Love letter 

 風呂上がり、カミューは自室に戻らずにマイクロトフの部屋に来ていた。
 マイクロトフは明日は任があるが、自分は非番なのでこのままここで寝るつもりなのでパジャマである。
 マイクロトフより一足先に彼の部屋に戻ってきたカミューは、勝手知ったる他人の部屋で机の上の水差しからグラスに水を注ぐとくっと一気に飲み干した。風呂に入った後の水分は身体に染み込むような感じがして、本当に美味しかった。
 2杯目を飲もうかとグラスに注いだところで、部屋の主が戻ってきた。カミューは自分で飲もうと思っていたグラスを何も云わずにマイクロトフに差し出しす。
「ああ、すまん」
 軽く笑いながら云って、マイクロトフはありがたくそれを受け取った。
 マイクロトフにグラスを手渡して、カミューはふと思い出したように口を開いた。
「そういえばマイクロトフ、昨日執務室の机の上にのっていたラブレターはどうした?」
 突然、まるで『ふと思い出したので訊いてみました』という風に云われて、一瞬マイクロトフは何を云われたのか理解できなかった。
 手にしていたグラスの水を一口含んで「何?」と云う目でカミューを見る。
「だから、女性の綺麗な字で『青騎士団長様』と書かれた封筒が、お前の執務室の机にのっていた話をしているんだが」
 一拍おいて、マイクロトフはぶっと水を吹き出した。
 それはもう盛大に。
 二口目を呑んだばかりでグラスが口元にあったものだからたまらない、勢いよく水が飛んでマイクロトフの目の前で机に浅く腰掛けていたカミューにかかってしまった。おまけにふいた拍子に変なところに水が入ったのかげほげほと苦しそうにせき込んでいる。
「汚いぞマイクロトフ」
 露骨に顔を顰めてマイクロトフを見るが、どうやらそれどころではないらしい。げほげほと盛大に咽せながら、「……な…っ」とか「…………かっ……」と意味不明な言葉を発している。本人は意味の通じる言葉を話そうと一生懸命のようだが、彼の意に反してまったくと云っていいほど意味が通じない。
 はじめは黙って咳き込むマイクロトフを見ていたカミューだが、苦しそうに背中を丸めてげほごほしている姿に心配になったのか背中をさすってやろうかと身をかがめた。
 が、まるでそのタイミングを見計らったようにマイクロトフはがばっと身を起こした。よほど苦しかったのか、見れば眦に涙が浮かんでいる。
「……………なっ……何でしってるんだ!?」
「昨日書類を届けに行ったときにね。……ああいうものを不用意に机にのせたまま外出するのは感心しないな」
 昨日。昨日は一日ずっと執務室に居たはずだ。一日執務室に居たのに、執務室でカミューと会った覚えはない。席を外したといえば食事の時くらいだが、食事はカミューと一緒に食堂でとったのだからその間にカミューが自分の執務室を訪れることは不可能だ。
 『いつ、どうして、よりによって』。三つの単語がぐるぐるとマイクロトフの頭の中で回っていた。
「い、いつ…………!…」
「だから、昨日お前の執務室でだと云っているだろう。そうだな……夕方、5時頃か」
 夕方の5時。食事をとりに席を立ったのは6時過ぎだから、その時間は書類整理をしていたはず……とそこまで考えて、「あっ!」とマイクロトフは小さく声を上げる。そうだ、その辺りに確かに手洗いの為に席を立った。だが、ほんの短い間だ。時間にしてほんの5分程度。なんとも間の悪いことである。
 現に手洗いから戻ってすぐ、机の上にのっていた『その手紙』を引き出しの中に入れたのだ。何故さっさと人目に付かないところにしまっておかなかったのかと、今更ながらに自分を呪ってみるが、本当に今更である。
「何をそんなに焦っているんだお前は。そんなに私に知られては困るような手紙だったのか?」
 マイクロトフのせいで濡れてしまったパジャマを脱ぎながら、カミューが呆れたような口調で云った。
 その言葉にマイクロトフは慌てて首を振る。
「違うっ!!そうじゃないっ!」
「私も見るつもりはなかったんだが、どうにも目につく場所に置かれていたもので目に入ってしまったんだ。あぁ、安心しろ。見たのは表書きだけで、差出人も中身も見てはいない」
