An important word







 珍しく、互いの休みが重なった日だった。
 お互いに何とかして休みを合わせようとは思っていても、受け持っている事件によっては休日出勤して資料を制作したり、その足で駆けずり回って物証や何かを探さなくてはならない事が多くて、なかなか上手くはいかないのだ。
 世間一般では「弁護士さんって高給取りの優雅な仕事〜」というイメージがあるようだが、決してそんな楽なモノじゃない…と成歩堂は日々思っている。これで助手とか秘書とかがいればまた話は違うのだが、世の中そう上手くはいかないのである。
 そんなこんなで。
 いつもは大体、成歩堂の方が御剣に休みを無理矢理あわせる形になるのだが、今日はなんとなく休みが重なったらしい。
 特に予定があったわけでもなく、二人は成歩堂の私室でぼんやりとそれぞれの時間を過ごしていた。
 二十代の一人暮らしにしてはかなり立派な部類に入るマンションの一室。ブラインドがあげられた窓ガラス越しに陽光を浴びながら、成歩堂はコーヒー入りのマグカップを片手に床に座っていた。
 外はかろうじて晴れてはいるものの、風が強く薄い雲が空に散っていた。
 床暖房を入れた暖かなフローリングに腰をおろして、寒そうな外を眺める。手には丁度良い暖かさのコーヒー、そして傍らには御剣。
 こんなひとときに、成歩堂は非常に幸せを感じていた。
 だが。普段が普段だけに、あまりに平和な空気はいらん事を考えさせるようである。
 突然、ふっと思いたったように成歩堂は、傍らのソファで何やら洋書を読みふけっている御剣に訊ねた。
「なあ。お前にとっての僕って、何?」
 いきなり何を言い出すのか。成歩堂の唐突な言葉に、御剣は目を瞬かせた。
「…………成歩堂?」
 何を言い出すんだと云わんばかりの彼の表情に、すわ失言だったか!……と思ってはみたものの、口に出した言葉はもう取り消せはしない。
「いや。一度聞いてみたいと思ってたんだよな。お前の気持ち」
 どうせ取り消せないのだから、聞いてしまった方がすっきりする。そんなカンジで、成歩堂はもう一度口に出して問いかけた。
「……………………」
 沈黙。御剣は開いていた洋書をそのままに、まじまじと成歩堂を見た。
 そうして。おもむろに手を伸ばすと、成歩堂の額に当てて熱を計る仕草をみせた。
「熱なんかないっ!」
「……そのようだな。いや。突然ワケのわからない事を云いだしたものだから、ついに頭の中身が沸騰でもしたかと」
「……沸騰って……ヤカンじゃあるまいし」
 どちらかと云うと、自分より御剣の方がヤカンに近い。と、成歩堂は思ったが、それを口に出しては面倒な事になりそうだったので敢えて云わずに、御剣の次の言葉を待った。
 その様子に、成歩堂はどうやら真剣にこの質問を問うているらしいことを理解して。御剣は考え込んだ。
 いきなり『何?』と、訊かれても答えに困る。
 御剣にとって、成歩堂は成歩堂であってそれ以上でもそれ以下でもない。
 友人とか、親友とか…………恋人とか。
 そんなありきたりの言葉では、自分の中の成歩堂の位置を云い表せなくて。
 御剣はまるで法廷にいるときのように、眉間にしわをよせて自分の中に言葉を探した。
「み、御剣?」
 何やら思い詰めたような表情で考え込んでいる御剣に、成歩堂は思わず彼の名を呼んだ。が、返事はない。どうやら成歩堂の声も聞こえないほど真剣に思い悩んでるようである。
 そんなに難しい事を訊ねた覚えはないのだが、御剣にとってはこの上なく難しい問いだったらしい。
 別に彼を困らせるつもりで問うたワケではない。答えがないのは寂しいが、照れ屋で、人一倍素直じゃない彼には難しい質問だったのだろう。そう思うことにして、成歩堂が「もういいよ」といいかけた、その時。
