
「マイクロトフ?」
 弓はともかく、放り投げたられたシャツの意図がわからなくてカミューは首を傾げた。そんなカミューに、マイクロトフは麻袋を指さす。
「あのままにしておくわけにはいかんだろう」
 どうやら転がり落ちた的を直すつもりらしい。麻袋の中身は土のようだし、弓の的なだけあって所々に小さな穴が空いている。確かに、白いシャツを着たままで触るのは無謀かも知れない。それに結構高い位置の枝に縄が結んであったので、直すには木に登らなくてはならないから、シャツを着たままでは引っかける恐れがある。
 そういうことにはあまり気の回らないマイクロトフが珍しいことだ。そんなことを考えながら、自分も手伝おうかとカミューが動きかけたその時だった。
「ああぁぁぁっっっーーーーー!!!!」
 と、女性の甲高い声がした。
「なっ、何だ!?」
 あまりの大声に何事かとマイクロトフとカミューがほとんど同時に振り返る。
 振り返ったその先には二人と同じ百八星のテンガアールがこちらを指さして目を見張っていた。
 彼女の指が指している方向にマイクロトフの顔が引きつった。何か云わなくては、と思ったが言葉が口から出てこない。だいたいにして『言い訳』というものが大嫌いな男なのだ。この状態で口を開けば『言い訳』にしかならないのは明白であり、そう考えるともう何も言葉が
口から出てこないのは仕方がないことである。
「そうよっ!こうなのよ!!!こうでなきゃ駄目なのよっっっ!!!!」
 よほど嬉しいのかその可愛らしい顔を真っ赤にしてテンガアールがつかつかとマイクロトフ達の方に歩み寄ってきた。歩み寄る、というかもうほとんど小走りに近い勢いだ。
「まっ、待ってよ、テンガアール〜」
 彼女の勢いに付いていけないのか、いささか情けない声を出して同じく百八星のヒックスが続く。
 どうやら彼女が云っているのは自分が壊した的の事ではないようだということは何となく理解できたものの、そうなると全然彼女の言動がわからずにマイクロトフは目を瞬かせた。
 カミューは再び木に寄りかかった。どうやら事の成り行きを静観するつもりらしい。
 テンガアールはマイクロトフの三歩くらい手前まで来ると立ち止まり、じーーーっっとマイクロトフの上半身を見つめた。
「テ、テンガアール殿??」
 マイクロトフが困惑した声で呼びかけてもテンガアールは微動だにしない。どうやら聞こえていないようである。
 視線でカミューに助けを求めてみるが、カミューは楽しそうに笑っているだけで助けてくれそうもない。心底困り果てたマイクロトフがもう一度テンガアールを呼ぼうとするのよりも一瞬早く、テンガアールが両サイドの三つ編みを翻してヒックスの方を振り返った。
「これよっ!これなのよっ!わかる!?ヒックス!!」
「何が何だかわからないよ、テンガアール。ちゃんと主語を入れて話してよ」
 ヒックスの言葉にマイクロトフがうんうんと首を縦に振って同意する。
 彼の声が聞こえているのかいないのか、テンガアールは一人悦に入ったように言葉を続けた。
「これが戦士の上半身なのよっっ!!やっぱり戦士はこうじゃなきゃっ!!」
「………何?」
 マイクロトフが目をぱしぱしさせて自分の身体を見下ろした。なんだかよくわからないが、どうやらテンガアールは自分の身体を誉めているようである。
「見てっ!あちこちに走る無数の傷っ!力強く逞しい腕っ!がっしりとした胸筋!!そして、そして、そしてっっっ!!!」
「テ、テンガアール……」
「この腹筋っっっっ!!!!見える!?ヒックス!!この逞しく六つに割れた腹筋が!この逞しく力強い腹筋がっっ!!」
「み、見えるけど…」
 この至近距離である。確かに見えてはいるが、いったいなんとコメントすればいいのか。口ごもるヒックスをよそに、テンガアールは両手を胸の位置で組んでうっとりしている。
「この綺麗についた腹筋が見えてっ?無駄な贅肉なんてかけらもない、このまばゆいばかりのおなかのラインっ!きっと私なんかが押したところでびくともしないのよっ……!」
「……………」
 じゃあ、押してみますか?と、云うわけにもいかず。なんと言葉をかけたものかと、マイクロトフはガシガシと後頭部を掻いた。
 ヒックスはというと、テンガアールの突拍子もない言動には慣れっこなのか申し訳なさそうにマイクロトフを見ている。
「あぁっ!こんなところで理想の戦士(の身体)が見られるとは思わなかったわ……!」
 と、ひとしきり感動したところで気が済んだのか、テンガアールはヒックスの方に向き直るとがしっと彼の両肩を掴んだ。
「さぁっ!よーく目に焼き付けておくのよ!ヒックス!!貴方が目指すのはこういう体型なのよっ!」
「ええぇぇぇ〜〜!?無理だよ、テンガアール〜」
