DAY BY DAY
マイクロトフの朝は早い。
それはもう、本拠地内の誰よりも早い。
夜間警備などで夜通し起きていたものは別として、この城の中で一番早く一日を始めるのはほかの誰でもない。マイクロトフである。
前日に何があろうともその習慣は決して崩れるものではなく、夜中に部屋の中で激しい運動をした翌日もいつも通りに目を覚まして早朝練習の為に道場に向かうのであった。
もちろん、昨日の今日でも例外ではない。
目覚まし時計もなく、誰に起こして貰うでもなく、自分の体内時計で目を覚ましたマイクロトフは、傍らで寝息を立てて寝ているカミューを優しい表情で見つめた。最初の頃でこそ、目を覚まして隣にカミューがいることに動揺を隠せなかったマイクロトフだったが、今ではもう慣れたものである。
寝崩れたカミューの前髪をそっと掻き上げると、彼を起こさないように細心の注意をはらってベッドから抜け出した。
できるだけ音を立てないように着替えを済ませて、ベッドの脇にユーライアと一緒に立てかけてあったダンスニーを手に取る。
部屋のドアに手をかけて、マイクロトフはベッドの方を振り返った。
よほど疲れているのだろう。カミューはマイクロトフがベッドから抜け出したにも気がつかずに眠っている。彼にしてはとても珍しいことだ。
マイクロトフは彼の寝顔にひどく優しげに微笑んで、静かに部屋のドアを閉じた。
「ねぇ、マイクロトフさん。カミューさんは?」
背後から声をかけられて、マイクロトフは振っていたダンスニーの動きを止めた。
振り返るとナナミが首を傾げてこっちを見ていた。
「ああ、ナナミ殿。おはようございます」
額から頬にかけて流れる汗を無造作に袖口で拭って、彼はナナミを見やった。
「あっ!おはようございますっ!」
声をかけたときにまず挨拶をするべきだったと気がついて、ナナミは慌てて挨拶を返した。
そんなナナミの姿を微笑ましく思いながら、マイクロトフはダンスニーを鞘に納めた。
「カミューに何かご用ですか?」
彼に問われて、ナナミは思い出したように云った。
「あ、あのね。食堂のおばさんがね、マイクロトフさんとカミューさんに早くご飯食べてもらいたいなぁって。それで、呼びに来たら珍しくカミューさんがいないから……」
ずいぶんと長い時間剣を振っていたらしい。
いつもなら切りのいい時間にカミューが止めてくれるので、気がつかなかった。
「申し訳ない、手間をかけさせた」
短く云ってマイクロトフは道場の上階に位置する自室に向かった。
部屋の中ではカミューが横を向いた姿勢で眠っていた。わずかに眉を寄せ、肩までしっかりと毛布にくるまっている。
もうすっかり日も高いというのに、彼がまだベッドにいるのは本当に珍しい。
マイクロトフはカミューの肩に手をかけて軽く揺さぶった。
「……カミュー、いいかげんに起きろ」
「…う…ん………」
マイクロトフの声に小さくうめいてゆっくりとカミューは目を開ける。ぼんやりとかすんで見える視界。
目が潤んでいるのか輪郭がだぶったように見える視界と、もうおなじみの体のだるさ。だがその中に違った感覚を感じてカミューはため息をついた。
軋む体を無理に持ち上げて起きあがってみようとしたが、無理だった。
上半身が持ち上がる前に、体がダウンしてしまう。
「……マイクロトフ」
「何だ?」
「……どうやら起きあがるのは無理らしい」
その言葉にマイクロトフはさっと顔色を変えた。慌ててカミューの顔をのぞき込むと、心配そうな表情でカミューの額に手をのせた。
「具合が悪いのか?……ああ、少し熱いな。熱もあるのか?」
カミューは少し考えて答える。
「………ここ数日ハードだったからな…体を酷使しすぎたんだろう」
情けないことだ。
体は人一倍鍛えてあるつもりだったし、マイクロトフほどではないが体力だって自信はあった。……のだが、この状態である。
以外と冷静に自分の状況を分析しているカミューをよそに、マイクロトフは悲愴な顔をしてぽつりとつぶやいた。
「やはり、昨日抱いたのがまずかったんだな…」
「……………………云うと思った」
