知られざる小林多喜二の周辺

 
 012 ( 2019/02/05 : ver 01 、 2024/02/14 : ver 03 )
多喜二の脚長差?



三浦綾子さんの「母」<12>には、多喜二の外見に関する記述が出てきます。文庫版によると、まず167ページに三吾さんの言葉として「あの、あんちゃんの肩上がり、目立つなあ。何とかならんもんかなあ」とあります。2度目は174ページに多喜二が亡くなった日の朝についてセキさんの回想として、「あの朝に限って、多喜二の右肩上がりのうしろ姿が、遠ざかって行くのが目に浮かぶ」とあります。多喜二の姿勢が右肩上がりだったということです。そのことで、遠くからでも特高警察に見つかってしまうのではないかと家族が心配しているのです。三浦氏は「あとがき」の中で、「小林多喜二の母を書いて欲しいと三浦から頼まれたのは、かれこれ十年以上も前のことになろうか」と書いています。これを書いたのは1992年2月とありますから、1982年(昭和57年)より数年前頃という事になります。セキさんは1961年(昭和36年)、ツギさんは1972年(昭和47年)、チマさんは1975年(昭和50年)に他界してます。セキさんへの取材はありません。ツギさんやチマさんにも会ってないでしょう。あとがきには「三吾氏始め、ごきょうだい」とありますが、その頃に健在だったのは小林三吾さんの他には末娘の高木ユキさんしかいません。小説は、この2人や多喜二の知人からの情報と、種々の文献から作家なりの視点で描いたものです。多喜二の姿勢や肩を振る歩き方については、他の書籍でも触れられています。多喜二自身も自分をモデルとした小説の中で描いています。

「小林多喜二伝」<2>によると、多喜二は庁立小樽商業学校の3年生の器械体操の授業で、鉄棒から落ちて右下肢を骨折しました。後でも触れますが風間六三氏の記憶です。チマさんは1年生だと記憶しているようですが、庁立小樽商業学校は2年間の予科と3年間の本科からなっていました。ですから、チマさんの記憶が「本科1年生」とすると、これは庁立小樽商業学校として3年生にあたりますから、矛盾はありません。「小林多喜二の手紙」<25>には、昭和6年(1931年)1月16日に豊多摩刑務所内から鹿野亘氏あてに出した手紙が載っています。この中で「ぼくは十六のとき燻製鰊のようによくあの棒にブラ下がっていたものだが、とうとうわが身を振り落として、右足を1本、まるで惜しげもなく折ってしまったことがあった・・・」と書いています。この16歳というのは「かぞえ年」でしょう。多喜二は新暦世代ではありましたが、「かぞえ年」も使っていたと考えられます。「かぞえ年の16歳」であれば満14歳、庁立小樽商業学校の3年生(本科1年)です。

骨折は大腿か下腿か分かりません。しかしながら大腿骨なら大ごとなので、もっと大きな話題になっていそうに思えます。この頃に書いた「病院の窓」という作品<23>で、右下肢にギプスを巻いて松葉杖で歩いている人物が出てきます。自分自身がモデルです。入院した病院は「小林多喜二伝」<2>によると「鎌倉病院」だそうです。昭和6年の小樽地図には色内駅の近くに鎌倉病院があります。同じ名前の病院は近くには無いでしょうから、入院していたのはこの病院だと考えられます。

骨折以外も含め多喜二が手術を受けたとの記録はないようなので、ギプスを巻いて保存的に治療したのだろうと思われます。化骨の途中で荷重をかけたりすると偽関節が生じて問題ですが、骨折自体は固定しておけば自然に治ります。その際、不完全な整復で曲がったままギプスを巻くと、曲がったまま骨が繋がります。従って、左右の下肢の長さに差が生じます。これが脚長差です。下肢の長さは大腿骨の大転子から外果(外くるぶし)までとして定義されます。正確に言うと「転子果長」と言って、足部を含みません。多喜二の骨折が右下肢であり、右下肢が少し短くなっていたとすると、そのままでは上半身は右に傾きます。バランスをとるために上体を左に傾ける必要があります。すなわち代償性の側弯となり、右肩が上がりの姿勢になる可能性があります。「小林多喜二伝」<2>の中で風間六三氏は、「小林が商業三年の頃、機械(原文のママ)体操で右脚を怪我してから歩き方が変わったときいている。肩で風を切るような歩き方はそのせいだと思っている」と書いています。これは、脚長差による跛行のための上体の揺れだったと考えられます。多喜二の起立位での全身写真は、子供のころ以外には存在しないようです。弟の三吾さんの若い頃の写真はあります。この写真に若干の上体の傾きを想像すると、地下生活をしていた頃の多喜二の姿が思い浮かびます。

小林三吾さん


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小林多喜二
多喜二の誕生日
小林せき
多喜二の母
明治36年12月1日
多喜二の香典控
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