9/24 失語症
4,6月と私と同じユニットで仕事をしていた人が退職したり,産休に入ったりと立て続けにいなくなった。
私たちのユニットはいわゆる『もめごとの多い』騒がしいユニットだった。
それはちっとも動かない主任がいたり,熱くなって語りだすおじさんがいたり,ふつうの話し声でさえ課内に筒抜けという声のよく通るお姉さん方がいたから。
うちのユニットのもめごとはたとえ会議室にこもってバトルしても皆知っていて,はっきり言ってしまえば『騒音』になってしまうほどだった。そのユニットが6月に崩壊したのだ。
そして誰もいなくなり,私が一人残ってほかのユニットに移った。
席替えで両となりに人がいなくなる。。。一つ机があいてその向こうにしか人がいない。
世間話ができない。。。その向こうの人に世間話をすると,回りの人にも聞こえることになり,どうしてだか話の輪が広がって大盛り上がりになる。
それってたまにはいいかもしれないけれど,ちょっとした話で広げられたら困ることもある。ことさら話さなければならない世間話などないのだ。話のついでやとっかかりや,ヒマなときや息抜きしているときなどにちょっと話すことだ。
あれから3ヶ月。必然的に口数が少なくなる。
朝何回かの「おはようございます」を言ってからというもの,かかってきた電話の応対と何回かの独り言。これだけ。
自分から電話をかける仕事も今はしていない。会議もあまりない。一人黙々と原稿に向かう。。。
仕事がはかどること,この上ない。大して残業もしていないが,前回よりスムーズに仕事をしている。
よほど,あのユニットは環境に問題?があり,私はよくしゃべっていたんだなと思う。
ちょっぴり反省もするけれど,あれはあれで楽しかったよな,と思わないでもない。
今は仕事がはかどってるんだけど、なんか勤労意欲減退中。超低空飛行。
今の状態では失語症になる。絶対。やばいかもしれない。
私の席の近くに誰か来てください。
失語症になる,といったら,庶務担当の人が肩もみにいってあげるわ,と言ってくれた。
どうもありがとう。気晴らしになるわ。
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9/17 命の重さ
9/11は米国旅客機テロの日だった。先週,あらためてその映像を見ていろいろ考えた。その記憶も鮮明な今週,
北朝鮮との国交正常化に関する話し合いのため,小泉首相が北朝鮮を訪問した。そして,一連の拉致事件の被害者の消息が。4人生存,8人死亡。。。
私とそうたいして年も違わない人たちのうち2/3が既に死亡していると。自然死するには若すぎる。病死? 可能性はある。栄養失調による衰弱死? 深刻な飢餓状態とも伝えられているので,これも可能性はある。しかし,日本語教育のために拉致された日本人の待遇はよかったはずだと脱北者たちはいう。「工作員に日本語を教え,任務が終了したら(工作員の)顔を知っているから殺されたに違いない」ともいう。
小泉首相を批判する人たちは多い。『これでは解決になっていない』
しかし,私たち日本人はいままで何もしていなかった。声をあげて抗議してきたとは言いがたい。
日本がいままでうやむやにしてきた戦後処理とも無関係ではない。
『あの国に何をいっても無駄』という空気がなかったともいえない。
拉致されたのは日本人だけではない。韓国人はもっと多くの人が拉致されたという報道がある。レバノンは拉致事件に強行に抗議して被害者を奪還した。
『正常ではない国と国の関係』においては,裏を返せば何があってもおかしくないということ。いきなりミサイルが飛んでくることだってあるだろう。だから,今回,前進するために1歩踏み出したことを誰が非難できるのか。
これからの対北朝鮮外交があの方たちの犠牲の上に成り立つのだということ,そのことだけは忘れてはいけないことだということだ。
生きていれば私と同じ年代の横田めぐみさん。たった13歳で連れて行かれ,お母さんに会わせてあげるからといわれて言葉を覚え,20歳を超えて子供を産み,5年たらずでこの世を去った。そんなことを死後10年も経って聞かされたご両親の心情はいかばかりかと画面を見ながら思った。せめて,幸せを感じられる人生であったように。惨い最期ではなかったように祈りたい。
生きている、なんてことは考えられないのだろうか。。。
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8/9 忘れられない日
相変わらずNN病患者の私は,今年の8/9の日,オセアノートにいた。8/9は直江先生のお誕生日だ。
