賀名生(あのう)梅林


昨年3月、2万本あると言われる奈良西吉野村にある賀名生(あのう)梅林に出かけ時の写真です。
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あのう梅林

<賀名生の地名>
昔この地は「穴生(あなふ)」と呼ばれていましたが、後村上天皇は南朝が正統でありたいと「叶名生(かなふ)」と名付けました。 正平6年(1351年)10月足利氏が南朝に帰順し、多くの公卿や殿上人が賀名生に参考候して北朝が否定されたので、翌正平7年の正月、 後村上天皇は「願いが叶って目出度い」との思し召しから「賀名生」と改める勅書を下されたと伝えられています。 当時は「かなふ」と呼ばれていましたが、明治の始めになって呼び方を「あのう」に統一しました。(奈良県西吉野村HPより引用)

奈良県西吉野村HP