『武蔵円明流』と『武蔵円明流判官派』・『武蔵円明流兵法』との違いについて
『武蔵円明流判官派』が、『居合道道場案内所(居合道・抜刀専門の道場紹介ウェブサイト)』に申し込み記載されました。
『武蔵円明流』と『武蔵円明流判官派』との違いを知らない人達に迷惑をかけないため、また『武蔵円明流判官派』と『武蔵円明流兵法』のサイトを管理する方々に違いを知っていただく必要があるためにここに記します。
【1】『居合道道場案内所』の『武蔵円明流判官派』の紹介記事について
―『居合道道場案内所』サイト内 『武蔵円明流判官派』の紹介より
日本を代表する剣豪と言えば宮本武蔵です。小説やドラマ・映画にもなり、彼の足跡は誰でも身近だと思います。武蔵の剣は「二天一流」が有名ですが、これは武蔵が晩年技術を整理した流派です。若き日の武蔵が使っていた技術が、「円明流」です。武蔵の没後は弟子たちが技術を伝えていきますが、その一つに「武蔵円明流判官派」があります。
まず始めに武蔵円明流の歴史を記します。『武蔵円明流』は若き宮本武蔵玄信が26歳の時に、門人の宮本武蔵政名が慶長十五年(1610年)創流しました。令和元年(2019年)で409年になります。
宮本武蔵玄信は、正保2年5月19日(1645年)に61歳で生涯を終えました。
『武蔵円明流』は前述のように、宮本武蔵玄信の‘没後’ではなく生前26歳から伝えています。また伝えたのは『武蔵円明流判官派』ではなく、正しくは『武蔵円明流』です。
【2】『武蔵円明流判官派』について
―『武蔵円明流判官派』サイト 「トップページ」より
日本を代表する剣豪・宮本武蔵
武蔵円明流判官派は武蔵の技術を受け継ぎ後世に遺すことを目指します!
この宮本武蔵は、小説やドラマなどに出てくるいわゆる宮本武蔵玄信です。
宮本武蔵玄信と『武蔵円明流』の流祖・宮本武蔵政名は違い、宮本武蔵玄信と『武蔵円明流判官派』は直接に関係ありません。
また、『武蔵円明流判官派』の技は『武蔵円明流鱸派』の二刀の術(二刀勢法)8本だけです。この術は、流祖及び初世宗家の時代の技ではありません。近世に『武蔵円明流鱸派』の二刀の剣術初級者用に稽古に取り入れられました。ですから、宮本武蔵の名を出すのは誇大と云えます。『武蔵円明流判官派』として稽古しているのは二刀勢法の8本だけ、他の剣術・居合術・短剣・手裏剣・十手・鎖鎌は、『武蔵円明流』宮本武蔵政名と無関係です。
―武蔵円明流判官派のサイト「円明流と二天一流の関係」より
武蔵直系の弟子が「武蔵円明流判官派」を名乗り、末裔が鳥取池田藩剣術師範に召抱えられ秘伝としたことから300余年にわたり門外不出でした。時が経ち昭和36年に公開されました。流派の特徴は鞍馬流を源流とすることから
野性味あふれています。当練習会では刀法以外に、外物として短剣、手裏剣、十手、鎖鎌なども駆使します。
二刀勢法は右手と左手を同時に使うのが特徴です。
上記は高橋華王(14代宗家)が遺した「武蔵円明流判官派指導書」の資料に記されています。
上記「武蔵円明流判官派指導書」内、高橋華王氏の師・武蔵円明流十三世宗家師範谷口覓の指導内容には、手裏剣、十手、鎖鎌などはありません。『武蔵円明流判官派』の指導内容と違います。また、「武蔵直系の弟子が「武蔵円明流判官派」を名乗り、末裔が鳥取池田藩に召抱えられ」と書かれていますが、これは『武蔵円明流』の間違いです。この当時『武蔵円明流判官派』という名称は使用していません。
―『武蔵円明流判官派』サイト「武蔵円明流判官派の特徴」より
「その1 一刀勢法」
この一刀勢法は、高橋華王氏に一刀勢法を指導していません。『武蔵円明流判官派』の技ではありません。
「その2 二刀勢法」
この二刀勢法の動画は、武蔵円明流判官派の形ではありません。形が変わっています。居合術も他流です。
