最初の曲であるグリーグのペール・ギュント第1組曲第1曲の朝の気分は、イントロがもう少しppの方が良いと思ったが、後は無難。
但し、第4曲の山の魔王の宮殿にては最後に合唱と台詞が入るはずだが、これを省略したため主旋律が消えてしまって興ざめ。
この曲は、オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)でもできそうであるから、
今度は是非合唱とソリストを加えて、しかも第2組曲の最終曲ソルヴェイグの歌迄演奏して欲しいものだ。
2曲目のフンメルのトランペット協奏曲については、ソロのアリソン・バルソムが無難に演奏したと思う。しかし、音は有ったが、大人し過ぎた。
この曲は2003年OEKの定期公演Mで演奏されたらしいのだが、残念ながら私は聞いていないので比較は出来なかった。
休憩後のチャイコフスキー交響曲第6番悲愴は、LP時代はムラヴィンスキー、最近では現代のカリスマ、ゲルギエフのCDが有名であり、
N響がどう演奏するか興味津々であったが、綺麗過ぎた。ロシアの大地の土臭さを私は具体的に嗅いだ
ことは無いが、どうも違う。土臭さが無い。この原因は、金管と低音部構成員数が少なかったせいではないか。ムラヴィンスキーのLPではヴィオラが沈痛
なメロデーを奏で、ゲルギエフのCDではトロンボーンが咆哮する。即ち、ヴィオラの数が少なかったし、トロンボーンは3管で四重奏が出来なかった。
これがその原因と思われる。従って、綺麗過ぎた訳である。アンコールのチャイコフスキー弦楽セレナーデ第2楽章ワルツは、この欠点がキャンセルされ、
非常に綺麗であった。
OEKはN響を超えたと言う人がいるようだ。確かに今日の演奏で分かる通り、N響は欠点も多い、しかしOEKが追いつくのはまだまだ先との感を深くした。N響には
交響楽団として、OEKには室内管弦楽団としても頑張って欲しいものである。尚、N響は開演前舞台で練習していたが、この姿勢はOEKには無い。OEKには
開演までの僅かな時間を惜しんででも練習する姿勢をN響から学び取って欲しいものだ。
Last updated on Aug. 20, 2005.