 ……他人の手紙を盗み見るような趣味はないのでね。 
 呟くように付け足された一言に、マイクロトフはますます激しく首を振った。
「だから違うと云ってる!!そんな事を思ってるわけじゃない!!」
 カミューが差出人をチェックしたとか、ましてや中身を見ただなんて、これっぽっちも思っていない。もちろん見られて困るような手紙だったわけでもない。ただ、見られなくてすむのだったら見られたくはなかった。自分の恋人宛のラブレターなんて、普通は見たくないだろうことくらい鈍いマイクロトフにだってわかる。
 そして、自分がカミューの立場だったら気分を害しただろうとも思う。だから、マイクロトフは狼狽えたのだ。
 どのくらい相手を想っているとか、信じているとか、そんなことは関係ない。相手が自分以外を選ぶわけがないと信じていても、自分よりも綺麗な女性(綺麗とは限らないが、多分この世のどこを探しても自分よりいかつくて可愛くない女性はいないと思われる)に求愛されているのを知ったら不安にならずにはいられない。
 もっともカミューは普段から何を考えているかわからないところがあるので、自分と同じ事を考えているかどうかはわからないが。とりあえず、気分を害したであろう事は間違いないはずだ。
「もう少し小さな声で話せ、何時だと思っている」
 マイクロトフの複雑な気持ちをよそに、カミューは眉を顰めてたてた人差し指を唇にあてた。上半身裸の状態でそんな可愛い仕草をされたら、いつものマイクロトフなら即アウトなのだが今はさすがにそれどころではないようである。
「何時でも幹事でもいい!!どうでもいいから真面目に俺の話を聞け!」
「だから怒鳴るなというのに。こんな至近距離に居るんだ、怒鳴らなくても聞こえるよ」
 云いながら今度はパジャマの下を脱いでいるのだが、それもマイクロトフの目には入っていないらしい。
 手にしたままだったグラスをいささか乱暴に机に置いて、マイクロトフはカミューの肩を掴んだ。
「カミュー!」
「少し力を抜け、痛い。……で、あのラブレターをどうしたって?」
 まるで日常会話をしているようなカミューの口調。本当に深い考えはないのか、それとも実は深く怒っているのか。結構長いつきあいだが、未だに判別が難しい。
 マイクロトフは力を抜くどころか、逆に肩を掴む指にもっと力を込めた。
「差出人の名前もないのに、どうもこうもできるか…」
 確かに差出人の名前もないのではどうにもできまい。『何日にどこそこに来てください』というような手紙ならばともかく、ただ単純に『好きです』としか書かれていない手紙ならば、差出人の名前がなければ本当にどうしようもない。そして今回マイクロトフが貰った手紙は、彼の言動からみて後者のようである。
「それは…確かにどうしようもないな」
「あぁでも差出人の名前があったとて、どうもしないぞ!?」
 必死の形相で言い募るマイクロトフをカミューは少し困ったような表情で見た。
 別にマイクロトフがラブレターを貰って、それをどうこうするなんで少しも思っていないのだ。
 本人は隠しているつもりらしいが、今まで貰ったラブレターに律儀にお断りの返事をしていることぐらいとうに知っている。カミューよりは多少少ないかも知れないが、結構な数の手紙を貰っているはずだ。それでも、『何日に〜』というような手紙を貰えばわざわざそこまで出向いて頭を下げて、『好きです』といった手紙を貰えばこれまた律儀にお断りと謝罪の返事を書く。そういう男だということは、カミューが誰よりも知っているわけで。
「少し落ち着け、マイクロトフ。そこまで狼狽えるとかえって疑わしいぞ」
 云われて、マイクロトフはぐっと言葉に詰まった。
 カミューの云うことはもっともである。ここまで焦って云うと、何を云ってもまるで言い訳に聞こえてしまうということにようやく気が付いたのか、マイクロトフは口を真一文字に結んでじっとカミューを見た。
「お前が二股をかけるつもりだとか、私を振ってラブレターのお嬢さんとお付き合いをするとか。そんな事を思った訳じゃなくてだな」
「ふ、二股!?誰がそんな事をするか!」 
「お前がするとは思っていないと云っているんだ。少し黙って話を聞け」
