2−5.水子供養の再編期(1982〜1988) 

 

1980年代の中絶記事

 1980年代になると、中絶記事の論調が再び揺れだし、視点が多様化する。1980年代を通じて、水子供養記事と10代の中絶を問題視する記事が出るほかに、前半では人工流産剤、優生保護法、中盤では中絶される瞬間の胎児、中絶映画、後半では多胎児減数手術などが扱われる。水子供養記事との関連で注目すべきは、1982、1987、1988年に死胎児の行方を探る記事が再登場し、1985年を中心に「中絶の瞬間、胎児は叫ぶ!」ビデオを報じる記事が出現することである。世代を変えて、胎児の遺体的なものへの関心が復活するとともに、体内の胎児の状態そのものに目が向けられ、胎児に対する感性が新たな段階を迎えたと言える。これに付随するように、水子供養記事にも過激度を増して、胎児の怨念を訴えるものが出るが、その一方で、記事の量は多いが、すでに日常化した水子供養を主題とすることに飽きも出て、その態度に拡散が生じている。

 

水子霊の登場

 記事(28)は見出しに「こうするしかなかった私を許して」と母親の大仰な謝罪の言葉を載せ、小見出しに「合掌する母の深い悲しみ」と書くなど、内容は「受容期」のものである。女性は水子供養において中絶する事情を訴えて弁解し、悲しみの感情をもって水子の安寧を祈るのである。旅情や物語による演出は表面上消えているが、「男女の愛」や「情熱の結晶」のせつなさやはかなさをうたい、感傷的な気分は残している。 
 記事(25)など水子寺の商業的・脅迫的性格を批判する記事が出るころになり、女性週刊誌上に見出しにようやく「たたり」の語を用いる記事が現われ、大衆雑誌で水子霊の祟りに関する言説が表面化する。記事(24)の小見出しは「急増する“10代の中絶”」で、最初の頁に手で顔を覆った3人の若い女性の顔を載せ、「“水子”という古めかしく暗いイメージとは、まるで無縁のような彼女たち。しかし、そのたたり話のどれからも悲しい母性が感じられる」と説明文を付ける。死胎児ではない子宮の中の胎児の写真が、胎児の存在感を増している。記事は最初に夢で赤子の声を聞いたなどの女子中高生の「たたり話」を紹介し、次に水子寺を訪れる若い女性や10代の中絶件数の増加を報じ、最後にたたりは「母性」「心身症」「暗示」とする産婦人科医の意見を太字で紹介する。今までの中絶関連記事と変わらず、中絶する「母」の修飾語は「悲しい」である。
 死胎児の行方も解説してある。3ヵ月未満では下水へ流すが、3ヵ月以上では業者が回収し、役所に死亡届けを出し、火葬許可をもらうとしている。この解説には誤りがあり、火葬が必要になるのは4ヵ月以上であり、そのために役所に出すのは死産証明書である。女性雑誌は内容が過激であるが、基本的な事実確認がかなり粗雑であるという印象を受ける。 

                       

水子供養記事の低年齢化

 1980年代後半以降、水子供養記事の掲載時期が7〜9月に集中する傾向が見られる。若い女性、もしくは男性が夏に遊んで、享楽した結果としての中絶、代償としての水子霊の祟りという水子供養にまつわる新たな物語が形成される。青年雑誌の参入もあり、想定する読者層の低下がはっきりとしてくる。

 