そしてオセアノートは白い影のロケ地である。
ドラマの中で主人公の誕生日がはっきり語られるのは珍しいかもしれない。
「先生,お誕生日いつですか」
「8月だ」
「8月の?」
「9日」
直江先生のお誕生日がなぜこの日になったのかはわからない。『野球の日』だからという説もあるが,とにかくこの日はNN病患者にとってはとても重要な日だ。
BBSで知り合った仲間が集まり,赤ワインで乾杯した。直江先生の32回目のバースデーだ。あのとき30歳で逝った彼は,今年生きていれば32歳になる。当の中居さんは今年30歳。直江先生と同じ歳になる。
既にこの世の人ではない,それも実在しない人の誕生日を祝う。理解できない人には理解できないことかもしれない。
でも,そこに集まった人は相変わらず直江先生を忘れておらず,折に触れてあのドラマを思い出す日々を送っているはずだ。年齢はちょっと高め。いろいろな人がいる。ロケ地も当然のように訪れている,筋金入りのNN病患者たちだ。
お誕生日には花火をやろう、そう話が出た去年は、私は北海道で花火をした。そして、今年はオセアノートで花火を見た。
今年関東では5/15から白い影は再々放送された。その後,広島,静岡などで再放送され,今は関西で深夜1時ごろから再放送されているらしい。
5/15の再放送に合わせて,TBSは公式BBSを再開した。再放送のためだけにBBSを再開することはおそらくかなり珍しいことだと思う。再開した理由は定かではないが,本放送のときのネット上の異常な盛り上がりと『NN病』というものが世間に流れたためだと思われる。今回のBBSは5/15から8/9まで開かれていた。
本放送のときも,一度中断し,結局最終的には8/9まで開かれていた。
去年も今年も『せめて8/9まで書き込めるようにして』という願いが聞き入れられたからである。
余談だが,再放送でNN病患者が増殖している。TBSの白い影のHPがなくなれば,その人たちはあのときの私のように心の拠り所がなくなる。公式BBSだっていつまで見られるかわからない。自分の状態がNN病なのだとわからないまま,ビデオを見続けるだろう。
かっこよく言わせてもらえば,私がもう一つ白い影のHPを作っているのは,そういう人たちのためでもある。もっとも。。。インターネットができる環境があり,検索サイトで『白い影』もしくは『NN病』で検索しないとたどりつけないが。インターネットの世界とは無縁のNN病患者はどうするんだろう。
公式BBSにある男性から『このBBSのおかげで妻のうつ病が治った』という書き込みがあった。その方の奥様はきっとNN病だったんだろう。直江先生のことが頭から離れず,どうかなっちゃったと思ったんだろう。そういう人はこれからも増えていくと思うんだよね。
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6/9 横浜国際競技場
巨大なサッカースタジアムは交通の便がよろしくないことが多い。日本vsロシア戦が行われた横浜国際競技場は都心に近く,また最寄の駅からもそう遠くない。交通機関もJR,市営地下鉄,新幹線など。横浜に出れば交通機関はそのほかにもたくさんある。場所的にはけっこういいんじゃないかな。
私は地下鉄を使用したことと新横浜駅を避けたために行き帰りの大混雑を避けることができた。新横浜周辺のものすごい状態を目の当たりにできなかったのは残念だが。
サッカー場にくるのは2度目,サッカーの試合を観戦するのは初めてだった。開門時間の17:30に着くと,もうそこは青いユニフォーム一色だった。公式スポンサーのブースがあちこちにあり,イベントを繰り広げている。フェースペイントやら大声コンテストやらクイズやら。グッズもいろいろもらえたようだ。
ベルギー戦で客席が日の丸でいっぱいになったのを見ていた私は『あの紙は配られているのか』と不思議だった。会場に着くと,その日の丸の紙をみんなが持っていた。やばい。私も手に入れなければ。
あの日の丸の裏には全国の小中学生が書いた応援メッセージがあった。国家斉唱のときに掲げるのだと。
席はバックスタンドだった。正面スタンドから見て右手のゴールの線上に位置する上のほうの席。屋根の下なのでライトの照明もあたらず思ったより暗い。肉眼で選手の判別ができないのが悔しいが,双眼鏡を使えば判別できた。
だから,後半ゴンがアップを始めたとき,すぐに確認できた。
夜のサッカー場はきれいなだなぁと思った。ナイターの野球場より何倍もきれいだ。一面緑の芝生だからなのかもしれない。