【3】『武蔵円明流判官派』の起こり
『武蔵円明流判官派』と云う分派が出来た理由を記します。
平成2年(1990年)、武蔵円明流十二世宗家鈴木正興と武蔵円明流十三世宗家谷口覓が、『武蔵円明流』を普及させるために相談しました。『武蔵円明流』を全て習得するには通常25年から30年以上かけて錬成します。なぜなら、流祖と宗家の精神と技巧は数多くあり、習得が大変だからです。(下記参考資料1)
そしてその結論は、普及するために分派をつくる事、名称は『武蔵円明流判官派(分派名)』とする事を決めました。技は武蔵円明流鱸派の二刀の術(この技は、初級者が稽古します)八本と、一刀は武蔵円明流以外の古流の技です。居合術も古流です。
谷口覓は平成2年以降、『武蔵円明流判官派』と云う名称を使用して普及活動を行いました。その時、二刀の術を二刀勢法(注:武蔵円明流は勢法と云う名称を使用しません)としましたが、二刀勢法に古流の二刀の名称を間違って付けてしまいました。(間違い名は、雲霞、浪返し八重垣、筈止)。
『武蔵円明流判官派』は、平成15年(2003年)8月に武蔵円明流判官派十四代宗家高橋華王氏死亡により剣術指導活動を終了しました。
※参考資料1
剣術試合の時は、待の先、躰々の先、懸の先を使用します。そのため、待の先には剣術一刀の術・表の段を習い稽古します。また、躰々の先・懸の先に対応する技がそれぞれあります。実際の戦闘やその攻防の中において、また「三つの先」の掛け合いが続いていきます。技巧は剣術一刀の術(表の段・中段・九段)、二刀の術・古流二刀の術、二刀の別傳、小太刀の術・小太刀の別傳、居合術(座抜刀)・中段立抜刀、棍術(棒術)、體術などがあります。
これらの秘傳書は、高橋華王氏を師とする『武蔵円明流判官派』『武蔵円明流兵法』『武蔵円明流判官派高橋華王伝第十五代宗家』と無断無許可で自称する団体にはありません。
【4】高橋華王氏と『武蔵円明流』との関わり
高橋華王氏は平成10年(1998年)頃、谷口覓の所(京都府大山崎町)に中村泰三郎氏の紹介状を持参して夫人と二人で訪問しました。谷口覓の話によると高橋華王氏は、弟子にしてくれと談判のように押し売り的に入門を懇願しました。2回稽古に来ましたが、二刀勢法を習得できませんでした。
その後谷口覓は、高橋華王氏は大学教授であり国際武道学会の理事長という身分を信用し、
「これからも大山崎町へ稽古に来ること」
「谷口覓が東京に訪問し、二刀勢法の太刀の統一研修会を毎月1回実施すること」
これらの条件を守る事を約束させて、十四代を譲る事を決めました。しかし、高橋華王氏はこの稽古約束を一度も実行しませんでした。
その後、高橋華王氏は人が変わりました。谷口覓に無断・無許可・無承諾のまま次から次へと本を発行し、谷口覓のもとへ送ってきました。その方法は、谷口覓が発行した本の版が残っている印刷ショップに行き、谷口覓の了解を得ていると説明して、谷口覓が発行する本2冊の表紙と表紙カバー及び一部文章を加筆し、印刷発行しました。
1冊は「正傳 新免武蔵藤原玄信 真實と虚構」(336ページ)、表紙に国際武道学会会長 武蔵円明流判官派継承者 高橋華王と記載しました。この本は谷口覓が平成3年(1991年)10月30日に第1印刷発行したものです。高橋華王氏は無断・無許可で、第2印刷を平成10年11月3日に発行しました。この時、本の最後のページに、『武蔵円明流』の剣譜を『武蔵円明流判官派』の剣譜として無断で誤った記載で印刷しました。
2冊目は「史料考證 勧進・宮本武蔵玄信」、谷口覓が平成7年(1995年)11月1日に第1印刷発行しました。 高橋華王氏は、無断・無許可・無承諾で、第2印刷を平成11年4月吉日に印刷発行しました。この本の表紙に高橋華王、武蔵円明流判官派統裁 谷口覓と連名記入しました。これを見た谷口覓は、総裁に祭り上げられていると激怒しました。『武蔵円明流』と『武蔵円明流判官派』には統裁と云う名称はありません。