 この誠実で真面目な男に、そんな芸当ができるとは毛頭思っていない。
 別に他意はなかったのだ。ただ、ふと思い出したから口にしただけで。困らせてやろうとか、いじめてやろうとか、そんなことを考えていたわけではない。だいたい、見習い騎士だった時はこういう内容の話はほとんど日常会話に近かった。見習い騎士の時はマイクロトフとは別室だったので、彼がどうだったかは知らないが。
 見習いとはいえ騎士は騎士。見習いの頃から、もてるやつはもてていたのだ。騎士団にも一応戒律というものはあるのだが、若い男が山ほどいるのだ取り締まるのも容易ではない。『硬派で誠実で正義の味方』が代名詞な騎士を目指しているとはいえ生身の男、全員がそろいもそろってマイクロトフのようにストイックで硬派というわけにはいかないのである。
「ふと思い出したから訊いてみただけだ。別に他意があった訳じゃない」
「…………」 
「本当だ。お前を信じてるからな、私は」
 ふわりと笑って、カミューはマイクロトフの頬に指先で触れた。マイクロトフは口を真横にひき結んだまま動かない。
 信じているのも、ふと思い出しただけなのも本当。だが何故口に出して訊いたのかは、実のところカミューにもよくわかっていなかったりした。少し考えればマイクロトフがこういう反応をすることくらいわかったはずなのに、考える間もなく頭に浮かんだ瞬間に口に出していた。これまでだって何度か彼宛のラブレターを目にしたことくらいあるが、こんな風に口に出したりはしなかったのに。
 なんなのかと考えて、カミューはふと思い当たる。
「……そうか。……私もまだまだだな」
 自嘲気味に呟いて、カミューはくすくすと笑った。
「何がだ?」
 わけがわからない、という単語を顔に張り付けてイクロトフは自分の頬に触れている指先に自分の手を重ねた。
「何でもない。ごめん……変なことを云った私が悪かった」
 珍しく素直な謝罪に、マイクロトフは目を瞬かせた。
「い、いや…謝ってもらうようなことは何も…」
「少し意地悪な話題だった。でもホントに他意はなかったんだ、ごめん」
 封筒が。封筒が、色も紙もマイクロトフの好みの物だったのだ。あまり自分の事を他人に語らない男だから、彼の好みを知っているということはそれだけよくマイクロトフを見ているということで。
 本当にマイクロトフを好きな人からの手紙。封筒をみて、そう思った。
 別に自分の知らない誰かがどれだけマイクロトフを好きでも何でもないことだと思っていたがそう思いこもうとしていただけだったようで、心のどこかに引っかかっていた不安が何気なく口からでてしまったらしい。
 どうやら自分は、自分で思っていたよりも可愛気がある人間だったみたいである。
「お前がそういうのなら……だが、本当にどうこうするつもりなど俺にはない。それだけは…」
「わかっている。信じてると云っただろう」
 自分から話題をふっておいて信じてるも何もあったもんじゃないが、笑顔でそう云われてとりあえずマイクロトフは納得したようだ。
 謝罪のつもりなのか、それともだめ押しのつもりなのか、カミューはマイクロトフの手が重なったままの自分の指先を口元に引いてくると彼の手の甲にかるくキスをした。……下着一枚の姿でこんな気取ったことをしてもなんともしまらないのはわかっていたが、そこはまぁ、なんというかその場の雰囲気ということで。 
 その雰囲気とやらに流されてマイクロトフがカミューを抱き寄せようとしたとき、カミューが小さく嚔をした。
 クシュン、クシュンとたて続けに二回。
 その嚔に改めてマイクロトフがカミューの姿を見ると、ずいぶんとステキな格好をしていた。
 片腕に着ていたはずのパジャマの上下をかけて、身につけているのは下半身に下着だけである。自分と同じように外で訓練や警備をしているとは思えないほどに日に焼けていない肌を灯りの元見せつけられて、マイクロトフは思わず片手で目を覆った。
「……なんて格好をしてるんだ…」
 マイクロトフの態度にカミューは器用に片眉だけを上げた。
「なんて格好とはご挨拶だな。私に水をかけたのはお前だろう」
