知られざる小林多喜二の周辺

 
 032 ( 2020/02/26 : ver 01 、2020/03/01 : ver 02 )
太郎の勲章など



太郎が陸軍大尉になった時の写真があります。大尉になったのは昭和16年(1941年) 12月1日、40歳の時です。胸の勲章は向かって左から、勲六等単光旭日章、昭和大禮記念章、支那事変従軍記章、紀元二千六百年祝典記念章、日本赤十字社章です。太郎は勲六等授瑞宝章を昭和15年(1940年)12月12日に受けていますが、この写真に「勲六等授瑞宝章」がないのは不可解です。私の実家には「勲六等授瑞宝章仮記」は残されており、これには第41737号なる登録番号が記されています。従って、何らかの理由により「章之証」と「章」は太郎のもとには届いてない可能性があります。「勲章佩用心得」によると、「勲章還納手続」の第一条に「同種上級の勲章を授与せられたる者は一週間以内に其下級の勲章を賞勲局へ還納すべし」とあります。太郎は昭和19年(1944年) 9月12日に勲五等授瑞宝章を受けましたから、この時に以前の勲六等授瑞宝章を還納しなければなりません。従って、これが実家に残されていないことは説明がつきます。しかしながら昭和16年12月の写真に写ってない理由にはならないのです。勲章の他に叙位として正八位、従七位、正七位を受けました。太郎の叙位は歩兵少尉→歩兵中尉→大尉と連動しています。太郎は昭和17年(1942年)7月に召集解除となり苫小牧に戻りました。その2年後、昭和19年(1944年)5月18日に再召集を受けて択捉島を守りました。



勲章佩用心得



大正10年(1921年) 12月01日?(この時20歳09ヶ月)
日本赤十字社章



大正11年(1922年) 07月15日(21歳05ヶ月)
摂政宮殿下北海道行啓閲兵式
下賜盃(直径91mm)



大正14年(1925年) 03月31日(24歳01ヶ月)
任陸軍歩兵少尉



歩兵少尉の時の認識票



大正14年(1925年) 04月15日(24歳02ヶ月)
叙正八位


昭和03年(1928年) 11月16日(27歳09ヶ月)
昭和天皇即位大礼地方賜饌式御召状



下賜盃(直径91mm)



大礼記念章之証



大礼記念章



昭和08年(1933年) 02月20日(太郎32歳00ヶ月、多喜二29歳02ヶ月)
小林多喜二の葬儀の際の香典控
右から3人目が太郎。その右の「小林俊二」は兄。苫小牧の「株式会社三星」の創業者。
右から7人目は志賀直哉。



昭和11年(1936年) 10月03日(35歳07ヶ月)
昭和天皇北海道行幸・陸軍特別大演習
下賜盃(直径110mm)
ただし、この時のものかどうかは未確定。
他の可能性としては紀元二千六百年祝典(昭和15年)11月10日が考えられるが、この時の太郎はまだ大陸にいる。



昭和13年(1938年) 09月30日(37歳07ヶ月)
任歩兵中尉


昭和13年(1938年) 10月15日(37歳08ヶ月)
叙従七位


昭和15年(1940年) 04月29日(39歳02ヶ月)
支那事変従軍記章之証



支那事変従軍記章



勲六等単光旭日章及金千弐百円



勲六等単光旭日章之証



勲六等単光旭日章



昭和15年(1940年) 09月15日(39歳07ヶ月)
任陸軍中尉


昭和15年(1940年) 11月10日(39歳09ヶ月)
紀元二千六百年祝典記念章之証



紀元二千六百年祝典記念章



下賜盃(この時のものかどうか未確定)



昭和15年(1940年) 12月12日(39歳10ヶ月)
叙勲六等授瑞宝章仮記第41737号



「章之証」も「章」も残されていない
これらは太郎の手に渡ってなかった可能性がある
昭和19年9月に還納した可能性も残るが、そうであれば
陸軍大尉の写真(昭和16年12月)に写っていないのが不可解



昭和16年(1941年) 12月01日(40歳09ヶ月)
任陸軍大尉
任命したのは内閣総理大臣東條英機



勲六等単光旭日章
昭和大礼記念章
支那事変従軍記章
紀元二千六百年祝典記念章
日本赤十字社章


昭和17年(1942年) 01月15日(40歳11ヶ月)
敘正七位



昭和19年(1944年) 09月12日(43歳07ヶ月)
敍勲五等授瑞宝章仮記第338333号



敍勲五等授瑞宝章之証



勲五等授瑞宝章



平成03年(1991年) 02月14日(90歳00ヶ月に相当、没後32年06ヶ月)
シベリア強制抑留の慰労状



銀杯




太郎の軍歴(北海道庁による)<46>







大東亜戦争従軍記章


これは太郎が受けたものではありません。大東亜戦争従軍記章は昭和19年 6月21日に制定されて造幣局で作られました。しかしながら、授与が始まる前に終戦となって造幣局に踏み込んだ占領軍によって全て没収されました。ほとんどは溶かされてしまったようです。この幻の大東亜戦争従軍記章がネット・オークションに出品されていることがあります。この写真はネット・オークションで入手したものです。金型や仕様書は残されているので、それを基にした精度の高い模造品です。社団法人日本郷友連盟が終戦35周年に合わせて製作したものは裏面に地図が描かれています。同じ頃に二光通販株式会社が製作したものは裏面に大東亜戦争と描かれており銀製です。ここに示した記章はデザインはこれと同じですが錫製と思われます。大東亜戦争従軍記章の「実物」は靖国神社遊就館に陳列されています。日本にひとつしか存在しないものかもしれません。ガラスケースの中にあるので裏面を見ることはできませんが、盾のデザインに大東亜戦争と描かれているようです。遊就館の実物は、「綬」との繋ぎ目が回転構造のようです。


靖国神社遊就館の展示



トップ・ページに戻る



キーワード

小林多喜二
多喜二の誕生日
小林せき
多喜二の母
明治36年12月1日
多喜二の香典控
知られざる小林多喜二の周辺