谷口覓は今までの著書を自費印刷、無料配布しましたが、高橋華王氏はこの本を定価39,000円(送料590円)と印刷発行しました。谷口覓は、私の著書で営利目的かと高橋華王氏に憤慨しました。またこの本の最終ページに、谷口覓に無断・無許可・無承諾で、著者 谷口覓の次に、継承者 高橋華王(一切権利保有)と記載しました。
高橋華王氏の上記の2冊の書籍印刷発行で、谷口覓は著作権侵害され大変迷惑だと云っていました。この2冊の書籍は発行後、谷口覓宛てに送られてきましたが、この事や諸問題が起こったため高橋華王氏とトラブルになりました。また、高橋華王氏に後者育成にもっと努力するよう注意しましたが、馬の耳に念仏でした。
このような事があり、高橋華王氏に後継者を決める権利を谷口覓は与えませんでした。
【5】『武蔵円明流判官派』の宗家継承ついて
―武蔵円明流判官派のサイト 「宗家継承について」より
次期宗家(15)の継承は先代(14)の意思が尊重されます。諸田宗家は高橋宗家より生前「最高師範・第一宗師」授与されました。これは次宗家託すという高橋先生の意思表示であり、正統に宗家を継承したものであることを記しておきます。
当流派は私利私欲なく先代から伝わる技術を後世に遺すべく地道に活動しています。
『武蔵円明流判官派』には、最高師範・第一宗師と云う名称はありません。次宗家を託す、と云う事もありません。
高橋華王氏の造語です。
高橋華王氏は、平成15年1月吉日に念書を作成しています。
諸田〇〇殿 円明流判官派最高師範に任ず 以後第一宗師追受
但し全教程修錬後 第一、武道鍛錬術 第二、二刀太刀勢法
上記の通り記す 平成十五年吉日 宗家高橋華王
(※注:ここには、手裏剣、十手、鎖鎌などの記載はありません)
下記参考資料2、高橋華王氏ご遺族が谷口覓に宛てた手紙中(7)に、『(諸田〇〇氏を)平成15年1月から8月(高橋華王氏8月に病没)まで全くみておりません。』と書かれていますが、これは念書の『但し全教程修錬後』の稽古を高橋氏の前で稽古していない事で、問題があります。
また、『武蔵円明流判官派』の宗家継承についても、この手紙には『武蔵円明流判官派』の十五代宗家を正式に認めた事が記されていません。
谷口覓も自称十五代宗家を知りませんので認めていません。『武蔵円明流判官派』自称十五代の後継者(十六代宗家になる人)、
『武蔵円明流兵法』十五代相伝師家も認めていません。
※参考資料2
高橋華王氏ご遺族から、谷口覓宛の手紙より(原文ママ。但し、継承に関係のない記述は略しています)
(1)諸田さんが、平成14年宗家になり(インターネット)とありますが、この様な事は高橋(生前)にきいた事も 私共話した事もありません。
(※注:15代を認めてない)
(2)死後 15代よこせ ゆずれと度々電話で言ってきた。平成16年3月迄 〈中略〉
高橋死亡後2年間〈中略〉武道の話どころでは無かった
必要があれば、「当方より 連絡します」と言いましたが
(3)平成16年郵便局の内容証明で よこせ オレにと言ってきた〈後略〉
(※注:(2)の‘よこせ・ゆずれ’や、(3)の‘内容証明でよこせ’で、高橋華王氏が正式に15代を認めていない事が分かります)
(4)インターネットの内容は、誤が実に多く勝手であきれるばかりか〈中略〉
今の今迄 寝耳に水です。 平成16年から何も言ってきません。
(5)でんわで 刀は、真剣だろう「オレが今から〇〇へ行って 刀 みがいてやる」〈中略〉家に来るとかおどすのね
(6)〈全略〉
(7)諸田さんは、〈中略〉始めはきていましたが その内何の連絡も無く来なくなりました。
