ちょっと前の伊予鉄点描

1984年9月「デトニの部屋・南河内出張所」から大阪南港発のフェリーで伊予鉄に行ってきました。すでに、京王の新性能車の投入がはじまり、電化以来の伊予鉄オリジナル車は消えていました。それでもまだ個性的な電車達が目を楽しませてくれました。

3連化された伊予鉄オリジナルの新性能車600形横河原線横河原駅に進入するモハ601+モハ602+モハ603

601+602(McM’c)は2個モータのユニット車。1958年ナニワ工機製の『四国初』の新性能車でした。

横河原駅に停車中の603ほか3連

3連化に際し602は、中間車化されました。603は、長野電鉄からやってきたモハ1102(大正14年の鉄道院クハニ16を昭和36年に日本車輌で鋼体化したもの・・・同僚の2両は豊橋鉄道に転じましたが、こちらも最後まで冷房化から取り残され、廃車になりました)に600形タイプ(602の移設ではない)を新設し新型の住友FS504台車と共に新性能化され、多少の凸凹はあるものの・・堂々たる3連が生まれました。ステンレスカー610系(考えたら、続番でした)登場までは唯一の両開き車かつ、鉄道線唯一の2扉車でした。これほど立派なクルマが冷房化もされずに(台車までもが)早々に消えてしまったことが惜しまれます。

福音寺〜北久米(たぶん)をゆくモハ113ほか3連。おなじみ、1928年川崎造船所製の西武クモハ154です。ラッシュ時の4連運転増結車連結用の、電気連結器を装備している。次位は同僚のクハ410形、後ろは京急400形の旧車体を利用したモハ120形でしょうか?いずれにしても、この頃の伊予鉄は『所沢』の息がかかったクルマが多かった。

福音寺〜伊予立花?を行くモハ132ほか3連。編成はモハ132+サハ531+モハ131で、共に相模鉄道2000系の車体。しかし、131・132は旧帝都電鉄の戦災復旧車、531は1940年木南車輌製の旧青梅鉄道モハ506の台枠を流用して伊予鉄で車体を新造したという複雑な経歴をもつ。当初は、両運転台の「クハ」だった名残と、手前側のドア間の窓数が1個多いのが目立ちますね。旧青梅鉄道は、関東大手のクルマと比べて個性的だったようです。

いかにも「郊外電車」の風情がいいですね!一昔前の武蔵野の雰囲気です。電車は、張り上げ屋根のサハは京王1800、モハは同じく1400でしょうか?現在は同じ京王の2010や5000が走ります。

1984年9月23日頃 アサヒペンタックスSPU コダカラー100(CP) SMCタクマー200ミリF4・120ミリF2.8・85ミリF1.8・55ミリF1.8・35ミリF3.5

・・・全部、レンズが違いました>^_^<


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