 肩を掴まれたまま、ヒックスが情けない声を上げた。マイクロトフの腹と、テンガアールの顔を何度か交互に見るが結果として溜め息しかでない。テンガアールの顔は真剣そのものだし、マイクロトフの腹はどう見ても自分の腹とは比べものにならない。と、いうか比べる事自体が失礼なのではないかとさえ思える。
 自分だって村を出てから戦闘や訓練を繰り返してきて、それなりに筋肉があるほうだとは思うが騎士と一緒にされては困る。
「あぁいう風になるには、もって生まれた体型も必要なんだよ。テンガアール。僕じゃ無理だよ」
「どうして貴方はチャレンジする前から諦めるのっ!?そんなものやってみなければわからないじゃないっ!」
「やってみなくてもわかるよ〜」
「わからないわよっ!ねぇ!マイクロトフさんっ!」
「えっ?いや……その…」
 いきなり話を振られてマイクロトフが言葉を濁す。『何事も前向きにチャレンジする』のが彼の信条だが、こればっかりは何とも云えない。特に何をしてこういう体型になったわけでなし、人間がんばればできることとがんばってもできないことがあるのもまた事実である。
「なんとか云ってやって下さいよ、マイクロトフさん」
 ヒックスが助けを求めるような目で見ているが、いったいなんと云えば良いものやら。どうにもテンガアールが納得しそうな言葉が思い浮かばない。
「人間、何事もチャレンジですよ?ヒックス殿」
 と、黙って事の成り行きを見ていたカミューが突然口を開いた。その声に、3人とも一斉にカミューの方を見る。
 カミューはいつもの天使のような笑顔でヒックスにむかって云った。
「マイクロトフだって何も昔からこんなにごつかったわけではありません。晴れの日も雨の日も風の日も、毎日毎日積み重ねたたゆまぬ努力の結果がこの身体なのです」
 晴れの日も雨の日も風の日も、たゆまぬ努力をしたと云うのは一体誰のことなのか。確かに毎日の鍛錬は欠かさなかったが、別にこの体型になるためにたゆまぬ努力をしていたわけではない。が、そう云うわけにもいかずにマイクロトフは眉を寄せる。
 そんなマイクロトフに気が付かずに、テンガアールは見るからに嬉しそうな顔をしている。
「ほらごらんなさいっ!人間何事も努力なのよっ!」
 綺麗な微笑みと共にああまで云われてしまってはヒックスに反論の余地があるはずもない。
「さぁっ!行くわよヒックス!ありがとうございましたっ!マイクロトフさん、カミューさんっ!」
「あ?ああ……」
「いえいえ。がんばってくださいね、ヒックス殿」
 嵐のように訪れて、嵐のように去ってゆく。まるで彼女のためにあるような言葉である。挨拶もそこそこにテンガアールはヒックスの手を引いて元来た方角に向かって歩き出した。
「行くって、何処に行くんだよ!?」
「まずは腹筋からよっ!めざせ腹筋1.000回!!」
「テッ、テンガアール!!?無理だよっ!」
「何事も努力よっ、努力!終わるまで朝御飯はお預けよっ!大丈夫っ、心配しなくても私もつき合って上げるからっ!!」
「つき合っていらないよ〜」
 端から聞いているとまるで漫才のような会話である。テンガアールに引きずられてゆくヒックスの背中が見えなくなるまで見送って、カミューは手にしていたマイクロトフのシャツを手近な木の枝に引っかけた。そして自らのシャツも脱いで同じ枝に引っかける。
 眉を寄せたままテンガアール達が消えた方向を見ているマイクロトフの方をぽんっと叩いて、カミューは地面に転がったままの麻袋を指さした。
「いつまでぼぅっとしているんだ?さっさと直して、朝食をとりに行くぞ」
 まずは切れた縄を外すために木に登るカミューを見上げて、マイクロトフが釈然としない表情で問いかけた。
「なぁ、カミュー」
「何だ?」
「……俺は昔から結構ごついほうだったと思うんだが」
 その言葉に動きを止めてマイクロトフを見ると、カミューはにっこりと微笑んだ。
 微笑んで、何も云わない。
 その微笑みですべてを察して、マイクロトフは短く溜め息を付いた。 
 くすくすと笑いを漏らしながらカミューは硬く結ばれた縄の結び目を解く。と、同時に上から降ってきた縄をマイクロトフは巧い具合に受け止めた。
 次いでざざっと葉ずれの音と共にカミューが木の上から降りてくる。
「マイクロトフ」
 カミューは呆れたような、困ったような表情で自分を見ているマイクロトフの名を呼ぶと、楽しそうな笑いを収めぬまま右手の人さし指を彼の唇の前で立てる。そうして「シィー」と呟くと自分の指の上から唇を重ねた。
 カミューのキスを甘んじて受けながら、マイクロトフはこれからヒックスが見舞われるだろう『努力』と云う名の『災難』に軽いめまいを覚えた。 
 

 ヒックスがマイクロトフ並の腹になれたかどうかは、また別のお話。と、いうことで。

END



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