はっきりしている事は、平成15年1月−8月迄 全くみておりません。
高橋は15年8月死亡〈後略〉
【6】『武蔵円明流 剣術』という名称
平成20(2008年)年1月29日当時、現在の『武蔵円明流判官派』サイトは、『武蔵円明流 剣術』という名称を無断・無許可でサイト名に使用していました。サイト管理者:加来〇〇(円明流五段)と記載しています。(商標登録権侵害・資料あり)
―『武蔵円明流 剣術』サイト (『武蔵円明流判官派』の過去のサイト名)「宗家 諸田森二」より
2003年8月に高橋宗家が亡くなり、1年が経過した2004年に第15代宗家になり円明流普及に尽力している。
この方は2002年(平成14年)5月、千葉武道文化推進会の演武会に『円明流判官派外鎖術』の名称で香取大神宮御奉納演武会で演武しています(高橋華王氏生前)。アサヒタウンズ紙(平成15年10月11日付)の掲載記事にも、『「二天一流」生んだ「円明流判官派」」の最高師範』と記載されています。この記事内の一刀勢法の秘太刀の写真は、武蔵円明流判官派の形ではありません。二刀勢法の形として「燕」の突き・「猿」の血振り」と説明がありますが、燕と猿は二刀勢法では使用しない名称です(資料あり)。この時期には『武蔵円明流判官派』ではなく『円明流判官派』という名称を使用していました。
高橋華王氏は段を授与する時に、
宮本武蔵政名円明流判官派 八段○○○○ 右允可ス
総裁 谷口覓
2003年1月15日 国際武道学会会長 武蔵円明流判官派第十四代宗家 高橋華王
と記載していました。
【7】『武蔵円明流兵法』の名称について
『武蔵円明流判官派』第十五代宗家継承に同意したのは、自称武蔵円明流兵法第十五代相伝師家と称する宇津志〇氏だけです。(平成16年6月1日 資料あり)
上記の同意書は、
武蔵円明流判官派継承に於いて諸田〇〇師範の第十五代宗家に同意致します
平成16年6月1日 十四代宗家 高橋華王直門 武蔵円明流判官派師範 柳生潜流 第六代宗家 宇津志〇
と記載されています。
この時宇津志〇氏はまだ『武蔵円明流兵法』を称していません。また、武蔵円明流兵法第十五代相伝師家も称していません。『武蔵円明流判官派』と云う名称は平成2年(1990年)から使われています。『武蔵円明流判官派』は相伝師家と云う名称は使用していません。 相伝師家の稽古している剣術は、二刀勢法8本以外『武蔵円明流判官派』の技ではありません。
―『国際総合武道連盟』サイト「流派概要 武蔵円明流兵法」より
武蔵円明流は、剣聖・宮本武蔵玄信より兵道鏡円明流免許皆伝を受けた岡本馬之介祐実が、兄岡本小四郎政名より武蔵流剣術を学び、これに家伝の岡本流体術、十手刀術を併せて創始したものである。剣術・居合術(抜刀術)・二刀術・小太刀術・短刀術等から成り、なかでも剣術・居合術を主とする、約三百年以上より伝わる総合武術である。元文寛保年間(1736〜1743)頃に岡本勘兵衛誼(鳥取池田藩師範)によって鳥取地方に伝えられ、各派に分派しつつも平成の世まで、十四代・高橋華王(元東京理科大学教授)を経て、現在は、宇津志建が、十五代を継承し、道統を継ぐ。
上記の『武蔵円明流兵法』と云う名称は、『武蔵円明流』を無断・無許可で利用しており、商標登録権侵害です。また、歴史記事は『武蔵円明流』の無断・無許可で記載しています。
高橋華王氏の『武蔵円明流判官派』は『武蔵円明流』の分派であり、谷口覓以降の歴史となります。
高橋華王氏の『武蔵円明流判官派』の技は二刀勢法の8本だけの技です。国際総合武道連盟の二刀勢法以外の小太刀術・短刀術等と剣術・居合術は、『武蔵円明流判官派』及び宮本武蔵玄信と関係がありません。
※参考資料3