会場に目立った空席はなかった。異様な盛り上がりだった。ロシア人が「ロ・シ・ア」と叫び出せば,「ニッポン」の声でかき消す。「ナ・ラ・サ・キ」コールも「ヤ・ナ・ギ・サ・ワ」コールも「ミ・ヤ・モ・ト」コールもした。ずーっと手をたたいていた。手が痛くなった。後半はゴールを決めそうになると立ち上がった。稲本のゴールで絶叫し,中田のゴールにため息をついた。そんなこんなで90分。あの観客席の声がTVからどう伝わったんだろう。
考えると夢のようなことだけれど、終わってみれば勝つのが当たり前だっなどと思ってしまう日本vsロシア戦だった。
気分はすっかりサポーター。
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5/19 W杯
W杯のチケットが我が家に到着した。一次申し込みにははりきって応募したものの当たらず,「生きているうちは二度と日本では開催されない」などというのを聞いて,行きたいなぁと思いつつ積極的には手に入れようというアクションを起こさなかったのだが,びっくり,夫が東芝の懸賞に当たったのだ。
当選の通知,受取人の登録,郵便局受け取りの際は身分証明書が2通必要で,それらはコピーを取られる。開封は本人,配達されるころを見計らって東芝からの確認電話。厳重だ。しかし,チケットに名前は刷られていない。運営側には東芝から名簿が渡されるらしく,それは当日バーコードで確認するのではないだろうか。譲渡禁止,ね。はいはい。
6/9日本vsロシア戦。日本戦というカードといい,場所が横浜であることといい,見に行くとしたらベストの試合だ。
唯一,20:30キックオフっていうのが遅いような気もする(おまけに日曜日なのだ)が,実はその日は私の誕生日だったりするので,すごいくじ運ということになる。
青いユニフォーム着ていくの?と友人に聞かれ,「う〜ん,ゴンが代表になったらその背番号のを着ていく」と言っていた私だったが,なんとこれもクリアできそう。まだ店頭にある10番はNAKAMURAだったりするけれど。
あいにくゴンの背番号10はさすがにまだ売られていないようだ。売り切れ必至か? 早いとこ手に入れないと。
私はサッカー選手で誰が好きかといわれれば,『ゴン』と答えると思う。なぜかわからないが,日本人はゴンが好きである。彼が登場したときの異常な盛り上がりはただごとではない。それがたとえ残り3分だったとしても,なぜか異様に盛り上がる。『彼ならなんかやってくれる』そういう期待の表れなのか。
あの稀有なキャラクター,あの態度,あの言動,あのプレースタイル。およそスマートとはいえない,貪欲?な感じが,私もご多分にもれず好きなのだと思う。そのあたり,トルシエは読んでいたのかしらね。
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4/29 赤レンガ倉庫の再生
4/12みなとみらい地区と山下公園のあいだあたりに「赤レンガパーク」がオープンした。桜木町から汽車道を通って15分。関内からも15分くらい。昔から一応横浜の観光スポットだった場所だ。その昔は「あぶない刑事」のタイトルバックにも使用されていたし、最近ではMisiaの「Everything」のビデオクリップでも使用されていた。映像でみるとけっこうよい雰囲気の場所。
ここが、ショッピング&レストランゾーンとして生まれ変わった。倉庫の中は狭い。天井も低い。ショッピングは雑貨屋さんメインで、狭いしお店の数も少ないしで、一度行けばいいんじゃない?って感じ。
レストランは天井も高く、広いし、いい感じだった。中華と和食とフレンチ系とバー。夜になれば夜景もきれいだろうし、夜に食事を兼ねて行くのがお勧めだ。
もちろん、昼間も気持ちいいよ。だだっぴろくて。1Fはオープンテラスのセルフサービス系のお店。しかし、今はオープンしたてでどこもかしこも超混んでいる。
横浜はアイスクリーム発祥の地。「横浜馬車道アイス」はカップに入ったアイスクリーム。モナカでふたがしてある。確か、モナカでサンドしていたものを「横浜あいすくりん」といっていたのではなかったかしら。
みなとみらい地区から赤レンガ倉庫を通って大桟橋、山下公園まで歩けるように整備されているらしい。確かに赤レンガ倉庫から大桟橋ってすぐのような感じだった。山下公園の向こうには港の見える丘公園、元町、そして中華街。すごいなぁ。観光スポットめじろおし。来年にはみなとみらい線もできるし、すごいことになりそう。昔に戻ってひととおりデートしたいもんだ。