 思いがけず、御剣が答えを口にした。
「成歩堂。きみは、私にとって『そこにいる人間』だ」
 その言葉に、成歩堂は絶句した。
 仮にも、恋人同士である。……いや、御剣の言葉から察するにそう思っているのは自分だけなのかもしれないが、あーんな事やこーんな事までフルコースでこなしてしまった相手に向かって、この言葉はどうだろうか。
 御剣の言葉の意味を計りかねて、成歩堂は思わず額に手を当てた。
「なんだ、そりゃ……」
「いらない人間ではない、と云うことだ」
 まともな答えを期待していたわけではないが、それにしても。それにしても、だ。
「い、意義あり!……それは答えになってないぞ、御剣!」
 気を取り直して異議申し立てした成歩堂に、御剣は涼しい顔で。
「却下だ。訊きたがったのはきみだろう」
 さらりと云われて。成歩堂はぐっと、言葉に詰まった。
 確かに。確かに問いかけたのは自分だが、こんな言葉が聞きたかったわけではなくて。だが、そう云ったところで無駄だろう。
 成歩堂は手にしていたマグをローテーブルに置くと、手を伸ばして御剣の膝にあった洋書を取り上げた。読みかけのページをそのままに、それを床に伏せて。身を乗り出すような格好で、御剣の頬に指先で触れた。
「それにしたって、もう少し云いようってモノがあると思うんだけど?」
 苦笑混じりの言葉を呟いて、成歩堂は御剣を見上げた。
 洋書を取り上げられ頬に手を伸ばされても、特に意義を唱えることもなく御剣はされるがままで。
「何も『最愛の男だ』とか『かけがえのない恋人だ』とか、そんな言葉を期待したわけじゃないけどさ」
 素直じゃないのも、照れ屋なのも知っている。言葉がなくたって、表情や態度を見てれば彼の気持ちはわかるけれど。
「……言葉が必要なほど、薄っぺらい関係だったか?」
 口の端で笑んで。御剣は成歩堂の指先に、自分の手を重ねた。
 確信犯なのか、無意識なのか。どちらにしても、ひどくたちの悪い男だ。
 成歩堂は諦めたように嘆息して、身体を動かすと御剣をソファの上に押し倒した。
 彼の上に覆い被さるような格好で、啄むようなキスを彼の唇に落して。
「法廷記録を読んだだけじゃ、わからない真実ってあると思わないか?」
 どんな事柄にでも云える事だが、言葉にしないと伝わらない事が絶対にある。言葉が全てではないけれど、大事だと思う。
 成歩堂が云わんとしていることを理解して、
「ふむ……」
 と。御剣は一瞬考え込んだ。そうして、頷く。
「確かにそうだな」
 御剣の台詞に、成歩堂は今度こそそれなりの言葉が聞けるのではないかとわくわくした目で御剣を見た。
 その視線に悠然と微笑んで。
「次の法廷までに答えを用意しておこう」
 答えはまたの機会にね。……と、云うことだろう。
 御剣らしい切り返しに成歩堂は脱力して、思わず彼の肩に顔を伏せた。
 まんまと成歩堂をやりこめたことが嬉しいのか、御剣がくすくすと笑った。預けた額に僅かな振動を感じる。
 悔しいが、今日のトコロはこれ以上の言葉は聞けないだろう。しつこく問うて、機嫌を損ねたら後が怖いし面倒だし。だが、このまま引き下がるのはあまりにも情けない。
 成歩堂はおもむろに顔を上げると、御剣のシャツに手をかけた。
「………成歩堂」
 こんなトコロでする気なのかと、御剣が彼を呼ぶ。それにかまわずにシャツのボタンをすっかり外して、成歩堂は御剣の耳元で囁くように呟いた。
「僕たちは、言葉はいらない関係なんだろ?」
 その一言に僅かに眉をよせて。
 御剣は小さく吐息をつくと、ゆっくりと成歩堂の首に腕を回した。






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