知られざる小林多喜二の周辺
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別稿で書きましたが、セキさんは小学校に通っていないため文字の読み書きができません。多喜二が豊多摩刑務所に収監されたのは昭和5年(1930)です。この時57歳のセキさんは、何としても自分で手紙を書きたくて文字を覚えました。主にひらがなのようです。いつごろ書かれたのか分かりませんが、セキさんが亡くなった後、セキさんが書いた一片の詩が出てきました。知る人ぞ知る有名なものです。 もうひとつ、セキさんの名前が書かれた本を紹介します。「小林多喜二(日本文学アルバム)」<9>です。セキさんが所有していたものではなく、苫小牧を訪れた時にでも親類の者が名前を書いてもらったものと思われます。今、私の手元にありますが、いずれ小樽文学館で展示してもらうのが良いかもしれません。 |
キーワード 小林多喜二 多喜二の誕生日 小林せき 多喜二の母 明治36年12月1日 多喜二の香典控 知られざる小林多喜二の周辺 |