1−2.水子供養研究の状況

 

現在の進行状況

 宗教学・社会学・民俗学を中心にした研究者が水子供養に注目し、その理解に取り組み始めるのは1980年代前半からである(1)。それ以来、様々な側面から様々な態度で研究が行われてきているが、ほとんどが単発の論文で発表されるだけである。まとまった研究書は比較文化論的視点から産児制限における仏教の役割を肯定的に論じたウィリアム・ラフレーの著作しかない(2)。このように必ずしも順調に研究が進んでいるとは言えない。これは水子供養研究に特有の困難な問題のためである。

(1)妊娠中絶と水子供養をめぐる研究の大きな特色は、日本人研究者だけでなく、自文化との対比を意識する欧米人研究者の興味を惹いていることである。
 文化人類学者が著書や論文の途中で簡単に水子供養に言及したり、話題にしたりすることは少なくないが(青柳 1985;1987,藤岡・香原・米山・藤井 1974,Lock 1988;1993,中牧 1980;1990,波平 1985;1991;1993,大貫 1985,米山 1976)、残念ながら、それを主題に調査・研究を企図するまでには至っていない。
 1970年代初頭の水子供養出現の契機を女性の更年期障害の経験に求める森栗茂一は、日本の更年期の「文化的構築」を研究しているM.ロックを念頭に置いて、人類学では戦後の混乱期に堕ろして水子供養に走った主婦層を対象にした研究が始まっていると期待を込めて書いているが(森栗 1994,97頁)、森栗はロックの調査の意図を誤解しているようである。Lock 1988;1993,ロック 1994を参照。

(2)LaFleur 1992。

 

癒しへの強い興味

 研究者の興味は第一に依頼者である女性にとっての水子供養の意味である。中絶で生じる罪の意識、水子霊の祟りへの恐怖、供養による癒しなどを焦点に議論している。しかし、事柄の性質上、依頼者に直接接触しての調査はひじょうに困難なので、資料の蓄積がない。したがって、極めて一般論的に議論することを余儀なくされている。例外的に、バードウェル・スミスとエリザベス・ハリソンは供養の依頼者を対象に本格的に実地調査を行っているようだが、まだその成果の一部しか発表されていない(3)。この他には、質問紙票による調査(4)や水子供養絵馬に書かれた文面の調査(5)等の間接的な調査が一部で行われているだけである。
 現段階では供養に内在する癒しの機能を否定する理由はないが、身体の中の胎児に対する知覚や中絶・流産で経験する感情の自然性を先験的に想定し、その超歴史性を自明視することには慎重でなければないない。

(3)Smith 1991;1992。二人は1988年11月19日の『朝日新聞』に米国の水子供養研究者として紹介されている。

(4)東京工芸大学の研究者が京都の寺院で実施した共同調査。その集計結果については、神原・岩本・大西 1985、新田 1991。

(5)森栗 1994。 

 

社会文化的な背景の検討 

 依頼者にとっての供養の意味と関連して、研究者は水子供養が社会の表面に登場し流行するに至る社会文化的な背景を議論し、社会関係や宗教的伝統の変化を見出している。現在のように大規模に行われるようになったのは、最近であるという点ではおおよそ共通認識ができているが、これが全く新しい現象であるのか、あるいは目立たないが過去にも行われていたのかについては、見解が分かれている。現状では実証的な歴史研究の不足のため、残念ながら基本的な前提もあまり確立されていない。水子供養の歴史に立ち入る議論も研究上の弱点となっている。

 

水子供養に対する評価

 水子供養が性と生殖という、身近であるがゆえに固定観念が浸透している領域と密接に関係していることも、研究を進めるうえで障害となっている。水子供養や中絶についての理解には研究者の個人的な態度が反映しやすいからである。水子供養を新奇な問題として眺めたり、中絶理由や供養による現世利益の追求を現代人の精神の荒廃としてとらえ、批判的に言及したりすることもある(6)。依頼者にとっての供養の意義を判断するにも、溝口明代が女性学研究者として供養における性差別の再生産を批判するのに対し(7)、複数の研究者は同様に女性の立場を思いやるつもりで供養の治癒的効果を認めるというように(8)、その視点により評価が分かれている。

6)A.Brooksは、徳川時代の地蔵信仰の背景にある嬰児殺しや堕胎は「貧困」のためだが、今日の水子供養の背景にある中絶は「自己中心的、物質主義的欲望」のためであると、両者の道徳的な対照性を指摘している(Brooks 1981,P.129〜133)。千葉徳爾・大津忠男は、水子の霊魂の安寧を祈る現代人の深層に、子供の霊魂の再生を願い、サイノカワラに地蔵尊を立てた先人の心意の残存を推測しているが、「それはバランスを失った現代人の精神の荒廃以外の何物でもなかろうと思われる」とBrooksと同様の感想を繰り返している(千葉・大津 1983,237頁)。

(7)溝口 1986;1991;1994。溝口は水子信仰を「父権性社会」「男制社会」の体制側により仕組まれた女性支配の装置であると論じる。現在のところ、「フェミニズム」の立場から、水子信仰の思想と生成を宗教、政治、社会など広範な文脈のなかで批判的に解析する作業に取り組んでいるのは溝口だけであるが、その理解は一面的に過ぎると思われる。

(8)例えば、橋本満や高沢淳夫は1960年代後半の水子供養現象の発現を、潜伏していた中絶の否定的経験の顕在化と理解している。顕在化の理由は、妻・母以外の生き方が可能になるなど女性の世界に対する抑圧が弱まり、女性ゆえの不幸の存在が認められたから(橋本 1990,290頁)、中絶の負の経験が集合レベルで飽和状態に達したから、また、逆に中絶累積率の減少と生活水準の全般的上昇により相対的不満が増大したから(高沢 1993,25頁)と説明されている。

 

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