20005年5月10日
比較して論じること
WEB上で話してみたり、感想廻ってみたりしても、『Tears to Tiara』の評判は良くないみたい。
わたしは好きになっているので、気持ちを共有できないのは残念だなぁ……。
そうした意見のなかで、ちょっと気になる点について記しておきます。
面白い面白くない……は、主観的なことであって、作品の絶対的な価値の指標にはならないと思うんですよね。
なんというか、そうした感想というものの主観性を意識せずに、客観的であると自負しておられる物言いで他者に是非を言わせない論調のかたが少なくないような……。
当然、わたしが日頃このサイトで書き散らしている言葉も「感想」であるから、わたしの主観に基づくものであります。
そう、意識して書くよう努めておりますです。はい。
さらに今回はLeafというブランドから発売されたこともあって、『うたわれるもの』と比較されていらっしゃるかたが多いのも、ちょっと……。
わたしが『うたわれ』未プレイだから、それこそ単純に『TtT』に面白さを感じてしまっているのかもしれませんけれど。
……もしかしたら、そうした両作品を比較検討された感想をお持ちのかたからは、より面白さを持った作品のことを知らずに小さな満足感で喜んでいる可哀想な人……に見えているのかもしれませんけれど。
あははー。
んーと、ね。
親切で言ってくれているのかもしれないけれど、「『TtT』より『うたわれ』のほうが面白いからプレイしてみ?」という言葉ではなにも動かないですし動けないのです、わたしは。
あなたの言葉で語ってくださいよ、その作品の素晴らしさを!みたいな。
ダメな部分をつらづらと述べるのではなくて、良いところをね!
「『うたわれ』のほうが」「『うたわれ』のほうが」……って合唱されると、「うるさーい!
全国民が『うたわれ』をプレイしてると思ってるなよー!」とか反発心を抱いてしまう次第。
比較することは悪いことじゃないと思います。
「Aという作品には●●と感じて、一方のBという作品では■■と感じる」
──といった内容について論じるのであれば。
ただし、どちらか一方をおとしめるため、もしくは優劣をつけるための比較はわたしには好ましいモノだとは思えないのです。
あと気になったのは、感想を数値化しているサイトさん。
『TtT』にダメだしをしている人って、それほど数値が極端に低いワケじゃないんですね。
言葉ではすごく尖った意見を放っているのに。
なんというか、数値と感情が乖離してしまっている印象が……。
これってブランドの影響力を意識しちゃってしまわれているのでしょうか?
……いや、それは自分が数値化される微妙な判定に付いていけないだけかも。
根本的には「スキ」「キライ」の二択で感想を持つ人間なので。
少数派の意見になってしまったとき、気が弱くなるものなのですよねー。
ここはつとめて強くあらねば!と思う次第。
だから今日の日記は、こんな長文書いて気持ちを奮い立たせているのデス。
そんなワケで『TtT』ダメ派の人は、わたしへの感想報告はノーサンキューよ?
わたしは「好き」、あなたは「嫌い」。これで終わり。
この作品については触れずに、今後ともお付き合いしていきましょう。
反対する意見を認めないって姿にも受け取れますけれど、うわっつらだけの付き合いならそれでOKだと思うんデスヨ。
なあなあ、で結構! なにが悪いか! 居心地の良い人間関係、万歳!
……ちうか、反対する意見をすぐに(さらに言うと徹底的に)叩きつぶそうとする性癖があるから、距離を取った方がお互いのためだ──ということでもありまするよ(苦笑)。
ヘッジホッグ。
サイトなどで反対意見を見つけてしまう現象に関しては、これはもうわたしのほうからぶつかっていってしまっているわけで、事故……と思うしかないですよねー。
しかもその事故の責任はわたしにあるわけで。
自由に意見を述べられるのが、WEBの素晴らしいところです。
もちろん、今日のわたしの意見に反対する人もいるに違いありません。
それで、よろしいんじゃないか──って思います。
気持ちを共有できていない人と対話するより、共有できている人と対話する楽しみを求めます。
真っ向から対立している意見と巡りあうことを楽しむより、同じベクトルを持った意見の中での微妙な差異を楽しむ……ってことでしょうか。
「あれってダメだよねー」「うん、すっごいダメ〜」
ネガティブ方面での会話よりも──
「あれって好き〜」「うん、すっごく好き〜」
ポジティブ方面での会話のほうが、きっと楽しいから。
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