マイクロトフの性格的なものだから仕方がないとはいえ、こうも後ろ向きに考えられてはたまらない。
「マイクロトフ。私が、お前を誘ったんだ。……簡単にいうと自業自得だ。おまえが気に病む必要はない」
「だがしかしっ……!!」
「マイクロトフ」
さらに云い募ろうとしたマイクロトフを一言で遮って、カミューは大げさにため息をついた。
「具合が悪いのはお前じゃなくて私だ」
「それはっ…」
「その私が、いいといっている」
ぴしゃりと云われて、それ以上は云えなくなったマイクロトフは困ったような顔でカミューを見つめた。その姿はまるで主人にしかられた大型犬のようである。
そのまましばらくカミューを見つめていたが、やがてはじかれたように顔を上げてドアに手をかけた。
イヤな予感がして、カミューはマイクロトフを呼び止めた。
「……どこへ行く?」
「ホウアン殿をよびにいく」
「……………頼むからやめてくれないか」
脱力したようなカミューの声に、心底不思議そうな顔でマイクロトフは彼を見る。
「具合が悪いんじゃないのか?」
確かに具合は悪い。具合は悪いが、どの面下げて情事の後の体を他人に見せろと云うのか。確認はしていないが、体中に朱色の痣が散っていることは間違いないだろう。
「大丈夫だ、ホウアン殿を呼ぶほどのことでもない」
怪訝な顔をして立ち止まっているマイクロトフに説明するのもおっくうで、カミューはまるで他人の腕のように重たい腕を上げて手近にあったいすを引き寄せた。
「マイクロトフ、いいから座れ」
マイクロトフは視線をドアとイスの間で何度か往復させると、あきらめたようにイスに腰を下ろした。
が、それもつかの間
「喉。喉は渇かないか?……どこか、痛いとか?」
と腰を浮かしかける。
本当に心配しているのならおとなしく座っていて欲しいのだが、どうやら彼にはわかってもらえないようだ。
彼とこういう関係になってから熱を出すのは初めてなのだが、これから熱を出すたびにこの状態になるのかと思うと気が重くなるカミューだった。
「………痛いと云えば」
カミューが呟くとマイクロトフは身を乗り出して彼の顔をのぞき込む。
できるだけつらそうな表情を意識して、カミューは続けた。
「…腰が、痛いが」
瞬間、ガタンッと大きな音を立ててイスが倒れた。
どうやらマイクロトフが勢いよく後退した弾みで倒れたらしい。
首を巡らせると真っ赤な顔をして壁に張り付いている。
「あ…ど……そ………その」
どう云っていいのかわからずに、しどろもどろしているマイクロトフをみてカミューがくすくすと笑いを漏らす。
「どうにかしてくれるのかな…マイクロトフ?」
どうにかしろといわれても、一体全体どうしろというのか。カミューが笑っているところを見ると冗談なのかも知れないが、冗談だと片づけてしまうには昨日の記憶が鮮明すぎてそれを許さない。
「ど、どうにかしろと云われてもだな…」
赤くなったり青くなったりして動揺しているマイクロトフをひとしきりながめて、カミューは「冗談だ」と口を開こうとした。
が、それよりも早くマイクロトフが動く。
熱で潤んだ視界に、マイクロトフの端正な顔がうつり、それを認識したと同時に一瞬だけ唇に暖かいものが触れた。
「マイクロトフ?」
まったくもって予想していなかった彼の行動に、カミューは瞳を瞬かせる。
マイクロトフからキスを仕掛けてきたことは初めてではない。が、しらふの時に自分から進んでキスをしてきたのはおそらく初めてだ。
「………マイクロトフ?」
カミューの呼びかけには答えずに、マイクロトフは自分で蹴倒したイスを元の位置に戻してベッドサイドからカミューのタオルを取り出した。
濡らしてくるつもりなのだろう。
タオルを握りしめてカミューに背を向けると、マイクロトフはぶっきらぼうに呟いた。
「これで勘弁してくれ…頼む」
よほど照れくさかったのか、派手な音を立ててマイクロトフはでていった。
後に残されたカミューはといえば、ひとしきり声を立てて笑ったあと、咳き込んで枕に顔を埋める羽目になった。
笑い過ぎと咳き込みのせいで、荒くなった呼吸の下でカミューは考えた。
………たまには具合を悪くしてみるのもいいかも知れない、と。