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3/26 「NN病」と「癒し」の関係
私はNN病である。最近1年経ってようやく世間的にNN病が認知されつつある。NN病についてここで説明する気はないが,「中居直江病」のことだ。
NN病を報道する新聞,週刊誌はこぞって「癒しを求める」病気と,この病気を定義している。「癒しを求める女性たち」「私を癒して」などのタイトルをつけて。癒し? NN病って癒しを求めてる病気? 巷で癒しという言葉はよく聞くが,癒しとはどういうことを指すのか。私は直江先生によって癒されたいとも癒されたとも思っていない。癒しの対象ではないのだ。
そもそもNN病になったのは「直江先生を理解したい」という思いからであって,直江先生に夢中になるのも,直江先生のことが頭から離れないのも,すべて直江先生を理解したいためなのだと思っていた。
しかし,である。あるNN病患者の人が言った。「一人でDVDをみていると直江先生が自分だけのものになったような気がする。セリフが少ない分,目つきや仕草一つ一つが私だけを癒してくれる」
。。。う〜ん,確かに私も一人で見る。見れば確かに禁断症状はおさまるし,充足感はある。それが癒しということなのだろうか? 心が満たされるとは思うが,逆にいろいろなことを考えるのも事実である。
生きるということ,死ぬということ,やさしさということ,嘘ということ。直江先生のまわりにはこれらのことが複雑にまとわりついているから。だから,私の場合はただ癒されるというものではないと思うのだ。
ただ,「直江先生を理解したい」という気持ちがどこからくるのか,どうしてそう思うのかという理由を,私は説明することができない。『その思いってなんですか?』そう聞かれたとき,私は答えに困った。
明確な理由なしにひたすら直江先生を追いかけるNN病患者の行動は,そうでない人から見たらとても奇異に見えるだろう。多分理解してもらえないと思う。そこに「癒されるため」という流行りの定義を当てはめてみると,もしかしたら理解しやすいのかもしれない。
何やらNN病が一人歩きを始めた感がある。うれしいと思う反面,「癒し」というくくりで単なる流行り言葉のように扱われるのは。。。NN病患者の本意ではないと思う。だって女性自身のタイトルが「NN病にハマる主婦たち」なのだ。アブない病気みたいじゃないか。なんか,これから暴走しないか心配である。そして。。。今一番心配なのは,コアな中居ファンがどう思っているのかということ。認めてもらえないのかなぁ。。。戦々恐々。
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3/17 クラス会
小学校5,6年のときのクラス会があった。20歳のときにタイムカプセルを開けて以来,15年は過ぎている。
あのころ,ジャージばかり着ていた熱血先生は副校長になっていた。でも,顔はしわもなければ昔のままで,ただ髪の毛がなくなっていただけだった。だからちょっと不思議な感じがした。先生,髪の毛どこかに忘れてきたの?と思った。
この熱血先生は,当時まだ20代半ばだっただけに血気盛んで,男の子には容赦なビンタをした(何度もビンタされた男の子の頭が黒板にガンガンあたっていたのを今も覚えている)し,給食を残す生徒には休み時間になってもずっと食べ続けさせた。バスケ部の顧問だったから,クラス全員に強制的にバスケットをやらせた。
奥さんは当時保健の先生だった。副担任のように私たちのクラスとは仲がよく,記念写真にも写っている。私たちは『結婚すればいいのに』と思っていたが,果たして二人は数年後に結婚した。
女の子はあまり変わっていなかった。ほとんどが主婦であり,子供が二人おり,幸せな家庭生活を送っている。
男の子は。。。男性のほうが外見って変わるものだなと。
板前になった人もレストランの店長やってる人も整体師の人もバスの運転手もサラリーマンもいる。昨年急病で逝った男性もいる。
みな,あまり遠くには住んでいない。せいぜい静岡にいる人がいるくらいで,だいたいは関東近辺にいる。
先生がみんなをあだなで呼ぶとき,『ああそうそう,そう呼んでたっけ』と懐かしく,それを聞いたときに,記憶がどんどん蘇ってくるような感じがした。30も後半の男性が「xxちゃん」とか呼ばれちゃうのってちょっとすごい。
「あいつ誰だっけ?」と言いながら,誰とわかるといきなりあだなで呼べてしまう先生をみて,嬉しいと思ったのは私だけではないだろう。
