マルメロの実の香が点る灯

小林久美子


デッサン : kumiko kobayashi


葉脈を浮きあがらせて
茎を離れる
ときを待つ
葡萄の一葉

鉢植えの
位置ひとつにも
敬意が払われている
部屋に通される

今しがた
人が立ち去った
気配に充ちた
室内の写真に遇う


なにを
俟ち受けているのか
前に差しだされて寂
(しず)
青銅の手は


本心に届くと
信じたからか
昨夜なんども
画き直したのは

大橋を潜(くぐ)るとき
船は身を潜
(ひそ)
婦人のように
瞑想する


かるく組む
指先はつね冷えながら
聖母は
函の浮彫
(レリーフ)にある

秋の陽に濯いだ
油壺を干す
汝の陰影が
薄らぐなか

予熱しておいた天火にさし入れる
茄子のグラタン
(らい)を迎えて

詩句がより添いついて来る
大通りから抜けてきた
小径を往くと


酸化鉄の線に顕れてくる
語りたがる目
黙したがる口


原野に雨が降る
知らない処に連れだされた
想念を見せて


結び目はほどかれ
結び直される
世界に汝を発たせる靴の


榲桲(マルメロ)の実の香が点る灯を消して
睡りに落ちてゆく
寝台に


小林久美子の短歌へ戻る