関東地方の他流の免許皆伝者(谷口覓の友人)からの手紙より(原文ママ。但し、関係のない記述は略しています)
〈前略〉高橋不動(日野市)の演武会で見ましたよ、ウロン(※注:胡乱・あやしく疑わしいこと)なムサシ円明流を手裏剣もありと高言しており、ハテサテヘエーとなりました。アレナニと聞かれたので「タブン華王さんのデシかナー」と答えましたが、やはりそうだったのですネ。〈後略〉
8)今回、違いを記載するために資料を調べて整理しますと7つの不当がありました。
1、高橋華王氏が、谷口覓の二冊の書籍を無断・無許可で印刷発行(著作権侵害)
2、高橋華王氏の弟子・諸田〇〇氏が、無断・無許可で十五代宗家と自称。外物鎖鎌の指導。
3、諸田〇〇氏の弟子で『武蔵円明流判官派』サイト管理者の加来〇〇氏が、無断・無許可で武蔵円明流の歴史を間違い記載。
4、加来〇〇氏は、平成20年(2008年)1月29日には、無断・無許可でHPに『武蔵円明流 剣術』名称を使用していた。(商標登録権侵害・資料あり)
5、宇津志〇氏の国際総合武道連盟の剣術は、無断・無許可で『武蔵円明流兵法』と云う名称を使用中である。流派の歴史は、『武蔵円明流』の無断・無許可の使用である。(商標登録権侵害) 宇津志〇氏は、十四代高橋華王(元東京理科大学教授)を経て現在、宇津志〇氏が十五代を継承し、道統を継ぐと記載されている。また、十五代相伝師家と自称していますが、『武蔵円明流』と『武蔵円明流判官派』には十五代相伝師家と云う名称はありません。十四代相伝師家は誰もいません。
6、『武蔵円明流判官派』の商標登録は、違法に登録されたものです。
『武蔵円明流』は平成20年12月19日に登録第5190435号として特許庁商標原簿に登録されました。
顧問弁理士によると、平成20年11月21日起案、(『武蔵円明流判官派』の商標登録)拒絶理由通知書において、商標・武蔵円明流を引用して「これが登録されたときに、商標法第4条第1項第11号に該当することとなります」と認定を受けているにもかかわらず〈略〉特許庁では、手続補正書の提出後に登録された引用例を無視して本件商標を登録した。
よって『武蔵円明流判官派』の商標は、本来登録されるべきではなく、無効となる無効理由(商標法第4条第1項第11号違反)を有しているため、本件商標に対し、無効審判を請求することができます。
※特許庁審査官は剣術について理解不足であったと思われる。
以上は、高橋華王氏直門の方々による無断・無許可の不当な事柄です。
7、動画投稿サイトにて、他会派による『武蔵円明流』懐剣術(2012年6月10日)という演武動画がありますが、『武蔵円明流』の懐剣剣術ではありません。当流の懐剣剣術は偃月刀と云う名称です。剣は懐剣です。(商標登録権侵害)
8、動画投稿サイトにて、他会派による『武蔵円明流手裏剣術』という演武動画がありますが、『武蔵円明流』の手裏剣術ではありません。当流は手裏剣術は伝えられていません。武蔵円明流は宮本武蔵政名が創流した流派ですので名称を使用しないでください。(商標登録権侵害)
※参考資料4
尾張の『円明流』を、『武蔵「円明流」を学ぶ』と云うタイトルで、平成22年(2012年)2月15日に書籍とDVDが発売されました。顧問弁護士より、著者赤羽〇〇氏と赤羽〇〇氏の両氏と発行所の代表者 代表取締役〇〇〇〇氏宛てに平成22年3月13日通知書を内容証明にて送付しました。
[通知書]
〈略〉 貴社らが使用している武蔵「円明流」なる商標は、武蔵円明流なる商標と明らかに類似しており、消費者に誤認混同を生じさせるものであり、貴社らの行為は通知の人の有する商標権を侵害するものです。〈略〉
(最終更新:211013)
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