水子霊の祟りと供養

 記事(30,31)は、水子本の著者でもある「心霊研究家」の中岡俊哉が監修する全3回 の「緊急特集  ''水子霊''の本当の恐ろしさを知っていますか?」の1〜2回目で、迫真に祟りを説く最も過激な水子供養記事である。記事(30)は最初の頁の一面に、頭を抱えて叫ぶ女性と周りに白く浮かぶ宇宙人のような胎児を劇画調で描き、その両脇に水子地蔵像の写真を配する。記事(31)も上半分に若者が群れる夏の浜辺の写真を配し、下半分に記事(30)と同様の女性と地蔵像の劇画と中絶同意書の写真を充てる。
 記事(30)は、中岡と中絶経験のある20代のOLが、水子霊の祟りと供養の効果の体験を語る座談会の模様を伝えている。記事(31)は「水子の怨念の秘密」を解説する。記事によれば、水子霊の祟りや怨みは女性に出て、恋愛・結婚、病気、夫婦仲、子供の態度、仕事に表れ、母親から末代の血縁関係者にまで影響がある。写真に写る水子霊はマリモのような球体に見えると言っている。最後に記事は、水子霊の悲しみを鎮めるためにはひたすら供養して、成仏させるしかなく、それにより幸福に導かれるという中岡の言葉を引用するとともに、水子寺を紹介し、個人でできる水子供養の方法として、心霊の自動書記現象で水子霊と対話する方法と、地蔵護符を作り、冥福を祈る方法を教える。中岡は水子供養で大切なのは供養する女性の気持ちの持ち方であると話している。この記事もやはり中絶された胎児の行方を追っている。
 青年雑誌の記事(33)は中絶の宗教的影響に関する質問に対する、男女2人の「霊能者」の応答から構成されている。最初の頁で記事(30,31)と同じように、浜辺の若者、水子 観音像、産婦人科医の写真を重ね合わせる。前文で10代の堕胎の実数は、統計報告の15〜20倍と極端に誇張してみせる。記事は深刻な霊的影響を強調しつつ、「この夏できちまったオマエらのギモンに答えよう!そんなに堕ろして大丈夫か?水子が背中で泣くぞ!」と威勢のいい言葉を添えて、おもしろおかしく水子供養を茶化している。水子霊、霊障、堕胎の罰などについての質問に対し、2人の霊能者は互いに異なる回答をする。女性霊能者は水子霊には成人と違って意識や意志がないので、親を恨まず、霊障は強くないと説明するが、記事は恐怖を強調したがっている。2人の霊能者とも最後の質問で水子霊が憑くのは女性だけだと言い、結局、男性読者にとっては他人事である。
 「心霊カウンセリング」の記事(29)の掲載誌はオカルト雑誌風の名前を持っている。記事は天津祝詞で産土神を呼び、水子の魂を幽界に帰すよう説得する方法を編みだしたと言い、水子霊の影響を説き、「東京〈オーム〉の会」を紹介する。
 記事(35)は「8月お盆 これを機会に」の小見出しを付け、遊びの季節よりもむしろ仏事の季節としての夏における水子供養の定着を示している。記事は霊山観音の住職との問答から成り、水子寺情報も載せているが、記事の内容はあっさりとしたもので、住職は「たたりなどありえません」と返答し、見出しに反して、「浄霊のための細かい作法など必要ありません」と断言する。依頼者の年齢層は10代後半から20代前半と述べている。

 

水子供養の玩具化

 1985年以後に登場する青年雑誌の水子供養記事は、記事(33)以上に水子供養をからかう余裕に満ちていて、水子霊の恐怖を伝える女性雑誌との差が際立っている。その態度が顕著に見られるのが記事(32,36)である。記事(32)は水子地蔵像の写真も載せている が、前文に「想い出という名の水子たち」と書き、文章間に「湘南淫猥海岸物語」「軽井沢避暑避妊合戦」などと書いた位牌の絵を挿み、夏にいかに「ナンパ」して遊び、楽しんだかを報告する。記事(36)は前文で「ミズコ」とは「未使用スキン」「プールバー」など不要なものと言い、8人の「ギャル」の裸身の写真と「ミズコ」にまつわる与太話を載せる。
 このほかの記事には、尼僧が大手レコード会社から「水子を歌った歌」を出したと報じ、水子供養の関連物品の玩具化状況を垣間見せる記事(34)がある。付け加えておけば、先述の記事(24)はすでに「ブーム」による水子供養ペンダントの出現を記している。

 

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