あの頃のことはみんなにとっていい思い出だ。体罰禁止とかいろいろいわれているけれど,ビンタをくらった男の子もみんな先生が好きで集まってくる。体罰ってのは愛情とのバランスなんじゃないかな。
こんなクラスにいられたこと,とてもラッキーだったと思う。
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2/17 奥さんと呼ばれること
久しぶりに「奥さん」と呼ばれた。
夫の会社の同僚の方々が何人かいるところで,わたしはそのうちの何人かからそう呼ばれた。
なるほど,夫の同僚の方からすればわたしは夫をはさんで向こう側にいる人間で,よく話したこともなければそう呼ぶのは自然なのかもしれない。こういう場合,同じ苗字で呼ぶことはまれだし,区別するためには「奥さん」か,それでなければファーストネームで呼ぶ必要が生じる。日本人はファーストネームで呼び合う習慣に慣れていない。
親しくなければファーストネームで呼び合うことなどほとんどないだろう。
よくドラマなどで「○○さんの奥さん」「△△ちゃんのお母さん」と呼ばれるのに不満を持つ専業主婦の人が出てくることがある。
「わたしには名前がある」
「まるで『誰かの所有物』であるかのような表現はいや」という主張。
わたしは日常の生活で奥さんと呼ばれることは皆無に等しい。
一日の大半を会社で過ごし,名前で呼ばれることがほとんどで,だから「奥さん」などという,どこのだれだか分からない呼び名には親しみがないのだ。だから,呼びかけられているのだとすぐには認識できなかった。
これは果たしてよいことなのかよくないことなのか。
「まあいいか」と思う自分はそのときいなかった。
「わたしは人の『奥さん』を呼ぶときは名前で呼ぶことにしよう」と思う自分がいた。
こんなに考えなくてもいいことなのかもしれないけれど。。。考え方が柔軟じゃないのかなぁ? |
1/15 推理小説
昔エラリークイーンが好きだった理由は,犯人がだれかを推理するのがおもしろかったからだ。もともとミステリーはそういうものだと思う。犯人探しのおもしろさ。
ここまでに証拠はすべてそろえてある。さて読者はだれが犯人かわかったか? という問いかけに犯人はだれかと真剣に考えたものだ。
日本の推理小説はほとんど読んだことがなかった。金田一耕助だろうと松本清張だろうと,活字という媒体ではほとんど読んだことがない。そんな私が年末年始いわゆる現代作家によるミステリーを読むことになった。
宮部みゆきの「模倣犯」。2001年度ベストワンともいわれるベストセラー。宮部みゆきファンも多いと聞く。当然のごとく,私はこの作家も作品も知らなかった。
この小説を読むとき,今までのミステリーを読むときと同じように「犯人はだれか」を考えるだけでなく,「なぜこのような推理小説が書かれたのか」「何か社会背景や人間観察の意図があるのではないか」という,うがった見方をしている自分に気が付いた。
その理由は,今年映画化されることが決まったこの作品の,主人公を演じる某歌手の演技に期待していて,果たしてその原作はどんなものか?と非常に興味を駆り立てられたからである。
この某歌手の次回作がベストセラーの連続殺人犯の役である。彼は昨年演技に開眼し(とは私が勝手に思っている
だけかもしれないが),もういわゆるトレンディドラマでは物足りなくなるだろうと思ってはいたが,まさか殺人犯とは思わなかった。
前回の役もかなりハードルが高かったように思うが,今度はさらに高いような気がする。もしかしたらハードルどころではなく,「走り高跳び」くらいかもしれない。
私はただひたすら彼が演じる意味を探しながら読んでいた。ただ単なる連続殺人犯の狂気があふれ,また見ている人にその話の展開がおもしろければいい(原作では犯人が明らかにされている中で話は進んでいく)というような映画に,
彼が出るわけがないと思うから。私にとっては彼が出るからにはそこに何か意味がなければならないのだ。
人間の弱さとか普通に暮らしている人間が襲われる恐怖とか,何か見ている人に考えさせる意味。
彼の演技には期待しているが,映画の展開によっては彼が埋もれてしまうこともあるかもしれない。それが一番の不安。ストーリーよりは演技に注目されるような映画であって欲しいと思う。
願わくば来年のアカデミー賞の会場に彼がいるように。対抗馬は役所広司,上川隆也などのようだ。どうして対抗馬の多い年にあたるんだろうね。去年はHEROにやられたしねぇ,まったく。
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