岩城宏之指揮オ−ケストラ・アンサンブル金沢(OEK)設立記念公演は1988年11月21日
金沢市文化ホールで、天沼裕子デビューコンサートは1989年1月22日金沢市観光会館で、OEK第1回定期公演は1989年4月28日
金沢市文化ホールで天沼裕子指揮、オーケストラ団員25名で行われた。あのときのチューニングの初々しさ等、新鮮な感動は今も甦る。
このOEKが第200回記念公演を迎えるという。実に17年掛かった訳である。この記念すべき定期公演をマエストロ岩城宏之が指揮する
とのことで、ツエーゲン金沢もJリーグ入りにはこれくらいの年月、いやこれ以上の歳月
が必要なのではと谷本知事による「文化立県」等とのんびりしたことを言っていて、北陸の気象予報の統括は金沢市から新潟市へ、プロ野球オールスター戦は富山
市へ、ワールドカップサッカーは新潟市へ、Jリーグ入りは新潟市のアルビレックス新潟へ、JFL入りは富山市の北陸アローザに抜かれるという、北陸の後進県、
スポーツ後進県にしてしまった不手際だらけの対応を恨みつつ、コンサートに出掛けた。
最初の曲は、ヴェルディの歌劇「椿姫」ハイライトである。最初のプログラムでは「乾杯の歌」がハイライトの最後の曲になっていたが、曲順の変更でオペラの進行
通り「乾杯の歌」が2曲目で、最後は二重唱「パリを離れて」に変更されていた。これは、勿論そのほうが良かった。何故ならば、ヴィオレッタが死んでから「乾杯の歌」は可笑しい
からである。ソプラノとテノールは京劇のサイ・イェングアン(中国国籍)さんと歌舞伎の佐野成宏(日本国籍)という異色の組み合わせで、一昨年金沢市観光会館で見たスロヴァキア
国立歌劇場の「椿姫」およびTVで見た昨年のザルツブルグ・フェスティバルの「椿姫」と違って、微笑ましい「椿姫」ハイライトであった。但し、
「乾杯の歌」におけるTUTTI(コーラス)が省略されていたのは不満。やはり、合唱を入れるべきだった。また、バリトンの名曲「プロヴァンスの海と土地」
も聞きたかった。しかし、オーケストラの配置はチェロが右にきて、しかもコントロバスが4台と非常にバランスが良かった。マエストロ岩城宏之は車椅子
での指揮であったが、車椅子のマエストロによる指揮とは思えない迫力であり、この迫力は後半にも引き継がれる。
休憩を挟んで、海軍士官学校卒リムスキー・コルサコフの「シェヘラザード」である。最初は、マエストロ岩城宏之のゆっくりしたテンポで始まった。車椅子の岩城マエストロは
立ち上がる訳でもなく淡々と指揮しているのだが、段々と迫力を増し、興奮が伝わってくる。車椅子より興奮を引き出すマエストロ岩城は偉大である。コンサートマスターのヤングさん、チェロ、オーボエ、ファゴット、クラリネット、
フルート等のソロも綺麗であり、金管とパーカッシヨンも切れ味と迫力満点の演奏で、第4曲まで進行した。第4曲目の難破のところも好演奏であり、コーダといってよいのだろうが、
最後の「シェヘラザード」のテーマも綺麗で、フィナーレも上品であった。とにかく、マエストロ岩城渾身の「シェヘラザード」であったことだけは事実である。
アンコール曲である、同じくリムスキー・コルサコフによる「くまばちは飛ぶ」は、オーケストラ版を演奏した所為か、フルート・ソロにおけるくまばちの迫力には少々及ばなかった。しかし、
カーテンコールにおける車椅子のマエストロ岩城宏之には盛大なブラボーと拍手があったことは、石川県民、金沢市民を含む聴衆がいかにマエストロ岩城宏之に全幅の信頼を
寄せているのかを示していて、非常に感激的であった。将来の伝説となるであろう今回の演奏会に出掛けて良かったと痛感した。最後に、今回のオーケストラ構成は非常に
バランス良く感じられた。OEKもこれ位の規模のオーケストラに変身すべき時期に差し掛かっているのではないだろうか?「文武両道」を目指すべき谷本知事の迅速な決断を期待したい。
Last updated on Apr. 28, 2006.