 滴るほどに水がかかったわけではないので着ていたらそのうち乾いたとは思うが、いくら恋人とはいえ他人が口に含んだ水がかかったのだ。あまり気持ちのいいものではない。それに、濡れたパジャマを気持ち悪いと思いながら寝られるかどうかという問題もある。
 しかし。脱いだはいいが一体何を着て寝たものか。自室に戻れば着替えくらいあるが、この時間にそれも面倒くさい。
 考えながら、カミューは目元をほのかに赤く染めて片手で顔を覆ったマイクロトフを見た。見て、「まぁ、自業自得だな」と呟いた。
「何が自業自得なんだ?」
 小さな声だったのに、聞こえていたようだ。
「んー?いや…ちょっと手を広げてくれるか?」
「手?……こうか?」
 あられもない格好のカミューを直視できないのか、カミューから微妙に視線を外してマイクロトフは云われたとおりに左右に手を広げた。
「…………何をやってるんだ?」
 何をする気なのかと思えば。いきなり自分のパジャマのボタンを外しだしたカミューに困惑したような声をかけたが、答えはない。もう一度問いかけようとしてカミューに視線をやったが、白いうなじが目に入ってしまいマイクロトフは再び視線をそらした。
 それにしても、下着一枚の姿など自分がやったら間抜け以外の何もでもない姿である。それがこんなに艶めかしく見えるのだから、いやはや……なんといったものか。
 そんなことを考えているうちに、ボタンを外し終えたカミューは器用にマイクロトフからパジャマの上着を脱がせてしまった。そしてそれを自分で着るとさっさとボタンを留めてしまう。
「なんでわざわざ俺のを脱がせるんだ??別な物を出せばいいだろう」
 至極もっともな意見を述べたマイクロトフを横目で見て、カミューが云った。
「ここ四日くらい雨がひどくて私は洗濯ができなかったんだが、お前はしてたのか?」
「………………してるわけないだろうが」
 苦虫をかみつぶしたような顔で云うマイクロトフに、カミューはくすくすと笑う。
 このところ台風もかくやというようなもの凄い暴風雨が昼夜問わずに続いており、とてもじゃないが洗濯などできる状態ではなかった。別に洗濯するのはかまわないが、どうにも干すところがないのである。室内に干してもかまわないといえばかまわないのだが、やはり乾くのに時間がかかるし外に干した物のほうが、着たときに気持ちがいい。『明日は晴れるだろう。明日晴れたら洗濯しよう』という希望的観測を続けているうちに、早四日。下着やなんかはともかく、パジャマや何かはもうそろそろかえがない。明日は雨が降っていても洗濯をしなくてはならないだろう。
「……なんなら下もはくか?俺は別に下着で寝てもかまわんぞ?」
「お前がかまわなくても私がかまう。風邪でも引かれてはことだからな」
「…………この格好で寝るなら、下着一枚で寝ても大差ないと思うんだが」
「…………」
 そう云われてしまうと、返す言葉がない。少し黙って、カミューはベッドに座った。
「じゃあ、身体が暖まるような事でもするか?」
 少し小首を傾げて、魅惑的な笑みを浮かべる。青いパジャマの上着が、白い肌に妙に映えていた。
 カミューには少しばかりサイズが大きいために半分隠れるような感じになっている手に、パジャマの端からすらりと伸びた白い足。ベッドに腰掛けているものだから、そのパジャマの端から見える足の角度がなんともいえなく扇情的だ。
 見えそうで、見えない。
 古来から男というのはこういうシュチュエーションには弱い生き物だと相場が決まっている。
「嫌なら無理にとは云わないが」
 嫌なはずがない。ここまで煽られて、それでも嫌だと云える男がいたらお目にかかりたいものだ。
 マイクロトフは何も云わずにカミューの側によると、ゆっくりとした動作で彼の額にキスを落とした。
 まだ乾ききらない前髪が頬に 触れて少し冷たい。
 額、頬、そして唇。触れあうだけの軽いキスを2、3度繰り返して、マイクロトフの唇はそのまま顎から首筋へと降りてゆく。
 カミューは目を閉じてマイクロトフの逞しい背に手を回した。
     


END


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